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数学と数学教育
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久しぶりに「かけ算の順序」問題を考える(4)/遠距離

 最後に、小学生の保護者として、かなりひいた位置から「かけ算の順序」問題について考えてみようと思います。

 誤解をおそれずに言えば(これだけ書いてきているので誤解されないとは思いますが)、保護者としての自分にとって、「かけ算の順序」問題は、ほぼどうでもよい問題です。テストでかけ算の式にバツをされてもうちの子は不幸にはならないし、マルをされたからといって幸福になれるわけでもありません。

 「評価」という面でいえば、たとえば1学期の通知表で娘は1つだけ「がんばりましょう」をもらってきており、それは算数の「計算や作図ができ、面積を求めたり、数量の関係を調べたりする」という項目に対してでした。おそらくテストで角度を測る問題が全滅だったことが反映されているのではないかと推測しています(実際どうであったかはわかりません)。

 角度の問題でバツになったことについて、娘にくやしかったかどうかあらためて聞いてみたら、少しくやしかったとのこと。でも、あの答えを書いたことを後悔していない?と聞いたら、「うん」と軽やかに答えていました。それでもう十分。

 で、通知表やテストというのは、わが子の学校での様子、あるいは、学校そのものの状況を知るための1つの手がかりではあると思いますが、実際に学校に行かないとわからないこと、学校に行ってもわからないことはたくさんあるかと思います。そのなかからきょうは、学校に行って感じたことを書きます。2学期の学校公開で見た授業の感想です。



 娘の学校の算数の授業は少人数制がとられており、2つの学級を3つのクラスに分けて授業が行われています(担任の先生に算数専科の先生が加わる)。クラスと担当教師は固定されてはいるわけではなく、単元ごとに組み替わっているようです。

 4年生になると単なる少人数制ではなく、コース別になります。それぞれ平仮名4文字の副詞をつかって○○○○コースという名前がついているのですが、ここではAコース、Bコース、Cコースと呼ぶことにします。Aコースは、「どんどん力をつけていこう」、Bコースは「普通にやっていこう」、Cコースは「ゆっくりやっていこう」という感じの進め方で、児童本人が自分でコースを選ぶようになっています。65名くらいを3つに分けるので均等に分ければ20数名ずつになりますが、Cコースは人数が多くなりすぎないように調整されているかもしれません。

 娘は、Cコースを選びました。そして、学校公開が始まる少し前の時期から、「最近、算数が面白い」と言うようになったのです。「小数が面白い」とも言うので、ちょっと驚いてしまった私。小数の勉強って地味そうだし、計算が嫌いな子なのに、小数が面白いってどういうこと??

 で、学校公開中に見学(参観と言うべきか)に行きました。このときの担当は、Aコースが若い先生(娘の担任の先生)、Bコースが算数専科の先生、Cコースがベテランの先生でした。

 見学し始めた私は考え込んでしまいました。特に工夫された教え方というわけではないし、奇をてらったことは何もしていないのです(逆にいうと、余計なこともしていない)。

 いったい何が違うんだろう……?

 出てきた答えは、「空気感」でした。教室の空気が1つになっていて、それが動いている。みんなが1つの空気の中にいて、淀んでいるところがない。まず何よりも人数が少ないことが大きな要素になっているのでしょうが、やはりその空気感は先生がつくっているのだと思いました。そして、教室の空気が1つになっていると、子どもたちは各々1人でいられて、授業に参加できるのかもしれないなぁ、とあとで思いました。

 ちなみにAコースとBコースも廊下から窓越しにちょっとのぞいてみましたが、名前どおりの進度という印象でした。Aコースはさすがに練習量が多く、例の二重数直線のような図も黒板に書いてあった記憶があります。

 私はまずなによりも、Cコースを選んだ娘の選択をほめたいと思いました。算数やるなら、Cコースだよ!と。娘のいう「面白い」は、おそらく、「わかる」ということだったのだと思います。そして、教室の空気が1つになっていて、それが動くことが心地よかったのではなかろうか、と想像しています。

 そのほかの授業もいくつか見学したのですが、本来のクラスでの理科の授業のこととか、そのあとに見た体育の授業のこととか、いろいろ思うところはありました。

 評価も大事でしょう、テストも大事でしょう、教材研究も大事でしょう。でも、やっぱり、学校の基本は授業の時間なんだ……という、ごくあたりまえのことを感じた今回の参観でした。

 家庭教師時代に思ったことなのですが、子どもたちって、大人からみればあたりまえだったり地味に思えたりすること、意外に抽象的なことに、興味をもったり、疑問をもったり、集中したりするんですよね。子どもって基本的に、知りたい生き物だと思う。色つけなくても装飾しなくても、地色のまま、むしろ地色のほうが、入り込んでいける。

 あらためて考えると、工夫しようとすることは、「算数ってもともとつまらないもの」という先入観の裏返しなのかもしれません。もっとシンプルにストレートに、子どもたちに入り込んでいける力が、算数にはあるのではないか。いや、この言い方は、逆方向かもしれない。



 以上、久しぶりに「かけ算の順序」問題について3つの視点から考えてきました。あいかわらず私は、「教師は、かけ算の式の順序にこだわってバツをつけるべきではない」というふうに、意見をまとめることはできません。それよりも、もしかしたら数年後に、バツをつける先生がけっこう減るのではないか?なんてことさえ考えることがあります。「昔はバツだったんだけどね」というコメント付であっさりマルをつけるようになる日が。(反順序派の方々からは、事態はそれほどあまくないと言われるでしょうか)

 で、思うのです。それで、何が変わるのだろう、何か変わるだろうか、と。ひょっとしてひょっとすると、先生によっては、バツにすることも、マルにすることも、根は同じかもしれない。そうだとしても、マルならばそれでいいのか。

 1つ前のエントリでリンクした、JVC>長野県梓川高等学校放送部『漢字テストのふしぎ』に登場する小・中・高の先生たちの話を他の先生方がきいたとき、どういう感想をもたれるでしょうか。代弁してもらったと思うのか、共感するのか、傍目八目で何か思うところがあるか、反感を抱くのか。あのビデオに登場する先生方は、まず、生徒側の疑問をしっかりと受けとめることのできる(インタビューに応じることのできる)先生方だと思いましたし、応答は様々だけれど、それぞれに揺れておられて、なんだかほっとしました。信用できないのはバツをつける教師ではなく、揺れなくなった教師だと思う。そして揺らしたのは生徒たち。

 このエントリの最初で、「かけ算の順序」問題は、わが子の幸せとは関係ない、と書きました。しかし、もちろんのこと、どうでもいいと思っているわけではありません。ですが、たまにはこう言ってみたくなる、言わなくちゃいけないという気持ちになることがあります。なので、言ってみました。

 「かけ算の順序」問題に、“1点突破”の力はあるでしょうか? ここを切り開くと、何かが起こるでしょうか。これだけ長期間話題になって、しかも話題に出るたびに盛り上がり、いろいろな立場の人が興味をもって参加されるのだから、もしかしたら、その力があるのかもしれません。


(年明ける前にこの話題終わらせられてよかった〜)

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