TETRA'S MATH

数学と数学教育
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久しぶりに「かけ算の順序」問題を考える(3)/中距離(合同・相似の表記と、漢字のとめ・はね・はらい)

 このエントリは、全部読むのが大変でしたら、中ほどと最後のところで☆印をつけている2つのリンク先をのぞいてみていただければ、言いたいことの主旨はあらかたお伝えできるのではないかと思います。



 1つ前のエントリでは、「かけ算の順序」問題そのものから触発されて考えてきたこと、考えたいことを書きましたが、きょうは少し視点をはなして、では、「学校教育のなかで妙なことになっていること」「自分がこれまであたりまえだと思っていたことに実は数学的根拠はないかもしれないこと」「テストでバツをつけられると納得できない基準」が、他にはないだろうか?ということについて考えてみることにします。

 思い出したのは、三角形の合同や相似の証明を書くときに、対応する頂点の順に記号を書くという約束事についてです。教材関係の仕事をする自分としてはごくあたりまえのことだったのですが、10年以上前に何かの議論がきっかけとなり、これはあたりまえのことではないのかもしれないと思うようになりました。高校入試ではバツにはしないという話を高校の先生からうかがった記憶もあります。

 このお約束は、少なくとも中学数学の中においては常識であると私は認識しています。しかし、よくよく考えてみると、なにゆえ対応する頂点の順番でなければならないのか?と疑問がわいてきます。

 次のページの問題1をお借りして考えてみます↓
http://www.smile.hokkaido-c.ed.jp/h18_suugaku/04_hg/hg_03/heiko_03.pdf

 三角形ABCと三角形「イ」が合同であることを示すとき、対応する頂点の順で書けば △ABC≡△GIH となります。実際には、この問題の場合「イ」と答えればよいので、頂点を気にする必要はありません。しかし、三角形「イ」は、△GHIと書き表すこともできるのだから、もし、記号で答えるときに△ABC≡△GHIと書いてバツならば、△GIHと△GHIは別物、となってしまうと思うのです。証明において対応する辺や角そのものを間違えたのであればバツでしょうが、この三角形とこの三角形が合同である、と示す段階においても記号の順序にこだわらなければならないことには、数学的な根拠があるのでしょうか。それとも、教育的配慮なのでしょうか。あるいは、証明を読む人への親切心なのでしょうか。

(追記:このことに関連して、とても貴重なご意見をメールでいただきました。>いつかじっくり考えたい、初等数学教育における幾何学の意味

 で、次のようなとても興味深いページを見つけることができました。

☆ http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4615104.html

 質問者は、三角形の相似を記号を使って書くときには、対応する頂点順に書かなければならないことを知っていて、それをふまえて考えるとよくわからなくなる問題が出てきて困ったので、質問をしたようです。まず質問者は、△ABC∽△PQRと書いたとき、頂点としてはAとP、BとQ、CとRが対応しているのだから、辺としては、ABとPQ、BCとQR、CAとRPが対応しており、また、このように書かなければならないのではないか、と考えています(理解しています)。
 
 しかし、質問者が示している問題では、最初に2つの三角形を△ABCと△DEFという記号で与え、さまざまな条件を示したあと、それぞれの場合で相似になるかどうかを答えさせようとしています。そして、(1)の場合は△ABC∽△EDFとなり、△ABC∽△DEFとはなりません。ここをいったいどう考えたらいいのか、質問者は困ってしまったのだと思います。

 そして何人かの方がつけておられる回答を読んでみると、三角形を“名前”で示すときには対応順に書かなくてもよいが、式に書くときには対応順に書かなくてはいけないという説明があったり、必ずしも対応順に書かなくてもいいという柔軟な姿勢があったり、問題文に最初から頂点の対応を正しく書くと、あまりにも簡単に解けてしまうから、そのことについてはわり切って考えてください、というコメントがついていたり、「その段階で悩んでいると全然前に進めないのではないかと思います。」なんてアドバイスもあったりします。

 質問者は、回答者1人1人に丁寧にお礼を書いていてなんだか感動してしまったのですが、果たしてこの質問者の疑問はぬぐいきれたのだろうか、釈然としないところが残ってはいないのだろうか・・・と思ってしまうのでした。

 というところまでは、算数・数学教育について考えたい自分の視点ですが、今度はぐんとひいて、保護者の立場により近い視点に立つと、自分は間違って覚えていたのだろうか!?と思う場面がけっこうあるのが、「漢字」です。たとえば「満」という漢字の右上の横線2本は下のほうが長いと思っていた私は、娘に注意しようとして、そうではないことに気づき、自分でびっくりしたことがありました。また、「耳」の下の横線は突き出るのに「聞」の中の「耳」の下の横線は突き出ない(ただし、フォントによっては突き出る)ことや「今」という漢字の最後ははらうのかはらわないのかどっちなのかということを考える機会があったり。

 で、漢字については、次のような大変興味深いビデオを見つけました。「東京ビデオフェスティバル」2007年の大賞受賞作品のうちの1つ、長野県梓川高等学校放送部『漢字テストのふしぎ』です。
http://www3.jvckenwood.com/
tvf/archive/grandprize/tvfgrand_29a.html


 高校で「かけ算の順序」にこだわる指導がなされる場面があったら(なかなかないだろうけれど)、これの「かけ算の順序」編がつくってもらえたかな!? 「かけ算の順序」編、見てみたいなぁ〜!

 などなど、学校教育の中には、指導にしろ採点にしろ、いろいろと「?」な部分があるのだと思いますが、ここにあげた2例と「かけ算の順序」問題には、何か共通点があるでしょうか。また、「かけ算の順序」ならではの要素もあるでしょうか。そのあたりもさらに突っ込んで考えていくと、面白いかもしれません。

 それにしてもしみじみ思うことは、現状に何か問題があるとしたら、それを打破してくれるのは中学生、高校生たちかもしれない、ということです。そして、小学生も!


(つづく) 

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