TETRA'S MATH

数学と数学教育
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父が語る、「私と数学」 (2)

 話は高校時代へと進む。ここには、数学を得意とする同級生達=ライバルの話が書かれてある。

 「高校一年になっても、指導要領が改正になったのか、中学三年次と同じような教材を学習した」と書いているので、ちょっと調べてみたら、なるほど昭和22年に改正が行われているので、その時期だったのかもしれない。因数分解等は何回となくやらされて、うんざりするくらいだった、とのこと。

 同級生は4人登場する。うち2人は、父の小テストの成績を見に来ては悔しがっていたと書いているので、この2人には“勝てた”のだろう。あとの2人の話がなかなか面白い。まず1人は、放課後の掃除は時間の無駄だといって終鈴が鳴り終わらないうちに脱兎のように中庭を走りぬけ、早く帰宅して受験勉強に取り組んだという(高校一年生のころから)。彼は独学で微積の分野に跳び込んでいて、因数分解などで現をぬかしている我々をいかにも軽蔑しているようであった、と父。そしてもう1人。(誤字そのまま↓)
 ある時、古ぼけて、今にも崩れそうな櫓を思わせる図書館の中で、分厚い本を呼んでいる彼を見掛けたことがあった。「何を呼んでいるのだろうと」背後から覗いてみると、積分記号の二、三個重なった数学の本であった。その傍らに閉じたまま置かれていた本の表紙には、楕円関数論と書かれてあった。
 父は大きな衝撃を受け、焦りを感じたらしい。そして、友人から隠れるようにして書店で「新数学解法」という参考書をなけなしの金をはたいて購入し、がむしゃらに取り組んだという。

 高校2年生になって、幾何か解析兇箸いα択肢をあたえられたとき、父は解析兇鯀んだらしい。幾何は授業で習わなくてもどうにかできるという確信(実は自惚れ)があったので。ところが、この教室には一年上級の秀才組が数名集まっており、加えて父の目が極度に悪くなっており(近視)、家計に余裕がないので医者にもいけず眼鏡を買うこともできず、黒板の細やかな文字が皆目見えず、完全に落ちこぼれとなってしまったそう(どうにか及第だけはさせてもらったとか)。ちなみに、このときには上級生の受験のため、教科書は、受験からはずされる後のページの統計・確率から入ったそうで、三年次に再び解析兇鯀択したときには、級数微分からやってくれたので、昨年の多少の残骸もあり、全テストに好成績を上げることができるようになった、と書いている。・・・って、なんで分野のことまで覚えているの??

 大学は、地元の大学の「中学四年過程」というところの数学科に進学している。1、2年生の間は下級生らしく講義に参加し、ノートも書き、おおよそ好成績だったらしいが、上級になってからはよろしくなかったもよう。微分幾何などはフランス語で講義され、皆目判らず、単位を落としたのだとか。しかし、ぎりぎりの線で認定の単位を取得し、どうにか留年せずに卒業に漕ぎ着けたとのこと。卒業論文はとても書くことができず、幸いゼミ方式が取られたので、他の2人と組みながらガウス平面幾何学の研究を交替ですることで単位を取得できるよう取り計らってもらった、と書いている。

 大学で得た教員免許を実際に活用したのは、卒業後7年たってからのことだった。父は、結核検査でひっかかり、教員不採用となったため、療養生活を送ったあと、公務員になっている。その後、高校の教員となったのだった。

(つづく)
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