TETRA'S MATH

数学と数学教育
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父からのメッセージ/こんな残し方もある

 本日、常体にて。

 11月下旬、夢見がわるかった。いや、夢見がわるいという言い方も変かもしれない。短期間のうちに、3回、父の夢を見たのだ。父は8年前に亡くなっている。

 1回目は、父と私と娘が、誘拐されそうになる話。目覚めたとき、「おとうさんの夢を見たなぁ」と思った。2回目は、内容を覚えていない。目覚めたとき、「最近、おとうさんの夢をよく見るなぁ」と思った。3回目は、父にいいことがあったのに、それにだれも言及しなくて父が憤慨するという夢。目覚めたとき、さすがに考えこんだ。

 なんだろう・・・  父は私に何が伝えたいのだろう?

 実は、父が亡くなる数ヶ月前(入院する少し前)に、私は父の夢を見ている。薄暗い灯りの中、布団におばあちゃんが寝ていて、そして、父が私にきくのだ。「帰ってこんとか?」と。暗示的な夢だった。

 夢分析についてはよくわからないが、どうにも今回の父の夢は、私の深層心理というよりは、外から入ってきたもののような感じがした。

 また、夢に母がからんでいないことも気になった。母とは関係のないことらしい。

 父は私に、何をしてほしいのだろうか。

 年末に帰省してこいということだろうか。父のいないわが家に? おばあちゃんの仏壇をおばさんの家に移して、父の神徒壇だけを実家に残しているから、さびしいのだろうか。夏に帰省したときに、お墓参りに行かなかったから? 年末に母をお墓参りに連れていけということだろうか。

 でも、父はそういうタイプではないと思う。お墓参りとか、神徒壇とか、そういうことにこだわってのことではないような気がする。

 そうしてふと思いついたのが、父の『思い出の記』のことだった。いわゆる“自分史”で、父が亡くなったあとに、母と姉で製本した5冊組の冊子(1冊が200ページあまり)。ずっと本棚に入ったままになっているのだ。今年こそは読もうと思って、スケジュール帳の「今年やりたいことリスト」の1番目に「おとうさんの『思い出の記』を読む」と書いているにも関わらず、「まあ、タイミングがきたら読もう、そのうちタイミングがくるだろう、今年でなくてもいいだろう」なんてやりすごしていた私。

 とりあえず、この『思い出の記』を読み始めてみよう。年末の帰省はそれから考えてもいいだろう。と思って読み始めた私は、これは絶対に読まなければいけないものだとようやくわかった。父が亡くなってから8年もの間に読もうとしなかった自分にあきれもした。しかし、まさにいまが読むタイミングだったのだろうと思う。

 戦争のこと。引き揚げのこと。生活のこと。学校のこと。家族のこと。仲間のこと。仕事のこと。教育のこと。子育てのこと。

 いろんなことが、リアルにせまってくる。そして、それはそのまま、現在の私の生活のヒントとなり、力となる。

 まず聞こえてきたメッセージは、「遠山啓だけが教育について考えることじゃないよ〜」という声だった。

 そして、なんだかんだいいながら、父が亡くなったあと、反面教師としての母にこだわることで、結局私は母にとらわれていはいないか?ということに気がつかせてもらえた。いや、うすうす気がついてはいたのだが、あらためて意識させてもらったというか。というより、もっと単純に、「おとうさんもいるんだよ〜」という声が聞こえたのだろう。

 また、戦中戦後の生活について、父の幼少時代の状況が具体的に綴られる描写から、生きていくということ(子育て含む)のシビアさも伝わってくる。シビアさのみならず、温かさや可笑しさ、のどかさのようなものも。

 なお、この『思い出の記』は、次のように始まるのだった。(第一章に組み込まれている文章の一部を表紙裏に転載したもの)  

    せめて君達だけは

 この自分記は、家族の者、とりわけ、二人の娘のために、遺産代わりとして譲与する積もりではある。幸い譲与税も、相続税も着かないから、迷惑な物品ではないであろう。
 我が愛する娘達よ、君達は、読まなければならない。一人前の社会人として育てて来た親の恩に報いるために、そして、今までの親不幸に対する罰として。
 2人の娘のうちの1人(姉)はとっくの昔に読んでいるのに、残りの1人は本棚にしまいっぱなしでページを開こうともせずに、他の本ばかりそばに置いている。「さすがにそろそろ読め」と父は言いにきたのだろう。

 現在、自分も一応、親であるわけだが、私は娘に自分史のようなものを残すという発想はない。以前、「毎日子どものなかにダイレクトにメッセージを伝える」という金子由紀子さんの考えに感銘を受けた話を別ブログに書いたが(>)、いまでも基本的にはそのスタンスでいるし、むしろ、どちらかというと残したくないとさえ思っているような気がする。しかしそれは、私と娘の関係が、父と私の関係とは違っているからなのだろう。父は私に、(母ほど)ダイレクトに、リアルタイムでメッセージを残せなかったのだ。

 なるほど、こういう残し方もアリだね、おとうさん。私は基本的に親の恩という言葉は嫌いだし()、読み始めたときは、「確かに親孝行ではなかったけれど、親不孝でもなかったと思うんだよなぁ、なんの親不孝したかなぁ?」なんて思っちゃったりしたけれど、読み始めたいまとなっては、「本当にありがとう。いままでいろいろごめんなさい。おまけに、読まずにいてごめんなさい!!」と素直に言える。やっぱり、発信されたものは、受信されないと成就しないね()。


 というわけで、今年中に読み終わるべく、現在、第3部のページをめくっているところ。


 なお、『思い出の記』を読み始めて、父は夢に出てこなくなった。
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