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数学と数学教育
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「経験主義の二つのドグマ」、ホーリズムの基本テーゼ、「ふち」

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。

 スピードアップして考えられるものではないことがわかったので、せめて本を返却する前に、第一章、第二章の中からメモしておきたいことをピックアップすることにしました。

 まず、クワインがいうところの「経験主義の二つのドグマ」について。この論文は、「分析命題」をめぐるカルナップとの論争が始まって10年後の1950年に発表されたようです。ここでいうところの「経験主義」は、カルナップを代表とする論理実証主義者たちの考えのことであり、クワインは、カルナップやその他の論理実証主義者たちの考えに、2つの(非−経験的な)ドグマが含まれている、と主張しました。

 第一のドグマは、「分析的な真理、すなわち、事実とは独立に意味に基づく真理と、総合的な真理、すなわち、事実に基づく真理との間に、ある根本的な区分がある、という信念」。

 第二のドグマは、「還元主義、すなわち、有意味な言明はどれも、直接経験を指示する名辞からの、何らかの論理的構成物と等値である、という信念」。

 クワインは、この2つのドグマの間には密接な関連があると考えており、これら2つのドグマには根拠がないことを示そうとしたのが「経験主義の二つのドグマ」、そして、ドグマなき経験主義としてのクワイン自身の考えが、いわゆるホーリズムということになります。

 ホーリズムの基本テーゼとは、こんなようなものです。→「外的世界についてのわれわれの言明は、個々独立にではなく、一つの集まりとしてのみ、感覚的経験の審判を受けるのだ。」(これが後にデュエム−クワイン・テーゼと呼ばれることになる。)

 このテーゼが言わんとしていることを最も明瞭に見ることができるのは、(デュエムが主題とした)物理学を典型とするような、高度に理論的な科学であろうということで、ニュートリノ振動仮説についての話が続きます。

 で、メモしておきたいのは、「ふち」の話。

 クワインによれば、「地理や歴史についてのごくありふれた事柄から、原子物理学、さらには純粋数学や論理に属する極めて深遠な法則に到るまで、われわれのいわゆる知識や信念の総体は、ふちに沿ってだけ経験と接する人工の構築物」をなしている。つまり、われわれが信じている一つ一つの命題が、それぞれ一定範囲の経験に対応しているわけではなく、「感覚的経験の審判を受ける」のは、いくつもの命題の組み合わせである。そこで、「ふち」のところに、現在の信念体系から予測されるのとは食い違う経験が生じた場合、「人工の構築物」の内部をどのように改訂するかについては、様々な選択肢がありうる。
 (p106)

 「ふち」と聞いて思い出すのは「境界」であり、そうするとオートポイエーシスのことが思い出されます。
> 0と1にまつわるとりとめのない曖昧な思考
  オート(自己)ポイエーシス(制作)と「境界」

 となると、その流れで今度は、郡司ペギオ−幸夫の「外部との接触面にできる亀裂」のことも思い出します。
郡司ぺギオ-幸夫さんのプレゼン映像を見て思ったこと

 また、堤清二のマージナルのことも頭に浮かびます。

 なお、クワインが批判した「還元主義」は、論理実証主義者たちの「蓄積的進歩」という科学史観と相性がよかったわけですが、この段階では「科学革命」のような事態は考えられていませんでした。という話になるとトマス・クーンの「科学革命論」「パラダイム論」が出てくるわけであり、還元主義からの脱却という意味で、「二つのドグマ」は「新しい科学哲学」の露払いの役目を果たしたとも言えよう、と丹治さんは書かれています。この“露払い”という言葉に、なるほどなぁと思いました。ちなみに、ここのくだりでラカトシュの名前も出てきて、ポパーは少し前のところでちょっとだけ名前が出てきています。(でも、私が考えたいのは、その方向ではないのだな)

 で、さらに話を先に進めると、クワインは「二つのドグマ」を捨て去ることからの第二の帰結として「プラグマティズムへの変換」も挙げているのですが、これは、クワインがアメリカ人だからそういうことになったというわけではなく、クワインが言うには、プラグマティズムという言葉はカルナップからとってきたにすぎない、ということらしいのです。したがって、プラグマティックという言葉は、「有用性」というようなニュアンスで語られているような印象があります。もう一声つけたすならば、クワインが言う「徹底したプラグマティズム」とは、言語の選択と理論の選択との区別を否定し、「プラグマティックな考慮」がすべてに及ぶのだ、と考えることらしいのです。こうなってくると、デューイのプラグマティズムとはだいぶ雰囲気が違ってくるような気がしないでもありません。

 とはいえ、クワインの話は、まだまだ続くのです。いっそ購入しようか、しばらく間をあけようか、考え中でございます。

 もう1つメモ。「ふち」という言葉のもとの英語はなんなんだろう?ということが知りたかったので、まずはウィキペディアのクワインのところで示されている英文をざっと眺めてみたら、epistemologyという言葉が出てきているのを発見。エピステモロジーって、固有名詞的なものだと思っていたのですが、私が思っているより一般名詞的なものなのでしょうか。それとも、同じエピステモロジーをさしているのでしょうか。科学認識論というような訳語があてられるのだと思いますが。なお、とりあえず「Quine edge」で検索をかけたら、ホーリズム関係のページがひっかかてくることはきたので、「ふち」はedgeなのかな?と推測しています。ただし、このedgeが上記の「ふち」と同じものを指しているかどうかまでは読み取れていません。

 とにもかくにも、クワインは面白いらしいということがわかりました。3分の1だけだったけど、この本、読み始めてよかった。

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