TETRA'S MATH

数学と数学教育
<< 「論理実証主義」と「経験主義」と「ウィーン学団」 | main | クワインはカルナップが大好きだった。 >>

クワインがウィーン学団から影響を受けなかった理由

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。

 そんなこんなで、クワインはウィーンに半年ほど滞在していたものの、自伝によると、ウィーン学団の論理実証主義からはさほど影響は受けていないようなのです。影響を受けていないというか、惹かれていないというか。

 で、私が勝手に推測したのは、それはとりもなおさずクワインがアメリカの人だったからではないか?ということでした。大きな運動は「アンチ○○」として起こるものであり、抗う相手あってのものだと思うわけであり。そのためにはまず、ヨーロッパの空気と、形而上学の空気が、自分にとってあたりまえのものになっていなくてはいけないわけであり。

 丹治さんはどのように推測されているかというと、まずは、論理実証主義の昂揚のエネルギー源について、次のように書いておられます。(p28/ルビ省略)
 「いまや、あの胡散臭い伝統的・形而上学的な哲学を、<無意味>として断罪する根拠を(ウィトゲンシュタインの洞察から)手に入れた」という彼らの確信であった、と言ってよいだろう。そして、そのような「昂揚」が生ずるためには、「伝統的・形而上学的な哲学」から何かを学ぼうとしながらも、何か割り切れない、どうもよくわからない、何かおかしい、なぜもっと明晰に語らないのだ、といった不満が鬱積していることが必要なのではなかろうか。
 しかしクワインはといえば、何しろアメリカにいながらひとりで独学で現代論理学を勉強して、2年間で博士論文を書いた人であり、
これまで見てきたクワインの経歴には、「伝統的・形而上学的な哲学」への関心も、古典的な哲学と格闘した形跡も、見当たらない
わけです。クワインにとって哲学とはウィーン訪問以前から基本的には論理実証主義者達の哲学観と共通のものであり、そのことをことさら声を大にして叫ぶ必要は感じなかったし、したがって「形而上学の排除」に<感銘>を受けることもなかったのではなかろうか、というのが丹野さんの見方です。

 クワインにとって問題だったのは、「言語の論理的分析」をどのようにやるのか、ということだった。その点に関して最も精力的で洞察力のある仕事をしていた哲学者として、カルナップに対して強い関心をもっていたのではなかろうか、とも書いておられます。(というわけで、次回はいよいよカルナップ登場・・・の予定)

 なお、クワインがウィーンにいたころには、カルナップはプラハに移ってしまっていたようで、「ノイラートの船」のノイラートもモスクワに行っていて留守だったのだそう。ついでに言えば、クワインはウィーン学団の統帥シュリックの講義にも出席したけれど、それは言語(ドイツ語)の練習のためだったのだとか(あらま!)。で、実際、そのドイツ語の練習はその後大いに役立ったようですが。

 思うに、「知らない強さ」「経歴(歴史)がないゆえの可能性」というものもあるのかもしれませんね。形而上学の排除というものに興味がなかったからこそ、ある意味ピュアな気持ちで「これから何する?」と考えられたのかもしれないし。

 それにしても、「哲学を科学化する」という言葉は、戦後すぐの日本の、「教育を科学化する」という(ものであったと私が認識するところの)系統主義に基づいた算数・数学教育運動を彷彿とさせます。しかし後者の場合、排除の対象となったのはアメリカのプラグマティズムの影響を受けた生活単元学習だったので、なんだか裏返しになっていて面白いです。論理実証主義者たちが主張した「経験」は、検証可能性---ある意味での科学化---だったのに、それが流れ流れ流れ流れて日本の教育界に来るころには、子どもたちの日常生活、あるいは“思いつき”---ある意味での非科学化---とみなされるものになっていったわけですよね。・・・ううむ。(>経験主義と系統主義双方に潜む困難
論理学 | permalink
  

サイト内検索