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「論理実証主義」と「経験主義」と「ウィーン学団」

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。

 きょうは論理実証主義の話です。

 本を読む前にウィキペディアで論理実証主義の説明を読んでみると、 論理経験主義、科学経験主義という言葉も並べて書いてあり、まるで実証=経験という図式が成り立つようです。私個人としては、論理実証主義と経験主義とはかけはなれたもの、もしかすると対極にあるものかもしれないという感覚をもっているので、はじめはピンとこなかったのです。いったいこれはどういうことなんだろうか?と。で、経験論の説明を読んでみると、
経験論における「経験」という語は私的ないし個人的な経験や体験というよりもむしろ、客観的で公的な実験、観察といった風なニュアンスである。
と書いてあります。ああ・・・そういうことか、なんとなくわかってきたぞ。ついでに「大陸合理主義」という言葉を発見。そうか、この言葉はそういう意味だったのね。

 で、クワインはといえば、大学院を修了したあと、1年間ヨーロッパに滞在して、前半の半年間はウィーンにいたそうです。ウィーンといえば、ウィーン学団の本拠地。ウィーン学団といえば、論理実証主義の人たち。

 論理実証主義運動について、丹治さんが簡単に説明してくださっているので、ちょっと読んでみます。
論理実証主義運動は、哲学における一つの革命運動であった、と言ってよいであろう。それは、徹底した経験主義的な知識観、検証主義的な言語観を掲げて、従来の哲学のあり方を抜本的に変革し、哲学を「科学化」しようとする運動であった。
 なぜそのような運動が20世紀前半のウィーンで起こったかというと、もともとウィーンには古典的なイギリス経験論に連なる経験主義の伝統があり、1895年にエルンスト・マッハがウィーン学団の「帰納科学の哲学」という講座の教授として着任し、彼の強い影響力がその後のウィーン学団の求心力としてはたらいた、ということらしいのです。加えて、『プリンキア・マセマティカ』によって極めて強力な論理学が整備され、論理的分析の道具立てができた、と。

 エルンスト・マッハはヒューム的な経験主義哲学を再考しようとする哲学者でもあったそうですが、こんなところでヒューム(同じ人?)が出てくるのだなぁと思うことであります。

 それにしても自分のことを省みるにつけ、ブラウワーが他人事に思えずに()経験主義的なところを感じることしばしばってことは、やっぱり私はねじれているのでしょうか。それとも、ねじれているのは「経験」についての捉え方のほうでしょうか。思えば、イギリスの経験論の流れが、アメリカにいくとプラグマティズムになり(?)、それが戦後日本の教育に取り込まれたときに生活単元学習になったのですよね・・・ ううむ。

 ウィーン学団には多くの科学者・数学者が含まれていたそうですが、哲学と科学の活発な交流、形而上学の排除、哲学を「科学」化しようとする気風、そして科学の統一という理想などは、すべてマッハの考え方であったようです。(なんかびみょーにどこかできいた話であるような・・・)

 しかし、なんといっても論理実証主義に向かう最も大きなインパクトは、ウィトゲンシュタインの影響だった。

 ああ・・・ なんか・・・ いろんなことが腑に落ちてくる感じ・・・

 すんごく平たく言うと、このころの哲学者たちは、きっと、哲学を「私たちが世界を捉える方法としてちゃんとしているもの=意味あるもの」にしたかったのですね。つまり、そのころの哲学は「ちゃんとしていない=意味がない」と感じていた。こう言ってしまうと身も蓋もないでしょうか。

 論理実証主義者たちは、「形而上学的な主張は間違っている(偽である)」と言いたかったわけじゃなくて、「実際には無意味だ」と言いたかった。ちなみに、例にあげられた「形而上学的」命題の実例は、ヘーゲルやハイデガーだったようで、それらの命題にはどう考えても経験的に検証する方法はなく、したがって認識上の意味はない、と論じたのだそうです。

 ほんでもって、こうした論理実証主義の考え方と、後年に展開されるクワインの哲学との間には、多くの点で親近性があるそうです。

 ところがどっこい。

 不思議なことに、クワインの自伝によると、クワインはウィーンには惹かれていないようなのです。つまり、ウィーンの論理実証主義運動には、あまり強い印象を受けなかったらしいのです。この点について、クリストファー・フックウェイ(こちらの本にも名前が出てきます)と丹治さんの見解は異なっているようです。クリストファー・フックウェイは、「二〇代の早い時期に、論理実証主義の故郷であるウィーン学団を訪れたことが、クワインの哲学観を形成したものと思われる」と書いているようなのですが、丹治さんは、それは少々考えにくい、という見方をしておられます。根拠はクワインの自伝ですが、「なぜなのか?」については、丹治さんの推測を書いておられます。ちなみに私も自分で勝手に推測してみました。(だんだん面白くなってきた^^) 

(つづく)
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