TETRA'S MATH

数学と数学教育
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クワインが現代論理学を独学で勉強したその状況

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。

 クワインは数理哲学を専攻してオベリン大学で数学科に進んだものの、数理哲学を研究するために必須である現代論理学を知っている教師は1人もいなかったのだそうです。数学科の主任教授が『プリンキピア・マセマティカ』をはじめ、何冊かの数理哲学、論理学の本を取り寄せてくれたようですが、勉強は独学で、全く入門的な手ほどきを受けることなしに、『プリンキピア・マセマティカ』をひとりで一から勉強するという状況だったのだとか。

 ちなみに『プリンキピア・マセマティカ(数学原理)』は、ラッセルとホワイトヘッドが1910〜1913年に書いたものであり、そのもとになったのが、19世紀末のフレーゲの数理論理学だったということをあらためて考えると、フレーゲってやっぱすごかったんだなぁと思うことであります。「アリストテレス以来の伝統的論理学とは比べものにならない、極めて強力な知的道具立てを提供するものであった」とのこと。なお、クワインは1908年に生まれているので、クワインが生まれてまもない頃に『プリンキピア・マセマティカ』が出版されたことになります。

 さて、クワインは学部卒業後、ハーバード大学の哲学科の大学院に進みますが、そこでも「教育」を受けたようには見えない、と丹治さんは書いています。H・M・シェッファーによる論理学の授業も、既に知っていることばかりで面白くなかったのだとか(これってシェファーの棒記号のシェファーさんかしらん?)。ホワイトヘッドもいたし、C・I・ルイスという人もいたそうですが、当時のハーバードではさして論理学の研究は行われておらず、体系立った論理学教育もなかったのだとか。ホワイトヘッドがいたのになぜ?という疑問はぬぐえませんが。

 一方、ヨーロッパでは錚々たるメンバー(示してある名前のうちわかるのはゲーデルとフォン・ノイマンだけ、あとアッカーマンとタルスキはきいたことあるけれど)が精力的に論理学研究を進めていましたが、アメリカにはほとんど伝わっていなかったようです。そんな時期(のちょっとあと)に鶴見俊輔がハーバード大学から日本に持って帰れるものがあるとしたら、もうプラグマティズムよりほかなかったかもしれません()。ちなみにウィキペディアによると、鶴見俊輔にプラグマティズムを学ぶよう勧めたのはハーバード大学経済学講師の都留重人であったようですが。

 クワインの話にもどると、クワインは当時の深刻な不況による経済的不安ゆえに、2年間で大学院生時代を終わらせており、これでは、「教育」の受けようがないのかもしれない、と丹治さんは書いておられます。この2年間で博士論文を書くことになるわけですが、ここでのテーマも『プリンキピア・マセマティカ』。その内容は、「『プリンキピア・マセマティカ』を外延化し、単純化すること」であったのだそうです。

 で、このあと命題関数、「内包」と「外延」についての説明があり、「外延」は同じなのに「内包」は異なるということがありうる話などが続きます。
 しかしクワインによれば、「性質」とか「命題関数」といったような「内包的存在者」は、集合のような「外延的存在者」とは違って、その同一性の基準がはっきりしない。内包的なものを個別化するためには「意味」の同一性に頼らなければならないが、しかし「意味」の同一性が、はっきりしたものではないのである。そしてクワインが見るところ、『プリンキピア』において、集合と区別された性質の存在を仮定することは、実際上何の役割も果たしていない。性質が果たす役割は、すべて集合によって代行可能なのである。そのことを示すことが、クワインの博士論文の目的であった。
 ちなみにこの博士論文は、「二年で終える」ための締切までにわずか三時間を残して、ホワイトヘッドの自宅に届けられたのだそうです。 

(つづく)
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