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数学と数学教育
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倉田令二朗が、「遠山啓の現代数学観は反圏論的」という、その意味

[2013年3月18日追記]
 以前、このエントリのタイトルを“倉田令二朗が、「遠山啓は反圏論的」という、その意味”としていましたが、「遠山啓の現代数学観は反圏論的」とすべきでした。おわびして訂正します。

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 遠山啓著作集<数学論シリーズ4>『現代数学への道』巻末、倉田令二朗の解説を読んでいます。

 倉田令二朗は解説の最後で、「圏論」について言及しています。「今世紀なかばに発生した圏論は数学のあらゆる部門に浸透し,現代数学の様相を一変しつつある。これを無視して現代数学を語ることはできない。」という語り始めで、圏、対象、射、合成、合成の結合則、恒等射についてひととおり説明していきます。また、例としてSet(集合の圏)、Ab(アーベル群の圏)、Top(位相空間の圏)をあげ、「つまり,構造ごとに対象(構造の荷ない手)と,その間の構造を保存する写像をコミにして考えたものである。」と説明したあと、関手に触れています。

 で、このあとの話が私にはなかなか飲み込めないのですが、いわんとしていることは、ウィキペディアの圏論の概要の中盤で書いてあること(↓)とほぼ同じなのだろうと推測しています。
圏の定義においては対象は根源的なものとみなされ、それぞれの対象が具体的にどんな集合として実現されるのかは指定されていない。そこで、これらの特別な空間についての概念を、その「要素」を参照せずに定めることはできるだろうか、という問いが生まれる。
 一方、倉田令二朗は「直積」を例にあげて、集合論的に表現するとどうなるか、圏論的に表現するとどうなるかという違いを示したうえで、
すなわち,圏論は対象(構造の荷ない手)の内側にいっさい立ち入らない。何からできているかも,どうつながっているかも問わない。Aはほかの対象への射:AX,ほかの対象からの射:XAのあつまりによって特徴づけられるだけである。その意味で圏論はさらに陰伏的で,さらに機能的である。対象は,いわばブラック・ボックスである。したがって,圏論は反原子論的である。
 
と書いています。そして、随伴(adjoint)について説明したのち、「問題提起」と見出しのつけられた11行の文章で解説をしめくくっているのです。ここの部分をすべて抜き出してみます。
多くの部門での圏論の成功は疑いないところである。現在でもすべてがカテゴリゼされたわけではないが,現代数学は集合論的なものと圏論的なものの混在としてあることは事実である。こうした情況をふまえて,現代数学教育を見直すことが一つの課題である。ちょうど遠山さんが前期現代数学をふまえて数学教育を見直したように。
ところで,これまで見てきたとおり,遠山さんの現代数学観はすぐれて実体論的,<分解―合成>的,かつexplicitであって,そのかぎりにおいて数学教育現代化によく適合したものの,一口にいって,きわめて反圏論的であることはいなめない。圏論的思考はたんなる専門家好みの一つのスタイルにすぎないものか,それとも,一つの新しい普遍的な理念なのか。だとすれば,それはわれわれの日常的活動の何を顕在化したものなのか?
 こうなるとまた森毅の声がびんびん聞こえてきます。explicitというのは、はっきりした、明示的な、という意味があるようですが、確かに森毅がいうように、遠山啓の論調は「単純明解であるだけに,少し厄介なことになる.」のかもしれません。なお、銀林浩『量の世界−構造主義的分析』(むぎ書房/1975)によると、遠山啓の思想は反圏論的ではないようです。>「構造と素子」と、圏論

 圏論は「射」が主役であるらしいということは、以前勉強したときになんとなく感じましたが、集合の圏で考えると、対象は集合で、射は写像なのだから、写像が主人公ということになるのですね。そして、写像ではなく対象が「ブラック・ボックス」になるというのが面白いです。対象の内側にいっさい立ち入らないということは、集合の内側にいっさい立ち入らないということですよね。

 また、森毅が語る、遠山啓の思想の構図で書いたように、遠山啓の思想は実体中心の外延的還元主義であるように見えて、(森毅に言わせると)感性としては機能中心の内包的全体主義でもあり、二分法で考えると3つの要素が見事に反転するのが面白いです。遠山啓は、集合が「閉じている」こと、静的であるところに、(当時の)現代数学の限界・・・が言いすぎであれば「時代の刻印をおされていること」を見てとり、構造と素子は固定的なものではないというところに、数学の(ひとつの)自由を見ていたように思います。というところまでは察しがつくのですが、その先に行くのはなかなか難しいです。
遠山啓の「量の理論」 | permalink
  

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