近代の「関数」から、現代の「群」へ
関数の歴史的意義、ブラックボックスと“心眼”でみてきたように、遠山啓は、「関数」を、ライプニッツが“作り出した”ものではなくライプニッツによって“見出された”ものとして語っています。また、1つ1つの関数が関数なのではなく、関数として包括して考えられるものが関数なのであり、その意味において和算には関数がなかった、ということも言っています。
単純に考えるならば、遠山啓のいう「関数」は、発明されたものではなく発見されたもの、ということになります。そして、感覚機能で直接捉えられるものは入力と出力だけであるが、入力から出力をもたらす“はたらき”としての関数も「在る」のだということになりそうです。そういう意味においては、関数は実在していると言えるのでしょう。
しかし、これから先は、「実在」という言葉よりも、「実体」という言葉で考えたほうがわかりやすそうです。というのも、遠山啓は“もの”と“はたらき”は固定されていないと考えており、“はたらき”を実体として捉えると、“はたらき”を“もの”としても捉えられるようになる、と考えているように思えるからです。
それが、『数学つれづれ草』の最初の文章「操作の数学」に書いてあります。なんの話かといえば、群の話。群ははじめ、ものの集まりとしてよりも操作の集まりとして登場してきて、このことからしてすでに革命的なことであった、と遠山啓は語り始めます。それまで数学で扱われるのは数か図形であって、操作そのものが研究の目標となることは予想もされなかった。群の理論は、はじめて操作が数学の研究対象になり得ることを示したのである、と。
なお、群の歴史を語るとき、最初に登場するのはガロアであり、ライプニッツが17〜18世紀の人であるとすれば、ガロアは19世紀の人ということになろうかと思います。ライプニッツは近代の人でいいとしても、ガロアは、現代の人というよりは、近代と現代の狭間にいた人なのかもしれません。
なお、そのような近現代の数学の歴史について、『数学つれづれ草』の解説で安藤洋美さんが、なるほどなぁと思うことを書かれています。「遠山啓の強みは、19世紀の数学にも通暁していたところにあった。19世紀の数学は具体的で、20世紀の抽象数学につながる豊かな芽をはぐくんでいたが、具体的であるがゆえに計算は複雑で、概念は未整理だった。そんな19世紀の数学は意外と日本では紹介されていないことが、教育では大きな問題を包蔵しているように思われる」(要約)と安藤さん。高校の数学は18世紀ならびにそれ以前の数学だが、大学が20世紀の数学を教授するとすれば、そこに大きな溝がある、とも書かれています。
私が思うに、高校までの数学を18世紀でとめたのは、ある意味、20世紀の抽象数学に飛び越そうとする藤沢利喜太郎を阻止した遠山啓だったと思うのですが、遠山啓の目的は18世紀にとどまることではなく、18−19−20世紀の流れをわかっておかないと、21世紀にすすめないよ、ということではなかったろうかと私は推測しています。そのくらいの力が20世紀の数学にはある、と。なので、結果的には、18世紀の数学を高校までの目標地点にすることになったのだろうと思います。
で、遠山啓は群について、「紋章」とからめてわかりやすく説明しています。群が発見されたのは19世紀のはじめごろであるけれど、それはあるものの見方が発見されたことを意味しており、その見方でものを見さえしたら、群はいたるところにある、と。そして、「井桁」「一鱗」「五徳」「太田桔梗」「万字鎌」などの紋がいくつの変換をゆるすか、位数がいくつの群をもつか、ということについて説明していきます。
「紋章を自分自身の上に重ねる操作のように、群は何かの構造Sを自分自身の上に写し、しかも、Sの構造を変えないような操作の集まりであるが、Sという構造があってはじめて、それに働く操作の集まりとして群Gが考えられる。そのさい、Sは働きを受ける“もの”であり、Gは働きそのものである。Sは名詞的であり、Gは動詞的なものである。このような対立は人間の思想のなかでもっとも根本的なものの1つで、それをつかみ出して抽象化し、形式化したのが群論の大きな功績であった」(要約)と遠山啓。
そして、さらにこう続けます。「このような対立は19世紀になってはじめてできただけではなく、初等数学における1,2,3,……という数と+・−・×・÷という演算の対立も、広い意味で“もの”と“はたらき”の対立だとみられる。」
また、関数が“はたらき”にあたることについては、すでにみてきました。
という話をきいて私は(いまださっぱりわからぬ)圏論のことを思い出しました。しかし、圏論をもちだすまでもなく、その一例としては微分を考えればいいらしいのです。
関数f(x)に微分という操作をほどこすと、f´(x)というべつの関数になるが、f → f´ の“はたらき”をd/dxで表すと、d/dxf(x)=f´(x)となる。そういう立場からみると、fは“もの”で、d/dxが“はたらき”なのである。遠山啓いわく、「1階からみると天井だが、2階からみると床である,というのとよく似ている」。
この発想は、タイルを使った十進構造の理解や、量分数の考えにつながるように感じています。
単純に考えるならば、遠山啓のいう「関数」は、発明されたものではなく発見されたもの、ということになります。そして、感覚機能で直接捉えられるものは入力と出力だけであるが、入力から出力をもたらす“はたらき”としての関数も「在る」のだということになりそうです。そういう意味においては、関数は実在していると言えるのでしょう。
しかし、これから先は、「実在」という言葉よりも、「実体」という言葉で考えたほうがわかりやすそうです。というのも、遠山啓は“もの”と“はたらき”は固定されていないと考えており、“はたらき”を実体として捉えると、“はたらき”を“もの”としても捉えられるようになる、と考えているように思えるからです。
それが、『数学つれづれ草』の最初の文章「操作の数学」に書いてあります。なんの話かといえば、群の話。群ははじめ、ものの集まりとしてよりも操作の集まりとして登場してきて、このことからしてすでに革命的なことであった、と遠山啓は語り始めます。それまで数学で扱われるのは数か図形であって、操作そのものが研究の目標となることは予想もされなかった。群の理論は、はじめて操作が数学の研究対象になり得ることを示したのである、と。
なお、群の歴史を語るとき、最初に登場するのはガロアであり、ライプニッツが17〜18世紀の人であるとすれば、ガロアは19世紀の人ということになろうかと思います。ライプニッツは近代の人でいいとしても、ガロアは、現代の人というよりは、近代と現代の狭間にいた人なのかもしれません。
なお、そのような近現代の数学の歴史について、『数学つれづれ草』の解説で安藤洋美さんが、なるほどなぁと思うことを書かれています。「遠山啓の強みは、19世紀の数学にも通暁していたところにあった。19世紀の数学は具体的で、20世紀の抽象数学につながる豊かな芽をはぐくんでいたが、具体的であるがゆえに計算は複雑で、概念は未整理だった。そんな19世紀の数学は意外と日本では紹介されていないことが、教育では大きな問題を包蔵しているように思われる」(要約)と安藤さん。高校の数学は18世紀ならびにそれ以前の数学だが、大学が20世紀の数学を教授するとすれば、そこに大きな溝がある、とも書かれています。
私が思うに、高校までの数学を18世紀でとめたのは、ある意味、20世紀の抽象数学に飛び越そうとする藤沢利喜太郎を阻止した遠山啓だったと思うのですが、遠山啓の目的は18世紀にとどまることではなく、18−19−20世紀の流れをわかっておかないと、21世紀にすすめないよ、ということではなかったろうかと私は推測しています。そのくらいの力が20世紀の数学にはある、と。なので、結果的には、18世紀の数学を高校までの目標地点にすることになったのだろうと思います。
で、遠山啓は群について、「紋章」とからめてわかりやすく説明しています。群が発見されたのは19世紀のはじめごろであるけれど、それはあるものの見方が発見されたことを意味しており、その見方でものを見さえしたら、群はいたるところにある、と。そして、「井桁」「一鱗」「五徳」「太田桔梗」「万字鎌」などの紋がいくつの変換をゆるすか、位数がいくつの群をもつか、ということについて説明していきます。
「紋章を自分自身の上に重ねる操作のように、群は何かの構造Sを自分自身の上に写し、しかも、Sの構造を変えないような操作の集まりであるが、Sという構造があってはじめて、それに働く操作の集まりとして群Gが考えられる。そのさい、Sは働きを受ける“もの”であり、Gは働きそのものである。Sは名詞的であり、Gは動詞的なものである。このような対立は人間の思想のなかでもっとも根本的なものの1つで、それをつかみ出して抽象化し、形式化したのが群論の大きな功績であった」(要約)と遠山啓。
そして、さらにこう続けます。「このような対立は19世紀になってはじめてできただけではなく、初等数学における1,2,3,……という数と+・−・×・÷という演算の対立も、広い意味で“もの”と“はたらき”の対立だとみられる。」
また、関数が“はたらき”にあたることについては、すでにみてきました。
しかし,ここで注意しておきたいのは,<もの―はたらき>の対立はけっして固定的なものではない,ということである。数学者はそこを自由自在に考えて,すこぶる融通のきくつかみ方をするのである。たとえば、xという数をyという数へ変える“はたらき”として関数fを考えることからはじめるが、より高次の段階では関数そのものを“もの”と考えて、それにある“はたらき”が作用する場合も考えるのである、と遠山啓。
という話をきいて私は(いまださっぱりわからぬ)圏論のことを思い出しました。しかし、圏論をもちだすまでもなく、その一例としては微分を考えればいいらしいのです。
関数f(x)に微分という操作をほどこすと、f´(x)というべつの関数になるが、f → f´ の“はたらき”をd/dxで表すと、d/dxf(x)=f´(x)となる。そういう立場からみると、fは“もの”で、d/dxが“はたらき”なのである。遠山啓いわく、「1階からみると天井だが、2階からみると床である,というのとよく似ている」。
この発想は、タイルを使った十進構造の理解や、量分数の考えにつながるように感じています。