TETRA'S MATH

数学と数学教育
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そうなると話は比例の定義・導入に集約されていく

 小学校、中学校の比例の定義はどうなっているかというと、小学校では「ともなって変わる2つの量○、△があり、○が2倍、3倍、4倍、……になると、それにともなって△も2倍、3倍、4倍になるとき、△は○に比例するという」というような内容になっているかと思います。一方、中学校では、y=axの形の式で表されることを比例の定義にしていると思います。

 なお、小学校の教科書に、y=(決まった数)×x という式がのっている年代もあると思いますし、中学校のほうでは、2倍、3倍、……については比例の性質というか定理のような扱いになっていると思います。

 しかし、私が認識している遠山啓の「量の理論」でいくならば、比例は小学校の段階から中学校方式で定義・導入しなければならないことになります。

(なお、「量の理論」では“量的比例”と“関数的比例”という分類があるのですが、この違いについてはのちほど検討します。さらにいえば、比例の問題は、比例をどのように定義しても循環論法に陥る感覚があって難しいのですが、このあたりにもひとまず目をつぶって話を先に進めます。)

 具体的な問題で考えてみます。

「10cmで2gの針金があります。この針金30cmの重さは何gですか。」

という問題を、帰一法で解くならば、

A. 2g÷10cm=0.2g/cm   0.2g/cm×30cm=6g

となり、倍比例で解くならば、

B. 30cm÷10cm=3(倍)   2g×3倍=6g

となります。遠山啓はAの解き方をよしとしました。途中で出てくる0.2g/cmというのは、単位量あたりの大きさ(数教協的には“単位あたり量”)です。そして、0.2g/cm × 30cm というかけ算の原形が、(1あたり量)×(いくつ分)ということになります(と、私は理解しています)。

 A、Bどちらの場合も、針金の長さと重さの比例関係を利用して(前提として)30cmのときの重さを求めていますが、Aは、y=0.2×xという中学校式定義につながる解き方であり、Bは、xの値が2倍、3倍、4倍、……になったとき、yの値も2倍、3倍、4倍、……になるという小学校式定義につながる解き方がしてあります。
 
 ところが、1989年発行の『心に広がる楽しい授業 第11巻 比例の考え 正比例・1次関数』の章立ては、次のようになっているのです。(番号のローマ数字を算用数字に変えました)

1.割合(1)−倍−
2.割合(2)−比−
3.関数
4.比例
5.1次関数

 ここにきて、なぜこういう章立てで「比例の考え」を組むのか。なぜ、「割合」からはじめるのか。なお、「割合」のところでは「1と見る」がいっぱいでてきます。そういうことにならざるを得ないのでしょう。

 読んだばかりのとき、責任は遠山啓にあるのではなく、遠山啓の理論を理解していない数教協の先生側にあると思いました。しかし、やっぱり責任は遠山啓にあると思いなおしました。

 つまり、数教協は、実体としての「量」に対し、「倍」というものは「操作」だととらえていた。あるいは、関係概念である、と。その関係概念を乗り切るのが、ブラックボックスだったのだと、ようやくわかりました。遠山啓はそういうつもりはなかったかもしれない(もっと先のこと、あるいは別のことを考えていたかもしれない)けれど、少なくとも現場ではそう捉えていた、捉える人がいた。だから、比例水槽で比例の導入をはかり、ブラックボックスで関数の導入をはかるという、妙なことが起こりえたのだと思います。

 でも、納得したわけではありません。4「比例」を読んで、ほっとしたから。タイトルは「単位あたり量の組み合った計算(量的比例)」。比例の定義は、y=a×x (aは一定の数) になっています。ですよね、こういうことになりますよね。

 そして、この「心に広がる楽しい授業」シリーズの

 11「比例の考え 正比例・1次関数」

につながるのが、

 12「量の変化をとらえる 単位あたり量から微積分へ」

であり、この中で

 「1)かけ算から積分へ」

を担当しているのが増島高敬先生、

 「2)単位あたり量から微分へ」

を担当しているのが井上正允先生です。

 ですよね、こういうことになりますよね。

 ちなみに、シリーズの10が「単位あたり量 密度・速度」。

 どう考えても、11の「割合、比」の部分が浮いています。

 系統立てることをよしとした、定義を途中でかえることをよしとしなかった「量の理論」において、「割合」の位置どころをなんとする。

 遠山啓の量の理論は、遠山啓なきあとも完成されることはなかったようです。たとえ教科書に導入されなくても、指導要領を逸脱しようとも、数教協独自の路線で、「度→比例→率」の“系統立った”指導方法を考えることは可能だったでしょうか。それとも、根本的になにか無理があったのでしょうか。私は学校教育がそうなればいいとは思っていないけれど、比と比例をひっくり返した学習順序というものがあるのであれば、見てみたい気がします。どこかでどなたかが実践しておられるでしょうか。>追記:教科書センターで気づいた、自分の時代遅れさ加減(2012年2月21日)

 遠山啓は割合は大事ではないといっていたのではなく、とても大事だけれど、難しいから慎重に教えなくてはいけないと考えていたのだと私は思います。そして、慎重になるあまり手薄になってしまった、あるいはもしかすると手つかずになってしまったのかもしれません。

〔2017年11月28日:記事の一部を変更しました〕

〔2018年4月6日:細かい訂正を加えました〕

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