TETRA'S MATH

数学と数学教育
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科学的実在論の中での、自分の立ち位置

 本日、常体にて。

 私ってばもしかすると、けっこうな実在論者、あるいはプラトニストなのかもしれない。しかも、だいぶ前から。

 『算術の基礎』を少しのぞいたときに感じはじめたことが()、だんだん現実味を帯びてきていて、なんだかショックと言うか、戸惑っているきょうこのごろ。そろそろ認めないとだめだろうか。いや、まだ踏ん張りたい気もする。

 最近、行列(マトリックス)が存在者に思えてしかたない。

 私が言うところの実在というのは、 なんだろう?

 「擬人化」できるというのがいちばん近いのかもしれない。

 放射性物質でさえ()。

 人格とまではいかないが、意識というか、意志というか、働きというか・・・いや、それほど強いはっきりしたものでもなくて、なんというのか私とは独立の「何か」であるものたち。1つ1つの行列も、ヨウ素‐131も。

 なのに、構成主義的あるいは経験主義的な自分を感じることしばしば。

 これは大いに矛盾していることなの?

 それとも辻褄があうの?

 そんな私にヒントを与えてくれたのが、ウィキペディアの科学的実在論の下のほうにある分類表。

 なるほど納得した。

 私は、「独立性テーゼ」を認め、「知識テーゼ」を認めていないってことなのね。もちろん、この分類そのものに対してまだ保留状態だけれど、とりあえず現段階では辻褄があう。

 この言葉を創出した戸田山和久さんって、あの『論理学をつくる』を書いた人かな? そうみたい。読んではいないけれど、白地に赤いクエスチョンマークがひっくりかえったような表紙は頭に入っている。

 となると、数や集合や関数は、どんなふうに「存在」するのかで書いた、数学におけるプラトニズムと物理学な世界における観察とのアナロジーの話、説明能力の話はどうなるんだろう・・・ 特にどうにもならないかな?
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