TETRA'S MATH

数学と数学教育
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紫陽花の花の色と「内包」「外延」

 私は紫陽花が好きです。 

 特に好きなのは、薄紫色のガクアジサイ。
    
   

 (昨年、園芸店でひとめぼれして買った鉢植えの紫陽花↑)

       *       *       *

 紫陽花の花(ガク)の色は、条件によって変わることがよく知られているかと思いますが、その色合いを作るものとして、アントシアニン・助色素・アルミニウムイオン・土壌の酸性度などがあげられるそうです。

 で、検索をしていたら、次のようなとても興味深いページを見つけました。

   YOSHIDA LABORATORY
   >4. アジサイが七変化する仕組みとは?

 上記のページによると、赤いアジサイも青いアジサイも、含まれている成分はまったく同じで、アントシアニンとしてデルフィニジン3-グルコシド(Dp-3G)なるものが含まれており、そのほかにキナ酸エステル類というものが数種類含まれているのだそうです。

 アントシアニンの量は同じでも、キナ酸エステル類の含有量とアルミニウムイオンの量が異なることで、青になったり赤になったりするし、さらに青のほうのphを変えると紫になるらしいのです(実験ではphをどのように変えたのだろう? 何か物質を加えたのかな?)。
 

細胞内のアントシアニン濃度は青色でも赤色でも1x10-2 M 程度であったが、助色素類の量には明白な差が認められた。 青色細胞には、キナ酸の5位エステル類が10当量以上含まれていたのに対し、赤色細胞では5位エステル類は3当量しか含まれないかわりに3位エステルが16当量と大量に存在した。 さらに、細胞内のアルミニウム含量も定量した。アルミニウム の0.1 ppbレベルの微量分析は、環境からの汚染をいかに抑えるかが成否を決める。クリーンルームでの試料調製を含め、 様々な工夫の末、100個以下のアジサイ細胞で分析可能なシステムを構築した。その結果、青色細胞ではアントシアニンに対して約1当量のアルミニウムイオンが含まれていたが、赤色細胞では0.01当量以下であることが明らかになった。

 ここで出てくる“○当量”という単位の意味はわかりませんが、10当量、3当量、16当量というように、数値で表されるものであることはわかります。言ってみれば、これは量化できるもの、つまりは「量」なのだと思います。

 しかし、私たちが紫陽花の花の色を愛でたり、その色を言葉で表現しようとするとき、赤紫にしろ水色にしろ薄紫にしろ、その色は「量」ではなく「質」です。

 外側にどのような「質」があらわれるのかを、紫陽花の内側のとある「量」が支えている。あるいは、外側の「質」は、内側の「量」に対応していると言うこともできる。だからこそ、上記のページに書いてあるように、実験をもとにして、試験管内で紫陽花の赤色や青色を再現できたのだと思います。

 ところで、いちばん上の写真の紫陽花の色を、人は何色と称するでしょうか?

 私だったら薄紫色と表現しますが、人によっては薄藍色かもしれないし、薄い青紫色という人もいるかもしれません、また、単に紫とよぶ人もいるかもしれないし、水色とよぶ人もいるかもしれません。青系か赤系かといったら、青系になるかな?

 キナ酸エステル類、アルミニウムイオンの量、そしてphの組み合わせで、おそらく紫陽花はいろいろな色を出すのでしょうが、大きく分けて「青」か「赤」だとすると、紫陽花の内部で起こっているいろいろな量の組み合わせも、結局のところ、「青を出す組み合わせ」と「赤を出す組み合わせ」の2通りとして考えることができるのかもしれません。また、逆に、紫陽花の中での「量」の組み合わせを5通りに分けて考えると、花の色も5通りになり、その色に対して、「青」「青紫」「紫」「赤紫」「赤」という名前をつけて区別することもできそうです。

 郡司ペギオ−幸夫『時間の正体』の第4章第2節で、集合で表された存在Xの要素数と、Xのベキ集合の要素数をそろえようとしていたことは、結局、そういうことなのではないか?と現時点での私は理解しているのですが、それが正しい理解かどうかはまったくわかりません。

 なお、ここでは「量」と「質」という言葉を使いましたが、これを「外延」と「内包」に置き換えることもできると思います。というか、私が「量」と「質」と勝手に言っただけで、そもそも外延と内包で語られているのですが。

 内部観測された対象Xは、「X」と「Xであること」の乖離と混同を担い、その混同こそ、階層差を乗り越えようとする同一性原理である。「X」と「Xであること」の階層差は、観測に由来する内包と外延とをその起源とする。対象Xにおいて、内包・外延はマテリアル化される。したがって、外延は、内包を個別化し操作対象とする形で現れる。だから、外延は、内包を集合として表すなら、そのべき集合として現れることになる。

 階層差を乗り越える運動は、秩序から乱雑さへと向かいやすい(内部の外延を“減らすバージョン”)が、場合によっては秩序化の流れさえ実現するかもしれない(外界の内包を“増やすバージョン”)。しかし、外界の内包が増えるということは、集合の要素数が増えることであり、べき集合の要素も増加するので、またグループ化が必要となる。

こうして、階層化間の同一性原理は、二つのレベルでの調整を実現することで、結果的に要素数を増やし続け、総じて運動を乱雑さへと導き続けることになるだろう。エントロピーの増大は、局所的で一時的なその減少を不可避的に伴いながら進行することになる。

 しかし、郡司さんはp103の図4−3で、{a,b}のベキ集合{{},{a},{b},{a,b}}をグループ化するときに、{<{},{a}>,<{b},{a,b}>という分け方をしており、これだと、{<00,10>,<01,11>}になるので、要素3つで考えた「秩序から乱雑さ」への話()があてはまらなくなります。むしろ、赤を0、青を1として、「000、001、010、100は赤とみなし、011、101、110、111は青とみなす対応づけ」や、「000は赤、100、010、001、011、101、110は紫、111は青とみなす対応づけ」のように考えたほうが、話としてはわかりやすくなるんだけどなぁ・・・なんてことを感じました。ただ、こうなると、べき集合とは無関係になってしまうし、乖離と混同、および同一性原理のモデルとしてどうなのよ?と自分でも思います。

 そもそも大事なのはわかりやすいことではなく、郡司さんが何を伝えようとしているのかを、できるだけ本人の意に添うように受け取ることだと思うのですが(そうじゃないとこのあとの話が楽しめない)、食いついたはいいけれど、噛みくだくのはなかなか難しい話ですねぇ……。

郡司ぺギオ-幸夫『時間の正体 デジャブ・因果論・量子論』 | permalink
  

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