TETRA'S MATH

数学と数学教育
<< 小さな訂正 | main | デューイの言葉に少しだけ耳を傾けてみる (1)/産業の変化と教育 >>

遠山啓の生活単元学習批判の概要をもう一度おさらいしておく

 遠山啓著作集の教育論シリーズ1「教育の理想と現実」を手がかりにして、遠山啓の1950年代の発言のほんの一部をのぞいてきました。遠山啓の数学教育運動の発端は親心にあり、その親心に大いなる刺激を与えたのが戦後直後の生活単元学習だったということのようです。

 そして、遠山啓の生活単元学習批判は、その背景にあるアメリカからやってきたプラグマティズム、特にそのなかの経験主義的な考え方込みでなされていました。

 巻末解説で、大田堯さんは次のようなことを書かれています(p.288)。 

デューイのような、じつに複雑・難解の人物も、にべなく、その理論的背景の全体をささえる人物として遠山さんによって片づけられている。

 当時の遠山啓の提案は、あえて論争的(ポレミック)なかたちでおこなわれた、“新教育”“経験主義”といった当時の合言葉をやや極端に単純化して、それを批判するというかたちをとっている、と大田堯さんは分析します。どうして遠山啓がそんな姿勢をとったかというと、一般の父母のあいだには“学力低下”に対する批判がかなり高まっていたのに、生活単元学習擁護者は、「新しい教育では学力そのもの定義が変わったのだ、九九ができなくても問題解決の能力は発達したはずだ」と強弁するような、当時の風潮をふまえてのものだったようです。

 そんなこんなで、親心から始まった遠山啓の憤慨は、その後もつねに親心に根を下ろす形でその主張が行われていったのだろうと思います。そして遠山啓は親であると同時に自然科学者なのであり、親心に根を下ろしながらも自然科学者としての主張を行っていったのでしょう。

 もう一度、遠山啓の生活単元学習批判がどのような観点でなされていたのかを、おさらいしておきます。

 

 生活単元学習は、地域の生活や子どもの生活経験にかかわりなく画一的におしつけてきた戦前・戦中の教育に対して、子どもの興味や経験から出発すべきだとするもっともな主張をふくんでいたが、子どもの生活経験とつながることばかりを考えて、各教科の背景にある諸科学の系統性を軽視していた。また、卑近な実用主義にひきずられるものでもあった。つまり、生活単元学習には、科学・文化の積極的な習得という教育の不可欠な過程が脱落していた。

 以上のような観点から、遠山啓の批判は展開されていったようです。この流れから次に進むのであれば、もういやでも系統学習になるのでしょうし、“科学”としての数学教育になっていくのでしょうね。

 

〔2017年9月24日追記〕 このエントリの後半を削除しました。1950年代の生活単元学習批判とゆとり教育批判の基本構造が似ているという話について書いてたのですが、要点がまとまっておらず冗長なため。

遠山啓 | permalink
  

サイト内検索