TETRA'S MATH

数学と数学教育
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フレーゲとラッセル、そしてブラウワー

 野矢茂樹『論理学』の「第3章 パラドクス・形式主義・メタ論理」を少しのぞいてみたいと思います。

 野矢茂樹さんは、メタ論理について、理論的に語るか歴史的に語るか多少ためらった後、歴史的に語ることを選択しています。そしてまずは、1902年、ラッセルがフレーゲに宛てた手紙(いわゆるラッセルのパラドクス)の話から始まります。(以前のエントリでラッセルのパラドクスは1904年と書いてしまったけれど、1902年なんですね)

 この手紙により、フレーゲが為そうとしていたこと ―― 述語論理という新たな武器を用いて数学を論理学に基礎づけること ―― すなわち「論理主義」という構想は座礁することになりました。(……なんてさらっと私が書いていいのかよ〜と『算術の基礎』を手にしたあととなっては思う)

 で、カントールの名前がちょっとだけ出てきたあと、命題関数と集合の同等性の話になり、ラッセルのパラドクスの中身の説明を経て、ラッセルのパラドクスに対する反応の主だったものとして、(1)論理主義、(2)直観主義、(3)形式主義があげられています。

 そうしてブラウワーやヒルベルトが出てくるわけですが。

 以前、別の本でほぼ同じような流れでこの話をきいたときに、私はブラウワーに対して、(無限の扱いについて)構成主義的見方に立ち、排中律を拒否した人というような印象を抱いた覚えがあります。なので、直観主義ってなんだろう?において、“もともとは、ラッセルのパラドックスに対して「こういうパラドックスが生じるのは“無限”の扱い方に問題があるからだ」としたところから始まった主張であり、”と書いています。

 でも、金子洋之『ダメットにたどりつくまで』で垣間見るブラウワーの直観主義は、その域を超えているような気がするのです。ラッセルのパラドクスのような困ったことが起こったから「数学ってそうじゃない!」と主張するにしては、あまりにも言っていることがブっ飛んでいるというか。野家啓一さんが言うように、構成主義は確かにアンチテーゼだったのかもしれないけれど、そのアンチするテーゼって、もっと深いものがあったのではなかろうか(下記に補足あり)。いや、ラッセルのパラドクスが深くないということではもちろんなくて、なんというのだろう、ブラウワーにとって“譲れないところ”がもっと深く根強くあったというか。しかもその想いは一時的なものではなかったようだし、ブっ飛んではいないやり方でちゃんと成果も残している(らしい)のです。

 どっちかというとヒルベルトがイヤだったのかなぁと思うけれど、それぞれの主張の年数と影響の関係がイマイチよくわからないので、このへんはもっと調べてみないとなんともいえません。そう言えばヒルベルトって、よく見かける写真の印象もあって、おじさ〜んというイメージがあるのですが(だれだってずっとおじさんやおばさんじゃないんだけど)、1900年の講演の段階でまだ38才だったんですねぇ。ラッセルが28才。そっか、ブラウワーが物申した(1907年)のが26才で驚いている場合じゃないんだな。ちなみに1900年の時点でフレーゲは52才、カントールは55才。そしてクロネッカーはもういない。なんかこのへんまだよくわかっていないので、年表にまとめながらそれぞれの主張を整理していかないともやもやしています。

 ちなみに野矢茂樹さんは、「第4章 直観主義論理」の最初のところで、

 直観主義は数学における観念論であると言える.「存在するとは知覚されることである」というバークリーの有名なテーゼを数学の場面にあてはめて言うならば,直観主義にとって,「存在するとは構成されること」なのである.

(p.163)

と書いておられます。


〔補足〕 もちろん野家啓一さんはアンチテーゼのことをアンチ「論理主義」という意味で書いておられるわけではまったくなく(そういう話の流れではないので)、常識的世界観や常識的科学像に対するアンチテーゼという意味で書いておられます。

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