TETRA'S MATH

数学と数学教育
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フレーゲ『算術の基礎』の第一原則について思うこと

 フレーゲ著作集2『算術の基礎』(野本和幸、土屋俊[編]/勁草書房/2001)を読んでいます。『算術の基礎』のほか、対話や書簡、別の論文も収められているのですが、とりあえず『算術の基礎』だけ読むことにしました。

 読み始めてまず感じることは、フレーゲは心理学や感覚というものを数学に持ち込むことが本当にイヤなんだなぁということ。『算術の基礎』の根本動機はそこにあるのではないかと思えるくらい。実際そこにあるのかも。なにしろこの探求の原則として第一にあげられているのは、次の項目です。
 心理的なものを論理的なものから、主観的なものを客観的なものから、明確に分離しなければならない。
 しかし、『ダメットにたどりつくまで』にあげられている原則は確か次の2つでした()。
 語の意味(Bedeutung)は、命題という脈絡(Satzzusammenhang)において問われなければならず、語を孤立させて問うてはならない。
 概念と対象との間の区別を、念頭におかなければならない。 
 この順番を意識した上で、あえて順番を逆転させて2つの原則が出てくるのです。逆転させたのはダメットなのか金子洋之さんなのかよくわかりませんが、とにもかくにもなぜ2つだけを選んだのだろう?と最初は首をかしげていました。焦点を絞るために余計なものを思い切ってそぎ落とすということはよくあることでしょうが、なぜ、いちばんはじめのいちばん大切な「第一」の原則を省略したのだろう?、これは第二の原則:文脈原理と関わりが深いのに・・・と不思議に思っていたわけです。

 しかし、しばらく考えていたら、関わりが深いから省略された、あるいは、実質的に原則となりうるのは文脈原理のほうで、第一の原則は第二の原則に含まれているとみなされたのかもしれない、という気がしてきました。そういえば『ダメットにたどりつくまで』では、「方法的論原則」という言葉が使われていました。

 第二の原則は、第一の原則と次のようにかかわってきます。
第二原則をなおざりにすると、各人の心の内的な像や作用を語の意味と見なし、そのため第一原則にも抵触することがほとんど避け難くなる。
 という主張をきいて思い出すのは、ブラウワーがいうところの数学の無言語性のこと。フレーゲとブラウワーの数学観は対極にあるのだろうということが予想できるのと同時に、2人の言語観の相違点がわかって面白いです。言語を「単独の語」ではなく「文」として考えると、ある意味でフレーゲとブラウワーの言語観は見事に一致しているのではないでしょうか。文章となった言語は、各人の心の内的な像や作用をひきはがしたものになる、という意味で。

 フレーゲは、第一の原則「心理学的なものを論理的なものから明確に分離し、主観的なものを客観的なものから明確に分離する」を遵守するために、「表象」という語を常に心理的な意味合いで使用して、表象を概念や対象から区別しています。つまり、概念と対象を区別するまえに、まずは表象をそれらから区別しています。そして、第三の原則「概念と対象との間の区別を、念頭におかなければならない」についてはこう語っています。
第三の点に関しては、もし概念を、変化させずに、対象にすることができると考えるならば、それは見せかけでしかない。
 いきなりトーンダウンしているように感じられるのは私だけでしょうか。第一の原則においては「明確に分離せよ」、第二の原則においては「孤立させて問うてはならない」となっているのに対し、第三の原則は「区別を念頭におく」です。概念は変化させれば対象にできるような口ぶりです。

 もしかすると、フレーゲ『算術の基礎』の冒頭であげられている探求のための原則のうち、実質的な意義がある原則、もっとも大きな意義がある原則が、「文脈原理」ということだったのかもしれないなぁ…といまは感じています。
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