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数学と数学教育
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ダメットによる、フレーゲのプラトニズムの考察

 フレーゲは、「対象は固有名(単称名辞)によって指示されるものだ」と考えました。しかし、文中のある表現が固有名であるか否かをどうやって判定するのかについてはたいしたことを語っていないらしいので、わずかに語られたことを手がかりにがんばったダメットのお仕事をこれからのぞいてみることにします。

 その前に、「固有名」についての確認をば。巻末の「注」によると、フレーゲは現在の意味での固有名と確定記述の双方を含めて「固有名」という語を使っているそうです。

したがって、正確には、それは単称名辞と呼ばれるべきなのだが、ここでは固有名と単称名辞とを交換可能な仕方で併用する。

(p.225)

とのこと。確定記述とはなんぞや?

 検索してみたところ、あるひとつの個別的な対象を特定できる場合、その記述を確定記述というらしいとわかりました。「金子洋之」さんが固有名だとしたら、「『ダメットにたどりつくまで』を書いた人」が確定記述ということか。

 じゃあ、単称名辞ってなんだろう? t単称名辞というのは、確定記述と固有名詞をあわせたものってことかしらん? という理解でいいのだろうか? 不安は多々ありますが、なんとなくイメージはつかめました。

 イメージをつかんだところで、まずは「存在汎化」の話です。

 「存在汎化」というのは、文の中のある語を「あるもの(something)」に置き換えて進むような推論のことらしいです。ダメットは、この存在汎化をもとにして、文の中の語を「あるもの(something)」に置き換えた推論が成り立たないならば固有名ではないし、成り立つときにはその語が固有名である必要条件を満たす、というアイデアを示したようなのです。

 たとえば、Socrates is wise. の Socrates を something に置き換えて Something is wise. としてもその推論は成り立つので、Socrates は固有名としての必要条件を満たすけれど、Nothing is wise. の Nothing を something に置き換えて Something is wise. とすると、この推論は成り立たないので、nothingは固有名ではない、というような話だと私は理解しました。

 ところが、このアイデアではすぐに行き詰まりがきます。たとえば、「ピーターがまだ生きているならば、われわれは救出されるだろう」の中の「ピーター」は私たちの感覚からすれば固有名ですが、「ピーター」を「あるもの」に置き換えて、「あるものがまだ生きているならば、われわれは救出されるだろう」への推論は妥当ではないので、「ピーター」は固有名ではないということになってしまいます。

 また、「あるもの」そのものが固有名ということにもなってしまいます。Something is wise. からSomething is wise.への推論は妥当なので。で、こういうケースを除去するための条件が必要になってくるわけです。

 しかしながら、このようにして基準をいくら精緻化しても、こうした基準によって除去できるのは、‘something’や‘everything’のような実詞句といわれるような表現である。

(p.24)

 「実詞句」の意味がわからなかったので検索したのですが、まったくひっかかってきません。「実詞」だと漢文方面の話になるみたいだし。なんだろう、実詞句って。わからない。

 わかるのは、「存在汎化」でとりのぞける「固有名詞ではない語」って、かなり限られているということ(と思ってしまう私は、別の感覚ですでに固有名を判別しているのだろう)。たとえて言うならば、カボチャとサツマイモと大豆と小豆がたくさん入っている袋の中から小豆だけを取り出すにあたり、まずは大きな目の「ふるい」を使ってカボチャだけをとりのぞく作業をしているような感じがします。時々サツマイモも横向きになってふるいの目にひっかかってしまうし、小さなカボチャはふるいの目から落ちちゃうし(ってどんなたとえだ)。

 さらに(というか、根本的な問題として)、述語を固有名ではないとして除去することができません。「ある警察官が彼を叩いた」と「ある警察官が暴行の罪で彼を告発した」から、「あるものが、彼を叩き、暴行の罪で告発した(彼を叩き、暴行の罪で告発したものがいる)」への推論は正しくないのに、「ヘンリーは警察官である」と「ピーターが警察官ではない」とから「ヘンリーがそうであって、ピーターがそうではないところの何かが存在する」への推論は、(日本語ではかなり不自然だとしても)論理的には妥当ということになってしまうので。

 ……って、その前に質問。1文だけじゃなくて2文を一緒にした推論というのも考えるのですか? というか、それが基本? あ、そうか。「ソクラテスは哲学者である」「ソクラテスは賢い」から、「あるものは哲学者であり、賢い」と推論するわけなのかな。固有名ならば2文だろうが3文だろうか、その推論が成り立つのだ。

 「存在汎化」という言葉とあわせて次のように考えなおしたら、ダメットのアイデアが固有名を区別する基準の最初の一歩として共感できるものに思えてきました。つまり、固有名を表わしているかもしれない同じ語に、AならAという記号をあてて(“記号”という言葉にいまはあまりひっかからないようにしながら・・・このAは、BでもXでも□でもいいのだけれど、とにかく“何ものかである”Aを表わしている。つまりは“あるもの”)、同じある語をAに置き換えた推論が成り立てば、その語がたった1つのある特定のものを指している固有名としての可能性が高くなる。

 たとえば、

 「くぐるくつは魚である」
 「くぐるくつはかわくとひひりひつになる」
 「くぐるくつは古典に出てくる」

の中の「くぐるくつ」を全部「あるものA」に置き換えて、「あるものAは魚であり、かわくとひひりひつになり、古典に出てくる」と推論した場合、その推論は正しくなります。

 とにかく、固有名ではないものを除く方向としてではなく、固有名を見つけようとするポジティブさでもってして「存在汎化」を考えると、上記の「使えないふるい」の印象も消えていきました。

 そうは言ってもやっぱりこのアイデアには困難があります。で、この困難に対処するための基準をダメットは考えたようなのです。

(余談:この本の中での「基準」と「規準」の使い分けがイマイチよくわからない。)

 というわけで、文中のある表現が固有名であるか否かを「存在汎化」によって区別しようとしたけれど、このアイデアは「述語を固有名ではないとして除去することができない」という根本的な困難を抱えていることがわかりました。

 そこでダメットはどうしたかというと、「属性は反対(の属性)をもつが、実体は反対をもたない」というアリストテレスの基準をもちだしたらしいのです。(というくだりを読んだときの私の内なる複数の声→「え、ここでアリストテレスが出てくるの?」「結局、アリストテレスにもどるのね」「やっぱこういうときに頼るべきはアリストテレスだよね」「しっかしアリストテレスって、どこにでもよく出てくるなぁ・・・」)

 属性を述語に、実体を固有名に重ねることによって、この基準は言語的基準としても使える、というわけです。以下は、私の理解による我流の表現です(本の中にG(x)はでてきません)。

 「賢い」という述語をF(x)という関数で表すことにする。
 「賢い」という述語が反対をもつということは、
 「F(x)は成り立たない」もまた同様に述語である。

 そこで、「愚かである」という述語を導入し、
 この述語をG(x)という関数で表すことにする。

 このとき、すべての固有名aについて、
 G(a)と「F(a)は成り立たない」は同じ真理値をもつ、
 と取り決めてやることができる。

  例:ソクラテスは賢い→真
    ソクラテスは賢くない→偽
    ソクラテスは愚かだ→偽

  今度は、固有名aに対して、
  非-aという名前を導入する。
  しかしこの場合は、
  「F(a)が成り立たない」とF(非-a)は同じ真理値をもつ、
  と取り決めてやることはできない。

  例:ソクラテスは賢い→真
    ソクラテスは賢くない→偽
    非-ソクラテスは賢い→?
  
 議論の内容はともかく、「非-ソクラテス」というのが面白いなぁ〜と思いました。

 で、ダメットによるフレーゲのプラトニズム理解の立ち入った考察は、実はここまでになっています。

問題は、こうした規準の設定に見込みがあるかどうか、である。

(p.25)

 その前に、2つの事柄が付け加えられています。まず、これらの規準は、実践的な規準として意図されたものではなく、あくまでも原理的な可能性を探る試みであるということ。それから、フレーゲは(あるいはダメットは)、現実的には、ある表現が固有名であるか否かが言語的規準によってすべて判別されなければならないと考えているわけではない、ということ。

 それはなんとなくわかります。袋の中にカボチャとサツマイモと大豆と小豆が入っていて(またかい?)、この中から大豆(小豆から大豆に変更)だけを取り出したいときに、どういう方法があるのかを考えてみる、というようなことですよね。見た目でも区別できるんだけど、大きさで選別できないかな、水に浮かせるとどうかな、転がしてみるとどうかな……という具合に。そういえば、きのうの例では、ふるいの目に小豆がかからないとヘンな話でした。固有名を通りぬけさせるための網に固有名がひっかかってしまうのだから。で、実はふつうの大豆のほか黒豆も混ざっていて、しかもその中から丹波の黒豆だけを選別したいとなったとき、いったいどんな方法で選別することができるのか。

問題は、境界線上のケースであり、境界線を越えてさらに先のケースである。

(p.26)

 そうですよね。ソクラテスやポチくらいだったら、苦労して考えなくても固有名だと思える。問題は、固有名と認定することが一見すると疑わしいようなケース。それを固有名として認定したいのだ。その方法がほしいわけだ。

 そのようなケースとはなんだ? 数詞だ。

〔2018年4月3日〕
 分けて書いていた記事をひとつにまとめ、整理しました。

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