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数学と数学教育
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冷蔵庫・乾物・保存食と時間

 冷蔵庫や冷凍庫って、時間をとめる機械なんだなぁ、と思ったことがあります。常温なら保存できないものが冷蔵庫なら保存できるし、冷凍庫ならその保存期間をかなりのばせるので。でも、永遠に保存できるわけではないので、時間をとめるというより、時間をひきのばせるってことになるのでしょうね。時間の流れをゆっくりにできる、遅らせることができるってことか。

 というときの時間とはなんぞや?と考えた場合、それは食品の変質であり、変化ということになるのでしょう。

 冷凍食品を利用することがあまりない私ですが、昨年、新型インフルエンザが流行の兆しを見せたときには、食材の冷凍に励みました()。また、自分が体調をくずしたときの経験を経て、保存食や乾物の意味についても考えるようになりました()。そのほか非常食としては、缶詰やレトルト食品などの加工品もあります。つまり保存食というのは、食品が腐敗しにくい状況をつくったものであり、ということは、食品の変化には、温度と水分、空気あるいは外界との接触ということが関係していそうです。温度をさげ、水分をなくし、空気に触れさせないようにすると、食品は腐りにくくなる。それはつまり細菌を繁殖させにくくするということなのだろうと想像していますが、そう考えると発酵食品というのはつくづく面白いです。

 で、思うのです。保存食が保存食足りえるのは、それを食べる私が保存食化(!?)されていない状態だからなのかなって。私の時間は普通に流れていて、食品の時間だけが変わるからなのかなって。ミートソースと一緒に私も冷凍庫に入っていたら、ミートソースは保存食にならないだろう。って、その前に、生きてられないか。あ、そうか、私と時間を争っているのは食材ではなく細菌か。温度・水分・栄養。細菌の繁殖に必要なものは、私が生きるのに必要なもの。

 郡司ぺギオ-幸夫さんは、ある本で「生命とは時間の別称である。」と書いておられますが()、『時間の正体 デジャブ・因果論・量子論』のあとがきでは、次のように書いておられます。
 時間とは変化である。それを表すには、運動体と、その運動を指定するための土台、空間が必要となる。これだけなら、道路を走る車を想像すればよい。(中略)大地を走る車の場合、わたしが車に乗るか、車の外に立つかは明確に分離できる。時間についてはどうだろう。現在の外に立つことは原理的にできない。そうであるにも拘らず、現在が享受する変化は、土台を必要とする。(中略)内と外を区別しながら、その区別が同時に覆されることを受け入れること。時間の問題は、こういった問題一般のミニマルな形態を与える。
 
 余談ですが、乾物ときくと干物を思い出し、落語の「てれすこ」を思い出します。
郡司ぺギオ-幸夫『時間の正体 デジャブ・因果論・量子論』 | permalink
  

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