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数学と数学教育
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「アクリル毛糸の量の圏」を作りながら思ったこと

 「アクリル毛糸の量の圏」---圏になっているものとして話を進めますが---をつくりながら、いろいろなことを思いました。

 以前、圏を自分でさがせるかな?とあれこれ身の回りをみまわしたとき、「対象よりも射をさがすほうが見つけやすそうだな。射をさがすには何か1つのものに2つのものがくっついているもの、その2つのものに方向性があるもの(区別がつけられるもの)じゃないと射にならないよな…」と思ったのですが、分数というのは、まさにその「区別のつく2つのものからなる1つのもの」だと気づき、こんなに身近に「区別のつく2つのものからなる1つのもの」があることになんだか感動してしまいました。もちろん、分数ではなくわり算の商でもよい(どちらかというと商のほうがよい?)のでしょうが。

 そうして思い出す、割合分数論争のこと。ただし、いま問題にしたいのは「1m^2を3等分して得られる1/3m^2」といった意味での「1つの量分数」ではなく、2つの量の関係(商)でありながら1つの量になれる「内包量」です。
 圏を学び始めたばかりのころ、「射」がモノであるのか否かの違いは素人にとっては大きい()と感じていました。しかし、抽象的な関数であったものが具体的な内包量になることを考えると、関数という2つのモノの関係が内包量という1つのモノになるという雰囲気はつかめます。なので、内包量が射になれるのであれば、関係でもありモノでもある射の1つのイメージになりそうです。ただし、これが圏の射として正しい理解なのかどうかはまったくわかりません。そして、1つのモノになれた内包量が新たな対象となって新たな圏がつくられるとしたら、「構造と素子」の話につながってくるなぁ…と思っています。がしかし、いまのところまだつながっていないし、無重力状態()については依然まったく理解できないままです。

 それにしても、射を「分数」に定義しておきながら、小数で表すってどうよ?と自分でも思います。でも、合成を乗法で定義しているので、結局、分数を“大きさ”---あるいは単位を伴った数--として扱っていることになり、とりあえず小数になおしても射としての意味はあるかな…と自分では思うことにしています(そして恒等射のわからなさにはとりあえず目をつぶるのであった)。となると、やはり分数ではなくて、「“わる数”を始域、“わられる数”を終域とするわり算の商」を射としたほうがいいのかもしれません。

 射である分数を“大きさ”で扱うということは、1/2 と 2/4 と 3/6 を同じものとして考えるということであり、アクリル毛糸2玉分、アクリル毛糸3玉分の圏を考えたとき、対象となる量は違ってくるけれど(それぞれ2倍、3倍になる)、射はどれも同じになると考えてよさそうです。



 もちろん、同じ種類のアクリル毛糸の場合ですが。そして編んだときの面積に関しては、私が同じかぎ針を使って、同じ網み方で編んだ場合、という条件が必要です。

 そもそも、275^2という面積は、1つの「アクリルたわし」の重さとアクリル毛糸の重さの関係を使って計算で(さらっと)出したものでした。実際にアクリル毛糸1玉分の「たわし」を編んだわけではないので。そんなことしていいのかなぁと気になっていたのですが、どう考えたものか整理ができていない状態です。

 また、長さと重さはいいとしても、「たわし」の面積は私が「たわし」を編まない限り発生しないわけであり、「たわし」を編むという行為には、面積のほかにも関わってくる量があります。たとえば、私は1個の「たわし」を編むのに約20分かかるので、3.5個分の「たわし」を編むのにかかる時間は約70分ということになります。この70分と220円の関係を考えた場合、 220円/70分 や 70分/220円 にどんな意味があるのだろう?ということもつらつら考えてみました。最初は、「意味のない数値だよなぁ」と思っていたのですが、もし、私がアクリルたわしを編むことをこの上ない楽しみとしている人であれば、「1分間の楽しみをいくらで買っているか」「1円で何分間の楽しみを買っているか」と考えることもできるのかもしれません。さらに、アクリル毛糸の側から言えば、アクリル毛糸1玉を製造する際に、いろいろな量が関わってくるのでしょう。

 というわけで、銀林浩『量の世界・構造主義的分析』の第4章を読んでいきました。これ以降で何が書かれているかをあした簡単にまとめてみたいと思います。
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