TETRA'S MATH

数学と数学教育
<< 緑表紙(昭和10〜16年)における比例の扱い | main | 内包量を二重構造で考える意味 >>

生物、人間、量と法則のからみあい

 正比例関数を介さず、直接的に構成される内包量で書いたように、銀林先生は内包量を直接的に構成される典型的な内包量と、正比例関数を介して構成される間接的な内包量に分けて考えておられます。そのことについて、第1章にもどって考えてみます。

 第1章の「§2 量と人間」で、銀林先生はまず、森の中に住むある種のダニの話を出されています。ユクスキュル、クリサート『生物から見た世界』の中に書かれてある話のようです。このダニは、茂みの枝などにいて、人間であろうと動物であろうと、獲物が通りかかるのを待ち伏せ、その上に落下して生き血を吸うのだそうです。この生物には視覚も味覚も聴覚もなく、ただ酪酸の匂いに反応する嗅覚だけしか備わっていない、という話です。

このような生物にとっては,その環境世界の中で意味をもつ量は,酪酸の濃度だけである。

 このように下等な生物であれば環境世界は単純ですが、生物が高等になるほど、その環境世界は複雑で、関与してくる量は多岐にわたります。特に人間にとっては、きわめて多くの量が意味をもってきます。

 これらの量のうち、生存にとって致命的なもののいくつか ―― 温度・味・匂い・音・光・痛み ―― などについては、直接それを受容する機関が備わっており、直接感覚でとらえられますが、量の中には直接感覚から導き出せないものもあり、それらは間接的に構成されなければならない、と話は続きます。

 科学技術や工業生産の進んだ現代社会においては,実に多種多様な量がわれわれを取り巻いている。それらは,単に個々の人間がその環境世界に適応するために必要であるばかりではなく,類としての人間がその環境世界を制御したり,人間社会そのものを統御したりしてゆくために不可欠のものである。

 そして、かつて度量衡法の名づけられてられていたものが、より一般的な「計量法」という名称で呼ばれなければならなくなったことと、実際に計量法にあげられている70種の量が列挙されています

       *       *       *

 計量法であげられている量を眺めていると、量というものはきわめて社会的なものなんだなぁと思えてきます。太古の昔には量として認識されていなかったもの、認識する必要がなかったものもいっぱいある気がしました。というか、そんな量だらけです。なるほど、こういう話をきくと、内包量が二重構造になっているということも、前よりは納得できます。

 そしてまた第4章にもどると、「§3 量のカテゴリ」において、銀林先生は「理念的には、内包量と正比例関数とはまったく一致する。それは実は見方の相違にすぎない。」と書いておられるのです。なんだ、やっぱり一緒じゃん、と思うわけですが、「人間にとっての認識の難易からみると、この両者のあいだには違いがある」という姿勢にかわりはなく、あいかわらず二重構造は保持したまま話が続きます。

比例と内包量と圏論 | permalink
  

サイト内検索