TETRA'S MATH

数学と数学教育
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緑表紙(昭和10〜16年)における比例の扱い

 銀林浩『量の世界・構造主義的分析』の第4章を読んでいます。

 さて、第4期の国定教科書(緑表紙)(昭和10〜16年)では、次のように比例が扱われていたようです。なお、銀林先生はそのまま抜き出しておられますが、ここでは私が現代風に書きなおしました。

(1) 池に小石を投げると円い波ができて、だんだんひろがっていく。円の直径が大きくなるにつれて、円周はどう変わるか。円周を表す公式「円周=直径×円周率」について考えよ。

(2) 自動車が1分間0.5キロメートルの速さで走り出した。時間がたつにつれて、走った距離はどう変わるか。次の公式「距離=速さ×時間」について考えよ。

 このように公式を使って2つの変量の対応する変化を考えさせたあと、正比例の定義

「甲・乙2つの量があって、乙が2倍、3倍、4倍、……になると、甲も2倍、3倍、4倍、……になるような関係にあるとき、甲は乙に比例するという。」

が出されているようです。また、比例問題の解決について解法は明示されていないそうですが、 

(14) 月給に比例してお金を出すことになって、月給75円の甲は1円20銭出した。月給60円の乙はいくら出さなくてはならぬか。

という問題に対しては、

   60円は75円の60円/75円=2/3倍だから、
   出す金額も2/3倍で、120銭×2/3=80銭 となる。

と指導書で説明してあるそうです。これは倍比例の考え方です。

 銀林先生は 

 この緑表紙の比例指導は,ともかく変化を考えるという点では,黒表紙に比べて格段の進歩であるといえる。しかし,いくつかの原因から,このやり方は不徹底で,おかしな程非論理的でその効果は減殺されてしまっている。

と指摘しています。それはどういうことかというと、公式から出発して、2倍、3倍という正当な関数的定義にいきつくのだけれど、逆に、この定義に当てはまる典型的な関数はなく、「変量y=内包量a×変量x」という《公式》、あるいは新しい内包量を創り出す過程はない、したがって、公式が前もって作られている場合にしか正比例関数が考えられないし、正比例の扱える範囲は実際上既知の公式の場合に限られてしまっている、ということらしいのです。これでは、正比例関数というものを考える効果はほとんどなくなってしまうだろう、と。

(p.152〜154の要約)

       *       *       *

 上記の話がいまひとつ理解できないまま、私は緑表紙から抜き出されている3つの問題のうち、(1)と(14)について考えていました。

 (1)の円周も(14)の支払いの話も、変化する2つの量が同じ種類((1)は長さ、(14)は金額)なので、これらの比例関係にある内包量は、濃度と同じく純粋な数になります(そう考えていいとして)。なので、(1)(14)は「倍比例」と相性がいい問題設定だと思うのです。逆にいえば、遠山啓の「量の理論」ではいちばん最後に配置される=帰一法がもっとも苦手な「比的な率」です。

 すなわち、比例関係を「変量」をもとに考えさせるならば、(1)(14)のような問題をもってくるのは不適切である、ということならばよくわかる話です。裏を返せば、「量の理論」は均等分布や変化と関わりが薄い比に弱い、ということになるのでしょう。

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