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数学と数学教育
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集合数から順序数への移行と、圏の「関手」・3

 では次に、《かぞえる》という手続きと「関手」の話が、タイルを使った集合数から順序数への移行の話とどう関わるかについて書かれている部分を抜き出してみます(p160)。A(小先生)とB(大先生)の会話になっています。
 ものいい A(小先生) 圏と関手がこんな初等的なところに現れてくるとはおどろきました.そうすると,小学校1年の入門期の数指導で,「タイル」を有限集合の典型としてとり出していますが,あれなどもこれと同じようなことなのでしょうか?
 B(大先生) その通りなのです.タイルの集合を対象とし,1つのタイルの集合から他のタイルの集合への自然な埋込みを型射にとって,1つの圏´ができますが,おっしゃる手続きは,さきの有限集合の圏から´への関手F´を考えることに当たるわけです。
 A から0への関手Fの性質(2)
     F(gf)=F(g)F(f)
が大事のようですが,これが,集合数から順序数への移行のために,入門期に指導する右の図のようなタイルの系列と射影の深い意味なのでしょうね.
 B そういうことになります.

 文中の右図というのは、次のような図です。
     

 上記引用部分の「射影」というのが何をさしているのかいまひとつよくわからないのですが、水道方式における系列(順序数)の教え方で示したようなタイルの重ねあわせを指しているのかな〜と推測しています。集合数としてのタイルを、系列のタイルの中に影として落とし込む、というようなイメージでしょうか。つまり、[1,2,3,4,5]というタイルの並びは、[1][2][3][4][5]というふうに、大きさ1のタイルがバラバラに並んでいるのではなく、1の大きさのタイル、2の大きさのタイル、3の大きさのタイル、4の大きさのタイル、5の大きさのタイルが影として含まれているニュアンス。

 そうなると、F(gf)=F(g)F(f)の部分は何を言っているのでしょうか。集合Aから集合Bへ単射があり、集合Bから集合Cへ単射があるとき、集合Aから集合Cへの単射があり、それは集合Aに対応する切片から集合Cに対応する切片への自然な埋め込みと一致する、という話なのだろうか…。

 なお、web上で、『水道方式入門』のプレビューを見つけました。順序数についての指導は、p20とp88〜89に載っています。

 それにしても、「かぞえる」ということがこんなに難しいことだったなんて! 私たちは「かぞえる」の背後を知らずして、日々こんな大変なことをやっていたのだろうか?

 しかし、『水道方式入門』p21において、
 はじめに述べた数え主義というのは,けっきょく,順序数をもとにして整数の概念を構成してゆこうとするものです。しかし,(中略)「かぞえる」ということ自体相当複雑な論理を内に含んでいます。この論理がわからないと,かぞえ違えても,最後の数詞を答えとして平気でいます。ここのところにも,数え主義の根本的な誤りがあるといえます。
 上述のように,集合数から導入すれば,ともかく客観的な大きさがあるのですから,このような誤りは防げるわけです。
と書いてあるのを読むと、そういうことかー?とつっこみたくなるのでした。「客観的な大きさがあるのであるから,このような誤りは防げる」…? 集合数からの導入の意味って、そういうことなんだろうか。

 ちなみに(数教協と長年対立している)啓林館のサイト集合数・順序数(1年)というページがあり、ここには
数の指導において,物の個数を直観的に把握させること,つまり集合数としての数の役割を重視する考え方を直観主義といい,物を数えるという操作を通して把握させること,つまり順序数としての数の役割を重視する考え方を数え主義といいます。
と書いてあります。これでいけば水道方式は「直観主義」ということになるのでしょう。確かに、5のかたまりのかんづめタイルを使ったり、九九までタイルでやろうとするところを見ていると、「直観主義」ということになるのかもしれないなぁ、と思います。はてさて、ここでいうところの「直観主義」は、いわゆる数学的直観主義とつながる話なのか否か? これもまた後々の課題ということで。
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