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数学と数学教育
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「構造と素子」と、十進法理解のためのタイルの結集

 いったん圏論のことは忘れて、遠山啓の量の理論における「構造と素子」について、私なりの理解をまとめておきたいと思います。

 構造は、「要素どうしが何らかの相互関係によって結ばれている集合」と考えることができます。単純にいえば、集合に相互関係を取り入れたものといえます。

 そして、集合は素子の集まりです。なので、素子ではなくて要素と言ってもいいのかもしれませんが、とりあえずここでは素子という言葉を使いたいと思います。

 素子と構造について、遠山啓は5人の走者の例をあげて説明しています(遠山啓著作集『量とはなにか〈1〉』p.249)。

五人の走者がスタート・ラインにならんでいるときは,それらのあいだにはなんの関係もない。だから,それはただの集合であるといえる。しかし,これらの走者がゴールに着いたときは,走者に1着・2着……という順序がつけられている。つまり,順序という相互関係が新しく導入されたことになる。つまり,そのとき,集合は特別な構造---順序構造---となったのである。そこで,無構造の集合が構造化されたのである。

 構造と素子との関係は固定的なものではなく、同一のものがより大きな構造の素子とも考えられるし、一方では、より小さな素子からなりたっている小さな構造とも考えることができます。たとえば、一つの都市は市民という素子からできた構造とも考えられるし、一方では、国家という大きな構造のなかの素子とも考えられる……つまり、<構造 ― 素子>という考え方は絶対的なものではなく、視点を変えることによって構造とも素子とも考えられる相対的なものである、というわけです。

 こういう構造と素子の関係の実例は初等数学のなかにいくらでも発見できるとして、遠山啓は十進法を学ぶときに使われるタイルの話を出しています。タイルは、1が10こ集まって10になり、10が10こ集まって100になりますが、10は1を素子とみれば構造であり、100を構造とみれば素子とみなせる、という話です。

   

 数教協のタイルには区切りのある「びんづめタイル」と区切りのない「かんづめタイル」があり、この2種を使うことで構造と素子の違いがよりはっきりわかるのだと思います。

 さらに、1は0.1が10こ集まった構造とみなすこともできるし、100は10こ集まると1000になる素子ともみなせます。

 では、十進法理解のタイルでいうところの「相互関係」、素子である1を構造である10たらしめるものは、いったいなんなのでしょうか?

 遠山啓は、複雑な組織をもつ構造を一つの素子とみなしてそれより大きな構造のなかに組み入れる思考法は、数学ばかりでなく、人間の思考一般においてきわめて重要なものであるとして、このような思考作用を“結集”(Colligation)と名づけています。そして、一般の思考のなかで結集を可能にするもっとも大きな媒介物は、なんといっても言語である、と話を続けます。

 たとえば、一つの学校があるとする。それは学生と教師と設備からつくられているきわめて複雑な組織をもった構造であるが、その構造に“早稲田大学”“慶応大学”という名をつけることによって、それらを一つのまとまったものに結集することができる。そして、そのことによって、「私は早稲田大学に入学した」「慶応大学の創立者は福沢諭吉である」といった思考が可能になるのである、と。

 というような“結集”と、タイルをつなげる“結集”は果たして同じ思考作用なのか?という素朴な疑問はわきますが、じゃあまったく別のものなのか?と自問してみると、まったく別物ともいえないような気がしてきます。とにもかくにもタイルはこのような“結集”を理解するのにもっとも適切なものとされていたのは確かだと思います。

 

〔2018年3月20日:記事を整理・修正しました。〕

 

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