TETRA'S MATH

数学と数学教育
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鳴川肇「オーサグラフ」/球形と人間の関わり

 オーサグラフのプレゼン映像の後半では、ミラノのガレリアの写真も紹介されており、天井のドームや床のモザイク模様を含めて1つの画面におさまっています。従来の写真では、たとえば円筒形のパノラマ写真で表現したとしても、真上や真下を1つの画面に入れることはできません。しかし、オーサグラフを利用すると、全方向を示す写真を1つの画面上に表現することができるというわけです。しかも、地図と同様にその写真をシームレスにつなげられるので、そこで動く人の軌跡を表示することもできるのでしょう。

 地図は、地表=球の外側を写し取ったものですが、ミラノのガレリアの写真は内側を写し取ったものといえます。しかし、ミラノのガレリア自体は球体ではないわけで、それはいわば建物の内部にいる人が、自分を取り囲む世界を球体の内側(全方向の世界)とみなして認識するようなものだと思いました。ミラノのガレリアの場合は、天井や床の特徴から、地図と同様に、ゆがみの少なさを表現するよい例になったのだと思います。

 また、説明の中には取り入れられていませんでしたが、プレゼン画像の中に眼球の断面図が入っていたのも興味深かったです。長方形の表面に映し出された世界から視覚的情報を得ているとしても()、それを取り入れる私たちの器官は区切りのない曲面で構成されている(なお、鳴川さんがおっしゃったことではなく、私の連想です)。

 鳴川さんはプレゼンの後半で、スフィア(sphere)という言葉を使って、「環境を示す言葉は球体モデルで表現することができる」という話をされていました。このスフィアという言葉が、私のオーサグラフ体験にぐんと奥行きをもたせることになったのです。

 スフィアというのは、アトモスフィア(雰囲気)やバイオスフィア(生命圏)のスフィアであり、球面を表す言葉です。アトモスフィアはそもそも大気の層のようなものを表現する言葉なのかもしれません。

 鳴川さんが、球面という意味でスフィアという言葉を使われているのを認識しつつ(したから)、私は瞬間的にソフィア(sophia)という言葉を思い出していました。

 若い頃、“球形”にはそれなりに思い入れがあったことを前回のエントリに書きましたが、それとは別に球形(たま)についての思い出があります。中学生か高校生の頃、父と「理」という漢字について語ったときのこと。父が言うには、「理」という文字には「たまをみがく」という意味があるらしいのです。どこからそういう話を仕入れてきたかは不明。

 それから何年かたって、大学の一般教養の哲学の授業中に、「理」の文字の意味についての話がありました。「たまをみがいて、そのたまの中から浮き上がってくるすじ道のことである」と。なるほどそれが真理や道理や理屈の理というわけか(父は前半だけ正解だったわけですが、その前半だけの意味をもつ「理」の文字がいまの私のお気に入りです)。

 哲学の先生は確かフィロソフィアの話から初めて「理」の話ををされたと思うのですが、フィロソフィアからどう「理」にもっていったかを覚えていません。中国哲学をからめたという記憶もないのですが、漢字の意味なので、少しはからんでいたのかも。そんなこんなで、私の中では「ソフィア」という言葉がほとんどイコール「理」になっていました。

 ちなみにフィロソフィア(philosophia)のソフィアは「智慧」のことであり、スフィアもソフィアももとは(たぶん)ギリシャ語で音感は似ていますが、語源は異なるのだと思います。本来、別の言葉なのでしょう。しかし、スフィアという語感と球体のイメージから、スフィア→ソフィアという発想を起こしてしまった私。

 そんな思い出・思い入れのある球面世界が、大好きなテトラを介して無限平面になろうとは…! しかも、できあがったものを見ると、あっても不思議ではないしどうしていままでなかったのだろう?と思えてきます。素晴らしい発明って、大抵そうですよね。ただし具体的にどういう写像を使ったのかをまだ私は知らないので、プレゼンのアニメーションで納得したレベルでの「あっても不思議ではない」ということです。

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