TETRA'S MATH

数学と数学教育
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「数学教育の現代化」という言葉は何を指しているか

 きのうのエントリにおいて

「汐見先生は遠山啓のとった「現代化」の立場を、小倉金之助との対立点の中に見出し、公理主義の積極的な評価と、数学教育における抽象性、論理性の重視をその特徴とされていました。」

と書きましたが、こう書くとこう書いたでちょっと違うなぁ〜と自分で気になっています。なので、ちょっと長いですが、もう少し広い範囲を引用させていただきます。(『時代は動く!どうする算数・数学教育』p73〜74より)
 3 数教協,遠山啓と数学教育の現代化

 数教協は,1950年代のはじめに結成された後,まず先に触れたように生活単元学習の批判を展開した。その後,1950年代の末からはいわゆる教育内容の現代化を主張しはじめた。その中心にいて運動を方向づけたのは,言うまでもなく遠山啓である。
 遠山は,1963年の論文で,数教協発足から1958年頃までの時期をペリー運動と融合していた第1期,それ以降をペリー運動を乗り越えはじめた第2期と区別し,第1期は生活主義の批判を課題としていた時期,第2期は水道方式と量の体系の提唱を始めた現代化の時期と整理している。「現代化」とは,わかりやすく言えば,ヒルベルト以降の公理主義を積極的に評価し,数学教育において抽象性,論理性を重視しようとする立場である。小倉らが公理主義を抽象性ゆえに数学教育に取り入れることに反対していたことを逆に批判し,むしろこれを積極的に取り入れ,現代数学にも接近させようというのが現代化である。ヨーロッパにはすでに,ユークリッドなど数学の古典を教材としていたことを批判して関数や微分積分などの近代数学を取り入れることを主張したイギリスのペリーらの数学教育改革運動があった。20世紀はじめであるが,この近代化運動をさらに批判して現代数学まで取り入れようというのが遠山の提唱した現代化である。
 最後の一節では「…のが遠山の提唱した現代化である」とまとめてありますが、その前までは「遠山啓がいうところの現代化は…」という書き方はしてないのですよね。

 「現代化」という言葉が何をさすのかは、そのときどきの文脈において微妙に異なるのだと思います。たとえば「数学教育の現代化」と有限集合・無限集合で書いた「現代化」は、指導要領の動きとしての現代化であり、遠山啓に言わせると「アメリカ流の現代化の直輸入」なので、そういう意味では遠山啓が主張した現代化とは別物なのかもしれません。しかし、一般的に「現代化の時代」といえば、この指導要領にもとづいた教科書を使っていた時期をさすのだと思います。

 また、私はかつて、ブラックボックスとはなんであったのか・5というエントリにおいて

「1960年代の遠山啓の主張(微分積分の位置づけ)と、1970年代の遠山啓の主張(微分積分の位置づけ)は、微妙に変化しているように思います。時がたてば変化するのはあたりまえだけれど、日本における数学教育の現代化が1970年頃に始まったとするならば、その結果---失敗---をふまえての変化と思いたくなるというもの。」

と書きました。これを書いた時点では、日本における数学教育の現代化の失敗を、数教協および遠山啓と完全に切り離して考えてはいなかったと思います。しかし遠山啓からすれば、この失敗は自分たちがいうところの現代化の失敗ではない、ということになるのかもしれません。
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