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辻下徹「生命と複雑系」---形式世界とその外・2

 「生命を見る」には形式世界の外に出なければなりませんが、形式世界は世界そのものと見える場合もあるので、そこから知的考察だけで出るのは簡単なことではありません。

 しかし、道がないわけではない。として、ラッセルのパラドクスとゲーデルの不完全性定理が出されています。「積極的内容には乏しいが、論理的な議論を通して納得できるものとしては」というコメント付きで。
 ラッセル、カントール、ゲーデルについては8ページほどさかれています。本文中で3人がどんなふうに語られているかの説明は割愛しますが、個人的に印象が強かったのは、ゲーデルが構成主義的立場を否定しているくだりでした。

 さて、ラッセル、ゲーデルの議論は、「形式世界の外があるということを納得させはするが、いったいその外はなんなのかということについては何も知らせてくれない」と言う辻下徹さんが、もっとも本質的な方法として取り上げたのが、クリプキによるプラス・クワスの懐疑論です。

 まずはウィトゲンシュタイン。
 言語活動は形式世界とその外との関係を調べることができる場で、何も隠れてはいない。この場において、縫い目がないように見える宇宙がつぎはぎの形式世界でしかないありさまを執拗に照らし出そうとしたのがウィトゲンシュタインの探求であったように思える。
 しかし、探求自身は形式世界の外へ向かうものであったとしても「探求の軌跡」は思想として形式世界に納まってしまい形式世界の外は示しえない。

 そんなウィトゲンシュタインの言説の核心を一点に絞って明確にしようと試みたのがクリプキのプラス・クワスの懐疑論だというわけです。クリプキがしたことは、ウィトゲンシュタインの次の一節を徹底的に取り下げたものだと考えることができます。
 われわれのパラドクスは、ある規則がいかなる行動のしかたも決定できないであろうということ、なぜなら、どのような行動のしかたもその規則と一致させることができるから、ということであった。その答えは、どのような行動のしかたも規則と一致させることができるのなら、矛盾させることもできる、ということであった。それゆえ、ここには、一致も矛盾も存在しないのであろう。

(つづく)
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