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数学と数学教育
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辻下徹「生命と複雑系」---形式世界とその外・1

 『複雑系の科学と現代思想−数学』(高橋陽一郎・辻下徹・山口昌哉著/青土社/1998)所収、辻下徹「生命と複雑系」から、[3 形式世界とその外]を読んでいきます。

 ここは郡司ぺギオ-幸夫の生命論を紹介する「第局堯\弧拭廚瞭各部分になっています。生命の持つ「予想外」という様相に形式世界という概念を使ってアプローチしていくということで、「予想外」が生命の不可欠な様相であるという立場をとった議論になっています。

 ちなみに、『複雑系の科学と現代思想−数学』では本文の下にけっこうなスペースをさいて、本文中に出てくる言葉の補足説明が書かれてあるのですが、「予想外」についての補足説明で、郡司ぺギオ-幸夫さんの次の一文が書いてあり、面白かったです。
生命とは時間の別称である。
 「予想外」はこの文に一つの明確な輪郭を与える、と辻下徹さんは書いておられます。
 さて、郡司ぺギオ-幸夫の生命論の要点の一つは実在論批判なのだそうです。という主張を考えやすくするために、形式世界という概念を使います。

 形式世界とは、語る者が自分と切り離せたと考える物事の総体を指したものであり、典型的なものが数学的理論、物理学の描く宇宙や教科書に載っている社会などです(つまり、ここでいう形式世界は数学的理論だけではなく物理的世界や社会などを含んでいる)。

 あらゆることを形式世界に納められるとする考え方が実在論であり、実在論批判は形式世界がすべてではないという主張だと考えることができます。

 また、自分から切り離されたものであることと、その全体を見渡せる(考察の対象とできる)ということとは同じことで、この「見渡せる」を「知的に見渡せる」に限定した場合、それは「整合的」と言い直すことができます。

 整合的であるというのは、ある主張とその否定とが同時に証明されるという事態はなく、ある主張の真偽はそれを誰がいつどういう順に検分しても同じだということです。きのうはPだったがきょうはPではないということはないし、A氏が調べたらPなのにB氏が調べたらPではないということもない。

 形式世界としての世界では、やりたいことがあればそれが可能かどうか、可能ならばどこで何をすればいいか、などが一目瞭然ですが、形式世界には「予想外」を入れる隙間がありません。「予想外」を形式的に把握することはできないので、「予想外」を生命の標とする立場に立つと、生命は形式的には把握できないということになります。

(つづく)
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