TETRA'S MATH

数学と数学教育
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オート(自己)ポイエーシス(制作)と「境界」

 「境界」が自己を制作する。//
 一昨日の「閉じる」は自動詞なのか他動詞なのかにおいて、
 心が開かれている人が心を開くには、開く主体である自分の心が自分の心としてしっかり閉じていないと、そもそも開くことができないような気がする。
と書きました。少し迷いつつ主体という言葉を使ってしまいましたが、結局私はあいかわらず、私を開くのも閉じるのも(どこか中心部のようなところにいる)“本質的な私”であると思っているようです。まずは私がいて、私をきちんと私にしていないと、外側に向かって開ける私の心はない、と。

 しかし、オートポイエーシスは、自己を本質や本体の側から規定していくのではなく、また自己が決定されずさまざまに変貌していくというのでもなく、
境界をみずから作り出すことによって、そのつど自己を制作する
と考えるようなのです。

 面白そうなんだけどね…  むずかしいのよね…

 ここでいう「みずから」って、どういうことなんだろう?
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