TETRA'S MATH

数学と数学教育
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姜尚中『悩む力』―私と他者の「相互承認」

 姜尚中『悩む力』の第一章は、「「私」とは何者か」というタイトルになっています。「自我というものは他者との関係の中でしか成立しない」という話です。ここまでだったら、鷲田清一『死なないでいる理由』にも書いてあったし、宮台真司『日本の難点』も同じようなことを言っていたけれど(刊行されたのは『悩む力』の方が先ですが)、私がドキリとしたのは次の一節でした。
 …、私は、自我というものは他者との「相互承認」の産物だと言いたいのです。そして、もっと重要なことは、承認してもらうためには、自分を他者に対して投げ出す必要があるということです。
 なるほど、それはできていないなぁ。全然できていない。

 上記の部分を読んだときに、大きな宿題を突きつけられた快感があって、「この本、買って正解!」と思ったわけなのでした。

 先に結論部分を出してしまいましたが、話を最初にもどすと……

 自我についての苦悩が生まれた背景として、まずはデカルトが出てきます。物心二元論が残した「他者問題」。そして、近代科学や合理主義の急速な発展。宗教、伝統や慣習、文化、地縁的結合によって、自動的に社会の中でしっかりと結びあわされた人と人とのつながりが切り離されていく。ウェーバーいうところの「脱魔術化(脱呪術化)」。戦後の教育運動の社会的、思想的背景のことが思い出されます。

 では、他者とつながりたい、きちんと認めあいたいと思うとき、どうしたらいいのか?というと、姜尚中さんは、自分には「正解はこれだ」と言う力はないけれど、漱石の『心』が、一つとても大事なことを教えてくれているとして、「まじめ」という言葉をあげています。

 まじめに悩み、まじめに他者と向かいあう。そこに何らかの突破口があるのではないか。とにかく自我の悩みの底を、中途半端ではなく、「まじめ」に掘って、掘って、堀り進んでいけば、その先にある、他者と出会える場所までたどり着けるのではないか。

 ずいぶんと素朴でシンプルな結論ですが、たぶんそんなところだろうと思うし、それしかないだろうなと思うのでした。

 「まじめ」に関しては、すでにやれていると思う。ただ、他者と向かいあう形にもいろいろあるのだろうと思う。そこを含めて、日々まじめに悩み続けていこう、うん。

(つづく)
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