TETRA'S MATH

数学と数学教育
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人権概念の相対化という出来事

 1950年代・60年代の時代背景をふまえて、教育の中に系統主義がどう取り入れられていったかについて、汐見先生の分析を読んできました。しかし、系統主義でうまくいくと思っていたら、どうもそうではないらしい…少なくとも、系統“主義”(だけ)ではうまくいかない…と感じられるようになって久しいのではないかと思います。系統主義以外の原理や方法を求める社会的要因があるとしたら、それはいったいなんなのか。

 ということを考えるとき、実際に80年代、90年代にかけて生じた動き、たとえば新学力観やゆとり教育、総合学習、指導要領の厳選化などの背景を考えていくのもひとつの方法でしょうが、それよりも、というかその前に、「系統主義を支えていたものに対する信頼がなくなってきた」という視点にたって考えてみたほうが、実はわかりやすいのかもしれない…と、汐見先生の文章を読みながら思いました。

 系統主義を支えていた普遍主義、啓蒙主義、科学主義、産業主義などへの信頼がさまざまな社会変化によって揺らいでいる。汐見先生は、その中のひとつ「普遍的と考えられていた概念への疑いの広がり」の例として、人権概念の相対化という出来事を取り上げておられます。

 人権概念は近代になって生み出されたものであるが,当初,女性や障害者,子ども,マイノリティーなどを除外して表象されたもので,今日から考えると必ずしも「普遍的」な概念とは言えないものであった。それが普遍的価値を持ちうるように思えたのは,封建思想や絶対主義など前近代思想との戦いの武器としてきわめて有効だったからである。その後,政治的,経済的制限からの人々の解放が進むと,この概念がそれまで曖昧にしてきた部分がほころびを見せはじめ,女性やマイノリティー,障害者,子どもなどがこの思想の厳密な適用対象から除外されていることが問題になるようになったとき,「普遍的」であるという抽象的な装いそのものが支配・非支配関係を正当化している面があるということに人々が気づきはじめたということである。

 1960年代以降、このとらえなおしを促してきたのが、アメリカでの黒人などの公民権運動、各国での少数民族の権利拡大の運動、アイヌやインディアンなど世界の先住・少数民族の権利拡大と自決権を求める運動、そしてなによりもフェミニズムの運動などであった、と汐見先生は書かれています。
 
 汐見先生いわく、「むろん,近代の人権概念そのものが一般的に誤っているというのではなく,この概念が抽象的であればあるほど,その適応対象が権力に近い人間に限定されてしまい,ときに支配を正当化する武器となってしまうという政治性をこの概念は当初から持っていたということが問題になっているのである。」

 もう一歩つっこんだ説明求む!と言いたい気分ですが、ここは自分で勉強しなくちゃですね。

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