TETRA'S MATH

数学と数学教育
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塩野直道という人

 いま、松宮哲夫『伝説の算数教科書<緑表紙> ―― 塩野直道の考えたこと ―― 』(岩波科学ライブラリー/2007年)を読みながら、塩野直道という人のことについて考えています。いやぁ、この人すごい。遠山啓とは別の意味ですごい。

 塩野直道は、画期的と言われた第4期国定教科書(通称:緑表紙)の編集責任者です。啓林館から復刻版が出ていることは知っていたのに、「なんで啓林館から?」と呑気なことを思っていた私。そっかぁ、塩野直道は啓林館の取締役だったんだなぁ。(緑表紙のあと)
 
 筆者の松宮哲夫さんは緑表紙で学んだ世代であり、後に啓林館教科書の執筆者になっているので、多少のバイアスはかかっているのかもしれませんが、がぜん啓林館に興味がわいてきました。黒表紙から緑表紙への経緯はもちろんのこと、系統学習に向かうまでの流れも塩野直道抜きでは語れない気がしてきました。数教協と啓林館の間にある(と個人的に感じている)確執は、塩野直道と遠山啓の仲の悪さからきているものなのだろうか? なんとなくわかる気がしてきたなぁ。性格(負けず嫌い、理想が高い、使命感に燃えている)が似ていて、生き方・やり方がまったく違っていたのではなかろうか?←あくまでも推測

 なんといっても塩野直道はもともと文部省図書監修官で、教科書の編修や審査をする立場にいた人。また、専門は物理学だったので(東京帝国大学のときの専攻は実験物理学、指導教官は寺田寅彦だったんですって!)、小学算術書の仕事を始めたばかりのころは「自分は素人だ」という感覚があったようです。しかし現状を知り、文献を読み、多くの人の意見をきくうちに、黒表紙は改訂したほうがいいと思うにいたったらしく、そんな塩野直道を算数・数学教育の改革に目覚めさせたいちばんのきっかけが、小倉金之助の講演記録だったようです。

 なお、塩野直道は、緑表紙編纂を始める際の意見聴取のメンバーに小倉金之助の名前も入れていたそうですが、文部省からみれば「階級社会の算術」「階級社会の数学」という論文を発表している小倉金之助は危険思想の持ち主だったので、名簿からはずされたんだとか。(っていうか、メンバーに入れたのは純粋な希望? わかったうえでの挑戦?)

 さて、教科書に関わり始めたばかりの塩野直道は“補助”の立場であり、黒表紙を編纂した人が上司で、おまけに藤沢利喜太郎は貴族院議員で健在という状況だったので、手始めは軽くジョブで様子見するくらいだったようです(上申書提出)。でも、上司をとびこして局長に出しているんだから、ジョブところじゃないか。結果的にこれが次の動きにつながっているのだし・・・。そんなこんなで、だんだんと自分なりの数学教育観をもつようになり、自信と信念を身につけた塩野直道は、緑表紙の編纂を始める頃には(辞表を懐に)小学校令施行規則の算術要旨の改正を局長に認めさせるまでにいたったとのことです。

 緑表紙編纂のあと戦後はどういう流れをたどったかというと、

1945年
金沢高等師範学校長に就任

1946年 
3月 第一次米国教育使節団来日に際し日本側委員に就任
12月 教職追放、金沢高師では教職員・学生がそれぞれ追放反対の声明を出し留任運動を展開

1947年
7月 金沢学師学校長を退官
12月 超国家主義者という理由で公職追放

1951年
教職追放解除

1952年
公職追放解除、新興出版社啓林館取締役就任


 となると、戦後の啓林館の教科書が気になってきます。以前も書いたように、現在の算数・中学数学の教科書において啓林館は独自路線を貫いていると感じているのですが、戦後の啓林館の教科書にも塩野直道の思想が生きていて、かつ、メタメタさん>差集め算と面積図についての歴史的薀蓄にあるように啓林館が量の立場に立っていないのだとしたら、それがどういうことなのかをもっと知りたいです。

 いま、おぼろげながら感じていることは、立場の違いもさることながら、塩野直道がもともと物理専門だったことと、遠山啓が数学者だったことの違いが、お互いの主張の違いを生んだのかな……ということです。そして、塩野直道は文部省の中で仕事として教科書の編修に関わり始め、結果として体制の内側から(?)算数教育・数学教育を変えていった人なので、ある意味動機が純粋というか、内的欲求が強かったのかもしれないなぁと思いました。黒表紙を作った上司や藤沢利喜太郎や文部省関係者にたてつくことが目的ではなかったでしょうから。でも、純粋でいて、かつ、したたかという気もします。危ない橋を渡りつつも、川には落ちない。保身に走ることはしないが、下手もふまない。流れに大きく逆らって自滅することなく、流れに与しない。やり手だなぁ。(勝手な妄想含む)

 塩野直道も遠山啓も、小倉金之助から多大な影響を受けたのでしょうが、その影響の受け方が違ったのかもしれません。ちなみに、小倉金之助1885年生まれ、塩野直道1898年生まれ、遠山啓1909年生まれなので、それぞれ10才あまり年齢がはなれているようです。

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