TETRA'S MATH

数学と数学教育
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小倉金之助と遠山啓

『時代は動く!どうする算数・数学教育』
 汐見稔幸/井上正允/小寺隆幸【編】
 (国土社、1999年)
  機/学教育とその理念

   5 「科学主義」「系統主義」の時代背景と
               それが見落としてきたもの
    ―― 数教協の1950年代、1960年代を手がかりに ――
                     (汐見稔幸)

にもどります。この中の「3 数教協,遠山啓と数学教育の現代化」によると、遠山啓は1963年の論文で、数教協発足から1958年頃までの時期をペリー運動と融合していた第1期、それ以降をペリー運動を乗り越えはじめた第2期と区別し、第1期は生活主義の批判を課題としていた時期、第2期は水道方式と量の体系の提唱を始めた現代化の時期と整理しているそうです。

 たぶん、遠山啓と小倉金之助につながりがあったとしたら、この第1期においてであり、第2期ではなれていったのではなかろうかと勝手に想像しています(小倉金之助は1962年死去)。1951年の数学教育協議会の設立趣旨書の筆頭に小倉金之助の名前があるので、つながっていたのは確かでしょうし、小倉金之助の思想と遠山啓の思想が近かったであろう(小倉金之助の影響を遠山啓が受けた)ことも想像に難くないのですが、自称数教協の落とし子の私の記憶&認識では小倉金之助が数教協の内側にいないのです。単に時代の問題なのだろうか? あるいは、名前を借りたとか、そういうレベルの話だったのだろうか。

 なお、ウィキペディアによると、遠山啓は東京帝国大学を退学して東北帝国大学に再入学、1938年卒業とのことで、小倉金之助が東北帝国大学の助手をしていたのは1911〜1916年頃なので、東北帝国大学での直接の接点はなさそうです。ちなみに小倉金之助が会長を務めた民主主義科学者協会は1946年に設立とのことで、その5年後に数学教育協議会ができています。

 話をもとにもどすと、ペリー運動と融合していた段階は生活主義を批判していた段階ということになり、第1期を単純にまとめると、「関数や微分積分などの近代数学を教育のなかに取り入れるべきだが、それを生活主義的・経験主義的に教えるのはよろしくない」という話になりそうです。ってことは、微分積分を系統的に教えるということか。おお、符合するな。

 しかし、第2期はペリー運動を乗り越え始める ―― 近代数学で終わらせずに現代数学まで視野に入れる ―― 時期であり、水道方式と量の体系の提唱を始めた時期とのこと。やはり、小倉金之助にも塩野直道にもなかった遠山啓の視点が「現代化」ということになるのかな。

 汐見先生は、

「現代化」とは,わかりやすく言えば,ヒルベルト以降の公理主義を積極的に評価し、数学教育において抽象性,論理性を重視しようとする立場である。小倉らが公理主義を抽象性ゆえに数学教育に取り入れることに反対していたことを逆に批判し,むしろこれを積極的に取り入れ,現代数学にも接近させようというのが現代化である。

と書かれています(こうまとめるとちょっと違うような)。

 小倉金之助と遠山啓はどこかではっきりと決別したのかな?

 

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