TETRA'S MATH

数学と数学教育
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経験主義と系統主義双方に潜む困難

『時代は動く!どうする算数・数学教育』
 汐見稔幸/井上正允/小寺隆幸【編】
 (国土社、1999年)
  機/学教育とその理念


を読んでいます。次は、汐見稔幸先生の 「「科学主義」「系統主義」の時代背景とそれが見落としてきたもの---数教協の1950年代、1960年代を手がかりに---」 について考えていきたいと思います。この文章、わかりやすくて、かつ、なんだかとっても“お得”な感じがします。

 実はつい先日、汐見先生の講演をきいてきたばかり。おもに小学生の保護者を対象にした子育てのための講演だったのですが、とても面白かったです(というか、すべてが身にしみた・・・)。ちなみに、私が知る限り、井上先生、銀林先生、上垣先生は数教協の先生ですが、汐見先生は数教協の方ではありません。

 さて、とにかくあちこち面白いのですが、まずは「2 経験主義・系統主義双方に潜む困難」を見ていきたいと思います。

 日本において戦後しばらくは、経験主義の教育が一世を風靡していました。戦前の詰め込み型教育への反省と、占領軍当局による経験主義教育の推奨などの条件が重なったことより、こうした志向が生まれやすかったのだろうと思われます。しかし、当時の経験主義は、子どもの主体を徹底して重視し、その内面性、自発性に定位した学習を成り立たせようとするあまり、
子どもの集団を擬制的に社会そのものと見なし,結果として子どもという主体と社会という客体の間に存在する,容易には埋めがたい溝や矛盾を「解消」してしまおうとする傾向があった。
と汐見先生は書いておられます。それは実践的にはどういうことになるかというと、
子どもたちの内面の持つ限界を社会や自然の論理で克服・充実していくよりは,子どもたちの内面の限界内に彼らを押しとどめてしまうことになりがちである
としています。

 系統主義の提唱者は、こうした学習論、教授論を批判しました。そして、1950年代には経験主義か系統主義かをめぐる激しい論争が開始されました。そのなかでとくに大きな影響を与えたのが遠山啓の「生活単元学習」批判だったわけです。

 一方、系統主義の根底には、教える側が、知識を、たとえば易から難へ、基礎から応用へ、必然から偶然へなどと「系統的に」教えていけば、子どもの頭のなかにはそれと相似形の知識や認識能力が獲得される、という考え方が前提となっていました。
つまり,外から持ち込む学習材に関するかぎり,「順次性」や「系統性」が保障されれば客体の論理と主体の論理の間に矛盾や溝はさして存在しないで同型性を保ちながら学習は進む,ということを系統主義は前提としたのである。
 だからこそ、民間教育団体の多くは、1960年代に、教えの系統を明らかにする研究に没頭したのであり、学びの系統を明らかにしようとする研究はそれに比して圧倒的に少なかった、と汐見先生は分析しておられます。

 こういう話をきくと、数教協の(ベテランの)先生たちの中には、そんなことはない、ほかがどうであったかは知らないが、数教協はつねに「子どもから始める」という姿勢を守ってきた、と反論したくなる方もいらっしゃることでしょう。実際、私自身も子どものころ“実験台”になっていたと思いますし、サークル活動においても、前半は子ども相手の授業、後半は教師の(保護者もいたかも)話し合いの場というふうに、実際の子どもの授業をふまえての勉強会がなされていました(会場は協力者の自宅、子どもは関係者の子どもおよび近所の希望者)。また、全国研究大会や地域の大会においても、模擬授業が行われていたと思います。

 しかし、「子どもの中で何が起こっているか」というのを知るためには、かなり感度の高い受信機が必要だと思うのです。そして、受信したものを分析するための知識・技術・経験もいると思う。同じ場面を見ていても、「子どもってすごいな」にもなるし、「タイルってすごいな」にもなり得る。

 子どもたちに対してつねに感覚を開き、感度の高いアンテナを立てていた先生もきっといることでしょう。しかし、子どもの中で何が起こっているかということよりも、数教協の方法論に対しての興味が強く、そちらを大事にしている(数教協への帰属意識が強い)先生も確かに存在していたと思うのです。

 話をもとにもどします。
 
 前半部分で書いたように、経験主義は主体と客体の溝を不在と見なそうとしがちでしたが、それに対して系統主義は別の角度から、やはり主体(子どもの認識の論理)と客体(教材の論理)の溝を不在と見なしがちであった、と汐見先生は書かれています。

 ああ・・・  そうか…

 (できる)教育学者って、やっぱりこういうところがすごいね。

(つづく)


〔関連エントリ〕
今後のためのメモ3/遠山啓とデカルト
デューイの二元論批判/河村望による訳者あとがき
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