TETRA'S MATH

数学と数学教育
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かけ算とたし算の関係

 遠山啓『量とはなにか−機戞1978年/太郎次郎者)所収の「6×4、4×6論争にひそむ意味」を読みながら、「かけ算の順序」をとりまく問題について考えてきました。何十年たっても変わらないスタンダードな論争であるとしても、やはりこの文章は30数年前に書かれていますし、当時の時代背景を抜きに語れない部分はあると思います。実際、遠山啓が初等数学教育に与えた影響はとても大きいでしょうし、あれから何度か教科書も変わっているし、教育現場の様子はずいぶん変わってきていることと思います。いまの学校では“1あたり”と“いくつ分”はあたりまえのように教えられているのではないでしょうか。

 とはいえ、もう少しだけ、時代のことを考えずに、遠山啓の主張に反抗してみたいと思います。(こういうことをする動機を後日書きますので、遠山啓ファンのみなさん、心配なさいませんように)

 遠山啓は「かけ算をたし算のくりかえしと定義するのはやめたほうがいい」と主張しています。私も、“定義として教え込む”のはやめたほうがいいと思います。しかし、子どものなかで、どうしたって累加の発想は出てくると思うのです。

 かけ算の定義にたし算が含まれていなければ、その後何かと矛盾や無理が生ずることもなく、きれいに系統づけた説明ができて、教えるほうは気持ちがいいかもしれません。でも、子どもの中にあるかもしれない累加のイメージを、ないことにはできないと思うのです。

 ちなみに、先日娘に、「4×1」と「4×0」についてきいてみたところ、「4×1」は4が1こしかないから4、「4×0」は4がぜんぜんないから0だと答えていました。たぶん、私がかけ算を教えたときにはたし算のくりかえしとして教えたのだろうと思うのですが、「×1」や「×0」でとまどうことはなかったようです。そんなふうに「かけ算のくりかえしとして教えられても、×1、×0にとまどわない子」もいれば、「かけ算のくりかえしとして教えられていなくても、×1、×0でとまどう子」もいると思うのです。

 もしかすると私が娘にかけ算を教えたときに、「3×4」に対して「3+3+3+3」という式を書いたとしても、言葉としては「3の4つ分のことなんだよ」と説明したのかもしれません。そこに“1あたり”はないけれど、“いくつ分”はあります。これがもし、「3を4回たすんだね」と言っていたら、またその後の状況が変わっていたかもしれない。

 「3+3」を「3と3をあわせた数」と考える子もいれば、「すでにある3に3を加えたもの」と考える子もいるかもしれません。前者はどこか空間的、後者はどこか時間的です(私の感覚)。なので、前者は3と3の間に「+」があるし、後者はうしろの3に+がついた感覚だと思います。実際、累加になると「+3」が加わっていくわけだから、いっそう時間的になっていくのかもしれない。

 なお、たし算を習うときには、「合併(あわせていくつ?)」と「増加(ふえるといくつ?)」の2段階で習うのが一般的ではないかと思います。生徒にその区別はつけさせないだろうけれど、教師の中では区別があると思います(たぶん)。なので、増加の概念の印象が強い子どもは、確かに「×1」や「×0」で戸惑いやすいのかもしれません。

 でも、思うんです。「×1」や「×0」にとまどってもいいんじゃなかろうかって。「×小数」や「×分数」にびっくりして困ってもいいんじゃなかろうかって。そのときにもう一度、かけ算の意味を考え直すというのじゃだめなんでしょうか。「×1」や「×0」はまだいいとしても、「×小数」や「×分数」のことまで、いま考えないといけないのでしょうか。逆にいうと、「×小数」や「×分数」で子どもがつまづいたときに、それを「過去のかけ算の導入」のせいにするのはどうなのかな・・・と思うのです。「×小数」「×分数」の前に子どもは「小数」や「分数」を知るはずなので、そこでぐーんと世界は広がるし、変わるのだと思う。いったんびっくりして困ったあとで、あらためて数や演算の世界を捉えなおす……ということは、小学生には難しすぎるのでしょうか。最初が肝心なんでしょうか。でも、考え方を変えるのって、大人になってからのほうが難しいですよね。

 「かけ算の順序にこだわる派」は、「先のことを考えると今はこうしたほうがのぞましい」というのが強力な根拠としてあると思います。「かけ算の順序にこだわらない派」もそうかもしれませんが、前者のほうが“近未来”だと思います。

 もしかすると、私が「かけ算の順序にこだわる派」と「こだわらない派」のハザマでどっちつかずになってしまうのは、「問題を解く子どもの近未来を考える姿勢」と「目の前にある問題(およびそこにある普遍的な真理)にもっとも大きな意味を見出そうとする姿勢」のハザマで揺れてしまうからなのかもなぁ、ってこのたび思いました。「教育的意義」と「数学的正しさ」の対比に似ていますが、ちょっとだけ違う気もします。

 とにもかくにも、かけ算はたし算のくりかえしという定義を“教え込む”のはやめたほうがいいと思うけれど、かけ算の定義のよりどころを「×小数」「×分数」で戸惑わないところに求めることに慎重でいたい・・・という、そういう話なのです。

(つづく)

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