TETRA'S MATH

数学と数学教育
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かけ算の定義について

 遠山啓『量とはなにか−機戞1978年/太郎次郎者)所収の「6×4、4×6論争にひそむ意味」を読みながら、「かけ算の順序」をとりまく問題について引き続き考えていきます。

 考えていきたいのですが。

 先を読み進めると、いつのまにか話はずれていくように感じられるのです。それは私の読み方がたりないのでしょうか。もっと深く読み込めば、「6×4、4×6論争」解決の糸口が見えるのでしょうか。

 とにもかくにも、読み進んでみます。

要するに,理屈がちゃんとたって,子どもがそれを理解さえしていたら,どんなやり方であってもいのだ。交換法則はまだ教えていないから,それを使ったのはバツだなどというのは,教える側の得手勝手にすぎない。交換法則など子どもが自分で発見することはいくらでもあるのだ。
また、4×6は,
   4×6=4+4+4+4+4+4
という意味だとすることにも私は反対である。
これは,つまり,“かけ算はたし算のくりかえしだ”という定義なのだが,これは適当ではない。この定義で教えると,4×1とか4×0とかいうかけ算が出てくると、とまどってしまう。
 このあとは、「×小数」「×分数」の話につながっていきます。

 交換法則についてはとりあえずおいといて、かけ算の定義について考えてみます。

 かけ算をたし算のくりかえしと定義することに反対している遠山啓は、かけ算を“1あたり”から”いくつ分”を求める計算と定義するべきだ、と主張しています。そうするとどんないいことがあるかというと、「×0」「×1」「×小数」「×分数」の困難が一度に消滅する、と述べています。「これは教え方のうえでのたんなる技術的な改良にすぎないようにみえるかもしれない。しかし、じつはそうではなく、その背景は根深いのである。」とも書いています。
 
 たとえば、ウサギ1匹に耳が2本あることを確かめさせて、「1匹分が2本」であることがわかったのちに、「3匹分の耳は何本か」と問い、それを 2×3 と定義する。「この定義のなかには,“たし算”は一つもはいっていないことに注意してほしい。」と遠山啓は言います。(しかし、実際に子どもたちが計算するときには、たし算と無縁ではいられないと思います。)

 実際に子どもたちがどう考えるかというと、2+2+2=6 とする子もいるだろうし、右耳と左耳にわけて考えて、3+3=6 とする子もいるだろうし、3匹分のウサギの絵をかいて、耳を1、2、3、・・・と数える子もいるかもしれない。「そういう子どもは、すべて2×3の意味を正しくとらえているものと考えてよい」と遠山啓は言います。「ただ計算の手段がちがっただけだと考えるのである」と。

 ひょっとしてひょっとすると、このあたりに「6×4をバツにすることに納得できない派」との接点を見出せるのかもしれませんが、とりあえず付箋だけ立てておいて、先に進みます。

 さて、「2×3」というかけ算の意味を、“1あたり”が2の場合の3つ分だと考えたとします。では、「3×2」というかけ算は、どう定義されるのでしょうか。遠山啓のいうかけ算の定義には、“1あたり”から”いくつ分”を求める、ということだけが示されていて、(1あたり)×(いくつ分)という順序で式を書かなければいけない、とは定義されていません。しかし、とりあえず3×2を“1あたり”が3の場合の2つ分と考えてかまわない気がします。

 その定義のうえで、「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか」を出したとしても、やっぱり 6×4=24 はバツにできないと思うのです。トランプ方式の例のように、“1あたり”が6の4つ分という解釈ができるので。(その解釈を認めるかどうかの問題はありますが)

 なので、たとえばテストに「式は(1あたり)×(いくつ分)の順序で書きなさい」と注意書きを書いておいたとしても、やはり6×4=24はバツにできない。いっそのこと、「式は(1人あたりのみかんの数)×(人数)の順序で書きなさい」と明記しておいたほうが、確実かもしれません。それじゃぁテストの意味がないとおっしゃる先生もいらっしゃるでしょう(っていうか、ふつうそうですよね)。

 逆にいえば、“1あたり”から“いくつ分”を求める計算がかけ算だということを一生懸命教えた先生が、“1あたり”と“いくつ分”を子どもが理解しているかを知りたいあまり、式の順序にこだわるようになるのは、無理もないような気がするのです。(メタメタさんが、1972年の議論のもとになった教師は、実は数教協の人ではなかったのか?というようなことを書いておられて()、なるほどなぁ〜と思いました。もしそうだとしたら、遠山啓に批判されて驚いたでしょうね・・・)

 しかも、問題はこの1問ではないはずですし、テストにいたるまでの経過もあることと思います。件の論争のもとになった先生も、授業でそういう考え方は出てこなかったし、生徒も実際にそんなふうに考えていなかった、というようなことをおっしゃっています()。生徒が自分でトランプ方式を説明していたなら、さすがにこの先生もマルに変えたんじゃないでしょうか。変えないんでしょうか。

 先生たちは、経験を重ねてベテランになるほど、6×4=24 という式の背景にだいたい察しがつくようになっていくのだと思います。でも、その察しが当たっていないことだってきっとあると思う。なので、子どもにきいてみてはどうでしょうか。そして、何年教師をやっていても、やっぱり 6×4=24 と答案に書かれてしまうとしたら、バツで終わらせずに、そこで立ち止まって考えこむのも大切なことなんじゃないでしょうか。自分の伝えたいことが、生徒に伝わっていないのだから。(でも、6×4=24と書く子どもがゼロになるのもこわいな・・・)

 ちなみに、かけ算を学ぶ最初で、累加の概念を抹消するのは無理があるのではないかと個人的には思っているので、そのあたりについてあした書きます。

(つづく)
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