TETRA'S MATH

数学と数学教育
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1972年の「かけ算の順序」論争

 遠山啓『量とはなにか−機戞1978年/太郎次郎社)に、「6×4、4×6論争にひそむ意味」という文章が収められています。1972年1月26日の朝日新聞に掲載された小学校のテストをめぐる論争についての話です。

 その論争というのは…
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 2年生のテストに「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか」という問題があり、これに対して何人かの子どもは、6×4=24と書いたが、その答案は、答えの24こにはマルがつけられ、式の6×4にはバツがつけられ、4×6と訂正されたという。そこで、これに疑問をいだいた親が、文部省にも質問状を出して論争がまきおこった。
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・・・というものだそうです。メタメタさん新聞記事そのものを引用してくださいました(さすが出典大魔王!やること徹底してますねー!)。

 1972年といえば、ちょうど私が小学校2年生のときだ〜。時を超えてなんとスタンダードな論争であることよ。

 遠山啓はこの論争に対する見解を、次の3つの観点から述べています。

●テストは教育の目的か手段か。
●かけ算はたし算のくりかえしか。
●加法・減法と乗法・除法はべつの演算と考えよ。

「テストは教育の一手段であり、目的ではない。6×4と書いた子どもがいたら、なぜそう書いたかをクラス全体の子どもに説明させて、いいかわるいかを討議させれば、クラス全体の子どもたちが複雑な思考法を身につけるチャンスになる。
 また、6×4が正しいかどうかについては、4×6だけが正解であり、ほかを誤りとする理由はどこにもない。もともと算数の考え方は一通りしかないと思いこむのがおかしいので、多種多様な解き方があってよいのである。」(引用ではなく要約)

というようなことを前半部分で書いています。

 ここまでは納得というか、そうだよなぁと思うのですが、続く文章を読んでいると、あれこれつっこみたくなるのでした。

 何しろ相手が遠山啓なので、ものすごーく大きな船にのったつもりで、安心して“小言おばさん”と化してみたいと思います。

 具体的には、遠山啓が子どもがどう考えているかについて想像力をはたらかせたように、バツにする教師がどう考えたのか、それに納得できない親がどう考えたのか・・・について想像力をはたらかせてみました。多くの人を取材したわけではなく、あくまで想像なので、はずれている可能性大ですが、でも、想像できたということは、私の中にいる「バツにする教師」と「子どもの解答をバツにされて納得できない親」を表にひきずりだしてみたということであり、そういう教師や親は皆無ではないと思うわけです。

(つづく)

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