TETRA’s MATH

十進構造のリフレイン

 高橋誠『和算で数に強くなる!』の前書きは、中島みゆきの歌詞で始まります。一方私の頭の中では、松任谷由実の「リフレインが叫んでる」がめぐるきょうこのごろ。

 というのも、森毅『数の現象学』を読んでいたからです。この本の中に「幻想の小数で世界を作る」という一節があり、「リフレイン」という言葉が出てくるのです。この話は小学校での「大きな数」の指導例から始まり、1mm方眼を「一」として1mm×1cmで「十」、1cm×1cmで「百」、1cm×10cmで「千」、…、最後に1m×1mの「百万」を作る方式が紹介してあります。

 こういうタイルを使った十進法の理解は、数教協のもっとも得意とするところでしょうし、算数教育にとって大変に意義深い出来事だったのだと思います。ただ個人的には、十進法の理解においてタイルやブロックを使った方法はとても有効であると思うけれど、その後もずーーっとタイルにこだわり続ける必要はない(タイルを使ってもかまわないが、タイルじゃないといけない、タイルがいちばんわかりやすいと決め付けないほうがいい)と思っています。この話はいずれまた。

 森毅先生いわく、「校庭に並んだ一から億までを、3階の窓から見下ろした小学生は、ほとんど小数を実感するだろう。十進法を理解することは、すでに小数を理解することにつながっている。」

 さて、江戸時代の人々は、小数をどんなものと捉えていたんでしょうか? 漢数字の単位は、上から順に「分、厘、毫、糸、忽、微、繊、沙、塵、……」となっているわけですが、「……」の先に何があると思っていたのでしょう。実は、江戸時代の前半と後半では、その捉え方が違っているそうなのです。というか、江戸時代の後半で大転換が起こったらしいのです。

 ということについて、高橋誠『和算で数に強くなる!』では、1つ1つ文献をおいながら考察・分析がなされています。ここで種明かしはしませんが、p.41の図1−9は感動ものです。

 なお、高橋誠さんの前著(金谷俊秀さんとの共著)『やわらか頭「江戸脳」をつくる和算ドリル』で示されている、“和算にはなかった5つの「常識」”をのぞいてみると、

1.算用数字と計算記号、位取り記数法
2.「内包量」の概念
3.分数
4.角度
5.連続と無限

となっています。『和算で数に強くなる!』では、上記の1〜5についてさらに丁寧に考察・分析されており、特に第一章は1と5に関わる話になっていて面白いです。

 

 

〔2017年11月24日追記〕記事の一部を削除・修正しました。

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「零」はどこからきたか

 高橋誠『和算で数に強くなる!』(ちくま新書)の紹介をしています。ネタバレをかなり含みますので、まっさらな気持ちで本を読みたい方は、まず本を読んでくださいませ!

 さて、古代中国の算木の計算において、計算結果は漢数字で表していたものの、算木の最初の置き方や途中の計算の仕方を紙に書く場合がありました。このとき、算木を置かない空位を示すゼロ記号が必要となり、小円「○」で表していたそうです。また、それよりだいぶ前の8世紀には、空位を表すために「点」を書くことも知られていたようです。なぜ知られていたかについては、インドとの関係性が書かれてあります。

 では、算木数字の「○」ではなく、数を表す漢数字はどうであったかというと、12世紀の書物に1310072を十三萬一千□□七十二と記している例があるそうで、この小さい四角はもともとは脱落した文字を表す記号だったのが、空位を表す記号にも転用されたものだとのこと。

 そして、13世紀の数学の本では、「0」が「零」で示されているそうです。「零」はもともとは「雫(しずく)」と同じ意味であり、算木数字の「○」が物の上に残った丸い雨滴と形が似ているから「零」が使われるようになったという説があるのだとか。(ジョゼフ・ニーダム『中国の科学と文明 第4巻 数学』1991)

 以上のことが、1つ1つ細かく文献をあげて述べられています。

 というわけで、中国の数学書を通して日本にも「零」がやってきたようです。しかし、ここでいうところの「零」は小円「○」とともに、空位を表す「記号としてのゼロ」であり、すべての位が空位のときや、同じ数を引き算したときの答えや、四則計算ができる「数としてのゼロ」ではなかったわけです。

 ちなみに、この本の帯にある「江戸から現代へ算術四○○年の旅」の「四○○」の「○」が、まんまるなのが一目見て印象的なのですが、私は最初の紹介文のときに「四〇〇」という、ちょっと横長の楕円状の〇(漢数字)を使って書いてしまいました。「400」を変換するとそうなるのです。横書きだから「四百」ではしっくりこないし、江戸から現代への算術だから「400」もしっくりこないのだけれど、「四○○」と書くと○が目立って不思議な感じがします。たて書きの本では、西暦を示すときに二○○九年というふうにゼロがまんまるで書かれてあるものですが、もともとが縦書きのゼロなので仕方ないというか、あまり違和感がありません。でも、横書きにするといかにも小円「○」という感じがして、本の内容とリンクしていて面白いです。

 さて、そういえば「空」はどうなったんだろう?という疑問がわいてきますが、中国の場合も日本の場合も、数値0にあたるところに「空」という文字が書かれている文献があるそうです。

 そうして話は、第一章の核心部分(そしておそらくこの本の主要テーマの1つ)にさしかかってきます。ので、ちょっと慎重に、書きすぎないよう、レビューの予定。

(つづく)
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高橋誠『和算で数に強くなる!』(ちくま新書)

 もう何年にもわたって、いつもいつも知的な刺激を与えていただいているメタメタさんこと高橋誠さんの新しい本が出ました! 気がつけば初の単著なのですね。

            

 メタメタさんが和算にこだわっておられることはもちろん知っていて、植木算やニュートン算、紀元前と紀元後のハザマのことや、分離量・連続量、基数・序数、数直線の原点の0にこだわっておられることもよく知っていたけれど、そのこだわりの源泉・動機がどこからくるのかについてはずっとわからずにいたのです。わからずにいたというより、首を傾げていた、と言ってもいいのかもしれない。メタメタさんをここまで根気強くさせているのはいったいなんなのだろう? メタメタさんがこだわっている事柄には、どこにそんな面白さがあるのだろう? というふうに。

 しかし最近、戦後の算数・数学教育をとりまく社会状況をのぞいてみて、算数・数学教育を考えたいのなら、もう少し遡って、和算から洋算へのシフトのことを考えなければ何も見えてこないのだ……と自覚した瞬間、メタメタさんが何にこだわっておられるのかを少し感じ取れた気がしました。(あたっているかどうかはわかりません)

 というわけで、私としてはかなりタイムリーにこの本を手にできたと思います。ちなみに『和算で数に強くなる!』というタイトルは中身とあまりリンクしていないように感じられ、むしろ帯にある「江戸から現代へ算術四〇〇年の旅」のほうが、イメージに近いです。

 文献に出てくる問題を1つ1つたどりながら、mixiでの議論で得られた成果もうまく取り入れて、丁寧に丁寧に四〇〇年が考察してあります。丁寧でありながら、ひょっとすると大胆なことが書いてある本なのかもしれません。

 刊行されたばかりの本なので、普段であればネタバレに注意するところですが、今回はあまり気にせず感想を書く予定ですので、まっさらな気持ちで本を手にしたい方は、まず、本を読んでくださいませ!

(つづく)

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