TETRA'S MATH

数学と数学教育

「遠山啓著作集・数学論1」より、関数の三用法で第1用法が2段階になっていること

 久しぶりの更新です。

 思うところあって、少し前から遠山啓著作集のページをめくっています。実家から引き取ってきたもので、何冊か欠番はあるものの、数学論シリーズ6冊、教育論シリーズ4冊、数学教育論13冊とそれなりにそろった状態で保管していました。

 もうひとつ別の数教協関係のシリーズものもあり、読まないままスペースだけとっていて、どうしたものかと思っていました。もちろん、遠山啓著作集のほうはピンポイントで読んできましたし、しばらく手放す予定はないのですが、それにしても読まない部分のなんと多いこと。

 というわけで、いまさらながら、まずは遠山啓著作集をぱらぱらとめくっています。いま、数学論、教育論とすすんで、数学教育論の途中までざっとめくってみたところです。

 数学論の大きな話の部分はさすがに既視感があり、具体的な数学の話は、何かの機会に必要に応じて読みたいと感じる内容でした。また、教育論のほうは、読む前から予感はしてものの、やはりページをめくってみても読み込みたいという気力がわいてこず…。

 そんななか、ただひとつ目がとまったのが、数学論1「数学の展望台―I中学・高校数学入門」の後半にある「関数の性質」です。初出は1965年の『数学教室』。なぜ目がとまったかというと、「関数の三用法」が出てくるから。いわゆる「度の三用法」や「率の三用法」ではなく、x、y、f で構成されているのがいまさらのように新鮮だったのです。なので、この点について、ブログに書いてみることにしました。

 数教協の量の理論には「度」や「率」というものが出てきます。速さや密度のように、違う種類の量どうしのわり算でつくられる量が「度」。これに対して含有率などのように同種類の量の除法によって得られる量が「率」と呼ばれています。

 そして、度や率の三用法なるものがあり、速度と含有率のそれぞれを示すと、次のようになります。

第1用法:長さ÷時間=速度
第2用法:速度×時間=長さ
第3用法:長さ÷速度=時間

第1用法:含有量÷全体の量=含有率
第2用法:全体の量×含有率=含有量
第3用法:含有量÷含有率=全体の量

 これが関数の三用法になるとどうなるかというと、遠山啓はまず、正比例 y=ax の x、y、a を使って、度の三用法を次のように示します。

第1用法 ――― x,yが既知で,aが未知の場合
第2用法 ――― a,xが既知で,yが未知の場合
第3用法 ――― a,yが既知で,xが未知の場合

 これを一般化して y=f(x)に当てはめると、

第1用法 ――― x と y から f を求める。
第2用法 ――― f と x から y を求める。
第3用法 ――― f と y から x を求める。

となります。いわば「関数の三用法」とでもよばれるものができるわけですが、この分類は関数の指導体系をつくる上でかなり有効であろうと思われる…というようなことを遠山啓は書いています。

 さらに先を読むにつれ、私がなぜこの一節に立ち止まったのか解せました。第4用法という言葉が出てくるから。明確にそう示されているわけではなく、第1用法ではなく第4用法とよんだほうが適切かもしれない、という流れで。

 そして実際、この文章の組み立ては、「関数の三用法」「第1用法」「第2用法」「第3用法」「むずかしい第1用法」「関数の複合過程」となっているのです。「第3用法」では逆関数や代数方程式、運動方程式の話、「むずかしい第1用法」ではラグランジュの補間法、テーラー展開の話などが出てきます。

 注目したいのは「第1用法」のところで示されている次の話です。度や率の三用法では、第1用法は内包量の概念づくりに相当するもので、これをはじめにもってくるのは当然だけれども、関数では第1用法はそれほど簡単ではない、ある意味ではもっともむずかしくて、最後にもってくるようがよいともいえる…という話。

 むずかしい部分は第2用法、第3用法の後にくるので、第4用法というわけです。

第1用法のうちで関数の概念づくりに当たる部分は,f という操作・写像・変換等のコトバで表わされるものが存在することを理解させることに主力がおかれる。

(p.212)

 そしておなじみ、暗箱(black box)が出てきます。

 ブラック・ボックスというのは、f という文字のついた箱状のものに入口と出口がある簡単な装置のことで、図示されたもののほか、実際に箱として作ったリアルな教材もあります。

 私はかつて、数教協の「量の理論」が未完に終わっていることにこだわっていて、特に、小学校の「量」の学習の組み立てと、中学校へつながる比例の導入との間に大きな断絶があるところが気になっていたのですが、上記の記述には、それについて考えるためのひとつのヒントがあるかもしれないと感じました。

 そしてこのことは、銀林先生の『量の世界・構造主義的分析』のなかで、なかなか理解できずにいた二段階の内包量のことにもつながる話だと思います。

 正比例関数を介さず、直接的に構成される内包量

 先の引用部分に「 f という操作・写像・変換等のコトバで表されるもの」が「存在」すること、という文言があります。「量の理論」で出てくるブラック・ボックスという装置は、まさにこの「存在」を具現化し、存在たらしめるものであったのだろうとあらためて感じているのですが、私がひっかかっているのは「内包量」との段差なのでした。
 

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遠山啓『代数的構造』から、いまいちど遠山啓の数学観と、ピアジェの構造主義を覗く。

 遠山啓『代数的構造』[新版](日本評論社/1996年)の第6章を読んでいます。

 遠山啓はこんなことを語っています。

 数学はどれほど抽象的であっても,その究極の根源は実在のなかにあるといわねばならない.もちろんその実在とは数学を創り出した人間をもそのなかに含んだものとして考えているのである.

 (p.230)

 私は、遠山啓の「量の理論」の根本思想のうちの1つは上記のような数学観だろうと思っていますし、私もそれに共感しています。

ところで実在は単に空間的でもなく,単に時間的でもなく,双方を兼ねた時間・空間的なものである.だとすれば数学も当然時間・空間的なものでなければならないだろう.
 たとえば生物はそのようなものであるといわねばならない.

 (p.230)

 生物は空間的な構造をもちながら、しかも時間的に変化しているが、そのようなものを取り扱うのにふさわしい理論が数学のなかで創り出されているかというと、答えは否である、と書いています。なお、ウィーナーの“動的体系”にちょっと触れています。
[関連エントリ]遠山啓の「数学の未来像」と、山口昌哉のコメント

 遠山啓がこの文章を書いたのは、“構造主義”が盛んな議論のまとになっていた時期のようですが、遠山啓はこれに対して立ち入った議論を展開するつもりはないが……という前置きつきで、ピアジェの構造主義論を紹介しています。それは、「構造主義がややもすると陥りがちな硬直からそれを救い出し、その生産性を回復するために書かれたと思われる」ものであったからなのでしょう。

 ピアジェは構造の条件として、「1.全体性」「2.変換性」「3.自己制御」の3つの条件を提示したようです。そして「1.全体性」については、つぎのように述べているもよう。

 「構造固有の全体性の性格ははっきりしている.というのは,すべての構造主義者たちが一致して認めている唯一の対立は,構造と集合体 ―― すなわち全体とは独立した要素から成り立っているもの ―― との対立だからである」

 そして単位元の話になっていくのです。数学的構造を例にとっていえば、群の単位元eは、群という構造のなかでそれが占める特殊な性格、すなわち、他のものaとかけて他のものaになる(ea=ae=a)という性格によって規定されている。これは構造のなかの有機的な構成部分なのであり、この点が、それ自身が他とは独立に存在している集合の要素とは違っている、と遠山啓は語ります。

 「しかし,このように,全体と部分とを氷炭相容れない対立概念とみることは,誤りであろう」と話は続きます。ピアジェは、

 「あらゆる領域で,認識論的態度が,構造的法則をもった全体性の承認か,それとも要素から出発する原子論的合成かといった二者択一に帰せられると思い込むのは,誤っている」

と述べているようで、遠山啓はこれを、「簡単にいうと,要素なき全体か,全体なき要素か,という問題設定そのものが誤りである,というのである」とまとめて、事実は、全体が要素への分解をどの程度まで許すかという問題になるだろう……と話を続けます。

 そして化合物と元素の関係などが例にあげられたあと、このような分解・合成、あるいは非可逆性と可逆性のもっとも大きな問題は、「生命の合成」であろうと書いてあるのですが、私のいまの関心は、化学的、生物学的アプローチよりも、社会的アプローチにあるのでした。

 すなわち、「私」と「社会」の関係。もちろん私は生物ですし、さまざまな元素で構成され、元素で生かされていると思うので、化学的、生物学的であることと、社会的であることとは、それこそ分けて考えられない問題だろうと思っています。

 次の「2.変換性」については、群という構造のなかでの「x → ax=y」や「x → axa^(−1)」という変換の例が示され、構造は種々の内部変換を許す有機的全体である、とまとめてあります。

 最後の「3.自己制御」に関しては、上記の変換の多くは構造の枠内で起こる(変換に対して閉じている)が、そうでないときは構造そのものを拡大して、その拡大された構造はその変換に対して閉じるようにする、ということについて述べてあります。たとえば自然数の集合は減法に対しては閉じていないが、それに0と負の整数をつけ加えることによって、減法に対しても閉じた整数という構造が得られる、と。

 それは決して静的な構造ではなく、動的な構造、もしくは体系である。「構造をこのように解釈するならば硬直した形骸ではなくなるだろう」という一文で、この章はしめくくられています。

 ついでといってはなんですが、『構造主義』(ジャン・ピアジェ著/滝沢武久・佐々木明 訳/白水社【文庫クセジュ】)の訳者まえがきから次の部分を抜き出してみます。これは1970年に書かれたものであり、もしかしたら遠山啓が自分の主張にあう文献としてピアジェを引き合いに出したというよりも、遠山啓がピアジェの影響を受けたのではないか、とも思えてきます。

ピアジェによれば、構造は予定調和的に存在するもの(前成説)ではなく、構成されるものである。そして彼は、その構成過程を、発達心理学的研究から立証したのだった。だから、彼の構造主義は、構成主義でもあるといえよう。

 (p.6)

 これまでに述べたことからわかるように、本書は、とくに人文・社会科学における構造主義のある種の静態的傾向に対する、構成主義の側からの批判となっている。

 (p.8)

 

 

〔2018年3月19日:記事を整理・修正しました。〕

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数学者としての遠山啓/亀井哲治郎さんの文章から

 結城浩『数学ガール/ガロア理論』の「あとがき」で、結城さんに「ぜひガロア理論を」と推したのは、亀井哲治郎さんだということを知りました()。亀書房の亀井哲治郎さん、もと『数学セミナー』の編集長です。

 亀井哲治郎さんというと、小冊子『いま,遠山啓とは』に掲載されていた「『数学セミナー』と遠山啓」を思い出します(『数学教室』2010年12月号から転載されたもの)。この文章のなかで、数学者としての遠山啓の顔と、『数学セミナー』の編集会議に出席する遠山啓の顔を見られるのですが、きょうは「数学者としての遠山啓の顔」に注目したいと思います。

 まずは1979年に遠山啓が逝去して、『数学セミナー』誌の追悼特集の企画があったときのこと。亀井さんは遠山啓の数学的業績についての記事をぜひ入れたいと考えていて、編集顧問のひとりである清水達雄さんのアドバイスで木下素夫さんに相談したところ、「それは岩澤(健吉)さんにお願いしなさい」と言われたのだとか。

 なお、亀井哲治郎さんは、遠山啓の学位論文『代数函数の非アーベル的理論』(1950年)が大変すぐれた仕事であり、それをさらに深化・展開させることをその分野の研究者から期待されていただろうし、本人もそのように期していただろうけれど、ゆえあって踏み込んだ数学教育との二足のわらじを履くことの困難さを前に悩み抜いて、数学教育の道を選択した……という話を人から聞く機会があり、自分の経験とも重ねて、大いに感動したことがあったようなのです。

 しかし、岩澤健吉さんの高名はきいていたものの、『数学セミナー』ではまだ一度も原稿をお願いしたことがなく、一介の数学雑誌にこのような原稿を書いてくださるものだろうか…という思いもあったようです。そして勇を鼓してプリンストンに手紙を出したところ、すぐに「快諾」の返事が届いたのだとか。

 その岩澤健吉さんの文章も、小冊子のなかで、亀井哲治郎さんの文章の直前に掲載されています(『数学セミナー』1980年3月号からの転載)。

 亀井哲治郎さんにとって岩澤健吉さんのこの原稿は、40年間の数学編集者の自分にとって記念碑的な出来事の一つである、と書いておられます。きっとそうなんだろうなぁ!と思います。

 岩澤健吉さんの文章は(岩澤さんの希望で)2号あとの1980年3月号に掲載されたようですが、「遠山啓追悼特集」である1月号では、銀林浩・齋藤利弥・清水達雄・宮崎浩の4名による座談会「遠山啓先生の数学観」が収録されていたらしく、そのなかから次のような話が抜き出されています。アンドレ・ヴェイユと遠山啓に直接接点があったことを、私はこの小冊子を手にするまで知りませんでした。

 1955年の「代数的整数論国際シンポジウム」のときに、遠山啓の論文をよく知っていたヴェイユが遠山啓に「おい、お前はいま何をやってる?」と聞き、遠山啓が「いま教育の問題を一生懸命やってる」と答えたら、ヴェイユが「教育は大事だから」といった、というエピソードです。

 しかし清水達雄さんが言われるには、やっぱり本当は数学をやりたいのだ……と、アーベル関数の話をきいたことがあったようで、遠山先生はそのときずいぶん迷われたらしい、と書いてあります。国際的な評価を受けている仕事でもあるし、やっぱりそれをやりたいんじゃないか、と。だけど、どちらを選ぶかというときに、遠山啓は教育のほうに没入していった。

 さらに齋藤利弥さんが、論文に関するヴェイユと遠山啓のやりとりについても触れておられて面白いです。そもそも遠山啓の先の学位論文は、1938年に発表されたヴェイユの論文を出発点としていて、どちらも「非アーベル的とは何か」という点に主眼があるらしいのですが(←岩澤健吉さんによる解説)、ヴェイユはその続きをやる気はなかったらしいのです。ヴェイユ自身はもうあれ以上、テクニカル・ディテールまで入って面倒なことをやる気はなかった、と。

 そんななか遠山啓が別刷をヴェイユに送り、ヴェイユから返事が来て、自分の仕事に対してお前が “so much time and lobor” を費やしたということは “It's quite flattering to me” だと書いていたんだとか。flatteringというニュアンスがよくわからないのだけれど、自分の心をくすぐるようなことだったという意味ですかね、と齋藤さん。

 このたび調べてみたら、アンドレ・ヴェイユと遠山啓は3歳違いなのですね。遠山啓の生まれた年を確かめるために久しぶりにウィキペディアをのぞきにいったのですが、説明のなかの「数学教育の分野でよく知られる」の一文を、今回は複雑な心持ちで読みました。あと実は私も、岩澤さんの文章のなかにWeilとあったとき、「ん?ワイル?」と思ってしまったのだった。

 ちなみに、遠山啓『代数的構造』[新版](日本評論社/1996年)は6章仕立てになっていて、第5章がガロア理論、第6章が構造主義です。構造主義については、先日、クラインの4元群のところでちょろっと触れました。この第6章はたった5ページで、セクションタイトルは2つ、「空間的と時間的」「開いた体系,閉じた体系」となっています。その内容の一部についてはこれまで折に触れ書いてきましたが、近いうちにもう一度まとめようと思っています。

 『代数的構造』が筑摩書房から出たのは1972年でしょうか。ヴェイユと言葉を交わしてから17年たっていますね。そのころヴェイユはプリンストン高等研究所にいたようです。岩澤健吉さんはそのころはもうプリンストン大学にいらしたのかな。

 それぞれの時間が流れていったのですね。
 

 

〔2018年3月19日:記事を整理・修正しました。〕

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倉田令二朗が、「遠山啓の現代数学観は反圏論的」という、その意味

 遠山啓著作集<数学論シリーズ4>『現代数学への道』巻末、倉田令二朗の解説を読んでいます。

 倉田令二朗は解説の最後で、「圏論」について言及しています。「今世紀なかばに発生した圏論は数学のあらゆる部門に浸透し,現代数学の様相を一変しつつある。これを無視して現代数学を語ることはできない。」という語り始めで、圏、対象、射、合成、合成の結合則、恒等射についてひととおり説明していきます。また、例としてSet(集合の圏)、Ab(アーベル群の圏)、Top(位相空間の圏)をあげ、「つまり,構造ごとに対象(構造の荷ない手)と,その間の構造を保存する写像をコミにして考えたものである。」と説明したあと、関手に触れています。

 で、このあとの話が私にはなかなか飲み込めないのですが、いわんとしていることは、ウィキペディアの「圏論」の概要の中盤で書いてあること(↓)とほぼ同じなのだろうと推測しています。

圏の定義においては対象は根源的なものとみなされ、それぞれの対象が具体的にどんな集合として実現されるのかは指定されていない。そこで、これらの特別な空間についての概念を、その「要素」を参照せずに定めることはできるだろうか、という問いが生まれる。

 一方、倉田令二朗は「直積」を例にあげて、集合論的に表現するとどうなるか、圏論的に表現するとどうなるかという違いを示したうえで、

すなわち,圏論は対象(構造の荷ない手)の内側にいっさい立ち入らない。何からできているかも,どうつながっているかも問わない。Aはほかの対象への射:AX,ほかの対象からの射:XAのあつまりによって特徴づけられるだけである。その意味で圏論はさらに陰伏的で,さらに機能的である。対象は,いわばブラック・ボックスである。したがって,圏論は反原子論的である。

 
と書いています。そして、随伴(adjoint)について説明したのち、「問題提起」と見出しのつけられた11行の文章で解説をしめくくっているのです。ここの部分をすべて抜き出してみます。

多くの部門での圏論の成功は疑いないところである。現在でもすべてがカテゴリゼされたわけではないが,現代数学は集合論的なものと圏論的なものの混在としてあることは事実である。こうした情況をふまえて,現代数学教育を見直すことが一つの課題である。ちょうど遠山さんが前期現代数学をふまえて数学教育を見直したように。
ところで,これまで見てきたとおり,遠山さんの現代数学観はすぐれて実体論的,<分解―合成>的,かつexplicitであって,そのかぎりにおいて数学教育現代化によく適合したものの,一口にいって,きわめて反圏論的であることはいなめない。圏論的思考はたんなる専門家好みの一つのスタイルにすぎないものか,それとも,一つの新しい普遍的な理念なのか。だとすれば,それはわれわれの日常的活動の何を顕在化したものなのか?

 こうなるとまた森毅の声がびんびん聞こえてきます。explicitというのは、はっきりした、明示的な、という意味があるようですが、確かに森毅がいうように、遠山啓の論調は「単純明解であるだけに,少し厄介なことになる.」のかもしれません。なお、銀林浩『量の世界−構造主義的分析』(むぎ書房/1975)によると、遠山啓の思想は反圏論的ではないようです。

 圏論は「射」が主役であるらしいということは、以前勉強したときになんとなく感じましたが、集合の圏で考えると、対象は集合で、射は写像なのだから、写像が主人公ということになるのですね。そして、写像ではなく対象が「ブラック・ボックス」になるというのが面白いです。対象の内側にいっさい立ち入らないということは、集合の内側にいっさい立ち入らないということですよね。

 また、森毅が語る、遠山啓の思想の構図で書いたように、遠山啓の思想は実体中心の外延的還元主義であるように見えて、(森毅に言わせると)感性としては機能中心の内包的全体主義でもあり、二分法で考えると3つの要素が見事に反転するのが面白いです。遠山啓は、集合が「閉じている」こと、静的であるところに、(当時の)現代数学の限界……が言いすぎであれば「時代の刻印をおされていること」を見てとり、構造と素子は固定的なものではないというところに、数学の(ひとつの)自由を見ていたように思います。というところまでは察しがつくのですが、その先に行くのはなかなか難しいです。

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無矛盾ならばなんでもよいのか

 遠山啓著作集<数学論シリーズ4>『現代数学への道』を、倉田令二朗の解説をガイドにしながら部分的に読んでいます。きょうは、遠山啓の本文「公理と構造」について解説してあるところをみていきます。まずは遠山啓の本文を読みます。

 ヒルベルトの公理は、ユークリッドの場合のように、だれも疑うことのできない自明な命題という意味ではなく、いちど分解された要素を組み立てる一つの設計図といえるものでした。したがって、内部矛盾をふくんでいないという最低限の条件を満足させていさえすればよい、ということになります。そういう意味では自由奔放に公理を設定することができます。ヒルベルトは公理をそのように見直すことによって、数学者の構想力を思いきって解放した、と遠山啓は説明しています。

 しかし、この「自由」を濫用すると、一人ひとりの数学者が勝手に別々の公理系を考え出して、一人一人がぜんぜん別の数学を研究する、という可能性もないわけではないということになります。実際にヒルベルトの公理主義が現れたころに、そのような危険について警告する人もいたそうです。

 けれども、その後の数学の発展は大勢からみると、そのような危険に落ち込まないですんだ、それはなぜなのか?

 についてみていくまえに、少しもどって、遠山啓が示している建築の例を考えます。

 たとえば、建築家がある建物を設計するときに、自分の構想力を大胆に駆使して思い切って新しい建物を設計しようする点については完全な自由が与えられています。一方で、力学の法則にしたがって設計をしなければならないという制限もうけています。極端なことをいえば、いくら自由であっても、中空にうかんでいて、柱のない建物を設計するわけにはいきません。この建築家のとっての力学の法則にあたるのが数学者にとっては論理の法則だ、というわけです。

 とはいえ、力学の法則にしたがったうえで自由に建物を作ったとしても、よい建築とわるい建築の区別はあり、美しい建築とみにくい建築を見分けることもできます。それらを区別するものは力学の法則ではありません。なぜならば、どちらも力学の法則にしたがっているのだから。それらの区別は建築物の使用目的や美学的なものさしによって定まってくるはずのものだろう、と遠山啓は語ります。
 
 そして、数学者の設定する公理系についても同じことがいえるだろう、と続けます。建築の例では「使用目的や美学的なものさし」という言葉を使っていますが、数学に関しては、それに加えて、「数学者はわれわれをとりまいている自然や社会に内在している法則に似せて公理系を設定した」とも書いています。だから、上記のような「一人一人の数学」になる危険に落ち込まないですんだ、数学者は与えられた自由を濫用しなかった、と。そして、ノイマンのエッセー『数学者』からけっこうな行数の文章を引用しています。

 ノイマンは、「数学者やその他の多くの人間は,数学が経験的な科学ではないこと,また少なくとも経験的な科学の技巧からはいくつかの決定的な点で異なったやり方で研究されていることに同意するであろう。それでもやはり数学の発展は自然科学と密接につながっている。現代数学の最良のインスピレーションのあるもの(私は最良のものと信じている)は自然科学に起源をもっている。」というようなことを語っているのです。

 遠山啓は、ノイマンがいうところの数学の二重性を、次のようにまとめています。

(1) 論理的に矛盾がないかぎり、いかなる公理系を設定してもよいという自由。
(2) 公理系はわれわれの住んでいる世界のなかにあるなんらかの法則に起源をもっている。

 そして、こう語ります。

人間がいくら自由奔放に空想をたくましくしても,しょせんは自然の一部分なのだから,自然の大法則から大きく逸脱することはできない,といってタカをくくる人もいるだろう。この二重性に統一を与えようとして,いろいろのうまいコトバを発明することはできるだろう。しかし,そういうことはたいして意味のあることではない。
ここで必要なのは,数学が容易には融合しにくい二重性に貫かれているということであり,むしろ,この二重性の均衡の上に立っているということである。しかも,その均衡は静的なものというよりは動的な均衡である。一方が優越すれば,他方がそれを追い越そうとつとめる。そういう形の動的な均衡であるといえる。

(p.36)

 私は、ノイマンが上記のようなことを語っているとはこれまで知らなくて、なんだかほっとするものを感じました。また、遠山啓の話をきいていると、「数学って動くものなんだ」と感じて、これまたほっとするものを感じます。

 と同時に、遠山啓の「経験主義批判」を思い出すのでした。「経験」とは何か。「構成」とは何か。数学するのはだれなのか。

 さて、倉田令二朗の解説に目を移すと、この一節の最後に書いてあることが印象的だったので、引用しておきます。

ノイマン自身は,最良の数学的インスピレーションは自然科学的起源をもっていることを強調しているが,遠山さんも公理系は客観的法則性を表現したものにもっとも価値をおいているようである。そして,ブルバキの「数学の建築術」を紹介しつつ数学的概念の物質的起源にさえふれている。
ここで断わっておくが,遠山さんは一度も公式主義的唯物論者であったことはない。彼が私自身に語ったことがあるが,戦前型公式マルクス主義者の一部に,応用数学=唯物論,純粋数学=観念論という図式をなんとなく持ち出す傾向があることを強く批判していたことがある。

(p.270)

 あともう1つ今回印象に残ったのは、遠山啓の本文の中で引用されている、ヒルベルトがフレーゲにあてた手紙のことです。ヒルベルトの公理がどのようなものであったかということを示すための引用で、さらっと書いてあるだけなので、遠山啓が引用したそのこと自体はあまり気にならないのですが、この手紙は何年に送られたものなのか、ヒルベルトはどのような思いで“フレーゲに”この手紙を書いたのか、フレーゲはどのような思いでヒルベルトからの手紙を受けとったのか、ということが気になりました。
 

 

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ヒルベルトは最初から2次的な構成だったことと、無定義の意味

 遠山啓著作集<数学論シリーズ4>『現代数学への道』を、倉田令二朗の解説をガイドにしながら部分的に読んでいます。

 現代数学の構成的性格を考えるために、近代数学にさかのぼります。

 近代数学の起こりを語るとき、まず出てくるのはガリレオであり、動力学の基礎をきずいたガリレオにとって中世数学はもう役に立たなくなったと、遠山啓は語り始めます。変化と運動を正面からとりあつかうことのできる新しい数学が必要となったが、ガリレオの時代にはそのような道具はまだみつかっておらず、それを創り出したのは、デカルト、ニュートン、ライプニッツ ―ー 変数としての文字、変数と変数との間の相互関係を座標という手段によって幾何学的なグラフとして表現すること、そして微分積分学 ――  であった、というわけです。

 そして近代数学のキーワードとして微分方程式が出てきます。遠山啓の量の理論を考えるとき、微分方程式についての考察は必須だということまでは認識しているのですが、なかなか取り組めずにいます。とにもかくにも、この微分方程式というものは「決定論的世界観」を数学的に表現するものであり、当時の最大の関心事は自然現象の忠実な模写と記述だった、ということは頭に入れておきます。

 というような近代数学の立場をこえて、自然そのものを人力によって解体し、それを自己の欲する姿に再構成するという意欲が表面に出てくるようになると、微分積分や微分方程式はもはや万能ではなくなり、現代数学が生まれることになります。ベルはその始点をガウスの整数論においているとして、ガウスの整数論が現代数学の重要な方法を萌芽的にふくんでいるという点からすればそれは正しい、と遠山啓は語っています。

 遠山啓は近代数学のところで

微分方程式は,人間の外にあって人間の意志の入りこむ余地のない遊星法則の説明にはまことに打ってつけの道具であった。

(p.167)

と書いていますが、ここでいう自然現象とは、“人間の外にあって人間の意志の入りこむ余地のないもの”ということになるのでしょう。自然は人間の外にあり、人間は自然の外にあると考えているところが印象的です。なお、先走ったことを書いてしまうと、遠山啓が現代数学の限界を語るときに出してくる“開かれた動的な現象”の例は、「生命」と「社会」でした()。これは、人間も含む、人間こそを含む“自然現象”なのではなかろうかと感じています。

 さて、遠山啓の説明によれば、現代数学は「構成的」であるが、それは何もないところから人工的に何かを生み出すということではなく、もともとあるものを解体したのちに、それらの要素を“人間の欲する姿に”再構成したものという意味での「構成的」ということになります。つまり、再構成される場合の1次的構造は、客観的な世界の直接的模写である、と。倉田令二朗は、遠山啓のあげた例のほかに、「カントル自身やデデキンとによる実数論も,その典型というべきだろう。」と書いています。

まず素朴な1次的構造としての実数連続体から出発し,これをいったんばらばらな元からなる集合に解体したうえで再構成される。<自然数→有理数→コーシー列>,または切断による実数の構成によるものだが,こうして得られた実数体は厳密な論理的性格をもった構造となって再生するのである。

(p.266)

 再び遠山啓の本文にもどると、現代数学の説明のあと、ヒルベルトが登場してきます。ヒルベルトの『幾何学の基礎』は、「机、イス、ビールのコップ」のたとえ話からもわかるように、はじめから第2次的な構造として幾何学を考えたものであり、“何か”が問題なのではなく、“それらがいかに関係するか”、その関係のしかたが問題となるものでした。なお、「もちろん,このような考え方はけっしてヒルベルトに始まったものではなく,すでに射影幾何学の双対の原理のなかに鮮やかに表れているといえる」という説明も加えられています。

 遠山啓はヒルベルトの『幾何学の基礎』について語ったあと、この一節を次のようにまとめています。

直観的で感性的な幾何学でさえ,このような構造的な方法が成功したとすると,より抽象的な他の部門ではなおさら容易であろう。そのようにして,ヒルベルトの方法は代数学・位相数学・解析学など数学の全領域にひろがっていった。このようにして構造を中軸とする現代数学が誕生したのである。

(p.170)

 さて、今度は倉田令二朗の解説に目を移してみると、ブルバキについての注釈があります。この話はヒルベルトの“無定義概念”に言及するところから始まり、全数学を集合上の構造として再構成しようとしたのがブルバキであることの説明のあと、“無定義”というのは実際には“陰伏的(implicit)に定義される”ということであると語っています。

たとえば,代数構造A上の演算は,集合論における写像
     A×A → A
の一種であり,位相空間X上の開集合の全体はベキ集合P(X)のある部分集合で,それらはいくつかの公理によって規定される。写像や開集合の中身が問題なのではなく,公理によって規定されるかぎりにおける写像や部分集合の集合だけが問題になるのであるから,この規定は陰伏的(implicit)な規定ということができる。土台になる集合論自体は帰属関係∈を無定義述語とする公理論として与えられる。∈や関数やベキ集合に対するわれわれのイメージ,表象は必要とされないという意味は,論理的に効いて来ず,理論構築にとってさしあたりどうでもよいという意味であって,表象なしには一歩も進むことはできないのが実情である。

(p.266〜267)

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近代の「関数」から、現代の「群」へ

 関数の歴史的意義、ブラックボックスと“心眼”でみてきたように、遠山啓は、「関数」を、ライプニッツが“作り出した”ものではなくライプニッツによって“見出された”ものとして語っています。また、1つ1つの関数が関数なのではなく、関数として包括して考えられるものが関数なのであり、その意味において和算には関数がなかった、ということも言っています。

 単純に考えるならば、遠山啓のいう「関数」は、発明されたものではなく発見されたもの、ということになります。そして、感覚機能で直接捉えられるものは入力と出力だけであるが、入力から出力をもたらす“はたらき”としての関数も「在る」のだということになりそうです。そういう意味においては、関数は実在していると言えるのでしょう。

 しかし、これから先は、「実在」という言葉よりも、「実体」という言葉で考えたほうがわかりやすそうです。というのも、遠山啓は“もの”と“はたらき”は固定されていないと考えており、“はたらき”を実体として捉えると、“はたらき”を“もの”としても捉えられるようになる、と考えているように思えるからです。

 それが、『数学つれづれ草』の最初の文章「操作の数学」に書いてあります。なんの話かといえば、群の話。群ははじめ、ものの集まりとしてよりも操作の集まりとして登場してきて、このことからしてすでに革命的なことであった、と遠山啓は語り始めます。それまで数学で扱われるのは数か図形であって、操作そのものが研究の目標となることは予想もされなかった。群の理論は、はじめて操作が数学の研究対象になり得ることを示したのである、と。

 なお、群の歴史を語るとき、最初に登場するのはガロアであり、ライプニッツが17〜18世紀の人であるとすれば、ガロアは19世紀の人ということになろうかと思います。ライプニッツは近代の人でいいとしても、ガロアは、現代の人というよりは、近代と現代の狭間にいた人なのかもしれません。

 なお、そのような近現代の数学の歴史について、『数学つれづれ草』の解説で安藤洋美さんが、なるほどなぁと思うことを書かれています。「遠山啓の強みは、19世紀の数学にも通暁していたところにあった。19世紀の数学は具体的で、20世紀の抽象数学につながる豊かな芽をはぐくんでいたが、具体的であるがゆえに計算は複雑で、概念は未整理だった。そんな19世紀の数学は意外と日本では紹介されていないことが、教育では大きな問題を包蔵しているように思われる」(要約)と安藤さん。高校の数学は18世紀ならびにそれ以前の数学だが、大学が20世紀の数学を教授するとすれば、そこに大きな溝がある、とも書かれています。

 私が思うに、高校までの数学を18世紀でとめたのは、ある意味、20世紀の抽象数学に飛び越そうとする藤沢利喜太郎を阻止した遠山啓だったと思うのですが、遠山啓の目的は18世紀にとどまることではなく、18−19−20世紀の流れをわかっておかないと、21世紀にすすめないよ、ということではなかったろうかと私は推測しています。そのくらいの力が20世紀の数学にはある、と。なので、結果的には、18世紀の数学を高校までの目標地点にすることになったのだろうと思います。

 で、遠山啓は群について、「紋章」とからめてわかりやすく説明しています。群が発見されたのは19世紀のはじめごろであるけれど、それはあるものの見方が発見されたことを意味しており、その見方でものを見さえしたら、群はいたるところにある、と。そして、「井桁」「一鱗」「五徳」「太田桔梗」「万字鎌」などの紋がいくつの変換をゆるすか、位数がいくつの群をもつか、ということについて説明していきます。

「紋章を自分自身の上に重ねる操作のように、群は何かの構造Sを自分自身の上に写し、しかも、Sの構造を変えないような操作の集まりであるが、Sという構造があってはじめて、それに働く操作の集まりとして群Gが考えられる。そのさい、Sは働きを受ける“もの”であり、Gは働きそのものである。Sは名詞的であり、Gは動詞的なものである。このような対立は人間の思想のなかでもっとも根本的なものの1つで、それをつかみ出して抽象化し、形式化したのが群論の大きな功績であった」(要約)と遠山啓。

 そして、さらにこう続けます。「このような対立は19世紀になってはじめてできただけではなく、初等数学における1,2,3,……という数と+・−・×・÷という演算の対立も、広い意味で“もの”と“はたらき”の対立だとみられる。」

 また、関数が“はたらき”にあたることについては、すでにみてきました。
 しかし,ここで注意しておきたいのは,<もの―はたらき>の対立はけっして固定的なものではない,ということである。数学者はそこを自由自在に考えて,すこぶる融通のきくつかみ方をするのである。
 たとえば、xという数をyという数へ変える“はたらき”として関数fを考えることからはじめるが、より高次の段階では関数そのものを“もの”と考えて、それにある“はたらき”が作用する場合も考えるのである、と遠山啓。

 という話をきいて私は(いまださっぱりわからぬ)圏論のことを思い出しました。しかし、圏論をもちだすまでもなく、その一例としては微分を考えればいいらしいのです。

 関数f(x)に微分という操作をほどこすと、f´(x)というべつの関数になるが、f → f´ の“はたらき”をd/dxで表すと、d/dxf(x)=f´(x)となる。そういう立場からみると、fは“もの”で、d/dxが“はたらき”なのである。遠山啓いわく、「1階からみると天井だが、2階からみると床である,というのとよく似ている」。

 この発想は、タイルを使った十進構造の理解や、量分数の考えにつながるように感じています。
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関数の歴史的意義、ブラックボックスと“心眼”

 遠山啓著作集<数学教育論シリーズ0>『数学教育への招待』に、「関数とはなにか」という文章が収められています。初出は『ひと』1975年4月号なので、遠山啓の第三期()の発言ということになります。
 
 遠山啓はここで、関数は数学の主役である、と語っています。また、数学は言語と多くの共通点があり、数学はとくべつな言語であるといってもいいくらいだ、とも。ただし、日本語や英語のように長い年月をかけて多くの人々がこしらえあげてきた自然言語ではなく、エスペラントのような人工言語に似ている、と。

 4000〜5000年の数学の歴史をひもといてみると、はじめに考えられたのは、長さや面積、体積のような量、1,2,3,……という数、それから、三角形や四角形のような図形だった。これはどちらかというと、名詞的な考え方だった。もちろん、“たす”や“かける”といったような“はたらき”がまったく考えられなかったということではないが、それはあくまでも脇役であって、主役ではなかった。

 数学のなかに動詞的な“はたらき”が主役のひとつとして登場してきたのは17世紀になってからであり、それが“関数”だった。なお、関数(function)という用語がはじめて登場したのはライプニッツの論文においてであり、それ以来、この関数は数学の主要な柱のひとつとなった。

 なぜ、関数という考えは17世紀になってはじめて生まれたのかといえば、この時期が「科学革命」の時代といわれるものであったから。惑星の運動法則が明らかにされ、力学の基礎がうちたてられた。自然界には数多くの量的因果法則が潜んでおり、それを明らかにするのが自然科学の主要な任務のひとつとなった。たとえば、落体の法則を例にとると、落下の時間を測ることで、落下した距離を知ることができる。このように、原因から法則(はたらき)を使って結果を出すことができる。

 数学という学問の立場からみれば、量的因果法則は関数のかたちに書き表されることが多く、未知の因果法則の探求は、未知の関数の探求というかたちをとることが多い。つまり、数学のなかに登場してきた関数は、自然探求のための強力な武器となった。

 さて、そんな関数を幼いときから理解して使いこなすようになれたら、それは望ましいことであるが、これまで関数は子どもたちにわかりにくいものであった。その理由の1つとして、関数が“もの”ではなく“はたらき”であり、“名詞的”ではなく、“動詞的”なものである、ということがあげられる。子どもの目のまえにもってきて、“こういうものだ”といって説明することが困難だったからである。

 しかし、困難ではあっても、不可能ではない。きまった“はたらき”をもっていて、関数を説明するのに都合のよいものは、探せば、ある。多くの機械もしくは装置は、そのようなものである。たとえば自動販売機。切符を売るための自動販売機は、お金を入れると切符が出てくる。これも、原因(お金)から一定のしかたで結果(切符)を生み出す“はたらき”をもっている。このようなものを、工学者は“ブラック・ボックス”とよんでいる。

 以上が、「関数とはなにか」前半のおおまかな要約です。なお、いつものごとく、文章の順番を入れ替えて我流にまとめています。このあとは、記号の威力の話になっていきます。

 一方、著作集<数学論シリーズ5>『数学つれづれ草』のほうには、「関数と暗箱」という文章が収められています。初出は『数学教室』1966年12月号で、原題は『現代数学への道11』。こちらは遠山啓の第二期の発言ということになります。関数の歴史的意義について、S.ボホナーの文章と、関数と知らずに関数を研究していた例として、建部賢弘の話が出てきます。

  遠山啓著作集<数学論シリーズ5>『数学つれづれ草』所収「関数と暗箱」から、S.ボホナーの叙述をのぞいてみます(引用ではなく、文章の順序も入れ替えての要約です)。

// 関数の概念には2つの主要な解釈がある。1つは“対応”、もう1つは“関係”。しかし、事実においては関数の概念は定義できないし、そのつもりの定義も同語反復的である。
 関数は近代数学の際立った特徴をなしている。ギリシア数学は、その最奥の構造においてまったく関数を欠いていたし、関数へのいかなる志向も欠いていた。その欠除は全面的な静止性を意味する。ギリシア数学は外見上、解析的であるよりは幾何学的であり、内的構造からみると、操作的であるよりは表現的であった。
 物理学に関しては、関数は自然における状態・事象・変化を明確にするのにふさわしい数学的表現である。そして、物理学の文脈から出てくる数学的記号は物理学の数学的関数が数学的に整合しているばかりではなく、物理的にも意味があり、生産的であるような“科学の言語”の文字と綴りである。 //

 「ボホナーの以上の叙述は多くの人びとを納得させるだろうと思われる」として、遠山啓はこのあとブラック・ボックスの話を始めます。f(x)の説明は割愛するとして、先を読んでみると、

ここで“黒い”という形容詞を使ったのは箱のなかのからくりが外からは見えない,という意味である。これに反して,中のからくりの見通せるものを white box とよんでいる。つまり,“黒い箱”とは,その機能だけが明らかになっている装置であり,“暗箱”といわれている。しかし,“黒い”という形容詞をもう一つの意味に使いたいのである。じつはそのほうが重要なのである。“黒い”の第2の意味というのは,“忍者の黒装束”の“黒い”である。忍者の黒装束は自分の身体の中身を隠すためのものではなく,身体全体を丸ごと隠すためのものである。ここでいう“黒い箱”というのは,箱全体を丸ごと隠すという意味をもっているのである。

と遠山啓は語ります。そうしてこのあと、“透明人間”の話を出しています。人の影はどこにも見えないのに、ドアが開き、回転椅子がひとりでに回って机の引き出しが出され、書類がひとりでに持ち上げられる。そのとき、肉眼で見えるのは、“機能”だけである。そのはたらきを起こしている原動力に当たる透明人間は見えない。しかし、透明人間がその背後に存在し、活動していると考えることによって、一連の現象を説明することができる。同じことが暗箱についてもいえる、と。

「たとえば、宛名をかいたハガキをポストにいれると、それが宛名の人に配達される。これも一つの暗箱であるが、自動販売機のようにはっきりと肉眼では見られない。それは物体というより、郵便制度という人間のつくった組織が一つの暗箱になっているからである。
 関数という考えの重点は肉眼で見える暗箱ではなく、この“透明な”暗箱のほうにあるといってよい。だから、それを発見するのには時間がかかって、ライプニッツ以前にはだれもこの“透明な”暗箱に気づかなかったのである。」(引用ではなく要約)

 そして遠山啓は、和算には関数概念がなかったことを、平山諦の言葉を引いて説明しています。しかし、今日でいう関数が和算家によって研究されていなかったという意味ではない、と続けます。現に建部賢弘は(sin^(-1)x)^2の無限級数展開を導き出しているくらいであり、彼は関数と知らずに関数を研究していたということになる、と。

「y=f(x)の f は、肉眼には見えないから、そのつもりになってみなければ見えないはずものである。日本の大数学者の建部賢弘にも、それはできなかった。しかし、関数を教わった今日の高校生にはそれができる。関数を知らない人にとっては、y=x^2 をみると、それはたんなる等式にすぎないし、大部分の高校生は等式としか考えていないだろう。関数というからには、xとyとのあいだに見えない装置---透明な暗箱---を想像できなければならない。」(要約)

 そしてこのあとはまた、文字記号の威力の話になっていき、最後で遠山啓は、この文章を次の一節で締めくくります。

関数の本質は,機能だけが肉眼で見えるとき,その背後にあって機能を生ぜしめる原動力となる実体を規定して考えることのできる“心眼”を養うことにある,といえよう。
しかし,広く考えてみると,このような思考の習慣は関数だけではない。たとえば,原始時代の神話なども一つの機能に,それを引き起こす実体としての神を考え出している。たとえば,雷電の現象の背後には,太鼓をもって雲の上を走りまわる雷神を想像し、暴風の背後には大きな袋をかついだ風神を想像する。これは機能の背後に実体を想定する思考習慣の表われだと考えてもよかろう。つまり,これも透明な暗箱の一種とみても的はずれではあるまい。

(注) 細かい話ですが、遠山啓の著作集の二重引用符は縦書きと似たような感じで、左上と右下についているのですが、ブログで引用するときには「“○○○”」と示します。


〔2018年4月7日〕  分割して書いていた記事をひとつにまとめ、整理しました。

 

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小島寛之が語る、「外世界」と「私」をつなぐ数学と障害

 小冊子『いま,遠山啓とは』所収の、小島寛之「遠山啓氏の思想から見えるもの」(『数学セミナー』2009年10月号から転載)を読んで感じたことを書いています。

 最後は、小島寛之が現在、再び遠山啓と向かい合っている課題であるところの、「障害」の問題についてです。

 遠山啓は、晩年には「障害児教育」に取り組みました(なお、小冊子『いま,遠山啓とは』においては、小島靖子さんの「遠山先生と障害児教育」という文章が載せられています)。小島氏いわく、なぜ遠山啓がこの問題に向かったのか、なんとなく現在の筆者には推測できる、なぜなら筆者も現在、同じ問題に行き着いたからだ、と。

果たして「障害」とは何だろうか.たしかに,簡単な数概念や数の計算,文字式や図形の性質の理解が困難な学習障害(LD)の人を見かける.しかし,数学というものが,「現実を抽象化したもの」であり,外世界からの信号と自己との関係から生まれるとするなら,「障害」が自己の「内部」にあるとは断定できまい.ひょっとすると,「障害」は「外世界」のほうにあるのかもしれない.あるいは,外世界と自己とをつなぐ「関係性」にあるのかもしれない.

 そして、これらの問題を考えるときに、クロネッカー&ペアノやラッセル&フレーゲやフォン・ノイマンが構築してきた「自然数の理論」は非常に良いアナロジーを与える、と小島氏は続けます。「自然数」といういわば当たり前の概念を数学的に規定しようとすると、それは簡単なことではなく、「集合」「写像」「帰納的」といった高度な概念が必要になり、そうしてさえまだ、本当に「自然数」を捉えきったのかどうかは定かではない。

だから,数概念を巧く受けとることのできない人を軽々しく「障害」と呼んではならないだろう.それは本人の責任ではなく,「自然数」に認知が届かない何か大きな秘密が「外世界」と「私」をつなぐ「数学」の側にあるかもしれないからだ.

 このあとは、ゲーム理論家の松井彰彦が指摘している、「障害」の規定が自家撞着的であることの話がエレベーターの例で示されています。たとえば、ふつうは二階建ての家にはエレベーターをつけないから、二階に自力で昇れない人は障害者と呼ばれる。ということは、もしも10階建てのマンションにもエレベーターがついていないならば、自力で10階まで昇れない人は障害者と呼ばれることになり、たくさんの人が障害者となってしまう。しかし、10階建てのマンションには必ずエレベーターがついている。つまり、エレベーターを二階建てにはつけず10階建てにはつけるというある種の「慣習」が「障害」を規定してしまっている、というような話です。

この慣習は,二階建てに昇れない人は障害で,10階建てに昇れないのはそうではない,という先入観から来るものである.だとすれば,「障害」という概念は相互定義的であり,自家撞着的であろう.


 そしてこれと同じことが、学習障害にも適用できるだろう、と小島氏は続けます。「水道方式」 が普及する前には、数計算が覚束なかった児童は多かったと聞いているが、これは「水道方式」という道具によって、障害が障害でなくなる可能性を示唆している、と。

このように,学習障害は自家撞着的な概念であり,外世界と自己との接続,その道具としての「数学教育」と相互定義的の関係を持っている.算数・数学教育方法の改革の問題は,「いったい障害とは何なのか」という問題と,表裏一体の関係にあると言っていい.
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小島寛之が語る、遠山啓の「量の理論」

 小冊子『いま,遠山啓とは』所収の、小島寛之「遠山啓氏の思想から見えるもの」(『数学セミナー』2009年10月号から転載)を読んで感じたことを書いています。

 前回は数教育の理論についてみていきましたが、きょうは量の理論です。とてもわかりやすくすっきりさっぱりまとめてあり、なんだかんだいいながら、遠山啓および数教協の「量の理論」ってこれ以上でもこれ以下でもないのかもなぁ、なんてことを思ってしまいました。

 まずは、量こそが「世界」と「私」をつなぐカスガイであり、量を積極的に取り入れることは、まさに「数学は現実を抽象化したもの」という思想の体現だと言っていい、という話から始まります。

 そして、遠山啓が量を扱う中で最も注目したのが「内包量」の概念であり、その代表的なものが「1あたり量」だ、と続きます。

つまり,外世界を掛け算で掌握するには,「1あたり量」を避けては通れないのである.第三に「1あたり量」の極限として微分が定義されることである.「1あたり量」は無限小算術と切っても切れない関係にあるのだ.そして最後に,1次関数y=ax+bの傾きaは,「xが1大きくなるとyはいくつ大きくなるか」という形で「1あたり量」そのものである.1次関数は,微分を経由することですべての関数の基礎となり,また,線形代数(多次元代数)の出発点でもあるから,「1あたり量」はあらゆる数学の基礎になっている,ということなのである.

 小島氏はこのあともう一歩話を進めます。遠山啓の算数・数学教育はこういうふうに広く深いバックボーンを持っているが、そういった補助線をすべて消し去った「ハウツー」部分しか観測しない人々には、遠山啓がなぜそういう方法を取ったかを理解することはできないに違いない。しかし、そういうことがあまり問題ではないこと自身が貴重だ、と。つまり、「タイルによる数教育」や「水道方式」や「量の教育」は、「ハウツー」だけで子どもたちに目覚ましい効果を発現させ、バックボーンなしでも「実践」を通じて広がっていく生命力を持っており、それこそまさに「数学の自律性」がそのまま体現されたことの自己証明と言ってもいいだろう、と。

 さすがにそれは言いすぎだろう、と私は思いました。やや驚きをもって。それは数学の自律性というようなものではなく、単なる「ひとり歩き」といったようなものではないかと。また、それ以前に、量の教育は「ハウツー」だけで子どもたちに目覚しい効果を発現させるようなものには完成されていません。また、遠山啓のバックボーンを持ち出すのならば、もっともっと深くて複雑なものがあることは、森毅の文章で再確認したばかりです。せめて、小島氏がこの文章ですっきりさっぱりまとめているくらいのこと(もちろん小島氏もこれをバックボーンを呼んでいるわけではないのですが)は、遠山啓の「ハウツー」を採用する人は、知っておいたほうがいいように思います。知った上で「安心して」採用するためではなく、知っているからこそ問い直しながら採用していくために。

(つづく)

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