TETRA'S MATH

数学と数学教育

折れ線と曲率

 遠山啓著作集・数学教育論シリーズ7「幾何教育をどうすすめるか」を読んでいます。1950年代後半から1960年代後半にかけての文章です。

 そんなこんなで、遠山啓は、折れ線・方眼による幾何教育を提案しましたが、折れ線というのは「辺と角」の連鎖なので、モノとしては線分で構成された図形になります。しかし、線分で構成されているわけではない図形、すなわち曲線についても折れ線の幾何は関わってきます。

 つまり、折れ線を無限に細かく分けていくと曲線になるというわけです。そのときの辺と角の表に当たるのは曲率を表わす微分方程式だ、と(p.30)。

 曲線の端から動点まで曲線に沿って測った長さをsとし、その点における接線と定直線とのなす角をθとすれば、曲率は dθ/ds、それを s の関数として表わした式は、dθ/ds=f(s)となり、
これは自然方程式とよばれているが,これは,つまり,方向転換の程度が各点で与えられているのである。これがほぼ折れ線の<辺−角>の表に相当する。
(p.30)

とのこと。

 二つの曲線において、dθ/ds=f(s)という微分方程式の形が一致するとき、その二つの曲線は合同になるのであり、これが曲線の合同定理ともいうべきものだということを遠山啓は書いています。

 こういう話になると、おのずと折れ線と円の関係についても考えたくなりますが、実際、「折れ線と円」という項目もあります。

 上記の話を読んだとき、私は、自分の興味がこれまでとは少し違う雰囲気でつながっていくような感覚を味わいました。図形にはもともと興味があったし、それとは別に内包量にも興味があったわけですが、それらがいままでとは少し違うアプローチで出会った感じというか。微分方程式にはこれまでも触れる機会がありましたが、曲率は新しい出会いでした。

 分数の形をしていて、上にも下にもdがあるというおなじみの記法のなかに、θがあるのが私にとっては新鮮でした。

 なお、かつて、「dx」と「dy」と「dx/dy(ライプニッツの記法)」というエントリを書いたことがあります。

 また、微分方程式については、山口昌哉 『数学がわかるということ』・4/微分方程式のことというエントリなどを書いています。

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折れ線と方眼の幾何のどこに遠山啓らしさを感じるか

 前々回のエントリのなかで、折れ線と方眼による幾何は遠山啓らしいと書きました。なぜそう思うのかを、石原さとみさん出演のお酒のCM「主任って…」風にまとめると、次のようになります。

 遠山先生って…量が好きで…正方形状のものが好きで……
 デカルトが好き。

 量が好きなのは「量の理論」でこれまでさんざん見てきたことですが、幾何教育についても、「測度」を取り入れていること、「定木とコンパス」ではなく「物指しと分度器」よる作図を提案していることなどから感じられます。

 また、正方形状のものというのは、ここでは方眼のことですが、もちろんタイルからの発想です。実際、遠山啓は、
方眼の一つ一つは正方形であるから,切り抜くとタイルになることは量との関連を容易にする。したがって,それは数計算の出発点ともなり得る。水道方式とその点では共通の土台の上に立っているといってよい。方眼の幾何は水道方式の双生児のようなものである。
と書いています(p.14)。

 そしてデカルト。遠山啓とデカルトについては、かつて、今後のためのメモ3/遠山啓とデカルトというエントリを書いたことがありました。

 まず、方眼の幾何は座標につながります。そして、分析と総合。折れ線の幾何にも分析と総合の発想が取り入れられています。折れ線を分析すると辺と角の連鎖になり、辺と角の連鎖を総合すると折れ線になるので。

 ここですぐに付け加えなければならないことが2点あります。ひとつは、だからといって遠山啓はデカルト主義者である式の早トチリをするわけにいかないということ。>森毅が語る、遠山啓の思想の構図

 もうひとつは、遠山啓はユークリッド幾何の教育的価値について論じるなかでも分析と総合を出してきていること(p.55)。
ユークリッドの中にあざやかに表現されている思考法もしくは方法とはいったい何であろうか。それは何よりもまず分析と総合だと私は考える。複雑な図形,たとえば,多角形などをしだいに分解して,もっとも単純な三角形を得る。その三角形をさらに分解して点・線・角の要素に到達する。このように複雑なものを単純な要素に分解する手続きが分析(Analysis)なのである。このように最単純な要素にまで分解されたものをふたたびつなぎ合わせること,すなわち,再構成することが総合(Synthesis)である。
 なので、分析と総合という発想は、ユークリッド流を否定してのことではないことがわかります。

 話をデカルトにもどすと、遠山啓は幾何教育について、空間とそのなかにある図形とを区別して教えるべきだと語っており、その話もデカルトにつながっていきます。デカルトははじめから空間そのものから出発した、と。

 さらに、数教協ではおなじみのシェーマという用語についても、デカルトが関係してきます(p.100)。というか、話は地続きなのですが。

幾何学的直観は数学研究ばかりではなく,数学教育においても,きわめて重要な役割を演ずる。そのことは,人間の思考においてなんらかの映像もしくはシェーマが,本質的に重要な役割を担っているからである。そのことをもっとも早くから明言していたのは,おそらくデカルトであっただろう。

 シェーマというのは、直訳すれば「図式」になろうかと思いますが、数教協の方法論のなかでいえば、タイル、水槽、ブラック・ボックスなどがあてはまると私は理解しています。

 なお、遠山啓は、ペリー運動の影響と関係している“直観幾何”は批判しています。ここでいう“直観”というのは“論理抜き”という意味だとして(p.34)。

 遠山啓の幾何教育論を読むときには、「直観」という言葉の捉え方に慎重になったほうがよさそうです。
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なぜ、折れ線の幾何だったのか

 遠山啓著作集・数学教育論シリーズ7「幾何教育をどうすすめるか」を読んでいます。1950年代後半から1960年代後半にかけての文章です。

 折れ線というのは、文字通り「辺―角―辺」でできる折れ線のことで、「長さ―角度―長さ」の三つの量によってつくられる図形です。逆にいえば、折れ線が与えられるとこの三つの量が決まります。1回だけだとV字型になりますが、これを繰り返すことによりN型やW型にもなります。つまり、閉じなくていいのです。

 遠山啓は、ユークリッドの方法の特徴のひとつに「三角形分割」をあげました。それはつまり、三角形を図形の要素とみることであり、三角形という2次元の単体から出発することです。

 そして、三角形の合同条件に登場するのは辺と角で、そこに面積は入っておらず、三角形の中身は考えられていません。また、それぞれの条件により合同が証明されると、残りの辺、角の相等が導き出されます。

 つまり、三角形を三辺と三角の6個の要素からなるものとして取り扱っているわけですが、遠山啓いわく、この6個の要素は互いに独立ではなく、かなり複雑な関数関係によってむすびつけられている、と。なるほど、だからこその正弦定理、余弦定理なのでしょう。

 これに対して、折れ線の幾何は1次元の複体をもとにしており、構成している二辺と一角はおたがいに何の関数関係もなく、三つの量は完全に独立しています。また、物指しと分度器を交互に使っていくと容易にできるので、小学生にも結構できる作図だ、と。

 本に書いてあることをあちこちから拾ってきて自分なりにまとめているのですが、なるほどこうやってみていくと、折れ線の幾何は「測度の不在」「三角形分割」「定木とコンパス」をきれいにクリアするものだったんだなぁと思えてきます。

 なお、角度は内角より外角をとったほうがよいと言っています。人間の歩く道で考えれば、方向転換の角度。3cmと5cmの辺が120度の角度をなしている場合、3cm進んで60度方向転換して5cm進むようなものだと考えればよいのでしょう。なので、折れ線というのは直進と方向転換を交互にくりかえしたものと言えます。

 ということを書いていると、記憶の底からうっすらと「タートル幾何学」という言葉が蘇ってきます。これってなんだったっけ…と検索をしていたら、LOGOという言葉とシーモア・パパートさんという妙に懐かしいお名前に遭遇。懐かしさを感じるだけでどこで出会ったのかよく思い出せず…。数教協とは別の文脈で出会ったのは確かで、少し心心当たりがあることはあるので、今度確認してみようと思います。

 それはそうと、このたび検索して知ったのですが、パパートさんはピアジェと交流があったのですね。前回書いたように、いま読んでいる遠山啓の幾何教育論をまとめた一冊の後半はピアジェの研究の紹介になっているのですが、それらがつながるのかどうかはまったく考察していない状況です。

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遠山啓の幾何教育論をまとめた一冊

 遠山啓著作集の数学教育論シリーズをぱらぱらとめくっていたら、7の「幾何教育をどうすすめるか」の一冊に心がとまりました。はたと気づけばこれまで、遠山啓が幾何教育についてどう語っているのかを、まとまった形で読んだことがありませんでした。

 大きな組み立ては、「幾何教育を改造する視点」「ユークリッド幾何の再検討」「幾何教育の展望」「幼児の空間的表象―ピアジェの研究の紹介」「幼児の自然発生的幾何学―ピアジェの研究の紹介」となっており、1950年代後半から1960年代前半にかけての文章を中心としてまとめられています(一部60年代後半のものを含む)。

 まず面白かったのが、オープニングの「図形教育の新しい視点」のなかに出てくる“生活”の話でした。生活単元学習のなかで強調された“生活”は、生活一般ではなく“消費生活”であり、“生産生活”はそのなかからは脱落していて、生産の脱落した消費生活だけを目安にしていくと、数の知識はたしかに必要だけど(金勘定)、図形の知識はほとんど不要であるといってよく、消費的であった戦後の生活単元学習では図形教育がほとんど無視された…というような内容の話です。

 ちなみに、森毅が語る、「遠山啓」の時代の区分でいえば第一期の終わり頃の文章ということになるので、生活単元学習の話が出てくるのでしょう。遠山啓の生活単元学習批判については次のエントリでざっくりまとめてあります。>遠山啓の生活単元学習批判の概要をもう一度おさらいしておく

 個人的には、数教協っぽい図形の題材として、比較的新しいところで多面体や敷き詰め、少し古いものとしてピックの定理、だいぶ古いものとして折れ線の幾何などが思い出されます。

 もっともこれは、数教協関係者の母の影響や何度か行った全国研究大会の記憶からそう思うので、それぞれの題材が数教協のメインストリームなのか、発表者独自の題材なのかはよくわからないままです。

 母が昔、数教協のレポートは図形分野が面白いと言っていたことがありました。他の分野のように方法論が確立されておらず、個性的で新しい発表に出会える機会が多かったのでしょう。

 著作集にもどると、遠山啓はユークリッド流の幾何教育の問題点をペリー運動をからませながら語ったうえで、その教育的意義についても触れ、ではどうすればいいかということで折れ線や方眼の幾何についての議論を展開し、その他の幾何分野についても具体的に論じていきます。

 なお、ペリー運動については、過去に別の文献をもとにした関連記事を書いています>ペリー、ムーア、クラインの教育改革運動

 遠山啓はユークリッド『原論』の特徴を「測度の不在」「三角形分割」「定木とコンパス」の3つにまとめ、折れ線や方眼の幾何といったものを提案しているのですが、それに対して「遠山啓らしいなぁ」としみじみ感じる私です。

 方眼については個人的にはほとんど印象にないなぁ…と思いつつ気づいたのは、そういえば数学教育協議会のマークは方眼にV字型の図形をあしらったものだということ。マークの由来がサイトのQ&Aにありましたが、詳細なエピソードはわかっていないもよう↓

http://www004.upp.so-net.ne.jp/ozawami/qa/hajimeni.htm#q6

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「遠山啓著作集・数学論1」より、関数の三用法で第1用法が2段階になっていること

 久しぶりの更新です。

 思うところあって、少し前から遠山啓著作集のページをめくっています。実家から引き取ってきたもので、何冊か欠番はあるものの、数学論シリーズ6冊、教育論シリーズ4冊、数学教育論13冊とそれなりにそろった状態で保管していました。

 もうひとつ別の数教協関係のシリーズものもあり、読まないままスペースだけとっていて、どうしたものかと思っていました。もちろん、遠山啓著作集のほうはピンポイントで読んできましたし、しばらく手放す予定はないのですが、それにしても読まない部分のなんと多いこと。

 というわけで、いまさらながら、まずは遠山啓著作集をぱらぱらとめくっています。いま、数学論、教育論とすすんで、数学教育論の途中までざっとめくってみたところです。

 数学論の大きな話の部分はさすがに既視感があり、具体的な数学の話は、何かの機会に必要に応じて読みたいと感じる内容でした。また、教育論のほうは、読む前から予感はしてものの、やはりページをめくってみても読み込みたいという気力がわいてこず…。

 そんななか、ただひとつ目がとまったのが、数学論1「数学の展望台―I中学・高校数学入門」の後半にある「関数の性質」です。初出は1965年の『数学教室』。なぜ目がとまったかというと、「関数の三用法」が出てくるから。いわゆる「度の三用法」や「率の三用法」ではなく、x、y、f で構成されているのがいまさらのように新鮮だったのです。なので、この点について、ブログに書いてみることにしました。

 数教協の量の理論には「度」や「率」というものが出てきます。速さや密度のように、違う種類の量どうしのわり算でつくられる量が「度」。これに対して含有率などのように同種類の量の除法によって得られる量が「率」と呼ばれています。

 そして、度や率の三用法なるものがあり、速度と含有率のそれぞれを示すと、次のようになります。

第1用法:長さ÷時間=速度
第2用法:速度×時間=長さ
第3用法:長さ÷速度=時間

第1用法:含有量÷全体の量=含有率
第2用法:全体の量×含有率=含有量
第3用法:含有量÷含有率=全体の量

 これが関数の三用法になるとどうなるかというと、遠山啓はまず、正比例 y=ax の x、y、a を使って、度の三用法を次のように示します。

第1用法 ――― x,yが既知で,aが未知の場合
第2用法 ――― a,xが既知で,yが未知の場合
第3用法 ――― a,yが既知で,xが未知の場合

 これを一般化して y=f(x)に当てはめると、

第1用法 ――― x と y から f を求める。
第2用法 ――― f と x から y を求める。
第3用法 ――― f と y から x を求める。

となります。いわば「関数の三用法」とでもよばれるものができるわけですが、この分類は関数の指導体系をつくる上でかなり有効であろうと思われる…というようなことを遠山啓は書いています。

 さらに先を読むにつれ、私がなぜこの一節に立ち止まったのか解せました。第4用法という言葉が出てくるから。明確にそう示されているわけではなく、第1用法ではなく第4用法とよんだほうが適切かもしれない、という流れで。

 そして実際、この文章の組み立ては、「関数の三用法」「第1用法」「第2用法」「第3用法」「むずかしい第1用法」「関数の複合過程」となっているのです。「第3用法」では逆関数や代数方程式、運動方程式の話、「むずかしい第1用法」ではラグランジュの補間法、テーラー展開の話などが出てきます。

 注目したいのは「第1用法」のところで示されている次の話です。度や率の三用法では、第1用法は内包量の概念づくりに相当するもので、これをはじめにもってくるのは当然だけれども、関数では第1用法はそれほど簡単ではない、ある意味ではもっともむずかしくて、最後にもってくるようがよいともいえる…という話。

 むずかしい部分は第2用法、第3用法の後にくるので、第4用法というわけです。
第1用法のうちで関数の概念づくりに当たる部分は,f という操作・写像・変換等のコトバで表わされるものが存在することを理解させることに主力がおかれる。
(p.212)

 そしておなじみ、暗箱(black box)が出てきます。

 ブラック・ボックスというのは、f という文字のついた箱状のものに入口と出口がある簡単な装置のことで、図示されたもののほか、実際に箱として作ったリアルな教材もあります。

 私はかつて、数教協の「量の理論」が未完に終わっていることにこだわっていて、特に、小学校の「量」の学習の組み立てと、中学校へつながる比例の導入との間に大きな断絶があるところが気になっていたのですが、上記の記述には、それについて考えるためのひとつのヒントがあるかもしれないと感じました。

 そしてこのことは、銀林先生の『量の世界・構造主義的分析』のなかで、なかなか理解できずにいた二段階の内包量のことにもつながる話だと思います。

 正比例関数を介さず、直接的に構成される内包量

 先の引用部分に「 f という操作・写像・変換等のコトバで表されるもの」が「存在」すること、という文言があります。「量の理論」で出てくるブラック・ボックスという装置は、まさにこの「存在」を具現化し、存在たらしめるものであったのだろうとあらためて感じているのですが、私がひっかかっているのは「内包量」との段差なのでした。

 さらに以上のことは、かつてnoteで書いた以下の話にも関わってきそうです。

 「微分的」とはどういうことか(番外編)/私の問題意識

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「数学」と「現実」

 2つ前のエントリ遠山啓『代数的構造』から、いまいちど遠山啓の数学観と、ピアジェの構造主義を覗く。において、「数学は現実とは関係ない」という主旨の発言をときどき見かけると書きましたが、そう書いてよかったのかな…?と自分で不安になったので、あらためて心あたりの発言を読み直したら、微妙に意味が違っていたので、微妙に文章を書きかえてあります。

 あくまで一例なのでリンクはひかえますが、このような感覚は、それほど珍しいことではないですよね、きっと。

 先日、別件で自分のブログを読み返してみたら、こんなエントリがありました。無関係な話ではないと思うので、この機会にリンクします。「数学無用論と数学至上主義の根底にある数学観は同じ」という話が含まれています。↓

遠山啓『文化としての数学』からの抜粋・04

 一方で、算数が(学問としての)数学とは別物になっていることが指摘されたり、ガラパゴス性を指摘されたりすることもありましたね。↓

「算数のガラパゴス性」という表現について考える。

 この指摘が同時に(あるいは同じ立場の人から)行われる場合、その根底には、「学問としての数学は実社会とつながっている」という数学観があると思ってもいいのでしょうか。だとしたら、ちょっと勇気の出る話です。ただし、実社会(あるいは現実)とつながっていることと、卑近な実用主義になることとは全然別の話、ひょっとすると正反対かもしれない、と思っています。

遠山啓には、何が見えていたのだろう

算数・数学が「生活」の「役に立つ」ということの意味
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遠山啓『代数的構造』から、いまいちど遠山啓の数学観と、ピアジェの構造主義を覗く。

 遠山啓『代数的構造』[新版](日本評論社/1996年)の第6章を読んでいます。

 1つ前のエントリで書いた「アルゴリズムは時間的なもの」の話のあと、遠山啓はこんなことを語っています。
 数学はどれほど抽象的であっても,その究極の根源は実在のなかにあるといわねばならない.もちろんその実在とは数学を創り出した人間をもそのなかに含んだものとして考えているのである.
(p.230)

 私は遠山啓の「量の理論」の根本思想のうちの1つは、上記のような数学観だろうと思っていますし、私もそれに共感しています。ときどきツイッターやweb上で、「数学は(薄汚れた?)現実とは関係がない」、あるいは「(純粋)数学には、(自然界にあてはめられるような)汎用性はない」といった主旨の発言を見かけることがありますが、それはあり得ないことだと思っています。もしそうであるとしたら、数学は人間に理解できないと思うし、必要ともしないと思う。

 また、数学を他の世界と無縁な秘境に閉じ込めておきたいかのような、あるいは専門家の専売特許にしたいのかと思わせるような発言に出会うこともありますが、数学に対して謙虚であるべきなのは、「わかったつもりで終わってしまってはもったいないから」だと思っています。恥ずかしかったり、わるいことだったりするから謙虚であるべきと考えると、とたんに学ぶことが窮屈になってしまう。数学のシビアさはそんなことのためにあるのではないと思うから、「もうちょっと奥にいけば、もっとすごいものが見られるよ!」というふうにいざなってくれる専門家の言葉を、私はいつもさがしています。

 話がずれました。遠山啓はこう続けます。
ところで実在は単に空間的でもなく,単に時間的でもなく,双方を兼ねた時間・空間的なものである.だとすれば数学も当然時間・空間的なものでなければならないだろう.
 たとえば生物はそのようなものであるといわねばならない.
(p.230)

 生物は空間的な構造をもちながら、しかも時間的に変化しているが、そのようなものを取り扱うのにふさわしい理論が数学のなかで創り出されているかというと、答えは否である、と書いています。なお、ウィーナーの“動的体系”にちょっと触れています。
[関連エントリ]
遠山啓の「数学の未来像」と、山口昌哉のコメント

 遠山啓がこの文章を書いたのは、“構造主義”が盛んな議論のまとになっていた時期のようですが、遠山啓はこれに対して立ち入った議論を展開するつもりはないが...という前置きつきで、ピアジェの構造主義論を紹介しています。それは、「構造主義がややもすると陥りがちな硬直からそれを救い出し、その生産性を回復するために書かれたと思われる」ものであったからなのでしょう。

 ピアジェは構造の条件として、「1.全体性」「2.変換性」「3.自己制御」の3つの条件を提示したようです。そして「1.全体性」については、つぎのように述べているもよう。

 「構造固有の全体性の性格ははっきりしている.というのは,すべての構造主義者たちが一致して認めている唯一の対立は,構造と集合体-----すなわち全体とは独立した要素から成り立っているもの-----との対立だからである」

 そして単位元の話になっていくのです。数学的構造を例にとっていえば、群の単位元eは、群という構造のなかでそれが占める特殊な性格、すなわち、他のものaとかけて他のものaになる(ea=ae=a)という性格によって規定されている。これは構造のなかの有機的な構成部分なのであり、この点が、それ自身が他とは独立に存在している集合の要素とは違っている、と遠山啓は語ります。

 という話をきくと、0と1にまつわるとりとめのない曖昧な思考のことと、檜山正幸さんの郡司ペギオ-幸夫批判経由で知った、「自由生成された半群Dに単位元を付け加える」ことを思いだします。郡司さんはこのことを、“無矛盾な形式的体系を構成するためには、可能世界は先見的に見渡されねばならない。だから我々は、可能世界全体を、Dに「何もしない」という操作を付け加えておくことで定義せねばならない。”と書いているようです。

 『代数的構造』にもどると、「しかし,このように,全体と部分とを氷炭相容れない対立概念とみることは,誤りであろう」と話は続きます。ピアジェは、

 「あらゆる領域で,認識論的態度が,構造的法則をもった全体性の承認か,それとも要素から出発する原子論的合成かといった二者択一に帰せられると思い込むのは,誤っている」

と述べているようで、遠山啓はこれを、「簡単にいうと,要素なき全体か,全体なき要素か,という問題設定そのものが誤りである,というのである」とまとめて、事実は、全体が要素への分解をどの程度まで許すかという問題になるだろう…と話を続けます。

 そして化合物と元素の関係などが例にあげられたあと、このような分解・合成、あるいは非可逆性と可逆性のもっとも大きな問題は、「生命の合成」であろうと書いてあるのですが、私のいまの関心は、化学的、生物学的アプローチよりも、社会的アプローチにあるのでした。

 すなわち、「私」と「社会」の関係。もちろん私は生物ですし、さまざまな元素で構成され、元素で生かされていると思うので、化学的、生物学的であることと、社会的であることとは、それこそ分けて考えられない問題だろうと思っています。
[関連エントリ]
歴史の時代区分としての「近代」/おにぎりとお餅のイメージ

 次の「2.変換性」については、群という構造のなかでの「x → ax=y」や「x → axa^(−1)」という変換の例が示され、構造は種々の内部変換を許す有機的全体である、とまとめてあります。

 最後の「3.自己制御」に関しては、上記の変換の多くは構造の枠内で起こる(変換に対して閉じている)が、そうでないときは構造そのものを拡大して、その拡大された構造はその変換に対して閉じるようにする、ということについて述べてあります。たとえば自然数の集合は減法に対しては閉じていないが、それに0と負の整数をつけ加えることによって、減法に対しても閉じた整数という構造が得られる、と。

 それは決して静的な構造ではなく、動的な構造、もしくは体系である。「構造をこのように解釈するならば硬直した形骸ではなくなるだろう」という一文で、この章はしめくくられています。

 ついでといってはなんですが、『構造主義』(ジャン・ピアジェ著/滝沢武久・佐々木明 訳/白水社【文庫クセジュ】)の訳者まえがきから次の部分を抜き出してみます。これは1970年に書かれたものであり、もしかしたら遠山啓が自分の主張にあう文献としてピアジェを引き合いに出したというよりも、遠山啓がピアジェの影響を受けたのではないか、とも思えてきます。
ピアジェによれば、構造は予定調和的に存在するもの(前成説)ではなく、構成されるものである。そして彼は、その構成過程を、発達心理学的研究から立証したのだった。だから、彼の構造主義は、構成主義でもあるといえよう。
(p.6)
 これまでに述べたことからわかるように、本書は、とくに人文・社会科学における構造主義のある種の静態的傾向に対する、構成主義の側からの批判となっている。
(p.8)

 というような話と、1つ前のエントリで触れた「ある2つの建築観の違い」の話がつながるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。
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遠山啓『代数的構造』「第6章 構造主義」から派生して、鈴木健と坂口恭平の“建築”観の違いまで

 2つ前のエントリで触れた、遠山啓『代数的構造』[新版](日本評論社/1996年)の第6章について読んでいきます。中心テーマについては何度も書いてきたので、繰り返しになるかなぁ…と思いきや、後半では、いまだから書けることを書くことになりました。(^^)

 遠山啓『代数的構造[新版]』の章立ては次のようになっています。

   第1章 構造とは何か
   第2章 数学的構造
   第3章 群
   第4章 環と体
   第5章 ガロアの理論
   第6章 構造主義

 そして第6章は、次のように始まっています。
 最近“構造主義”が注目のまとになっているが,それは数学的構造が浅からぬ関係をもっているといわれているので,そのことに言及しておくことにする.
 これまで述べたように,数学的“構造”は現代数学のきわめて強力な武器であることがわかった。しかし,はたしてそれは万能であろうか.

 筑摩書房の『代数的構造』は1972年発行なので(2011年に文庫が出ているようですね)、だいたいそのくらいの時期の話なのではないかと推測しています。

 遠山啓は、時間的というよりは空間的である点に、「構造」の最大の特徴があるとしています。ブルバキが建築物にたとえたことからもわかるように、それは空間的であり静的である、と。そしてそこに、構造の限界を見出しているようです。

 空間的なものと時間的なものの対立を数学という学問のなかで考えるときに出てくるのは、微分積分学。それは誕生のはじめから時間的という刻印をおされていた、と。当然無限の問題に出会ったけれど、その無限はカントール(遠山啓はカントルと表記)の空間的な“実無限”ではなく、アリストテレスの時間的な可能性の無限であった()。
 そして微分積分学から始まった近代解析学も,やはりカントルが出現するまで長いあいだ可能性の無限の上に安定し得た.カントル的無限を考え出す能力が数学者になかったからではなく,学問の発展そのものがそれを要求しなかったからである,といってよいだろう.
(p.228〜229)

 以上は「6.1 空間的と時間的」のおおよその内容であり、次に「6.2 開いた体系,閉じた体系」と続いていきます。

 たとえば微分積分学で関数y=f(x)を考えるとき、その定義域ははじめから厳密に定義されているわけではなく、f(x)=a^x (aは正の実数)という指数関数を例にとっても、はじめのうち、xは正の整数に限られていたが、それが0や負の整数まで拡張され、さらに有理数から実数へ、実数から複素数へ拡張されていった。

 このように関数の定義域は必要に応じて、いくらでも拡張できるという本性をもっている。換言すれば微分積分学における関数の定義域はいちど定めたら未来永劫に変わることのない閉じた体系ではなく、必要に応じていくらでも拡張できる“開いた体系”なのであった、と書いています。

 こういう話をきくと、遠山啓が関数の“シェーマ”としてブラックボックスを提案したことも、なるほどねぇと思えてきます。関数を写像、対応関係でとらえるときに、2つの縦長楕円のなかにそれぞれ要素を示して、それらを矢印で結ぶような図が用いられることがあるかと思いますが(ウィキペディア:全単射など)、この図の場合、入力の要素と出力の要素をそれぞれ枠でくくってあり、それは“閉じた体系”のイメージです。しかしブラックボックスでは入力側の要素と出力側の要素を枠でくくる必要がなく、逆に、関数のほうが実体化しています。

 そして、微分方程式の解の定義域をはじめから見通すことは不可能であることや、複素関数論において、無限べき級数によって定義された関数が、収束円の外まで解析接続して定義域を広げていけることができる話なども示されています。

 さらにガロア理論も例として出てくるのです。ガロア理論では、はじめに定めた基礎体の枠を固守することが目的ではなく、それをいかに拡大していくかが目的となったのであり、典型的な代数的構造のひとつである体すらも拡大を余儀なくされる、という内容のことが書いてあります。「その意味では,構造を建築物にたとえたブルバキの比喩はあまり適切なものとはいえなくなる.」とも。

 そのあと、建築物といえども完全に空間的なものであるかどうか疑問だし、それをつくる建築家の眼からみればそれは時間的なものであり、どういう手順で造っていくかが重要になってくる、と話は続きます。

 また、手順、手続きは数学的にいうとアルゴリズムであり、アルゴリズムは時間的なものであること、数学はこのアルゴリズム的なものを決して排除することはできないこと、について触れています。

 さて、ここでいったん本を離れます。

 少し前にとりあげた鈴木健『なめらかな社会とその敵』に対する森田真生さんの書評において、建築の話が出されていました()。もう一度↓

http://honz.jp/23020より
複雑な世界とつき合うために、膜は世界の複雑さを縮減する。一方で、世界の複雑さをそのまま環境の方に押し付けてしまう、という手がある。認知的な負荷を環境に散らすために、自分でしなくて済む計算を、環境の方に押し付ける。自分で計算をする代わりに、環境がうまく計算をしてくれるように、環境を作り替えてしまう。これこそ、複雑さとつき合うために生命が編出した「第二の手段」であり、筆者はこれを、広い意味での「建築」と呼んでいる。

 鈴木健さんに関わる建築の話では、具体的な建築家として荒川修作がよく出てくるという印象があります(というか、そのほかの建築家の名をまだきいたことがない)。なお、鈴木健さんも森田真生さんも、三鷹天命反転住宅の元住人とのこと。

 一方、前回話題に出した坂口恭平さんは、建てない建築家です。モバイルハウスというものもつくっているのですが、これも“建てる”ものではありません。私にとって坂口さんの仕事は、究極というか根源的というかオルタナティブというかプリミティブというか、とにかくある意味で画期的、ある意味で本来的な建築家の仕事であるように感じられます。それは、空間を見出すという形で空間をつくるということ。あるいは、空間を見出したりつくったりしたりしている人を見出すということ。

 私は、鈴木健さんもphaさんも坂口恭平さんも、同時代のなかで生きていることをしみじみ感じているし、考えていることはほとんど同じだと思っているのですが、実際に採用している(採用しようとしている)方法が異なっていることが、ようやく見えてきました。だから、鈴木健さんの提案に大きな拍手を送りたいと思いながらも、どこかに不安を感じていたのだな、と。

 このあたりについては、生活ブログの「じわじわしみ出るパブリック」の後半でまとめてあります。つまり、森田真生さんの言葉を借りていえば、鈴木健の“建築”観は、人間の認知的負荷を散らすために環境を変えてしまうこと(具体的にはPICSYや分人民主主義といったシステムの実装)であり、坂口恭平の“建築”観は、人が自身の解像度を上げて空間を見出すことであり、したがって、環境やシステムは一切変える必要がないということになります(変わらなくていいということではなく“変える”必要がないということだと私は捉えています)。

 そしてこのことは、部分と全体、あるいは局所と全体に関わってくると思っています。実際、遠山啓の第6章、つまり「構造主義」についての語りの最後の部分ではピアジェの構造主義論が紹介されていて、「要素なき全体か、全体なき要素か、という問題設定そのものが誤りである」というピアジェの考え方が示されています。遠山啓は、「構造主義がややもすると陥りがちな硬直からそれを救い出して、その生産性を回復するために書かれたと思われる」として、ピアジェの構造主義論を紹介しているのでした。

(つづく)
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数学者としての遠山啓/亀井哲治郎さんの文章から

 結城浩『数学ガール/ガロア理論』の「あとがき」で、結城さんに「ぜひガロア理論を」と推したのは、亀井哲治郎さんだということを知りました()。亀書房の亀井哲治郎さん、もと『数学セミナー』の編集長です。

 亀井哲治郎さんというと、小冊子『いま,遠山啓とは』に掲載されていた「『数学セミナー』と遠山啓」を思い出します(『数学教室』2010年12月号から転載されたもの)。この文章のなかで、数学者としての遠山啓の顔と、『数学セミナー』の編集会議に出席する遠山啓の顔を見られるのですが、きょうは「数学者としての遠山啓の顔」に注目したいと思います。

 その前に、このたび意外な発見があったので、ちょいと自分の話をば。亀書房のサイトを見つけたとき、数学教育の本のページを開いたら、そこに(数教協関係者ではないはずの)ある先生の本を発見して、びっくりしました。あわててわが家にある同じ本を確認すると、確かに「企画・制作 亀書房[代表:亀井哲治郎]」とあります。そうだったんだ〜!

 その先生というのは、大学時代の数学の思い出・03で少し話題に出した、代数の先生です。まさかこのタイミングで先生との思い出話を書くことになろうとは! 「深い思い出」だなんて、なんだか意味深なこと書いてますね〜私(^m^)。いやいや何か特別なことがあったわけではなく、レポートでほめられてうれしかったというそれだけの思い出なのですが、卒業して27年たってもそのレポートを保管しているのだから、よっぽどうれしかったのでしょうねぇ。「行列論供廚世修Δ任后「いつもながらに、自分の力で考えて書いた力作です」だって(*^^*)。ほめられてうれしかったのと同時に、実はその意味がいまだによくわかっていない私…フツウトチガウノカナ?(^^; それにしても、亀井哲治郎さんとはどういうつながりだったんだろう!?

 さて、思い出話はこのくらいにして、いよいよ「『数学セミナー』と遠山啓」を読んでいきたいと思います。まずは1979年に遠山啓が逝去して、『数学セミナー』誌の追悼特集の企画があったときのこと。亀井さんは遠山啓の数学的業績についての記事をぜひ入れたいと考えていて、編集顧問のひとりである清水達雄さんのアドバイスで木下素夫さんに相談したところ、「それは岩澤(健吉)さんにお願いしなさい」と言われたのだとか。

 なお、亀井哲治郎さんは、遠山啓の学位論文『代数函数の非アーベル的理論』(1950年)が大変すぐれた仕事であり、それをさらに深化・展開させることをその分野の研究者から期待されていただろうし、本人もそのように期していただろうけれど、ゆえあって踏み込んだ数学教育との二足のわらじを履くことの困難さを前に悩み抜いて、数学教育の道を選択した…という話を人から聞く機会があり、自分の経験とも重ねて、大いに感動したことがあったようなのです。

 しかし、岩澤健吉さんの高名はきいていたものの、『数学セミナー』ではまだ一度も原稿をお願いしたことがなく、一介の数学雑誌にこのような原稿を書いてくださるものだろうか…という思いもあったようです。そして勇を鼓してプリンストンに手紙を出したところ、すぐに「快諾」の返事が届いたのだとか。

 その岩澤健吉さんの文章も、小冊子のなかで、亀井哲治郎さんの文章の直前に掲載されています(『数学セミナー』1980年3月号からの転載)。

 亀井哲治郎さんにとって岩澤健吉さんのこの原稿は、40年間の数学編集者の自分にとって記念碑的な出来事の一つである、と書いておられます。きっとそうなんだろうな〜!と思います。

 岩澤健吉さんの文章は(岩澤さんの希望で)2号あとの1980年3月号に掲載されたようですが、「遠山啓追悼特集」である1月号では、銀林浩・齋藤利弥・清水達雄・宮崎浩の4名による座談会「遠山啓先生の数学観」が収録されていたらしく、そのなかから次のような話が抜き出されています。アンドレ・ヴェイユと遠山啓に直接接点があったことを、私はこの小冊子を手にするまで知りませんでした。

 1955年の「代数的整数論国際シンポジウム」のときに、遠山啓の論文をよく知っていたヴェイユが遠山啓に「おい、お前はいま何をやってる?」と聞き、遠山啓が「いま教育の問題を一生懸命やってる」と答えたら、ヴェイユが「教育は大事だから」といった、というエピソードです。

 しかし清水達雄さんが言われるには、やっぱり本当は数学をやりたいのだ…と、アーベル関数の話をきいたことがあったようで、遠山先生はそのときずいぶん迷われたらしい、と書いてあります。国際的な評価を受けている仕事でもあるし、やっぱりそれをやりたいんじゃないか、と。だけど、どちらを選ぶかというときに、遠山啓は教育のほうに没入していった。

 さらに齋藤利弥さんが、論文に関するヴェイユと遠山啓のやりとりについても触れておられて面白いです。そもそも遠山啓の先の学位論文は、1938年に発表されたヴェイユの論文を出発点としていて、どちらも「非アーベル的とは何か」という点に主眼があるらしいのですが(←岩澤健吉さんによる解説)、ヴェイユはその続きをやる気はなかったらしいのです。ヴェイユ自身はもうあれ以上、テクニカル・ディテールまで入って面倒なことをやる気はなかった、と。

 そんななか遠山啓が別刷をヴェイユに送り、ヴェイユから返事が来て、自分の仕事に対してお前が “so much time and lobor” を費やしたということは “It's quite flattering to me” だと書いていたんだとか。flatteringというニュアンスがよくわからないのだけれど、自分の心をくすぐるようなことだったという意味ですかね、と齋藤さん。

 このたび調べてみたら、アンドレ・ヴェイユと遠山啓は3歳違いなのですね。遠山啓の生まれた年を確かめるために久しぶりにウィキペディアをのぞきにいったのですが、説明のなかの「数学教育の分野でよく知られる」の一文を、今回は複雑な心持ちで読みました。あと実は私も、岩澤さんの文章のなかにWeilとあったとき、「ん?ワイル?」と思ってしまったのだった。

 ちなみに、遠山啓『代数的構造』[新版](日本評論社/1996年)は6章仕立てになっていて、第5章がガロア理論、第6章が構造主義です。構造主義については、先日、クラインの4元群のところでちょろっと触れました。この第6章はたった5ページで、セクションタイトルは2つ、「空間的と時間的」「開いた体系,閉じた体系」となっています。その内容の一部についてはこれまで折に触れ書いてきましたが、近いうちにもう一度まとめようと思っています。

 『代数的構造』が筑摩書房から出たのは1972年でしょうか。ヴェイユと言葉を交わしてから17年たっていますね。そのころヴェイユはプリンストン高等研究所にいたようです。岩澤健吉さんはそのころはもうプリンストン大学にいらしたのかな。

 それぞれの時間が流れていったのですね。

(つづく)
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遠山啓の二重性を、ラッセルをかませて考える。

 以前、今後のためのメモ2/近代数学と現代数学というエントリで、遠山啓の提唱した量の理論には、二面性、二重構造のようなものをよく感じる、といったようなことを書きました(なんか整理されていないエントリで、自分で読んでても意味がよくわからないところがありますが^^;)。その後も、遠山啓の二重性の印象は深まる一方です。

 しかし、遠山啓に二重性を感じるということは、遠山啓の論が矛盾している、一貫していない、ということではない、と思えるようになりました。その人がそのときに、遠山啓の何を見たのか、という問題である、と。

 たとえば倉田令二朗は、「遠山啓の現代数学観は反圏論的」と述べました(※以前、このエントリのタイトルで「遠山啓は反圏論的」と書いていましたが、そう書いてはいけないと、いまになって気づきました)。遠山啓の現代数学観はすぐれて実体論的、<分解―合成>的、かつexplicit(明示的)であるという理由により。しかし私は、遠山啓の「現代数学観」および実際に展開された数学教育方法論はそうだったのかもしれないけれど、遠山啓自身の数学観、あるいは数学に望むもの、または「数学の未来像」は、けして反圏論的なものではなかったと思うのです。圏論についてはいまだよくわからないままに、予感として。

 そんなふうにして遠山啓はいろいろに見えること、ときには本人の意図せぬ色合いに見えることをいちばんよく理解していたのが、やはり森毅なのでしょう。>森毅が語る、遠山啓の思想の構図

 私は森毅のこのガイドで、以前より遠山啓のことが理解しやすくなりました。先のように二重性に出会っても、「どうしてだろう??」と首を傾げる必要がなくなり、「ああ、やっぱりね」と思えるようになったので。

 まだまだ二重性の例はあります。たとえば小島寛之さん。小島寛之さんは、遠山啓が数教育の方法論を模索してたどりついたのは、「ラッセル&フレーゲの自然数理論」だと書いていました。遠山啓の著作で確認したわけではなく、単なる憶測にすぎないが、銀林の教科教育法の講義の参考文献にラッセルの『数理哲学序説』があったことからみても、またラッセルの本の内容と遠山の方法の酷似から見ても、ほぼ確信に近い、と。>小島寛之が語る、ラッセル&フレーゲと遠山啓

 実際にそうだったのかもしれません。遠山啓はラッセル&フレーゲの自然数理論を参考にしたのかもしれません。しかし、だからといって、遠山啓がラッセルやフレーゲと同じ立場にたっていたのかというと、これまた短絡的に考えるわけにはいかないのだろうと思います(小島寛之さんもそう言っているわけではないのですが)。私自身は、遠山啓とラッセル&フレーゲを直結させる記述にはじめて出会って、あのときはびっくりしたのですが、森村修さんの(最初に見つけたほうの)論文を読んで、むしろ遠山啓は、量の理論においては、ラッセルと異なる立場にたっていたことを確認する思いがしました。

『多様体と微分法―田邊元の「多様体の哲学」(2)―「多様体の哲学」の異端的系譜(2)』森村修
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/6372/1/ibunka10_morimura.pdf

 この論文によると、ラッセルは「内包量」概念の存在を認めていなかったようです。ラッセルは、「量」を「外延量」とだけ考えていたらしい。そんなラッセルは、ライプニッツ-コーヘンの「内包量」に関する哲学的議論を批判したわけですが(20ページめ/p.106)、そしてまた、数学的思考から徹底的に形而上学的=超物理学的思考を排除する人でもありました(28ページめ/p.114)。ラッセルは、コーヘンのような考えは全く根拠のない「神秘主義」であると考えたわけですが、そういえばフレーゲも、数学に感覚や心理学を持ち込むことがイヤな人でしたね()。“も”と同じ括りにしていいかどうかわからないけれど、一応、論理主義というラベルでおおまかにくくってもいけないことはないのではないかと。数学にウェットなものを持ち込むのがいやな人たちなんだな、きっと。数学を、ドライにクールに明晰に。

 遠山啓は、どんなジャンルに対しても、「まったく興味がない」()と思ったことはないだろうし、特に哲学はいつも傍らにおいていたと思うのですが、そうでありながら、つねに数学者であったのだと思います。哲学から得たものも哲学の土壌で考えることはせず、つねに数学あるいは数学教育の土壌で考えようとした。だから外延量・内包量についても、哲学者の定義は厳密ではないとして、ワイルのそれを採用したのでしょうね。

 もしかすると、遠山啓の外延量・内包量の区別を生理的に受け付けない人は、実はラッセル&フレーゲの系譜に属しているのかもしれませんね^^。また逆にいえば、内包量・外延量の区別は、遠山啓&数教協“レベル”の議論に終始するものでもなさそうです。
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