TETRA'S MATH

数学と数学教育

「構“成”主義」と「構造構成主義」の相違点

 次は「構成主義」と「構造構成主義」の比較を見てみます。

 西條剛央『構造構成主義とは何か』のp180で、客観主義・構成主義・構造構成主義の対比表が示してあります。これは、代表的構成主義者の1人であるニーマイヤーが提示した客観主義と構成主義の対比表に、構造構成主義の部分を加筆したもののようです。
続きを読む >>
構造構成主義 | permalink

「構造主義」と「構造構成主義」の相違点

 西條剛央『構造構成主義とは何か』、面白かったです(読まずに返さなくてよかった)。ちなみにデカルトは全11章の中の6章で出てくるので、これはまだまだ中盤の話。なお、デカルトの次に出てくるロムバッハという人の構造存在論(構造とシステムの違い)の話も面白かったです。

 全体的にもう少し読み込みたかったけれど、図書館に返す日がきてしまいました(買おうというところまではいかなかった)。返却する前にメモしておきたいのが、第9章「他の思潮との差異化」の一部の内容。
続きを読む >>
構造構成主義 | permalink

デカルトの「私」の再考・2

 ちなみに、池田清彦『構造主義科学論の冒険』では、「外部世界は実在するのか」というお題の中でデカルトが出てきて、そのあとカント、へーゲル、フッサールと続きます。

 一方、西條剛央『構造構成主義とは何か』では、カント、ヘーゲルという流れはなく、「デカルトの過誤」というタイトルですぐにフッサールが出てきます。

 デカルトの何が問題だったのかについて、池田さんと西條さんとでは焦点の当て方が異なっているからだと思います。

 さて、西條剛央『構造構成主義とは何か』に出てくるフッサールの話です。
続きを読む >>
構造構成主義 | permalink

デカルトの「私」の再考・1

 池田清彦『構造主義科学論の冒険』のamazonレビューの中に、「今時デカルトで語るなどナンセンス。変わる得る主体に対する考察がないのが私には物足りなさ過ぎる。」という感想がありますが、私も(デカルトで語ることがナンセンスとは思わなかったけれど)、なんとなく「主体」の扱いが慎重さに欠けているような印象はもちました。

 しかし、西條剛央『構造構成主義とは何か』を読んでいると、構造主義科学論でデカルトが出てきた意味をもう一度よく考えなくちゃ…という気持ちになってきます。

 ちなみに西條剛央さんは「ポストモダンの時代に,今さらデカルトを再考する必要があるのかといぶかしく思う読者もたくさんおられると思われるので」というふうに話を始めておられます。こういうちょっとした親切心があると、本の印象がよくなって、素直に先を読もうじゃないかという気持ちになってくる単純な読者なのでしたσ(^^。

 さて、デカルトの「私」の再考です。
続きを読む >>
構造構成主義 | permalink

比喩としてのかけ算の式

 西條剛央『構造構成主義とは何か』の中で、言葉のかけ算の式が1つ出てきます。(p55)↓

 「自分が素朴に感じている価値」
     =「当該領域におけるその研究の意義」×「関心」



続きを読む >>
構造構成主義 | permalink

頭の片隅においている「“かけ算の順序”論争」

 西條剛央『構造構成主義とは何か』を読んでいます。「信念対立の解消」という言葉を見て以来、ずっと頭の片隅にあるのが、例の「“かけ算の順序”論争」。折りしも、小学校2年生の娘の学校でも、かけ算の授業が始まりました。
続きを読む >>
構造構成主義 | permalink

「あたりまえ」のことを思い出す装置

 西條剛央さんはこう語っておられます。

「人間というのは当たり前のことを、当たり前だからこそ、当たり前のように忘れてしまう性質をもっている(少なくとも私はそうである)。したがって、当たり前のことを忘れないようにするにはそれを思い出すための概念(認識装置)が必要なのである。」
続きを読む >>
構造構成主義 | permalink

「そんなのあたりまえ」と指摘することは簡単

 西條剛央『構造構成主義とは何か』を読んでいます。

 前書きで「つきあっていられないな…」と思ったものの()、つい読み始めたら面白くなってきて、しかし読み進むにつれ「これってやっぱり、ごくあたりまえのフツーことなんじゃないかな? こんなにフツーのことをわざわざ体系化して理論にしなくちゃいけないほど、学者の世界って閉塞しているの?」という気持ちがわいてくるのです。しかし、この「あたりまえじゃないの?」といった感覚も、あとでちゃんと回収されていくのが気持ちいいです。
続きを読む >>
構造構成主義 | permalink

「数学化されうるもの」と「数学化されえないもの」

 フッサールによれば二元論の起源は,自然科学の祖であるガリレイまで遡る。
(西條剛央『構造構成主義とは何か』(p33)
続きを読む >>
構造構成主義 | permalink

現象学は私に何をしてくれるか

 フッサールの根本動機は,客観主義と懐疑主義(相対主義)という両極の間で揺さぶられる「生」の問題を哲学的に解明しなければならないというものであった。 (西條剛央『構造構成主義とは何か』p26より) //
続きを読む >>
構造構成主義 | permalink
  

| 1/2PAGES | >>
サイト内検索