TETRA'S MATH

数学と数学教育

森ダイアグラムの考察から派生した、いつか考えたいことのメモ/ディメンジョン、比例の循環論法、カリキュラム

 森ダイアグラムについて、そのおおよその意味と、枝分かれするまんなかの部分の「微積分」「線型代数」のイメージについてちょっと見ていきました。このあとは「ベクトル解析」ですが、さすがにいまは“なんとなく”のイメージをつかむことも難しいので、いずれまた機会がきたら考えたいと思っています。でも、微積分という「局所化」と、線型代数という「多次元化」についてはなんとなくわかってきたので、それを統合して多次元量の微分積分を考えるんだな、ということは想像することができます。

 それで、この先、まだまだ考えたいことはあるのですが、ひとまずここで一段落させることにして、いつか考えたいことのメモだけ書いておきます。



 まず、ディメンジョンについて。きのうの線型代数のイメージ(その2)で「乗法の総括」を示しましたが、森毅は(1/1行列)×(1/1行列)=(1/1行列)まで語ったあと、
  どちらも,ディメンジョンになっているところが,うまくいっとるではないか.
とコメントしているのです(『線型代数―生態と意味』p.25)。この一文の意味がわからないのです。「どちらも」が何をさしているのかということと、「ディメンジョン」という言葉の意味が。

 そういえば、遠山啓が「度」と「率」を区別し、「度」のほうを先に学ばせたほうがよいと考えた理由(のひとつ?)は、率にはディメンジョンがないから、というものでした(>濃度は純粋な「数」)。思えばあのとき、ディメンジョンについてちゃんと考えなかったというか、「まあ、なんとなくこういうことだろう」くらいのことで終わらせてしまっていました。

 でも、前回出てきた「b円×a=c円」のaって、たぶん「倍」のことだと思うし、どっちにしろスカラーで、結局「1/1行列」で表されて、「ディメンジョンになっている」と言われると、うーん・・・と考えこんでしまうのでした。



 それから、銀林浩『量の世界・構造主義的分析』のこと。むかしよりは内包量を二重構造で考える意味正比例関数を介さず、直接的に構成される内包量がわかるようになったかな?と思って読み返してみたのですが、今回はそこについてよりも、緑表紙(第4期国定教科書>)の比例の扱い方への批判に目が向かいました。

 緑表紙では、円周率の公式と速さの公式で比例を導入しているようなのです(『量の世界・構造主義的分析』p.152〜153)。銀林先生は、この進め方は「論点先取の誤り」をおかしていると指摘しています(>円周率と比例の関係)。思うに、円周の長さが直径に比例することが先なのか、円周率が先なのかと考えてみた場合、やはりこの場合は比例関係が先かなぁ、と思うわけであり。このあたりについても、いずれゆっくり考えたいです。



 そして今回もっとも気になったのは、瀬山先生の本や森先生の本を読んでいると、「ほら、数学って算数とつながっているよ」あるいは、「算数って、その先の数学にずっとつながっているよ」ということはわかるのだけれど、「つなげられたのか」「だれがつなげたのか」「つなげようとしているのか」ということは、これらの本ではわからないということです。

 森毅『線型代数―生態と意味』は大学のカリキュラムの形成の話から始まっていて、18世紀や19世紀の数学、その歴史の文脈にも触れられていて面白いのですが、現代の小学校の算数がどういう経緯でつくられてきたかを知ることはできません。何しろあれから30年以上たっているのであり。もうちょっと、カリキュラムの変遷や教科書の変遷について知っておかないと、自分の考えたいことは考えられないのかもしれないな、と思うことでありました。

 実は、先日メールをいただいた方からは、アメリカの指導要領の話も少しうかがうことができたのですが、そのちょっと前に、別の方とイギリスのナショナル・カリキュラムの話をしていたところでした。

 なお、ナショナル・カリキュラムについては、『時代は動く!どうする算数・数学教育』汐見稔幸/井上正允/小寺隆幸【編】(国土社/1999年)において、波多野誼余夫がインタビューで次のように語っています。
 しかし,指導要領を小・中学校もすべて廃止することはいまの段階ではできないと思いますね。いま,アメリカでもナショナル・カリキュラムというのをつくろうという動きが出てきているくらいで,やはり,なんらか意味で「こういう内容はカバーしたほうがいい」ということは必要なんですよね。小学校では比較的はっきりしていて,高校になったらいらなくなるという性質のものではないかな。文部省がすぐそうするとは思えないけれど,少なくとも縛りを緩やかにしていくということが,文部省が望んでいるような多様な実践を実現するための前提条件だと思います。そういうことを実現していくことがまず必要だと思います。
  (p.143)

 
 また、上記引用部分の少し前で、井上正允先生が
 文部省非検定教科書というのをつくったらいいいと思うんですよね。文部省の指導要領によらないけれど,「数学ってこんな世界もあるよ。こういう学び方もできるよ」というのを民間が示していかなければいけない。
とおっしゃっていて、それをうけて波多野氏は、
 いまだと,文部省が「これもなかなかいいですよ」などと言うかもしれません。たしかに,いま一時的には教員のほうが「保守的」で文部省のほうが「革新的」で,という逆転現象が起こっていると思います。けれど,それは,過去の文部省の政策のツケなんですから。そこはよくよく反省してもらって,このつぎまた文部省主導でなにかやろうなどと思わないことがすごく重要です。
とも語っています(p.142)。最後の一文は、「文科省主導、検定教科書主導で、なにかやってもらおうと思わないことが重要」と言い換えることができるのかもしれません。

 実は、「管理する」という発想(あるいは教育についてのナショナリズム的発想)は、もしかすると「管理する(とされる)側」にあるのではなく、「管理される(とされる)側」にあるのかもしれないなぁ・・・というようなことも考えることがあります。このあたりについても、機会があったら、いずれゆっくり考えたいです。
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正比例から始まる「森ダイアグラム」の意味・4/線型代数のイメージ(その2)

 再び「森ダイアグラム」について考えていきます。きょうは線型性について。なお、森毅は線“型”という漢字を使っていて、趣味によっては線“形”とも書くとコメントしていますが、私はブロブでどっちとも使っているみたいです(たぶん、そのときに読んでいるものにあわせているんだと思う)。というわけで個人的にこだわりはないので、いまは森先生にあわせて「線型」を使いたいと思います。

 さて、このブログで初めて「線型性」という言葉を使ったのは、量子力学を学び始める際の単振動と微分方程式・01においてでした。いま思えばすごいところから入ってしまったものです。そして、線形性とはなんなの?において、次のような2つの式を書いています。

   [1] f(x1+x2)=f(x1)+f(x2
   [2] f(ax)=af(x)
 
 あの頃、微分方程式の意味よりも前に、上記[1][2]の式の意味について、ある程度はわかってはいるけれど、なーんか気持ちわるいというか、釈然としないものを感じていたように思います。いまは当時よりは気持ちわるさが減っていますが、あいかわらず比例の話をしていると、「話のいちばんはじめはどこなんだ??」というようなもやもやした気分になります。

 で、森毅『線型代数―生態と意味』では、[2]のほうの式のaが、rで示されており、右からかけられています。

   [1] f(x1+x2)=f(x1)+f(x2
   [2] f(xr)=f(x)r

 r倍を右からかけるとx2とかx3になってヘンだから、通常は2xというふうに左からかけるが、非可換係数まで考えるときは、右と左を区別した方がよいし、行列算と合うのは、右からかける方なので、なるべく右からかけてxrを使うことにする、とのこと。(p.20より)

 そして読み進んでいくと、r倍のrというのは<数>であり、数というのは、いちおう、4則のできる対象と考えておいてよい、と話は続きます。このような対象Kを数体といい、有理数体Qか、実数体Rか、複素数体Cと考えておいてよい、非可換な4元数体とか有限体とかを考える場合もあるが、さしあたりは、普通の数として、QRCである、と。

 ほんでもって、「K自身も(1次元の)線型空間である.これをスカラーというのだが,スカラーとは1次元ベクトルなのだ.」と説明したうえで、

 ここで,

    x×2=x+x,  x×3=x+x+x, ・・・・・・

などだから,r倍というのは,和から発展したものだとも考えられる.そこで,より根源的なのは

    f(x1+x2)=f(x1)+f(x2

の方だろう.これは《重ね合わせの原理》と言われることもある.

  (p.21)

と書いてあります。「なーんだ、やっぱり結局、かけ算って累加じゃん」というツッコミはともかく、上記の説明はとても納得がいきます。本来、[1]だけでいいんじゃないの?って気がしちゃう。だったら、それをもとに比例の定義をしちゃえばいいんじゃないの?って思う。

 だけど、[1]をいざ言葉にしようとすると大変。「ともなってかわる2つの量x、yについて、xのうちの2つの値の和であるxに対応するyの値が、もとの2つのxに対応するyの値の和になっているとき、yはxに比例するという」ってわけわかりません。しかも、1箇所だけ確かめてもだめなんですよね、たまたまかもしれないから。どこでもそうなっていないと。
 
 それいえば、2倍、3倍、・・・も、どこまで確認したらほんとにそうなっているのか、わからないといえばわからないですよね。そう考えると、y=axという関係で表されることを確認したほうが話がはやいし、気持ちいい。だけど、これは重ね合わせの原理そのものではなく、それを確かめるためのワンクッション入った定義ということになってしまうのでしょうか。

 なお、このあたりのことに関しては、銀林浩『量の世界―構造主義的分析』のp,138〜140に書いてあります。関数が加法保存性をみたすとき、その関数を正比例関数とよぶのだけれど、ある関数がこの条件をみたすかどうかを直接確かめることはあまり容易ではない。そこで、同じ状態を2つ重ね合わせて、入力が2倍になったら出力も2倍になるかどうかという倍化の原理が成り立つかどうかを調べれば、加法保存性が成り立つ公算は大きくなるが、まだ不十分・・・というふうにして。このあと続く話はこちら>ある関数の加法保存性を確かめるプロセス

 で、いま読んでいるのは森毅『線型代数―生態と意味』のうちの、「0.なぜ線型代数か」と「1.多次元量の乗法」のところなのですが、「1.多次元の乗法」は「乗法の総括」という項目でまとめられています。行列の乗法が考えられると、いままでの乗法をすべて行列算の形で考えることができ、それは1次元の場合には、小学校からやってきた量の乗法に対応している、と。

 細かく読んでいくととても行数を使いそうなので、ざっくりまとめることにしますが、その前に書いておかなければならないことは、森毅は行列をかけ算ではなくわり算のような形で示していること。たとえば、たてに数値が3つ、横に2つ並んだ行列は、3行2列の行列なので、3×2行列と呼びたくなるけれど、森毅はこれを3/2という形で表しています。つまり、m行n列行列をm/n行列というふうに(m×nと書く流儀もあるが、この方がよいだろうということで)。どうしてだろう?と思いつつも、まあ、そういう書き方もあるだろうと思って特に気にしていなかったのですが、途中で、「ああ、なるほど、こういうことかな?」と自分で納得しました(これについてはのちほど)。

 では、「乗法の総括」を適度に省略してざっくりと。l(エル)が1とまぎらわしいので、記号も変えてあります。

 たとえば1kgあたりb円の針金akgの値段をc円とすると、b円/kg × akg = c円 という式ができます。これを多次元量で表すとしたら、Ba=cという形になり、

  (m/n行列)×(n次元ベクトル)=(m次元ベクトル)

と表せます。(これをみて、「/」を使った行列の書き方ってそういうことなんだ、と納得したしだい。つまり、上記の式からmとnだけ抜き出したら、文字式そのままになるなぁ、と。→「 m/n × n = m」 ちなみに森毅はそんなことは書いていません。)

 で、(n次元ベクトル)を(n/1行列)と考えれば、上記の式は、

  (m/n行列)×(n/1行列)=(m/1行列)

と考えることもできます。

 次に、kgの単位をはずして、b円 × a = c円 として考えるとどうなるかというと、ベクトルのスカラー倍 ba=c に対応することになり、

  (m次元ベクトル)×(スカラー)=(m次元ベクトル)

と表せます。先と同様に形をかえると、

  (m/1行列)×(1次元ベクトル)=(m/1行列)

となり、さらに、

  (m/1行列)×(1/1行列)=(m/1行列)

と表せるというわけです。

 最後に、円の単位も忘れてハダカの数の乗法、b×a=cを考えると、

 (スカラー)×(スカラー)=(スカラー) ・・・(1)
→(1次元ベクトル)×(スカラー)=(1次元ベクトル) ・・・(2)
→(1/1行列)×(1次元ベクトル)=(1次元ベクトル) 
→(1/1行列)×(1/1行列)=(1/1行列)

になるというわけです。なんでこんなふうに変形していくかが最初よくわからなかったのですが、考えてみれば、上記の(1)の「スカラー」をそのまま全部「1次元ベクトル」にしてしまうと、(2)は「(1次元ベクトル)×(1次元ベクトル)=(1次元ベクトル)」となってしまい、こういうベクトルの式は成り立たないですよね。以下同様に、それぞれ、ベクトルなり行列なりの“成り立つ式”に変形しながら、最後に行列だけの式にもっていっているのだろうと私は理解しています。

 そしてこのあと、乗法にはこのほかに長方形の面積やモーメントなどのように複比例に関係するタイプの乗法もあるが、それについては別の問題としたうえで、

・・・さしあたり,正比例とのかかわりでは,行列算の枠組みで乗法が統一的に眺められることになる.
 逆に言えば,1次元量の乗法では,ハダカの数では区別されなかったものが,はっきりした次元の差として出てくるのが,行列の乗法ともいえる.つまり,ここでやったことは,小学校の量の乗法を,ベクトルや行列でやり直しただけのことだ.そして,そのことを通じて,顕在化されてきたのが,正比例における《線型性》でもある.そして,これこそ,今後の主題となる.

   (p.25〜26)

と書いてあります。

 以上のことは、拡張された「帰一法」で書いた内容につながる話ですね。

(つづく)

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このたび瀬山士郎『算数の目・数学のすがた』(日本評論社/1993)がきっかけで考えたこと

 森ダイアグラムについて考えているところですが、ここでちょっと、瀬山士郎『算数の目・数学のすがた』(日本評論社/1993)がきっかけでこのたび考えたことを書いておくことにしました。

 詳しくは把握していないのですが、確か瀬山先生も、「かけ算の順序」問題でやり玉にあげられているのをどこかで見かけた記憶があります。あらためて検索したら、次のページにたどりつきました。「ある数学教育論争」に、「かけ算の順序」問題についての記述があるようですね。
http://homepage2.nifty.com/seyama/zatu.html

 上記リンク先に「多次元量の正比例」という言葉がありますが、おそらくこれは、前回書いた線型代数のイメージ(その1)につながる話なのだろうと私は理解しています。
 
 実際、瀬山士郎『算数の目・数学のすがた』(日本評論社/1993)にも同様のことが書いてあります。さらに、多次元量の場合の「単位あたり量」と「倍」の違いについても触れてあります(p.108)。

 1次元だったら、きのうの例でいえば、クッキーx枚に使う小麦粉の重さも、実際に作ろうとしているクッキーの枚数の6倍の枚数(なんかヘンな言い方?)も、どちらも6xと表され、見た目は同じになりますが、多次元量の「単位あたり量」は、製品ごと、材料ごとに考えたそれぞれの「単位あたり量」の組み合わせ、つまり行列になるのに対し、「倍」の場合は、いわゆるスカラー倍としてその操作は最初から内臓されているという話です。↓

       
したがって,ベクトルをk倍するという形での正比例は,内包量の導入によって初めてきちんと定義される正比例とは質を異にしていたのです.これが1次元量の正比例関係では,どちらも実数の積として表現されていました.ところが,多次元の量になって,この2つの正比例関係ははっきり区別されるべきものとして,その本当の姿を見せてくれるのです。
   (p.108〜109)

 という問題をいったんおいといて、この本のオープニングに目をうつすと、「内包量」の説明から始まり、メインの題材として食塩水の濃度がとりあげられています。瀬山先生は、均質・不均質の話をわかりやすくするため、そして微分積分の話をわかりやすく伝えるために食塩水を題材にされたのだと思いますが、食塩水の濃度は、遠山啓が分類するところの「率」です。すなわち、同種の2量の比であり、異種の2量の比であるところの「度」ではありません。均等分布が考えられるので「度的な率()」ではありますが。

 ついでにいえば、「混み具合」も、人口密度のように人数と面積を使っておらず、乗客数と定員数の関係、つまり乗車“率”にしています。

 以上の2点(スカラー倍と、微分積分の話を「率」で説明すること)について、私は、うーん・・・と考えこんでしまっています。かけ算の式を、「外延量」「内包量」の視点で考えてみるで書いたように、遠山啓は同じ時期に、「度」と「率」のみならず、「倍」と「比」も内包量に入れた量の系統図と、「倍」と「比」は内包量からのぞいた系統図の両方を書いているのですが、「量の理論」にとって、この違いというのは実はけっこう大きいのではないだろうかという気がしてきました。もっといえば、「率」は果たして量なのか数なのか、という疑問も再びふくらんできます。

 遠山啓は濃度のことを純粋数といってみたり()、三角比も「斜辺 : 対辺」では不十分で、斜辺/対辺=sinAという率にまで高めておくほうがよい、そのためにはsinAを比の値としてより、斜辺が1の直角三角形の対辺の長さそのものにしておいたほうがわかりやすい、というようなことを言ったりしているのですが(前者は著作集『量とはなにか―供p.18、後者はp.22〜23)、「率」ってなんなの?ということがよくわかなくなってきました。あるいは、「率」と「倍」の関係はどうなるのか、と。

 瀬山先生が食塩水の濃度を使って微分積分の説明をされたのは、不均質な状態も均質な状態もとれる内包量だからでしょうが、たぶん例としては、「速度」がいちばん無難なのでしょう。でも、速度の場合、食塩水の濃度のように不均質な状態でとまっていてはくれないし(変量の片方が「時間」なので難しい)、逆に“ふつう”すぎる面もあり、濃度を選ばれたのかもしれません。

 で、私は、どうしていままでこのことに気づかなかったのだろう・・・と、ある発見をしました。以前、学習指導要領では「単位量あたりの大きさ」にしか「割合」という言葉を使っていなくてびっくりしたことを割合の三用法と、「倍」のかけ算との関係で書きましたが、ということは、「同種の二量の割合」という言葉は学習指導要領には含まれていないのですよね。教科書では大抵、百分率の学習に「割合」という単元名をつけていると思うのですが、このあいだプチ比較をしたときにそこまで慎重に確かめなかった。あ、でも、やっぱり「割合」という言葉の説明をしているぞ・・・>割合の三用法と、「倍」のかけ算との関係

 ほんでもって、私はこれまでずっと、教科書でいうところの「割合」は、「倍」の延長になると思っていたのです。「倍」も、同じ種類の2量の関係だから。ということは、私の認識としては、「度」「率」と「倍」「比」の間に大きな境目があるのではなく、「度」と「率」「倍」「比」の間に大きな境目があるということになることを、いまごろ自覚しました。でも、瀬山先生の本を読むと、1次元の場合は、「率」は微分積分を説明するための内包量の代表になれるくらいのものなのであり、頭がこんがらがってきています。これは、局所化された正比例関係と、多次元化された正比例関係の違いなのでしょうか?

 考えてみれば、スカラーというのは別に「数」ということではなく(森毅は『線型代数』でスカラーを(数〉と言っていますが)、「量」ですよね。量の組であって量そのものとは違うベクトルと区別するために、1次元のものをスカラーとよんでいるのかと思っていたのですが、違うんでしょうか。でも、スカラー倍のkは、「倍」なのだから、量ではなく、「関係としての“数”」なのだろうか。それとも、スカラー“倍”といったときに、「倍」になれるの? なんだかスカラー倍という言葉の意味もよくわからなくなってきました。「倍」ってなんなんだ〜〜 「率」ってなんなんだ〜

 そういえばかけ算、関数、モノとハタラキ (1)において、「倍」や「割合」を比例定数とする関数をブラックボックスを“シェーマ”として表現した図を示しましたが、そもそも、遠山啓が比例のシェーマとして提案した水槽は、xが2倍、3倍、・・・になると、それにともなってyも2倍、3倍、・・・になるということのイメージを伝えやすくするためのものであり、なおかつ、このときのxとyの関係を表すy=axのa、すなわち比例定数は、(実際に数値はわからなくても)xとyの体積比をあらわす値、つまり「倍」になるはずですよね。

 比例には、「xが2倍、3倍になると・・・」というふうにして必ず「倍」が出てきていて、出てくるもなにもそれは定義を成り立たせるおおもとの概念だったはずであり、だとすると、比例定数も「倍」であたえられる関数において、その2つの「倍」は同質のものなんでしょうか、異質のものなんでしょうか。4マス関係表にしたときに、上下も左右も同質の「倍」となる関数ってあるんでしょうか?

 という疑問はひとまずおいといて(おいてばっかりだな^^;)瀬山先生の本にもどると、この本には「食塩の量=食塩水の濃度×食塩水の量」という形の式もビシバシ出てきます。まず、「食塩水の濃度=食塩の量/食塩水の量」を「食塩の量=食塩水の量×濃度」という“ふつう”の式に変形したあと、かける数とかけられる数を入れ替えて示されています(p.9)。

 「食塩の量=濃度×食塩水の量」という式は、「くらべる量=割合×もとにする量」の形をしており、割合の第二用法の一般的な形において、かける数とかけられる数を逆にしたものになっています。「外延量=内包量×外延量」という形にするためには、そういうことになるのだろうと思います。だから、割合の場合も、「くらべる量=もとにする量×割合」でも、「くらべる量=割合×もとにする量」でも、どちらでもいいのだ、ということになろうかと思います。

 そういえば、前にも書きましたが、「1あたり量」という言葉を使ったかけ算の順序固定批判をよく見かけるのに対し、割合についての実例をあげての批判は、あまり見かけないですよね。あるところにはあるのかな? 4%の食塩水600gに含まれる食塩の重さを求める式を、0.04×600と書く子どもって、あんまりいないのでしょうか。それとも先生がバツをつけない? あるいは、親が気にしない?(そのまえにテストを見ない、見せない?^^;) 小2と小5の違いなのか、それともかけ算側の違いなのか。

 などなど、疑問はつきないのでございました。

〔その後の展開〕>「比的率」は外延量という考え方(2)/問題意識
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正比例から始まる「森ダイアグラム」の意味・3/線型代数のイメージ(その1)

 次は線型代数です。

 森毅はまず、「バターケーキとカップケーキを作るのに必要な材料の重さ」という題材を使って、とてもわかりやすいイメージを示してくれています。わかりやすいのはいいんですが、バターケーキとカップケーキをお題にして、それぞれの頭の文字を添え字にするもんだから、その後、バカベクトルやバカ空間が出てくるんです、これ、森先生のシャレでしょうか?(^^; そこはまあよしとしても、製品のバターケーキの添え字の「バ」と、材料のバターの添え字の「バ」が(xとyで区別したとしても)ちょと紛らわしいので、私は別の例で考えていくことにしました(←でも、結局、添え字を使わなかったので、意味はなかった)。クッキーとマドレーヌ。どちらも検索してみつけたクックパッドのレシピをお借りしまーす。
http://cookpad.com/recipe/391215/
http://cookpad.com/recipe/1161564

 クッキーは、30枚前後作るのに、小麦粉175g、卵黄1個、バター120g、砂糖60gを使うようです。卵は省略させてもらって、小麦粉と砂糖とバターだけを考えることにして、1枚あたり、小麦粉6g、砂糖2g、バター4gということにします。

 一方、マドレーヌのほうは、9cmマドレーヌ型8個分で、薄力粉100g、砂糖90g、バター100gを使うようです。薄力粉は小麦粉とよばせていただくことにして(森毅はメリケン粉とよんでます)、1個作るのに、小麦粉13g、砂糖11g、バター12gを使うということにします。小麦粉とバターの比率をちょっとかえさせていただきました。

 お菓子って、グラムの世界というか、計量がとても大切だという話をきいたことがあるので、こんな適当な概数にしちゃっていいのかとても不安ですが、ひとまずここではそういうことにさせてください。m(__;)m 

 そうすると、クッキーを20枚とマドレーヌを5個つくるのに必要な材料の重さは、

  〔小麦粉〕  6g×20枚+13g×5個=185g
  
  〔砂糖〕   2g×20枚+11g×5個=95g
  
  〔バター〕  4g×20枚+12g×5個=140g

ということになります。この計算は、次のように行列の計算として示すことができます。



 こんなふうにして、作りたいクッキーの枚数とマドレーヌの個数が決まれば、必要な小麦粉、砂糖、バターの重さを求めることができるわけですが、そんなことができるのも、クッキー1枚を作るのに必要な材料の重さと、マドレーヌ1個を作るのに必要な材料の重さがわかっていればこそ。

 すなわち、クッキーの枚数とマドレーヌの個数を入力x1、x2とし、必要な材料である小麦粉、砂糖、バターの合計の重さを出力y1、y2、y3とすれば、xたちとyたちの関係は、次のように表せることがわかります。↓
       
     
 左側の式において、それぞれのかっこをひとまとめとしてながめると、これも Y=AX の形に見えてきます。ただし、YやAやXを構成する数値は1つずつではないので、微積分が正比例関数の「局所化」であるのにたいし、こちらは「多次元化」ということになるのでしょう。

 この場合、YとXは多次元の変数をひとまとめにしたもの、つまりベクトルであり(>)、Aは「多次元の比例定数表をひとまとめにしたもの」としての行列だと言うことができそうです。

(つづく)
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正比例から始まる「森ダイアグラム」の意味・2/微積分のイメージ

 「森ダイアグラム」について考えています。「森ダイアグラム」とは、1970年代(もしかすると1960年代かも)頃に森毅が提示した下のような図式です。小学校から大学までの数学教育の理念的カリキュラムを考えるための1つの視座として出されたものです。↓



 言葉でいえば、正比例が微積分と線型代数にわかれて、それがまた多変数微積分として1つにまとまっていく様子を矢印で示したものといえます。まんなかのふたつは本来どちらが上でどちらが下でもいいのでしょう。

 上記のダイアグラムに簡単な説明をつけた図を、もう一度示します。



 「正比例」「微積分」「線型代数」「多変数微積分(ベクトル解析)」という4つの項目にそれぞれ簡単な説明を加えて色分けした四角で囲んでありますが、どの四角のなかにも「関数」という文字が含まれています。つまりこのダイアグラムは、基本的に関数の視点でつくられたものです。

 正比例は小学校の高学年で出てきます。遠山啓の言葉をかりれば、すごろくのアガリのようなもの。そして中学校で負の数や文字式を学んだあと、再び正比例を学びます。再びというかちゃんとというか。正比例は小学校のアガリであり、中学校のスタートなのでしょう。そして一次関数へと進み、y=ax^2の形の関数まで学習します。むかしは「xの2乗に比例する関数」と称していた記憶があるのですが、いま指導要領を確認したら、このことばはありませんでした。そして高校で一般的な二次関数をはじめ、さまざまな関数について学び、微積分について学ぶことになるかと思います。

 文字式は、小学校でほんの少し出てくる場合があるかもしれませんが、本格的に学び始めるのは中学校で、一次方程式、二次方程式を学習します。そのあいだで連立方程式もやるので、ここで線型代数の一歩を踏み出しているといってもいいでしょうか。そして、高校で行列やベクトルを学ぶのでしょう。

 多変数微積分(ベクトル解析)は完全に大学の話になるかと思います。すべての子どもが正比例を学ぶのにひきかえ、こちらはほんの一部の人が関わるものですね。なお、だから「系統学習はよろしくない」「俯瞰する算数・数学教育が嫌いだ」ということではないのです、念のため。

 森毅は『線型代数―生態と意味』(1980年)のなかで、大学の教養課程では最近ではだいたい微積分と線型代数というのが相場になっているけれど、微積分にくらべて線型代数のほうは高校での蓄積が少ないので、学生のトッツキは悪い、というようなことを書いています。

 さて、正比例についてはこのブログでたくさん書いてきたので、まず微積分について。私は上記説明のなかにある dy=(df/dx)dx という式表現の意味が最初よくわからなかったのです。df/dxはおそらく「関数fをxで微分したものですよ」ということで、これは微分係数、すなわち接線の傾きを示すものだろうと思いましたが、dy=・・・の形の意味がわからない。

 でも、次のページにあるグラフを見て、ああ、そういうことなのかと納得しました。

   

 つまり、曲線上の1点を原点とする座標軸をあらたに考えて、dx軸、dy軸を設定すると、接線はこの座標平面の原点を通るので、dyをY、dxをX、df/dxをAと考えれば、この接線の式はY=AXと表せて、正比例関数があらわれてきます。森毅の式表現に対するこの理解が正しいかどうかはわかりませんが、式の意味はともかく、曲線であらわされるような関数でも、局所的にみればそこに正比例関数があるよ、という意味での局所化なのだろうと思います。あるいは、刻々と変化する正比例関数をつなげていく・積み重ねていくことで、曲線であらわされるような関数をつくることができるよ、と。ただし、ここに出てくる変量はxとyだけで、入力xは1つにしぼったままです。 この微積分のイメージは、直線群が描く曲線・01であたえられるでしょうか。

(ついでにこれをリンク>『記憶と生』04−全体と生命

(つづく)
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正比例から始まる「森ダイアグラム」の意味・1

 森ダイアグラムについては、「量圏」のその先と、森ダイヤグラムで一度書きました。

 で、またまた前置きが長くなりますが。

 今回、森ダイアグラムについて考えようと思い立ったあと、まず手元にある文献をのぞいてみようと私が手にしたのは、瀬山士郎『算数の目・数学のすがた』(日本評論社/1993)でした。瀬山士郎先生も数教協の関係者です。

 ほんでもって、私以外だれも気にしていないと思うし覚えてもいないと思うのですが(^^;、ものすごーく昔、私はこの本に対して、批判的なことを書いたことがあります。といっても当時ブログはもちろん、ホームページも作っていなかったので、Niftyパソコン通信のフォーラムでの発言で(たぶん)。とりあげたといっても書名をあげたくらいのことでしたが。

 瀬山先生は、算数と数学はひとつのものだというところから話を始め、「帰りの目」で小・中学校の数学をふりかえってみると、新しい数学の風景がみえてくるよ、という構えでこの本を書かれています(なので、想定読者は高校生以上なのでしょうね)。

 いま思えば批判のしかたがちょっとずれていたというか、「それをこの本に対して言われても困る」という面はあったかもしれませんが、上記のような構えのわかりやすさゆえ、「俯瞰する算数・数学教育」が嫌いな私にとっては、俎上に載せやすい本だったのです。

 あれから何度も何度も本を処分する機会があったのに、こうして手元に残っているということは、やはり残しておくべき1冊だと感じていたのでしょう。

 この本と、銀林浩『量の世界・構造主義的分析』(むぎ書房/1975)があれば、ある程度のところまでいけそうな気がしたのですが、ここはひとつ森先生自身の本も1冊手にしようじゃないかということで、『線型代数―生態と意味』を購入することになったしだい。森ダイアグラムが入っていることをAmazonのレビューに書いてくださったchaosさん、ほんとにありがとう。

 『線型代数―生態と意味』という書名は以前どこかで見かけていて、「へぇ、“生態”を線型代数でとらえるんだ、おもしろそう」なんて思った記憶があるのですが、そうではなくて、線型代数生態なのですね、買ってから知りました。

 銀林先生の本にすでに森ダイアグラムは出てきていますから、1980年発行の『線型代数』にはじめてダイアグラムが登場したということではないのだろうと思いますが(ちょっと新しいなと思ったし)、だとしても森先生が書いているのだから、ここに出てくるダイアグラムをとりあえず原型と考えてよいのでしょう。↓



 これは、“小学校から大学までの数学教育について、展望のためのひとつの視座として”考えられたものです。「この視座から、小学校から大学まで、ひとつの理念的カリキュラムを考えてみる」ということで。

 遠山啓著作集『量とはなにか―供戮料島高敬先生のあとがきでは、右上に向かう矢印が局所化、右下に向かう矢印が多次元化を表すという説明がありますが、とりあえず森毅『線型代数』のオープニングでその説明は見当たりません。

 ほんでもって、森ダイアグラムの意味をおおまかにまとめると、次のようになります。




(つづく)
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