TETRA'S MATH

数学と数学教育

「経験主義の二つのドグマ」、ホーリズムの基本テーゼ、「ふち」

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。

 スピードアップして考えられるものではないことがわかったので、せめて本を返却する前に、第一章、第二章の中からメモしておきたいことをピックアップすることにしました。

 まず、クワインがいうところの「経験主義の二つのドグマ」について。この論文は、「分析命題」をめぐるカルナップとの論争が始まって10年後の1950年に発表されたようです。ここでいうところの「経験主義」は、カルナップを代表とする論理実証主義者たちの考えのことであり、クワインは、カルナップやその他の論理実証主義者たちの考えに、2つの(非−経験的な)ドグマが含まれている、と主張しました。

 第一のドグマは、「分析的な真理、すなわち、事実とは独立に意味に基づく真理と、総合的な真理、すなわち、事実に基づく真理との間に、ある根本的な区分がある、という信念」。

 第二のドグマは、「還元主義、すなわち、有意味な言明はどれも、直接経験を指示する名辞からの、何らかの論理的構成物と等値である、という信念」。

 クワインは、この2つのドグマの間には密接な関連があると考えており、これら2つのドグマには根拠がないことを示そうとしたのが「経験主義の二つのドグマ」、そして、ドグマなき経験主義としてのクワイン自身の考えが、いわゆるホーリズムということになります。

 ホーリズムの基本テーゼとは、こんなようなものです。→「外的世界についてのわれわれの言明は、個々独立にではなく、一つの集まりとしてのみ、感覚的経験の審判を受けるのだ。」(これが後にデュエム−クワイン・テーゼと呼ばれることになる。)

 このテーゼが言わんとしていることを最も明瞭に見ることができるのは、(デュエムが主題とした)物理学を典型とするような、高度に理論的な科学であろうということで、ニュートリノ振動仮説についての話が続きます。

 で、メモしておきたいのは、「ふち」の話。

 クワインによれば、「地理や歴史についてのごくありふれた事柄から、原子物理学、さらには純粋数学や論理に属する極めて深遠な法則に到るまで、われわれのいわゆる知識や信念の総体は、ふちに沿ってだけ経験と接する人工の構築物」をなしている。つまり、われわれが信じている一つ一つの命題が、それぞれ一定範囲の経験に対応しているわけではなく、「感覚的経験の審判を受ける」のは、いくつもの命題の組み合わせである。そこで、「ふち」のところに、現在の信念体系から予測されるのとは食い違う経験が生じた場合、「人工の構築物」の内部をどのように改訂するかについては、様々な選択肢がありうる。
 (p106)

 「ふち」と聞いて思い出すのは「境界」であり、そうするとオートポイエーシスのことが思い出されます。
> 0と1にまつわるとりとめのない曖昧な思考
  オート(自己)ポイエーシス(制作)と「境界」

 となると、その流れで今度は、郡司ペギオ−幸夫の「外部との接触面にできる亀裂」のことも思い出します。
郡司ぺギオ-幸夫さんのプレゼン映像を見て思ったこと

 また、堤清二のマージナルのことも頭に浮かびます。

 なお、クワインが批判した「還元主義」は、論理実証主義者たちの「蓄積的進歩」という科学史観と相性がよかったわけですが、この段階では「科学革命」のような事態は考えられていませんでした。という話になるとトマス・クーンの「科学革命論」「パラダイム論」が出てくるわけであり、還元主義からの脱却という意味で、「二つのドグマ」は「新しい科学哲学」の露払いの役目を果たしたとも言えよう、と丹治さんは書かれています。この“露払い”という言葉に、なるほどなぁと思いました。ちなみに、ここのくだりでラカトシュの名前も出てきて、ポパーは少し前のところでちょっとだけ名前が出てきています。(でも、私が考えたいのは、その方向ではないのだな)

 で、さらに話を先に進めると、クワインは「二つのドグマ」を捨て去ることからの第二の帰結として「プラグマティズムへの変換」も挙げているのですが、これは、クワインがアメリカ人だからそういうことになったというわけではなく、クワインが言うには、プラグマティズムという言葉はカルナップからとってきたにすぎない、ということらしいのです。したがって、プラグマティックという言葉は、「有用性」というようなニュアンスで語られているような印象があります。もう一声つけたすならば、クワインが言う「徹底したプラグマティズム」とは、言語の選択と理論の選択との区別を否定し、「プラグマティックな考慮」がすべてに及ぶのだ、と考えることらしいのです。こうなってくると、デューイのプラグマティズムとはだいぶ雰囲気が違ってくるような気がしないでもありません。

 とはいえ、クワインの話は、まだまだ続くのです。いっそ購入しようか、しばらく間をあけようか、考え中でございます。

 もう1つメモ。「ふち」という言葉のもとの英語はなんなんだろう?ということが知りたかったので、まずはウィキペディアのクワインのところで示されている英文をざっと眺めてみたら、epistemologyという言葉が出てきているのを発見。エピステモロジーって、固有名詞的なものだと思っていたのですが、私が思っているより一般名詞的なものなのでしょうか。それとも、同じエピステモロジーをさしているのでしょうか。科学認識論というような訳語があてられるのだと思いますが。なお、とりあえず「Quine edge」で検索をかけたら、ホーリズム関係のページがひっかかてくることはきたので、「ふち」はedgeなのかな?と推測しています。ただし、このedgeが上記の「ふち」と同じものを指しているかどうかまでは読み取れていません。

 とにもかくにも、クワインは面白いらしいということがわかりました。3分の1だけだったけど、この本、読み始めてよかった。

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「ア・プリオリ/ア・ポステリオリ」と「分析的/総合的」

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。 

 最初の部分をゆっくり読んでいましたが、本の返却日が近づいてきたので、少しスピードアップして、読めるところまで読んでいきたいと思います。

 1つ前のエントリで、「問題は、どのような構文論を規約(取り決め)として採用するか、ということだけなのだ」というカルナップの考えを示したあと、「なんだかクワインの反逆の気持ちがわかってくる気がします」と書きましたが、それは、カルナップの考え方に対する私自身の違和感があとで解消されるのだろうという期待としての「わかってくる」であり、まだ、クワインがどういう視点でカルナップの主張に異を唱え、ホーリズムにたどりついていったかは把握していない状態での感想です。

 ところが、先を読んでびっくりなのは、第一講義の段階のクワインは、カルナップ以上の意味で、「規約主義者」であったように見えるらしいのです。「ポアンカレがそう呼ばれるような意味で」という注釈つきで。

(スピードアップしようと思ったけれど、結局やっぱり、とばした部分も触れないわけにはいかないということに、書き始めてから気づくのであった。)

 クワインは、カルナップの『構文論』について講義を行ったわけですが、丹治さんが言うには、その第一回目の講義が、カルナップに傾倒していたクワインがホーリズムに至るまでの大事な中継地点になっているように思われる、とのこと。

 というのも、この講義は「カルナップについて」の講義でありながら、カルナップの思考法とはかなり異質な、独自の発想を展開しているらしいのです。クワインの意図としては、カルナップの考えを別のやり方でさらに発展させるための独自の試みだったのだろうけれど、その試みのなかに(ホーリズムという考えを提示したことで有名な論文)「経験主義の二つのドグマ」へと連なるアイディアが胚胎されているように思われる、と丹治さん。

 ということを具体的に考えるためには、ア・プリオリ/ア・ポステリオリ、分析的/総合的について確認しておかなければなりません。

 「ア・プリオリなもの」というのは経験に基づかずに知られるもの、「ア・ポステリオリなもの」とは経験に基づいて知られるもののことであり、 「分析的」な真理とは、その命題に現れることばの意味だけによって、その命題が真であることが決まってしまうような命題のこと、「総合的」な命題は、ことばの意味だけによっては真であるか偽であるかが決まらないような命題のことです。このあたりはカントに由来する用語であり、実際、この本でもカントが出てきます。ちなみに、のちのちクワインは、「分析的/総合的」という区別そのものに反対することになります。

 クワインは第一回目の講義において、「ア・プリオリな命題はすべて分析的であるか」という問いを立てましたが、これはもともとカントが立てた問いであり、そしてカントはこの問いに否定的な答えを与えました。つまり、「ア・プリオリであるのに分析的ではない命題、ア・プリオリな総合命題が存在する」と。ア・プリオリな真理のうち、論理的な真理は分析的であるが、しかし、例えば数学的な真理は、総合的なのだ、と。


 ・・・やっぱり、スピードアップして考えられるところではないですねぇ・・・


 1つ確認しておきたいところは、カントは18(〜19)世紀の人だということ。つまり、カントが亡くなってから100年以上たって、『プリンキピア・マセマティカ』が出版されたことになります。カントの時代と、20世紀とでは、「論理学」のパワーに雲泥の差がある。

 現代論理学をもってすれば、数学のすべてを論理学に還元しようとする企てが、かなりの現実性を帯びてくる。もし、その企てが成功すれば、そしてもし、論理的な真理は分析的な真理であるとすれば、数学的な真理はすべて分析的真理である、ということになり、ア・プリオリな総合命題をめぐる厄介な問題は、解消されることになる・・・というわけです。

 そうそう、最近、“解消”という言葉がよく出てくるし、よく使います。この言葉をきくと、デューイの二元論批判/河村望による訳者あとがきのことを思い出すのでした。
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カルナップの『構文論』(4)/言語の選択にモラルはない

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。 

 1つ前のエントリで、実質話法と形式話法について見ていきました。ざっと復習すると、言語外にある“何か”に関する絶対的真理を主張しているように見える実質話法は、それと等値な形式話法に翻訳することによって、実は問題は構文論に関わることだということがわかる、というのがカルナップの考えでした。

 この考えをすすめていくと、「言語の選択は、任意の規約(取り決め)の問題である」という主張につながっていくことは容易に推測できます。つまり、問題は、どのような構文論を規約(取り決め)として採用するかであり、どのような構文論が<正しい>のか、という問題は存在しないのだ、というところにつながっていくのも頷けます。
 
 いかなる言語を選択するかは、任意の規約(取り決め)の問題であるというのは、カルナップの一生を通じての考えだったそうです。つまり、どのような言語でも、もしそれが便利であるならば(あるいは、便利でなくてもそうしたければ)、それを採用すればよい、「言語は(構文論は)かくあらねばならぬ」という「モラル」は存在しない、と。どんな言語でも許容しようというこの態度を、カルナップは「寛容の原理(Principle of Tolerance)」と呼んだのだそうです。

 ときいて私が思い出したのは、公理系のことでした。>無矛盾ならばなんでもよいのか

 やっぱり私は実在論者なのかなぁ、なんてことも思うわけなのですが、その実在論をめぐる議論さえ、カルナップの考え方でいくと“解消”されてしまうらしいのです。

 この観点からすれば、例えば物体的対象の存在をめぐって、「物体は認識者と独立に存在する」と主張する「実在論者」と、「物体とはセンス・データからの構成物にすぎない」と主張する「現象主義者」との対立は、「物−語」を原初記号とするような言語を採用するか、それとも、「物−語」は「センス・データ−語」を使った定義によって導入されるような言語を採用するか、という、言語の任意の選択の問題にすぎない、ということになる。

 (p44〜45)

 数について異なる主張をしていた前回の2人の哲学者A、Bも、それぞれ異なる構文論を採用すればよい、ということになります。コミュニケーションのためには共通の言語が必要だが、その場合でも、問題は、どのような構文論を規約(取り決め)として採用するか、ということだけなのだ、と。

 なんだかクワインの反逆の気持ちがわかってくる気がします(内容はまだ把握していないけれど)。

 とにもかくにも、カルナップの『構文論』は、「検証可能性」によって「有意味性」を判定するというのとは全く別の観点から、なぜ哲学の問題は言語の問題であると考えなければならないのか、について明快に説得力をもって指し示すものであったようです。

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カルナップの『構文論』(3)/「実質話法」と「形式話法」

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。 

 前回は「準―構文論的」な文についてみていきましたが、カルナップはこのようなあたかも対象そのものについて語る語り方を「実質話法(material mode of speech)」と呼び、それに対応する構文論的な文を使った、明白に記号について語る語り方を「形式話法(formal mode of speech」と呼んだそうです。そして、哲学者達が「形式話法」ではなく「実質話法」で哲学的研究を行おうとするとき、様々な混乱や、場合によっては矛盾を生じる危険があることを指摘したそうです。

 例としてはまず、「不可能性」があげられています。たとえば、

 太郎は二冊の本をもっており、花子は三冊の本をもっているが、しかし二人のもっている本を合わせると七冊になる、というのは不可能なことだ

という文は、太郎や花子や本について(と書いてありますが、私は「本の数について」の言明だと思いました)、その可能なあり方や不可能なあり方などを語っているように見えるけれども、これを、

 太郎は二冊の本をもっており、花子は三冊の本をもっているが、しかし二人のもっている本を合わせると七冊になる

という文(記号)について、

 その文は矛盾している

と語る構文論的な文と等値なのだ、とカルナップは考えたらしいのです。

 また、2人の哲学者A、B(←私が勝手に設定)がいて、

A: 数とは、物からなるクラス(集合)からなるクラスである
  (例えば、二という数は、二つの要素をもつあらゆる集合を集めた集合である)

B: 数とは、ある特殊な、原初的な(別の対象から構成されるのではない)対象である 

と言うとき、これらは「実質話法」であり、<数>という対象がいかなる本性をもっているのかという点についてこの2人の哲学者は対立していて、少なくとも一方は(場合によると両方が)、数という対象について誤った主張をしているように思えるけれども、これらの主張は

A´: 数―語は、二階のクラス―表現である
B´: 数―語は、○階の表現である

という形式話法に翻訳することができ(等値であり)、数―語に関する構文論的な規則について語っているのだ、ということらしいのです。

 私は、A→A´はいいとしても、B→B´については疑問符とびまくりでした。しかし、いずれにせよ「構文論的な規則について語っている」ということについては、ひとまず納得することにします。つまり、われわれが数について語るとき、「数」の存在をあたりまえのこととして、言語外にあるその対象そのものについて語っているつもりでいるけれど、実は、「われわれはどのようなものに数という語を与えているのか」ということについて語っているにすぎない、というような、そんな感じなのだろうととりあえず理解しました。

 カルナップは、準―構文論的な述語による実質話法は決して使っていはいけないと主張したかったわけではなく、これらの話法は、構文論的な述語を使った形式話法の、いわば省略形なのだ、ということを念頭に置いておかないと、無用な混乱が生ずるのだ、ということが言いたかったようです。

(つづく)
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カルナップの『構文論』(2)/準―構文論的な述語

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。 

 「準―構文論的」な述語を見ていく前に、ここで考えたい述語の区分を確認しておきます。(p38)

=======================

〔記号―述語〕

  ・構文論的な述語
      「漢字三文字からなる」
      「数―語である」
      「物―語である」

  ・構文論的でない記号―述語
      「日本一高い山の名前である」


〔記号―述語でない述語〕

  ・準―構文論的な述語
      「数である」
      「物体である」

  ・それ以外の述語(普通の述語)
      「日本一高い山である」
      「赤い」
      「丸い」

======================

 さて、「準―構文論的な述語」とは何かというと、次のように定義されています。(p38)
ある(記号―述語ではない)述語「F」が「準―構文論的な述語」であるとは、述語「F」に次のような意味で対応するような、ある構文論的な述語「G」が存在する、ということである。その「対応」とは、対象aについて、「aはFである」と言うことと、その対象の名前「a」について、「『a』はGである」と言うこととが、論理的に等値になる(互いに他方の論理的な帰結になる)、という仕方での対応である。
 たとえば、「五は数である」という命題は、「数―語である」という構文論的な述語を使った「『五』は数―語である」という命題と、論理的に等値になる、ということらしいのです。

 ここをまだ正確に理解できていない(納得できていない)のですが、とりあえず、ほぐしてこんなふうに考えてみました。

 まず、「五は数である」という命題は、「五」という記号についての述語ではないので(「五は漢数字である」といったような命題ではないので)、記号―述語ではないということはとりあえず言えそうです。そして、『五』を、ある数に五という語を与えるものとしての述語としてとらえると、「『五』は数―語である」という構文論的な命題ができ、これらが論理的に等値なので、「数である」という述語は、準―構文論的な述語だ、というような感じでしょうか。

 つまり、「五は数である」という文は、五という対象について、それは数という種類の対象なのだ、と言っているように見えるけれども、この文は「『五』は数―語である」と言い直すことができることから、五という(数学的)対象について何かを述べているのではなく、「五」という名前について、その構文論的な特徴を述べているにすぎないのだ、ということらしいのです。

 カルナップが言おうとしていることを正確に理解できているかどうかはわかりませんが、この話が実在論に関わっていくことの予感はします。五という数は、五と名づけられる前に存在するとしておかないと、「五は数である」ということはできないから。五と名づけられる数は、記号を与えられる前に存在している、と。そうすると逆に、そのもの(五と名づけられる以前に存在している、五に対応する数)に「四」という名前をつけてもいいわけで(ちょうど五画だし)、ということは結局、「五は数である」という命題は、「五」という記号について語っているにすぎないということではないか?

 結局、哲学者達が言語外の世界について語る文だと見なしている多くの文は、そんなふうにして、実は「準―構文論的な文」なのだ、とカルナップは主張したらしいのです。

例えば、「五は物ではなく数なのだから・・・・・・」というような言い方がなされる。そして、そのとき哲学者達は通常、「物」とか「数」といった表現についてではなく、そのような表現によって呼ばれる対象そのものについて、語っているつもりでいた。しかしカルナップによれば、彼らは、実は「物」とか「数」という表現について語っていたのである。つまり、「物」とか「数」という表現のもつ、構文論的な特徴だけによって真偽が決まるような、言明をしていたのである。
  (p41)


(つづく)
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カルナップの『構文論』(1)/言葉の「使用」と「言及」

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。 

 というわけで、カルナップの『構文論』をのぞいてみます。まず、言葉の「使用」と「言及」について考えます。なお、本のページとしては前にもどることになります(クワインの博士論文に関わる話のところ)。

 たとえば、「富士山」という名前は、

   富士山は日本一高い山である。

という文においては「使用」されており、

   「富士山」は漢字三文字からなる。

という文においては「言及」されています。この区別は、「富士山」の場合においては、特にややこしいこともなさそうです。しかし、次のような推論の場合は、言葉の使用と言及の混同が誤った結論を導いてしまうというのです。

 2/3 は既約分数(それ以上約分できない分数)である。
 しかるに、2/3と4/6は同じ数である。
 ∴4/6 は既約分数である。

 この場合、「既約分数」というのは、2/3(=4/6)という数の特徴づけのように見えるけれども、実際には「2/3」という表現(名前)を特徴づけている、というわけです。ちなみに私が突っ込みたかったのは、2行目を「しかるに、2/3と4/6は同じ大きさの数である」とすればよかったんじゃなかろうか?ということなのですが、ドイツ語や英語だとどうなるんだろう、あるいは2:3と4:6だったらどうなるんだろう・・・?といろいろ疑問がわいてくることは確かです。いずれにせよ「・・・は既約分数である」というのは、表現についての特徴づけということは納得できます。

 だから、上記推論の1行目は、より正確に表現すると、

   「2/3」は既約分数表現である。

ということになるのでしょう。

 そんなふうに、実は数学では使用と言及との区別はかなりいい加減になっていて、『プリンキピア・マセマティカ』も例外ではない、ということが、クワインの博士論文についての話のなかでちょっと出てくるのです。

 で、カルナップにもどりますれば、

   「富士山」は漢字三文字からなる。

の中の「漢字三文字からなる」は、富士山という山にあてはまる述語ではなく、「富士山」ということば(記号)にあてはまる述語なので、これを「記号―述語」と呼ぶことにして、さらに、様々な「記号―述語」のなかで「構文論的な述語」と呼ばれるものを区別することを考えるらしいのです。

 どういうことかというと、ある記号―述語が「構文論的な述語」であるのは、任意のある記号にその記号―述語があてはまるかどうかが、その記号が指示する対象(「富士山」であれば、富士山そのもの)のあり方に拘わりなく、<文字づら>としての記号そのものの性質や関係だけによって決まる場合らしいのです。たとえば、「漢字三文字からなる」という述語は、構文論的な述語ということになります。

 もともと<記号についての述語>を問題にしているのだから、記号―述語って、みんな構文論的述語なんじゃないか?と思う人が出てくるかもしれないけれど、たとえば「日本一高い山の名前である」という述語を考えると、「名前である」と言っているので、記号―述語ではあるけれど、ある記号にこの述語があてはまるかどうかは、その記号が指示する対象が日本一高い山であるかどうかに左右されるので、こういう述語は構文論的な述語ではない、ということになるようです。ふむふむ。

 で、このような述語についての分類が図にまとめてあるのですが(p39)、記号―述語ではない述語の中に、「準―構文論的」な述語があり、そのような述語が、「形而上学」の温床となり、哲学における様々な混乱のもととなる、とカルナップは考えたらしいのです。

(つづく)
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クワインはカルナップが大好きだった。

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。

 なんだかずいぶんくだけたタイトルになってしまいましたが、でもやっぱり、そんな感じがびんびん伝わってくるのです。学部学生時代にも大学院生時代にもあまり「教育」を受けたように見えなかったクワインが初めて出会った「師」、それがカルナップだった、ということになりそうです。ウィーンからプラハに移ったクワインが、カルナップの講義を受けたり議論をしたりしたことは、「書物によってではなく生きた教師によって知的に燃え立たされた、最大の経験」だったとのこと。

 この“大好きぶり”を見るにつけ、三浦俊彦さんの書評にある「とりわけ、論理実証主義の首領ルドルフ・カルナップへの傾倒・崇拝がしだいに疑惑、批判、そして反逆へと移ってゆく過程の筆致はわくわくさせられる。」というこの先の展開に胸が高まるのでした。

 さて、ヨーロッパ留学からもどってきたクワインは、ハーバード大学で恵まれた研究環境を与えられ、本格的な研究活動を始めることになるわけですが、最初の大きな仕事は、ハーバードの哲学者達を前にカルナップ哲学についての講義を行うことだったのだそう。

 特に、最新の著作である『言語の論理的構文論』についての講義だったようですが、この著作は論理実証主義者たちが目指すところの、命題の論理的分析による意味の明晰化という活動のための、厳密で具体的な道具立てを提供するものだったようです。また、ある種の人工的な形式的言語について、実際に論理的分析を行ってみせてもいるようです。

 この本の中でカルナップは、哲学とは「科学の論理学」であり、科学の論理学とは、科学言語についての構文論である、というテーゼを打ち出しているのだとか。命題論理の構文論については、以前、野矢茂樹『論理学』を読んだときに簡単にまとめましたが、要は、「文字づら」だけを問題にして、<意味>とか<指示対象>とかにはまったく触れることなしに、ただ、その言語における様々な種類の記号の現れ方だけを問題とするという、そういうものらしいです。そういえば金子洋之『ダメットにたどりつくまで』を読んだときに、「意味論」という言葉がよく出てきていた記憶があり、そのことの意味がよくわからなかったのですが、カルナップの構文論をもっと理解して、クワインを理解すれば、ダメットも以前よりは理解できるようになるのかもしれません。ちなみに、カルナップは後に「意味論」的アプローチも採用することになるそうですが、『構文論』の時期には、構文論こそが、哲学的分析の正しいやり方だと考えていたようです。

 というわけで、クワインの講義を通して、カルナップの『構文論』の考えを、ちょっとのぞいておこうと思います。

(つづく)
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クワインがウィーン学団から影響を受けなかった理由

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。

 そんなこんなで、クワインはウィーンに半年ほど滞在していたものの、自伝によると、ウィーン学団の論理実証主義からはさほど影響は受けていないようなのです。影響を受けていないというか、惹かれていないというか。

 で、私が勝手に推測したのは、それはとりもなおさずクワインがアメリカの人だったからではないか?ということでした。大きな運動は「アンチ○○」として起こるものであり、抗う相手あってのものだと思うわけであり。そのためにはまず、ヨーロッパの空気と、形而上学の空気が、自分にとってあたりまえのものになっていなくてはいけないわけであり。

 丹治さんはどのように推測されているかというと、まずは、論理実証主義の昂揚のエネルギー源について、次のように書いておられます。(p28/ルビ省略)
 「いまや、あの胡散臭い伝統的・形而上学的な哲学を、<無意味>として断罪する根拠を(ウィトゲンシュタインの洞察から)手に入れた」という彼らの確信であった、と言ってよいだろう。そして、そのような「昂揚」が生ずるためには、「伝統的・形而上学的な哲学」から何かを学ぼうとしながらも、何か割り切れない、どうもよくわからない、何かおかしい、なぜもっと明晰に語らないのだ、といった不満が鬱積していることが必要なのではなかろうか。
 しかしクワインはといえば、何しろアメリカにいながらひとりで独学で現代論理学を勉強して、2年間で博士論文を書いた人であり、
これまで見てきたクワインの経歴には、「伝統的・形而上学的な哲学」への関心も、古典的な哲学と格闘した形跡も、見当たらない
わけです。クワインにとって哲学とはウィーン訪問以前から基本的には論理実証主義者達の哲学観と共通のものであり、そのことをことさら声を大にして叫ぶ必要は感じなかったし、したがって「形而上学の排除」に<感銘>を受けることもなかったのではなかろうか、というのが丹野さんの見方です。

 クワインにとって問題だったのは、「言語の論理的分析」をどのようにやるのか、ということだった。その点に関して最も精力的で洞察力のある仕事をしていた哲学者として、カルナップに対して強い関心をもっていたのではなかろうか、とも書いておられます。(というわけで、次回はいよいよカルナップ登場・・・の予定)

 なお、クワインがウィーンにいたころには、カルナップはプラハに移ってしまっていたようで、「ノイラートの船」のノイラートもモスクワに行っていて留守だったのだそう。ついでに言えば、クワインはウィーン学団の統帥シュリックの講義にも出席したけれど、それは言語(ドイツ語)の練習のためだったのだとか(あらま!)。で、実際、そのドイツ語の練習はその後大いに役立ったようですが。

 思うに、「知らない強さ」「経歴(歴史)がないゆえの可能性」というものもあるのかもしれませんね。形而上学の排除というものに興味がなかったからこそ、ある意味ピュアな気持ちで「これから何する?」と考えられたのかもしれないし。

 それにしても、「哲学を科学化する」という言葉は、戦後すぐの日本の、「教育を科学化する」という(ものであったと私が認識するところの)系統主義に基づいた算数・数学教育運動を彷彿とさせます。しかし後者の場合、排除の対象となったのはアメリカのプラグマティズムの影響を受けた生活単元学習だったので、なんだか裏返しになっていて面白いです。論理実証主義者たちが主張した「経験」は、検証可能性---ある意味での科学化---だったのに、それが流れ流れ流れ流れて日本の教育界に来るころには、子どもたちの日常生活、あるいは“思いつき”---ある意味での非科学化---とみなされるものになっていったわけですよね。・・・ううむ。(>経験主義と系統主義双方に潜む困難
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「論理実証主義」と「経験主義」と「ウィーン学団」

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。

 きょうは論理実証主義の話です。

 本を読む前にウィキペディアで論理実証主義の説明を読んでみると、 論理経験主義、科学経験主義という言葉も並べて書いてあり、まるで実証=経験という図式が成り立つようです。私個人としては、論理実証主義と経験主義とはかけはなれたもの、もしかすると対極にあるものかもしれないという感覚をもっているので、はじめはピンとこなかったのです。いったいこれはどういうことなんだろうか?と。で、経験論の説明を読んでみると、
経験論における「経験」という語は私的ないし個人的な経験や体験というよりもむしろ、客観的で公的な実験、観察といった風なニュアンスである。
と書いてあります。ああ・・・そういうことか、なんとなくわかってきたぞ。ついでに「大陸合理主義」という言葉を発見。そうか、この言葉はそういう意味だったのね。

 で、クワインはといえば、大学院を修了したあと、1年間ヨーロッパに滞在して、前半の半年間はウィーンにいたそうです。ウィーンといえば、ウィーン学団の本拠地。ウィーン学団といえば、論理実証主義の人たち。

 論理実証主義運動について、丹治さんが簡単に説明してくださっているので、ちょっと読んでみます。
論理実証主義運動は、哲学における一つの革命運動であった、と言ってよいであろう。それは、徹底した経験主義的な知識観、検証主義的な言語観を掲げて、従来の哲学のあり方を抜本的に変革し、哲学を「科学化」しようとする運動であった。
 なぜそのような運動が20世紀前半のウィーンで起こったかというと、もともとウィーンには古典的なイギリス経験論に連なる経験主義の伝統があり、1895年にエルンスト・マッハがウィーン学団の「帰納科学の哲学」という講座の教授として着任し、彼の強い影響力がその後のウィーン学団の求心力としてはたらいた、ということらしいのです。加えて、『プリンキア・マセマティカ』によって極めて強力な論理学が整備され、論理的分析の道具立てができた、と。

 エルンスト・マッハはヒューム的な経験主義哲学を再考しようとする哲学者でもあったそうですが、こんなところでヒューム(同じ人?)が出てくるのだなぁと思うことであります。

 それにしても自分のことを省みるにつけ、ブラウワーが他人事に思えずに()経験主義的なところを感じることしばしばってことは、やっぱり私はねじれているのでしょうか。それとも、ねじれているのは「経験」についての捉え方のほうでしょうか。思えば、イギリスの経験論の流れが、アメリカにいくとプラグマティズムになり(?)、それが戦後日本の教育に取り込まれたときに生活単元学習になったのですよね・・・ ううむ。

 ウィーン学団には多くの科学者・数学者が含まれていたそうですが、哲学と科学の活発な交流、形而上学の排除、哲学を「科学」化しようとする気風、そして科学の統一という理想などは、すべてマッハの考え方であったようです。(なんかびみょーにどこかできいた話であるような・・・)

 しかし、なんといっても論理実証主義に向かう最も大きなインパクトは、ウィトゲンシュタインの影響だった。

 ああ・・・ なんか・・・ いろんなことが腑に落ちてくる感じ・・・

 すんごく平たく言うと、このころの哲学者たちは、きっと、哲学を「私たちが世界を捉える方法としてちゃんとしているもの=意味あるもの」にしたかったのですね。つまり、そのころの哲学は「ちゃんとしていない=意味がない」と感じていた。こう言ってしまうと身も蓋もないでしょうか。

 論理実証主義者たちは、「形而上学的な主張は間違っている(偽である)」と言いたかったわけじゃなくて、「実際には無意味だ」と言いたかった。ちなみに、例にあげられた「形而上学的」命題の実例は、ヘーゲルやハイデガーだったようで、それらの命題にはどう考えても経験的に検証する方法はなく、したがって認識上の意味はない、と論じたのだそうです。

 ほんでもって、こうした論理実証主義の考え方と、後年に展開されるクワインの哲学との間には、多くの点で親近性があるそうです。

 ところがどっこい。

 不思議なことに、クワインの自伝によると、クワインはウィーンには惹かれていないようなのです。つまり、ウィーンの論理実証主義運動には、あまり強い印象を受けなかったらしいのです。この点について、クリストファー・フックウェイ(こちらの本にも名前が出てきます)と丹治さんの見解は異なっているようです。クリストファー・フックウェイは、「二〇代の早い時期に、論理実証主義の故郷であるウィーン学団を訪れたことが、クワインの哲学観を形成したものと思われる」と書いているようなのですが、丹治さんは、それは少々考えにくい、という見方をしておられます。根拠はクワインの自伝ですが、「なぜなのか?」については、丹治さんの推測を書いておられます。ちなみに私も自分で勝手に推測してみました。(だんだん面白くなってきた^^) 

(つづく)
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クワインが現代論理学を独学で勉強したその状況

 クワイン―ホーリズムの哲学(丹治信春/1997/講談社)を読んでいます。

 クワインは数理哲学を専攻してオベリン大学で数学科に進んだものの、数理哲学を研究するために必須である現代論理学を知っている教師は1人もいなかったのだそうです。数学科の主任教授が『プリンキピア・マセマティカ』をはじめ、何冊かの数理哲学、論理学の本を取り寄せてくれたようですが、勉強は独学で、全く入門的な手ほどきを受けることなしに、『プリンキピア・マセマティカ』をひとりで一から勉強するという状況だったのだとか。

 ちなみに『プリンキピア・マセマティカ(数学原理)』は、ラッセルとホワイトヘッドが1910〜1913年に書いたものであり、そのもとになったのが、19世紀末のフレーゲの数理論理学だったということをあらためて考えると、フレーゲってやっぱすごかったんだなぁと思うことであります。「アリストテレス以来の伝統的論理学とは比べものにならない、極めて強力な知的道具立てを提供するものであった」とのこと。なお、クワインは1908年に生まれているので、クワインが生まれてまもない頃に『プリンキピア・マセマティカ』が出版されたことになります。

 さて、クワインは学部卒業後、ハーバード大学の哲学科の大学院に進みますが、そこでも「教育」を受けたようには見えない、と丹治さんは書いています。H・M・シェッファーによる論理学の授業も、既に知っていることばかりで面白くなかったのだとか(これってシェファーの棒記号のシェファーさんかしらん?)。ホワイトヘッドもいたし、C・I・ルイスという人もいたそうですが、当時のハーバードではさして論理学の研究は行われておらず、体系立った論理学教育もなかったのだとか。ホワイトヘッドがいたのになぜ?という疑問はぬぐえませんが。

 一方、ヨーロッパでは錚々たるメンバー(示してある名前のうちわかるのはゲーデルとフォン・ノイマンだけ、あとアッカーマンとタルスキはきいたことあるけれど)が精力的に論理学研究を進めていましたが、アメリカにはほとんど伝わっていなかったようです。そんな時期(のちょっとあと)に鶴見俊輔がハーバード大学から日本に持って帰れるものがあるとしたら、もうプラグマティズムよりほかなかったかもしれません()。ちなみにウィキペディアによると、鶴見俊輔にプラグマティズムを学ぶよう勧めたのはハーバード大学経済学講師の都留重人であったようですが。

 クワインの話にもどると、クワインは当時の深刻な不況による経済的不安ゆえに、2年間で大学院生時代を終わらせており、これでは、「教育」の受けようがないのかもしれない、と丹治さんは書いておられます。この2年間で博士論文を書くことになるわけですが、ここでのテーマも『プリンキピア・マセマティカ』。その内容は、「『プリンキピア・マセマティカ』を外延化し、単純化すること」であったのだそうです。

 で、このあと命題関数、「内包」と「外延」についての説明があり、「外延」は同じなのに「内包」は異なるということがありうる話などが続きます。
 しかしクワインによれば、「性質」とか「命題関数」といったような「内包的存在者」は、集合のような「外延的存在者」とは違って、その同一性の基準がはっきりしない。内包的なものを個別化するためには「意味」の同一性に頼らなければならないが、しかし「意味」の同一性が、はっきりしたものではないのである。そしてクワインが見るところ、『プリンキピア』において、集合と区別された性質の存在を仮定することは、実際上何の役割も果たしていない。性質が果たす役割は、すべて集合によって代行可能なのである。そのことを示すことが、クワインの博士論文の目的であった。
 ちなみにこの博士論文は、「二年で終える」ための締切までにわずか三時間を残して、ホワイトヘッドの自宅に届けられたのだそうです。 

(つづく)
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