TETRA'S MATH

数学と数学教育

教科書センターで気づいた、自分の時代遅れさ加減

 そうなると話は比例の定義・導入に集約されていく(2011年6月30日)のエントリで、

比と比例をひっくり返した学習順序というものがあるのであれば、見てみたい気がします。

と書きましたが、ある意味もうひっくり返っているのですね。

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いつかじっくり考えたい、初等数学教育における幾何学の意味

 昨年暮れに書いたエントリ「久しぶりに「かけ算の順序」問題を考える (3)/中距離(合同・相似の表記と、漢字のとめ・はね・はらい)」に関して、とても貴重なご意見をメールでいただきました、合同の表記を対応順の記号で書くことの妥当性についてのご意見です。
 
 関連したwebページを1つご紹介。
http://tenagusami-memo.blogspot.com/2010/10/
blog-post_9686.html


(なお、メールをくださった方は、上記サイトの開設者の方ではありません。参考サイトとして教えていただいたページの1つです。)

 このあたりちょっとつっつくと、中学数学の中にけっこう循環論法が入り込んでいるのではないか?という問題にたどりつきます。関連する話題としては、過去に円周率と比例の関係というエントリを書いています。また、自分の教材の仕事に関連した循環論法の話は、クリプキ・モデルに基づいた直観主義論理の意味論」をながめながらあれこれ考えるに書いています。

 なんというのか、「かけ算の順序」もそうですが、学校教育って細かいことを要求するわりに、ちゃんと考えようとする人にとっては気持ちわるいところがありますよね、ときどき・・・

 それはそうとして。

 小学校や中学校で学ぶ「図形」の勉強って、もう少しなんとかならんものでしょうか。昔から思っていたことですが、その思いを娘の学習内容を見ながら強めるきょうこのごろ。

 「量」の問題や「割合」について考えることは、「考えなければ!」というよりは、楽しんでやっているところがあるのですが、こと「図形」に関しては、「なんとかしたほうがいいよなぁ・・・なんとかならんかなぁ・・・」という、ため息にもにた思いを抱いています。どうしたらいいのかの具体案はまったくありません。ただひたすら、「ほかに道がありそうなものなのに・・・」と思うだけ。「図形」ってもっと楽しくて柔軟なものだと思うんだけどな・・・。 初等数学教育ならではの「図形」の学習の、大胆な改革ができないものだろうか?

 ちなみに小4の娘は現在「直方体と立方体」を学んでいるのですが、この単元に「ものの位置の表し方」という項目が加わっています。いわゆる座標の勉強のようなもの。平面のみならず、空間もあります。そうかぁ、これを「直方体と立方体」に組み込むのかぁと思った私。いや、わるいことではないと思いますが。そしてこの次に、「ともなって変わる量」を学ぶことになります。

 かつて、数学の時代区分の境い目に、いつも幾何学があることというエントリの中で、数学教育協議会の分科会に行くならば、「図形」分野が面白い、という話を書きました(現在でもそうなのかどうかはわかりませんが)。なぜかというと、数量分野のように系統化されていないし、確固たる方法論が確立されていないので、ユニークなレポートに出会いやすい、ということらしいのです。他のジャンルは、「数学教育協議会の方法論のお勉強」的なものになる場合も少なくないと思うので。ただし、たとえば「内包量」というテーマでとても面白いレポートに出会えることもあるので、一概に言えないことではあります。それから、遠山啓の「比」は幾何学と結びつきにくいという論文もご紹介したことがあります>。遠山啓にとって数学教育のなかの幾何学の位置づけってどういうものだったのだろう? 上記のリンク先の指摘を思うと、もう少し重視されてもいいように思うのですが・・・。

 私はどうして図形の話が好きだったのかな。テトラも球形も黄金比も、学校教育とは全然関係ないところで出会ったのかな。(少しは数教協の影響もあったのかな?)
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数学の時代区分の境い目に、いつも幾何学があること

 数学の歴史的発展と、公理主義と、「構成的」方法において、遠山啓が示した数学の歴史的変遷の大まかな流れを書きましたが、遠山啓は、古代、中世、近代、現代の4つの時代を分ける大きな標識として、次の3つの著作をあげています。
 
     ユークリッドの『原論』

     デカルトの『幾何学』

     ヒルベルトの『幾何学基礎論』

 つまり、ユークリッドの『原論』から中世が始まり、デカルトの『幾何学』から近代が始まり、ヒルベルトの『幾何学基礎論』から現代が始まった、ということなのでしょう。

 遠山啓は、4つの時代を区分する著作がすべて幾何学にかんするものであることは、たんなる偶然ではない、と語っています。

 なぜなら、幾何学はもともとわれわれの外部に存在すると考えられている図形や空間にかんする科学であり、したがって、数学は客観的世界とどのような関係をもっているか、という問題を不問にして通りすぎることのできない分野だからである。

 ちなみにロバチェフスキー・ボヤイの非ユークリッド幾何学とリーマン幾何学は、例の構成的方法の“懐妊期間”のなかに含まれており、アルキメデスは、本人は時代を超越していたけれど中世数学の本質をかえることはできなかったので、“中世における一つの狂い咲きともいうべき特異な現象”と書かれてあります。19世紀のF.クラインは、中世数学が静的であったことを語るときの対比としてちょろっと出てきています。

 で、久しぶりに開く、橋爪大三郎『はじめての構造主義』。ここには遠近法と「視る主体」の話が出てきます(>「とれたての定理です 第5巻」から/4.遠近法で絵を描こう)。

 私は、22才のとき、卒業論文のテーマを遠近法にするか黄金分割にするか迷った末、黄金分割を選んだのですが(>人間は自然物か、数学は発明か?・1)、あのとき遠近法を選んでいたら、その後の人生が少し変わっていたかもしれないなぁ・・・と思うことがあります。

 話は変わって。

 数学教育協議会と幾何学の関係について、ちょっと面白い思い出があります。あれは確か母だったと思うのですが、数教協の分科会に参加するときには「図形」を選ぶと面白い、というようなことを言っていたことがありました。おそらく数教協では未開拓の分野というか、数量分野に比べると確固たる方法論が確立されておらず、結果的に、個性的でユニークなレポートが多かったのでしょう。

 数教協ならではの図形分野の題材はといえば、「しきつめ」だったと記憶しています。古くさかのぼれば「折れ線の幾何」があり、ピックの定理なども一時はやっていたかもしれません。ユニット多面体などの折り紙もあるのかも。というわけで、それなりに図形の題材はあるのでしょうが、数量分野ほどの“体系化された方法論”はなかったのだろうと思います。

 そういえば以前リンクさせていただいた遠山啓による数学教育現代化における比例と比の位置(北海道大学教育学院修士課程 村上 歩)では、水槽は比指導のシェーマとなりにくいことと、遠山啓の「比」は幾何学に位置づきにくいことについて論じてありました。遠山啓が比よりも比例関係を先に、と主張したことについても書いてあります。遠山啓にとって、比とはなんであったか。

 なお、個人的に、「時代と幾何学」といって思い出すのは、フラクタルです。

 もし、数学の歴史的区分が、「現代」からその次に移るときにも、なんらかの幾何学の著作があるとしたら、それはいったいどのようなものなのでしょうね?

 遠山啓の数学未来予想図でいえば、それは時間・空間的な数学につながるものなのですよね。

 もうすでに、ある?

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デューイの二元論批判/河村望による訳者あとがき

 デューイの『学校と社会』の訳は、岩波文庫から出ている宮原誠一訳のものが定番のようですが、この宮原誠一氏というのは、科学的精神と平等と産業教育で出てきた『産業と教育』を書いたあの宮原誠一氏と同一人物かもしれません(確認はできていません)。

 で、ほかにも『学校と社会』の訳書がたくさんあるようなのですが、河村望さんいわく、これまでの訳では、デューイの主張が正しく理解されず、肝腎なところが意味不明であった、と。なぜ、そういうことになってしまったか。(以下は、私なりの理解というか、河村望さんの文章の順番を入れかえた我流の要約です)

 河村望さんが言うには、デューイは、物質と精神、客体と主体を予め区別する二元論を否定する立場から教育の問題を論じているのであり、主観の外に客観をおくところで成り立つ伝統的教育論の否定を出発点としているらしいのです。

 しかし、これまでの訳では、訳者自身の二元論的認識論の枠組みのなかで勝手に解釈されることが多かった、と。

 原田実訳『経験と教育』(1950年)の場合も、デューイが区別している伝統的教育と進歩主義的教育の対比が、前者が二元論の立場で、後者が二元論批判のプラグマティズムの立場であることが理解されず、あたかも伝統教育が封建的な伝統主義的教育で、進歩主義がいわゆる合理主義的教育であるかのようにとらえられていた、と。

 という話をきくと、戦後日本の経済界においてプラグマティズムは誤解されて取り入れられていったという堤清二の言葉()を思い出します。

 河村望さんは、直訳して意味が通るところは直訳したので、読みづらいところがあるとは思うけれど、精読すれば著者の言いたいことが伝わるようには訳してあるので、辛抱して読んでもらいたい、と書いておられます。

 いつかデューイの訳を比較してみると面白そうだなぁ!と思いました。

 さすがに『学校と社会』の第1章だけ読んでも二元論を否定する立場は感じられませんが、たとえば、デューイがいうところの「経験」というのは、自己意識的・理性的主体の存在を前提として、このような精神的主体が経験をもつとか、経験をするという意味の経験ではないということは、なんとなくわかるような気がします。上記リンク先の堤清二の話ともつながってきます。

 また、河村望さんは、「解決される」(solved)と「解消される」(dissolved)との違いについても書かれています。
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デューイの言葉に少しだけ耳を傾けてみる (5)/教養と技術を分ける態度

 デューイ『学校と社会』(河村望訳)の第1章を読んでいます。一応、きょうで一区切りの予定です。

 当時のアメリカの学校では、手工、図画、理科を小学校や中学校に導入することが、専門家を作り出すことになるという理由(教養の設計を減じるという理由)で非難されるということがあったようですが、デューイは、「現在の教育こそ、高度に専門化され、一面的で狭隘なのである」と指摘します。「現在の教育は、学問についての中世的考えによってほとんど全面的に支配されている」と。

 デューイがいうところの「中世的考え」が何であるかについては、その前の段落を参考にするといいのかもしれません。つまり、“専門の探求を特別の仕事とする特殊な階級”’(聖職者?)に知識が独占されていたころの学問ということでしょうか。
手工、図画、理科が技術的で、単なる専門主義に向かう傾向にあるとして反対されるという事実それ自体こそ、現在の教育を支配している専門化した目標にとっての、提示されたよい証拠である。
 このあたりの話は少しねじれているので、解きほぐして考えたいところですが、とりあえず私は、学校は専門技術を学ぶところではなく教養を学ぶところだという意見を出す人こそ、中世的な専門主義としての学問にとらわれているのだ、とデューイは言いたいのだろうと理解しました。
 学問的専門職業のための訓練は教養の典型、または自由主義教育と見なされる一方、職人、音楽家、法律家、医者、農業者、商業者あるいは鉄道経営者の訓練は純粋に技術的、専門的なものと見なされる。その結果は、われわれが身の回りのいたるところで見るもの-----「教養ある」人びとと「労働者」との区別、理論と実践の分離である。
 このあたり、高校全廃論者の三浦展さん()に読んでほしい気がします。
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デューイの言葉に少しだけ耳を傾けてみる (4)/「仕事」と科学

 デューイ『学校と社会』(河村望訳)の第1章でもう1つ印象に残ったのは、学校における「仕事」と科学との関係でした。

 デューイは、「すべての科学の統一は、地理のなかに見いだされる」として、地球はすべての人間の食物の最終的源泉であり、避難と保護の場所であり、活動の原材料であり、熱、光、電気のエネルギーの大給源であり、海洋、河川、山脈、平野の大景観である・・・すべてのわれわれの農業、鉱業、林業、製造業と配分機関は、部分的な要因であり要素であるに過ぎない、と語ります。このような環境によって決定された職業を通して、人類は歴史的、政治的進歩を遂げてきたのであり、これらの職業を通して、自然の知的、情緒的解釈が発展したのである、と。
このことは、学校におけるこれらの仕事は、日常的な雇用の単なる実際的な工夫や様式、料理人や裁縫師や大工としてのよりよい専門的技術の習得であるべきでなく、自然の材料や過程にたいする科学的洞察の積極的中心であり、そこから子供が、人間の歴史的発展の理解に導かれるべき出発点であることを意味する。
 そしてこのあと、実際の学校での「仕事」として、縫物・織物を例にとり、話が進められていきます。子どもたちは、原料を与えられ、材料と用途の適合を研究し、それを比較し、綿の繊維を種子から手作業で引き離す大変さが木綿産業の発達が羊毛産業よりも遅れた理由と関連づけられていく。そして、羊毛を梳くための枠を再発明し、羊毛を紡ぐための過程を再工夫する。この作業の中には人間の歴史的発展の要約があり、「繊維の研究」「地理的特徴」「原料が成長する諸条件」「製造と分配の大中心地などの研究」「生産の機械装置に含まれる物理学」などの“科学”がある。

 つまり、学校で行う「仕事」は、子供に純粋な動機を提供し、生の経験を与え、現実と接触させることに加えて、「その歴史的、社会的価値及び科学的な等価物への置き換え翻訳によって、全く解放されたのである」とデューイは語ります。仕事は、単に愉快な仕事であることを止め、理解の媒体、道具、器官になる、と。

 また、こんなことも語っています。
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デューイの言葉に少しだけ耳を傾けてみる (3)/オキュペイション

 デューイ=ミード著作集7「学校と社会・経験と教育」(河村望訳)の「学校と社会」第1章を読んでいます。デューイの言葉に“少しだけ”耳を傾けるにあたり、今回は第1章だけを読む予定ですが、たった19ページの第1章だけでも(第1章だからこそ?)読み応えがあります。

 とはいえ、さすがに参考文献がこれだけではなんなので、もう1つ、web上で読める文章として、信州大学教育学部の教育実践史概論をリンクさせていただきます。この中に「デューイの教育理論」というページがあり、そのまんなかくらいに、「オキュペイション(occupation)」という単語が出てきます。直訳すれば「仕事」または「職業」になるのだと思います。

 上記参考文献の第1章にオキュペイションという単語は見当たらず、おそらく「仕事」または「職業」と訳されているのだと思いますが、仕事と訳されているものがすべてoccupationなのか、workやlaborという言葉がどんなふうに出てくるのか、原文を読んでみたいなぁと思いました。

 で、インターネットってほんとに便利で、さがすと見つかるもんなんですね〜

     THE SCHOOL AND SOCIETY

 しかも検索がかけられるのよ〜(^^)

 たとえば、デューイの言葉に少しだけ耳を傾けてみる(1)/産業の変化と教育で抜き出した、「供給物はすぐそばの近隣にあり、農場における原料の生産から、完成された製品が実際に使用に供されるまで、産業過程全体が誰の目にも明らかにされていた。そして、家族のすべての成員が仕事を分担し、子どもは体力と能力がつくにつれて、徐々にいくつかの過程の秘訣を手ほどきされていく。」(要約してます)の部分は、こんなふうに書かれてあります。

  The entire industrial process stood revealed, from the production on the farm of the raw materials till the finished article was actually put to use. Not only this, but practically every member of the household had his own share in the work. The children, as they gained in strength and capacity, were gradually initiated into the mysteries of the several processes.

 つまり、ここでの「仕事」は work のようです。で、私は第1章で強く印象に残ったことが2つあったのですが、そのなかの1つである次の部分をぜひ原文で読みたいと思いました。
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デューイの言葉に少しだけ耳を傾けてみる (2)/個人と社会

 「個人的責任を要求し、生活の自然的現実との関係において子供を訓練する仕事を学校に導入するためにはどうしたらいいのか」 デューイはそう問いかけたあと、学校に目を転じます。

 現在(当時)最も顕著な傾向の1つは、工作教育、工作室作業、家庭技芸(裁縫と調理)の導入という動向であるとして、それらは、以前には家庭で行われていた訓練の要素を供給するという目的をもってなされたのではなく、このような仕事は生徒たちの心を生き生きさせる、他の方法で得られなかったあるものを彼らに与えるということの実験と発見によってなされてきた。
この仕事を正当化するために当てがわれた理由は、痛ましいほど不適切であるか、時には明確に誤ってさえいる。
 このような仕事は子どもたちを機敏で能動的にするし、より有用で有能にするし、家庭で手助けになるようになるし、後年の人生における実際的な職務の準備にもなる。デューイは、これらの理由の価値を過小評価はしないが、
この見地は不必要に狭隘である。
と指摘します。われわれは仕事を、個別の教科としてではなく、生活し、学習する方法と考えなければならない、と。
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デューイの言葉に少しだけ耳を傾けてみる (1)/産業の変化と教育

 というわけで、生活単元学習を批判する遠山啓にあっさり片づけられてしまったデューイですが、その言葉に少しだけ耳を傾けてみることにします。参考文献は、デューイ=ミード著作集7『学校と社会・経験と教育』(河村望訳/2000年)。この本、あとがきが面白いです。というか、このあとがきで、デューイに興味がもてそうな気がしました。それについてはのちほど。

 さて、いまは、「少しだけ」の気分なので、がっつり読むのは避けて(したがってデューイの一部分の理解になるかもしれず、場合によっては曲解になるかもしれませんが)、「学校と社会」の「第1章 教育と社会進歩」に的をしぼりたいと思います。

 遠山啓は、「社会の持続」という観点で戦後の教育運動を反省するにあたり、生活単元学習の背景にあったデューイのプラグマティズムには、経験主義のみならず、教育による社会改造主義があった、としています()。しかし、「第1章 教育と社会進歩」の文中に、遠山啓のいうような「教育による社会改造主義」を私は感じません。いや、あるにはあるのですが、教育によって社会を改造しようということではなく、むしろ、社会が激しく変わるなかで教育はどうあるべきか、ということをデューイは主張しているように感じるのです。結果、どっちにしろ「いまの(戦後直後の)日本にはそれは必要ない、あっちゃ困る」という話ならわからないでもないです。
 
 で、私はデューイの考え方にある程度のシンパシーを感じるとともに、いざこれを(日本で制度的に)実行しようとしたら、生活単元学習とか、出がらし総合学習になってしまうのかもなぁ・・・と思いました。その一方で、やってる先生は、指導要領がどうであろうと、国語や算数や理科や社会やその他もろもろの分割された「教科」内、あるいは学校生活の中ですでにやっているんだろうなぁとも思ったし、でもそんなふうに「先生しだい」になっちゃうことがいまとなっては大きな問題なのかなぁ、なんてことも感じました。

 そういえば遠山啓は、「6・3・3制とか自由選択制といったようなアメリカの“新教育”は、自由や平等という社会改造の理想と合致していたと同時に、アメリカの社会の持続という現実的な目標とも一致していた」と語っていますが、何がどう一致していたのかをもうひとつ聞いてみたいところではあります。

 さて、デューイの「教育と社会進歩」に読み取れる、社会の激しい変化とはなにかというと、「産業上の変化」です。

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遠山啓の生活単元学習批判の概要をもう一度おさらいしておく

 遠山啓著作集の教育論シリーズ1「教育の理想と現実」を手がかりにして、遠山啓の1950年代の発言のほんの一部をのぞいてきました。遠山啓の数学教育運動の発端は親心にあり、その親心に大いなる刺激を与えたのが戦後直後の生活単元学習だったということのようです。

 そして、遠山啓の生活単元学習批判は、その背景にあるアメリカからやってきたプラグマティズム、特にそのなかの経験主義的な考え方込みでなされていました。

 巻末解説で、大田堯さんは次のようなことを書かれています(p.288)。 

デューイのような、じつに複雑・難解の人物も、にべなく、その理論的背景の全体をささえる人物として遠山さんによって片づけられている。

 当時の遠山啓の提案は、あえて論争的(ポレミック)なかたちでおこなわれた、“新教育”“経験主義”といった当時の合言葉をやや極端に単純化して、それを批判するというかたちをとっている、と大田堯さんは分析します。どうして遠山啓がそんな姿勢をとったかというと、一般の父母のあいだには“学力低下”に対する批判がかなり高まっていたのに、生活単元学習擁護者は、「新しい教育では学力そのもの定義が変わったのだ、九九ができなくても問題解決の能力は発達したはずだ」と強弁するような、当時の風潮をふまえてのものだったようです。

 そんなこんなで、親心から始まった遠山啓の憤慨は、その後もつねに親心に根を下ろす形でその主張が行われていったのだろうと思います。そして遠山啓は親であると同時に自然科学者なのであり、親心に根を下ろしながらも自然科学者としての主張を行っていったのでしょう。

 もう一度、遠山啓の生活単元学習批判がどのような観点でなされていたのかを、おさらいしておきます。

 

 生活単元学習は、地域の生活や子どもの生活経験にかかわりなく画一的におしつけてきた戦前・戦中の教育に対して、子どもの興味や経験から出発すべきだとするもっともな主張をふくんでいたが、子どもの生活経験とつながることばかりを考えて、各教科の背景にある諸科学の系統性を軽視していた。また、卑近な実用主義にひきずられるものでもあった。つまり、生活単元学習には、科学・文化の積極的な習得という教育の不可欠な過程が脱落していた。

 以上のような観点から、遠山啓の批判は展開されていったようです。この流れから次に進むのであれば、もういやでも系統学習になるのでしょうし、“科学”としての数学教育になっていくのでしょうね。

 

〔2017年9月24日追記〕 このエントリの後半を削除しました。1950年代の生活単元学習批判とゆとり教育批判の基本構造が似ているという話について書いてたのですが、要点がまとまっておらず冗長なため。

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