TETRA'S MATH

数学と数学教育

ドゥルーズによるベルクソン『記憶と生』の全体像・2

 『記憶と生』は、ベルクソンの主要な著作から選ばれた文章によって構成されています。また、各テクストの終わりにはドゥルーズによる原注と前田英樹さんによる訳注があり、テクストの一部に対して参照テクストが示されている場合があります。

 そこで、『記憶と生』の各テクストが、ベルクソンのどの著作から選ばれたのか、また、そのテクストの一部がどのテクストによって補強されているのか、その関係を図で表してみることにしました。なお、テクストどうしのつながりは、原注のほか訳注の中でも示されていましたが、あえて原注のみにしぼりました。

 全体の形を(その必然性はまったくないけれど)ひとつながりの輪にしたかったので、4章あることから、正方形にしました。で、各辺にテクストの番号をのせ、それがベルクソンのどの著作からきているのかを色の点で示し、あるテクストの一部が他のどのテクストと関連しているかを矢印で示した図が、これです。↓
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ドゥルーズによるベルクソン『記憶と生』の全体像・1

 『記憶と生』(アンリ・ベルクソン著、ジル・ドゥルーズ編、前田英樹訳/未知谷/1999)の本文を読み終わりました。なお、このあとには訳者による「解題」がついています。

 飽きっぽい私が途中をとばさずに順に最後まで読めるよう、1テクストから1行(〜3行)抜き出すという方法をとりましたが(実際この作業のおかげで最後まで読めましたが)、やっぱりこの読み方は通読とは言わないだろうとしみじみ思うことであります。せめてもう少しの・・余韻のうちに次を読むくらいの・・・勢いは必要だと感じました。(なお、こういう作業って著作権的にはどうなのかな?という一抹の不安がありましたが、結局最後まで続けてしまいました。)

 すべての作業が終わったあと、自分が抜き出した1文だけをあとで続けて読み直したら何か感じることがあるのかどうか、ほんの少し楽しみにしていたのですが、実際に読み直してみるとあまり面白くありませんでした。(^^;(付箋の意味はあったかな?) でもとにかく、最初から最後まで文字を追えたのはこの作業のおかげだと思うので、これはこれでよかったということにします。

 さて、この『記憶と生』に綴られている言葉はベルクソンの言葉ではありますが、ベルクソンの著作そのものではなく、ドゥルーズによって編纂されたものです(だからなおのこと通読したい本であり)。章や節につけられているタイトルはすべてドゥルーズによるものだそうで、そこにもドゥルーズの「私はこう読む」という意味が込められているのだと思います。

 訳者の前田英樹さんは、「訳者まえがき」で次のように書いておられます。
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『記憶と生』77−記憶と自由

鵝〃誅
 77 記憶と自由

等質的な時間も空間も、物質に対する私たちの行動の図式なのである。

(迷ったすえ、最後の1文を抜粋)
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『記憶と生』76−生命と自由

鵝〃誅
 76 生命と自由

なぜなら、意識は時間を利用するからであり、ほんのわずかな未決定も、際限なく加算されれば、望むだけの自由をもたらすからである。

(このテクストに出てくる「エネルギー」の話を読んでいると、「C」と「H」と「O」の組み合わせを思い出します。)
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『記憶と生』75−持続と自由

鵝〃誅
 75 持続と自由

実際、自由な決定が発するのは、心の全体からである。

(全体という言葉をきくと、部分という言葉をきくよりもむしろ境目が気になるきょうこのごろ。)
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『記憶と生』74−創造の観念

鵝〃誅
 74 創造の観念

神は、このように定義されるなら、出来上がったものを何ひとつ持たない。神は、止むことのない生であり、活動であり、自由である。このように考えられた創造は、神秘などではない。

(3文抜粋)
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『記憶と生』73−時間の実在性

鵝〃誅
 73 時間の実在性

もし、未来が、現在の隣に与えられているのではなく、それを継ぐべきものであるのは、未来が現在の瞬間において決定し尽くされていないためである。また、こうした継起によって占められる時間が、数以外のものであり、そのなかに住む意識にとってひとつの絶対的な価値であり、実在であるのは、時間みずからが、予見不可能なもの、新しいものを、絶え間なく創り出しているためである。
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『記憶と生』72−神秘家

髻/祐崚条件とその乗り超え
 72 神秘家

経験が示す通り、背反しながら補い合うような二つの傾向の内、その一方がすべての場所を占めようとするほど大きくなったとしたら、他方はわずかなりとも自分を保存できればよしとするだろう。自分の順番は回ってくるのだ。
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『記憶と生』71−宗教の全体像とその可能性

髻/祐崚条件とその乗り超え
 71 宗教の全体像とその可能性

人間種の出現は、創造的飛躍の停止そのものを表わした。この停止は、人間の知性と共に、また人間の知性の内部に、いろいろな宗教を作り上げる仮構機能を与えた。
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『記憶と生』70−社会の可能性

髻/祐崚条件とその乗り超え
 70 社会の可能性

だが、例外的には、生は社会形態を変貌させうる。それは、新たな種の出現並みに、創造的進化の努力を表わすような個人によって為されうる。

(「あの高徳な偉人たち」って、だれだろう?)
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