TETRA'S MATH

数学と数学教育

数値が大きいほどTNP(低・燃・費)、逆内包量のこと

 「わからないのかTNP。ちょっとかっこいいからだよ」と所長が言うのは、ダイハツムーヴのCMでした。あのときのムーヴの燃費はリッター27km、すなわちTNP27でした。リッター27kmは燃料1Lで27km走る走行能率であり、リッター30kmは燃料1Lで30km走る走行能率なので、どちらが走行能率が高いかというと、リッター30kmのほうです。なので、リッター27kmよりリッター30kmのほうが「燃費が低い=低燃費の度合いが高い」ということになろうかと思います。数値が大きいほうが(燃費が)低いというのが面白いです。

 ウィキペディアによると、日本やアメリカでは燃費として単位燃料量あたりの走行距離を用い、欧州各国では「liter/100km」のように一定距離を走行するのに必要な燃料量を用いているのだそうです。「27km/L」は「約0.037L/km」なので、100km走るのに約3.7Lの燃料を必要とします。一方、「30km/L」は「約0.033L/km」なので、100km走るのに約3.3Lの燃料を必要とします。「3.7Lから3.3Lになった」ときくと、いかにも「使う燃料が少なくなった」という感じがしますが、「27kmから30kmになった」ときくと、燃料が少なくなったというよりは、「よく走るようになった」という印象になります(個人的には)。「数値が大きいことはいいことだ」という印象を利用するなら、単位燃料量あたりの走行距離のほうがしっくりくるのかもしれない。

 で、日本で採用されている燃費測定方法のことを、10・15モード燃費というのだそうです(そういう1つの測定方法がある、ということ)。市街地を想定した走行パターンを10項目、郊外を想定した走行パターンを15項目設定してあるから、10・15モードなのでしょう。

 やがてムーヴの研究員たちに試練が訪れます。JC08モード(より実態に近い走行状態を想定した測定方法)が導入され、これは10・15モードに比べるとやや低めの数値が出るために。そしてNCI(燃費調査委員会)が登場。
http://www.daihatsu.co.jp/cm/move/index_04.htm
 しかし、ムーヴはさらに改良をかさね、10・15モードでTNP30、JC08モードでTNP27を達成し、小日向文世が「SBN(そんなばかな)」と口にすることになるわけでした。
 
 CMの話はこのくらいにして、何のことを考えているかというと、「逆内包量」のことです。「単位あたり量」は2種類の量の関係であり、たとえば4mの重さが9.2gの針金の場合、重さを長さでわると、2.3g/m(1mあたり2.3g)という内包量が出ます。でも、逆に、長さを重さでわってもいいわけで、そうすると約0.43m/g(1gあたり約0.43m)という内包量が出ます。こんなふうに、1つの内包量を2つの量のわり算と考え、わられる数とわる数を入れかえてできる内包量のことを、逆内包量とよぶ場合があるようです。逆内包量があるということは、アクリルたわしの圏(もどき)で示したピンクの矢印は、それぞれ逆方向の矢印も考えることができるよ、ということに対応しています。
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「第3のエコカー」“リッター30km”で関数的比例を考える。

 「小数のかけ算と、ブラックボックスと、圏論」というエントリを書き始めようとしていましたが、やはりまだ下準備というか頭を整理するための段階が必要だと感じたので、比例についてもう少し考えてからにすることにしました。

 ほんでもって、きょうは「第3のエコカー」に注目してみます。 ブルース・ウィリスが出ているダイハツの「ミラ イース」のCMは、「ふ〜ん」くらいの感じで見ていましたが、
 「休日に古民家の再生を手伝うの巻」
(→http://www.daihatsu.co.jp/cm/3rd-ecocar/index_04.htm
は印象に残った私。古民家の再生がテーマだったからではなく、CM中に「これあれだろ、外国の俳優でCMやってる・・・」という会話があったからです。是非次のCMでは「これあれでしょ、“外国の俳優でCMやっている・・・”っておじさんが車の中で瑛太に話しかけるCMの会社のやつ・・・」という台詞のあるCM流してほしいな!(長いけど)

 さて、それはそうとして「第3のエコカー」です。そもそも何がどう「第3」なんでしょうか。調べてみたところ、第1がハイブリッドカー、第2が電気自動車で、その次に市場に投入されたとういことで第3のようです。簡単に言えば、ハイブリッドカーはガソリンと電気を動力源とし、電気自動車は電気のみを動力源とし、第3のエコカーはガソリンのみを動力源とするけれども低燃費を果たした、ということなのだろうと私は理解しています。

 燃費リッター30km、つまり30km/L、すなわち1Lで30km走るということが、どれだけすごいことなのか、自動車を持っていない私には想像がつきませんが、1995年くらいに平均で12.5kmくらいだったらしく、2005年で15.5kmくらいらしいので(→http://www.env.go.jp/council/06earth/y060-47/mat03-2.pdf)、確かにすごいことかもしれません(「燃費」の「平均」の意味についてはいずれ考えることにしよう)。ガソリン価格が143円/Lのとき、143円で30km走るのですね。

 ほんでもって、いま考えたいのは、「関数的比例」のことです。私がなかなか理解できなかった、比例の分類のうちの「量的比例」ではないほう。>内包量の二重構造から思い出した、関数教育の現代化のこと数教協がいうところの「量的比例」と「関数的比例」

 で、たぶんこういうことかなぁ・・・といまは考えています。

 第3のエコカーのリッター30kmというのは、ガソリン1Lで30km走る性能ということですが、私が1L入りのガソリンタンクを抱きかかえていても30km移動することはできません(笑)。また、ガソリンタンクがひとりでに移動することもありません。自動車がないことには。そして、自動車にガソリンを入れただけでも30km移動することはできません。自動車を動かさないと。

 というわけで、自動車が動く仕組みについてちょっとお勉強↓
http://www.erca.go.jp/taiki/siryou/pdf/W_B_002.pdf

 まずは、シリンダというものの中で、ガソリンを燃やすのですね。その爆発をピストンの往復運動の動力とする。そして、ピストンの往復運動はコンロッド、クランクシャフトなるものによって回転運動に変えられ、この回転運動がトランスミッションなるものの働きで回転速度・回転力が変換されて駆動輪に伝えられる。つまりおおまかには、爆発→往復運動→回転運動で自動車は走るようです。1Lのガソリンを燃やすことで、その爆発力がある量(回数)の往復運動に変わり、それがまた回転運動の量(回数)に変わり、タイヤが回転すればそれだけ車は走るので、最終的にはそれが距離に変わり、30km進むことになるわけですね。

 「ミラ イース」(の標準?)のタイヤの外径は557mmということで、56cmと考えると外周は約176cm=1.76mなので、30km=30000m走るには17045回転くらいしなければならないということになり、30Lの爆発が17045回転を生み出すと考えていいのでしょうか。って、ものすごく単純に考えればの話ですが。

 ほんでもって、「1L → 30km」が実現するわけですが、そもそもガソリンと道路があっても、リッター30kmという走行能率は存在しません。ガソリンを燃料として自動車を走らせることではじめて存在する数値です。そして、ガソリンの量から距離まで間にいろいろあれこれ変換があったとしても、自動車の燃費としては、ガソリンの量と距離の関係の話になります。したがって、「30km/L」という量、すなわちガソリン1Lあたりに走る道のりという「燃費」を1つの量として認めれば、これを指標をもとにあれこれ語ることができるようになります。

 針金の長さと重さのように、1つの物体の2つの側面としての量のみならず、2つの量の(途中のアレコレをはしょった)関係というのもあり、この「関係」も、「内包量(たとえば燃費)」という1つの量で示せる・・・というのが、銀林先生いうところの「関数的比例」と「内包量」の関係なのかなぁ、といまは理解しています。
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小数のかけ算と、ブラックボックスと、圏論 (1)

 すみません、このエントリ、「ハタラキ」という言葉の使い方がぐちゃぐちゃになってしまっています。あした整理します。

追記:補足エントリ書きました。>かけ算における「ハタラキ」という言葉の整理

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 現在の小学校において、小数のかけ算の導入は「小数×整数」で行われるわけですが、これを「整数×小数」に変えることは可能だろうか?というようなことを、数日前に考えていました。ただし、「1あたり量×いくつ分(いくら分)」という定義と、この式の順序は固定したままで。

 そのときには、娘の使っている学校図書の小4の教科書しか見ていなかったので、私は次のように思考を展開させていたわけなのです。

----- 針金の長さと重さを使って「連続量×連続量」の形で「小数×整数」を学ぶ場合、「整数」のほうは「たまたま整数」ともいえるので、「整数×小数」の形にするときにも「たまたま整数×小数」にすることになるだろうな。でも、1mの重さが4gの針金という設定は違和感があるよな。そういう針金もあるだろうけど、ちょっと数値がきれいすぎて“不自然”。しかも、「長さ」のほうはたまたま整数というのがアリだとしても、重さのほうを「たまたま整数」にするのはどうだろうか。・・・あれ?もしかしてもしかしたら、小5でも「整数×小数」はやっていなくてすぐに「小数×小数」に進んでいたりして? 「整数×小数」は割合の特許みたいな扱いになっていたりして・・・ ---

 で、実際に教科書を確認してみたところ、「整数×小数」もやっていたし、その場合の「整数」を「リボン1mあたりの値段」という人為的な設定にしていることに、いたく納得したわけなのです。

 「2.3g/m × 4m」には違和感を感じず、「4g/m × 2.3m」の「4g/m」に違和感を感じる私には、「(結果または前提としての数値)×(操作のための数値)」という、かけ算の発想があるのだと思います。メタメタさんの言葉を借りれば()、「モノとしての数値×ハタラキとしての数値」ともいえます。ちなみに、「×」がハタラキを表すとしても、「ハタラキとしての数値×モノとしての数値」と書いてもかまわないし、「外延量×内包量」の形で書いてもかまわないのだというのが、「かけ算の順序固定反対派」の1つの考え方なのだろうと私は理解しています。

 なお、「外延量×内包量」という形としての「4m×2.3g/m」を採用し、これを「整数×小数」とみなすこともできますが、いまはこの意味での導入は考ないことにします。ついでに言うならば、私が「整数×小数」を割合の特許にしているかもしれない思ったのは、「外延量×内包量」という形で書くときの「内包量」を、百分率や歩合(単位あたり量ではない割合)にしぼっているかもしれないと思ったからです。でも、さすがにそんなことはありませんでした。このあたりの話はいずれまた。

 で、「1mの長さが2.3gの針金」を使って小数のかけ算を学ぶときに、長さはアレコレ考えられ、それにともなって重さもアレコレ変わる(長さが決まれば重さも決まる)のだけれど、「2.3」という数値は動かせない、いまは、「1mの長さが2.3gの針金の世界」に限った話をしているのだ、というようなことを考えていたら、数教教の「ブラックボックス」と、自分で勝手に作った「アクリルたわし圏(もどき)」のことを思い出したのです。

 「ブラックボックス」というのは、大昔、数学教育協議会(というか遠山啓)が関数を学ぶツールとして発案したものです(>ブラックボックスとはなんであったのか・3)。

 こういう発想に基づいたもの↓

     

 実際に“リアルブラックボックス”が作られ、1970〜80年代あたりには数教協の中学校の先生方によって盛んに使われていた教具だと思います。わが家にもありました。xの値を書いたカードの裏にyの値を書いておいて、中でひっくり返すのです。

 ブラックボックスのような図だと何がいいかというと、たとえばウィキペディアの全射のところにある写像の対応図では、2つの集合が楕円で示され、そのなかの要素どうしを矢印(これがハタラキにあたる)でつなげることで写像の様子が示されていますが、原因も結果も枠内にあり、この枠内にあるものどうしの関係にしぼられています。それにひきかえブラックボックスは、原因、結果を囲む枠がなく、むしろハタラキのほうが実体化されています。

 そして、1mの長さが2.3gの針金の、長さをxxm、重さをygとおくと、y=2.3xという比例の式ができ、これをブラックボックスで示すと、次のようになります。

   

 「ほら! (長さ)×2.3=(重さ)となるでしょ!」ということがいま言いたいわけではなく(実際そうなることは否めませんが)、この2.3がどこから来たかというと、「長さの数値」として「1m」を投入したら、「重さの数値」として「2.3g」が出てきたという、その2.3のことを考えています。

   
 この意味での2.3が、単位あたり量です(と、私は理解しています)。

 この考え方を多次元量としてのベクトルでも考えることができるよ〜ということを、「お会計不透明カフェ」と単位ベクトルで示しました。(あのときには分離量のみ扱いましたが)

(つづく)
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「量圏」のその先と、森ダイヤグラム

 銀林浩『量の世界・構造主義的分析』(むぎ書房/1975)の章立ては、次のようになっています。

   第1章 量の一般論
   第2章 外延量
   第3章 内包量
   第4章 比例関数
   第5章 微分と積分の意味
   第6章 多次元量と線型写像
   第7章 終曲−ベクトル解析

 そして最後で、「量圏」「線型空間圏」「関数圏」「多様体圏」が、いわゆる“森ダイヤグラム”でまとめられているのです(なお、森ダイヤグラムという名前は出てきません)。

 森ダイヤグラムというのは、森毅先生が考案したダイヤグラムで、次のような形をしています。

   

 この形自体は見かけたことがあったのですが、森毅先生の考案だということは『量とはなにか−供戮硫鮴癲柄島高敬先生)で知りました。右上に向かう矢印は局所化することで、右下に向かう矢印は多次元化することを示しています。たぶん、数教協の高校の先生にはおなじみの図ではないかと思います。

 遠山啓は1960年代に、数学教育の現代化を追求する中で、高校数学の3本柱「微分積分」「線型代数」「記号論理」を提案していました。このうちの微分積分と線型代数の部分を森ダイヤグラムであわすと、

   

となります(たぶん、これが森ダイヤグラムの原形だと思うのですが、詳細は確認できていません)。上の図を見ると、正比例の指導の重要さが強調されていたわけは、将来を展望したうえでのことだったとよくわかります。

 なお、遠山啓と森毅の視点は少しちがっていたそうで、たとえば微分することを

   

というように商のかたちでおさえるのか(遠山啓)、

   

というように積のかたちでおさえるのか(森毅)といった論点があり、正比例の指導のしかた、内包量の指導のしかたにまでさかのぼって、いろいろな議論と結びついていったのだそうです。
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「アクリル毛糸の量の圏」を作りながら思ったこと

 「アクリル毛糸の量の圏」---圏になっているものとして話を進めますが---をつくりながら、いろいろなことを思いました。

 以前、圏を自分でさがせるかな?とあれこれ身の回りをみまわしたとき、「対象よりも射をさがすほうが見つけやすそうだな。射をさがすには何か1つのものに2つのものがくっついているもの、その2つのものに方向性があるもの(区別がつけられるもの)じゃないと射にならないよな…」と思ったのですが、分数というのは、まさにその「区別のつく2つのものからなる1つのもの」だと気づき、こんなに身近に「区別のつく2つのものからなる1つのもの」があることになんだか感動してしまいました。もちろん、分数ではなくわり算の商でもよい(どちらかというと商のほうがよい?)のでしょうが。

 そうして思い出す、割合分数論争のこと。ただし、いま問題にしたいのは「1m^2を3等分して得られる1/3m^2」といった意味での「1つの量分数」ではなく、2つの量の関係(商)でありながら1つの量になれる「内包量」です。
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銀林浩の、正比例関数から量圏への説明の流れ

 「アクリル毛糸1玉の量の圏」は銀林浩『量の世界・構造主義的分析』の第4章を読みながら考えたことですが、アクリル毛糸という例はもちろんのこと、射を分数にするのも私が勝手に考えたことなので、銀林先生が書かれていることをかなり曲解または誤解しているかもしれません。

 ちなみに、「§3 量のカテゴリ」はどのような話の流れになっているかというと、

● 理念的には、内包量と正比例関数はまったく一致する。しかし、人間にとっての認識の難易からみると、両者のあいだには違いがある。

● 正比例関数による内包量の創出には、認識上の制約がなく、入力-出力という対応関係だけに着目する。これは、内包量の範囲を一挙に拡げるものといえる。

● 関数を介することによって、内包量同士の演算を導入することができる。合成関数と、その加法保存性。2つの内包量のかけ算の定義。

● 正比例関数は双射(1対1)なので、その逆関数が考えられ、逆関数も加法を保存し、正比例関数になる。逆内包量。

● (この節の以下の部分はとばしてもさしつかえないという欄外コメント付きで)以上の叙述は、最近の数学における圏の定義を思い起こさせる。圏の定義。

● 「量圏」(by銀林浩)を考える意義で書いたようなこと。

そして、
 ところが,これまで,正比例関数は y=ax というただの数学的パターンとしてのみ扱われていたし,量の世界の構築とは関係がなかった。一方,理科や社会科における諸量は,正比例を利用できないために,まったく非系統的にバラバラに,経験的にか天くだりにか与えられていた。これは,量にとっても正比例にとっても不幸な事態であったといわなければならない。
というふうに締めくくられ、正比例による内包量の創出の話へと移っていきます。
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アクリル毛糸1玉に関わる量で圏はつくれるかな?

 先日、アクリルたわし用の毛糸を買いました。いつもは百円均一ショップで買うのですが、今回は別のお店で1玉220円で購入しました。45gで67m。この毛糸を使って私は直径約10cmの円形のたわしを編みます(使うかぎ針は、毛糸の太さに対して少し小さめのもの)。面積に換算すると約78.5^2、重さは約13gです。1玉から約3.5個分のアクリルたわしが作れる計算になるので、1玉で275^2分くらい編めることになります。

 というように、アクリル毛糸1玉に関する量はいろいろとあるわけですが、その中から「220円」「45g」「67m」「275^2」という外延量を取り出して、これらを対象とする圏はつくれないか考えてみることにしました。射は、これらの量を分母、分子にもつ「分数」です。そして、分母を始域、分子を終域にします。とりあえず、射として次の5つを考えてみます。

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内包量を二重構造で考える意味

 銀林浩『量の世界・構造主義的分析』を読んでいます。

 きのうのエントリのような話をきくと、なるほど、内包量には直接的なものと間接的なものがありそうだ、という話が少し納得できてきました。ぱっきりわけられるものではないだろうし程度問題という気はしますが、1つの物体の「質量」と「体積」や、ある人が歩いた「時間」と「距離」にくらべ、「ガソリンの量」と「走行距離」は離れているといえば離れています。何しろガソリンで走る自動車がないとこの2つの量は結びつきそうにないし、そんなふうにして“作られてきた量”というものはたくさんある気がしてきました。

 銀林先生のいう直接的内包量とは、xとyが比較的近くにある場合、つまりxとyとの関連が直接つかまえられるくらい接近している場合でした。

 一方、正比例関数による内包量の創出には、そのような認識上の制約がない、としています。だから、2つのかけはなれた物体A、Bのそれぞれの側面x(A)とy(B)を結びつけることも可能である、と。
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生物、人間、量と法則のからみあい

 正比例関数を介さず、直接的に構成される内包量で書いたように、銀林先生は内包量を直接的に構成される典型的な内包量と、正比例関数を介して構成される間接的な内包量に分けて考えておられます。そのことについて、第1章にもどって考えてみます。

 第1章の「§2 量と人間」で、銀林先生はまず、森の中に住むある種のダニの話を出されています。ユクスキュル、クリサート『生物から見た世界』(千夜千冊をリンク)の中に書かれてある話のようです。このダニは、茂みの枝などにいて、人間であろうと動物であろうと、獲物が通りかかるのを待ち伏せ、その上に落下して生き血を吸うのだそうです。この生物には視覚も味覚も聴覚もなく、ただ酪酸の匂いに反応する嗅覚だけしか備わっていない、という話です。
このような生物にとっては,その環境世界の中で意味をもつ量は,酪酸の濃度だけである。
 このように下等な生物であれば環境世界は単純ですが、生物が高等になるほど、その環境世界は複雑で、関与してくる量は多岐にわたります。特に人間にとっては、きわめて多くの量が意味をもってきます。
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円周率と比例の関係

 銀林浩『量の世界・構造主義的分析』の第4章を読んでいます。

 そんなこんなで、緑表紙における比例指導は「円周率」から始まるのですが、銀林先生は、
円周率πは,単位長さの直径をもつ円の周長として構成することはできない。そのようなものを考える必然性はないからである。逆に,円周率πは,円の周長が直径に正比例すること(このこと自身は,相似形の周長の比が相似比に等しいことと,円周を内接・外接正多角形で近似すれば示される。§8参照)から,その内包量として構成する以外にない。だから,この公式を前提として正比例を結論することは,堂々めぐりの循環論法(vicious circle)に陥るのである。
と指摘しています。
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