TETRA'S MATH

数学と数学教育

親子ブログで「かけ算談義」、noteで「道徳」

 きのう、親子ブログにこんなエントリを投稿したので、こちらでもご報告します。↓

こどものちかく、親子でちょっとトーク
中1の娘と「かけ算の順序」で親子談義


 それから、noteで、岡田斗司夫『僕らの新しい道徳』(朝日新聞出版/2013年)の感想を書いています。無料記事です。

岡田斗司夫『僕らの新しい道徳』を読む
「道徳」と、皮膚感覚
「校舎の窓ガラスを壊してまわった」ことが歌詞になり得るのは
知り合いのブログが炎上したらどうする?
道徳は個人の価値観の問題ではないけれど
「スタッフが美味しくいただきました」のテロップの意味
ネットで「道徳」はつくれるか?
不利益の再分配
(まだ続く予定)

 タイトルから対談相手の部分は省略しました。最初の記事から順にたどれます。よろしかったらどうぞ〜!
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takehikomさんのブログの記事のご紹介・3

 前々回takehikomさんから次のブログの記事のご紹介をいただいた経緯と、自分の立場について書き、前回、1つめの記事についての感想を書きました。


[OoM] かけ算の順序は,ネットde真実? (2014.09)
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140927/1411770003

[OoM] かけ算の順序を授業にすると〜イランとアメリカ
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20141002/1412193761

[OoM] Re: ツイートするよりパブコメ出そう
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20141030/1414618764


 2番目の記事は、それこそ今年5月の私の質問に対する資料提供をいただいたわけですが、すみません、もはやその気力がありません…(涙)。今回、感想は控えさせていただいます。

 というわけで、最後に3番目の記事について。私のブログの記事へのご意見、感想ですね。

 まず、「かけ算の順序」の明確な定義についてですが、現段階で私が示す定義が入り用な方は、むしろ、この件に関してパブリックコメントを出す必要はないと考えます。私がパブコメを促したいのは、すでにこの問題について関心をもっておられる方、なんらかの形で問題視をされている方です。それぞれの方が、それぞれの視点で意見を出してくださるとうれしいな、と思っています。「かけ算の順序問題」と言われてピンとこない方に対してまで、「お願いですからパブコメ出してください」とは申しません。

 で、そのあと結合法則の文脈の話が出てきていて、自分の問題意識にない話なので「?」となってしまったのですが、要は、用語の定義についての話の続きだったのですね。

 「かけ算の順序」という用語はおかしいということは、以前からtakehikomさんが主張されていたことだとうっすら記憶していますが、私がいう「かけ算の順序」は、かけ算の文章問題を解くときの式を、「1つ分の大きさ×いくつ分=全体の大きさ」と書くこと(「いくつ分×1つ分の大きさ=全体の大きさ」とは書かないこと)という、ただそれだけの意味です。そして、この問題に様々な事例を通して関心をもっている方々とは、「かけ算の順序」で話が通じると思っています。

 そして、「行き過ぎ」についてのご意見ですが、歴史的考察をすることや、日常見られる多様な用法と照合してこの問題を考えることはとても有効だと思うので、そのようなアプローチで算数教育の諸問題に取り組みたいという方には、是非そうしていただきたいです。

 大谷実さんの論文については、私は「比例について、算数と数学の接続を考えたい」という自分の目的意識にそって、必要なものをいただきました。Twitterのリプライによると、「協働」は今後takehikomさんが取り組みたいテーマのひとつであるようなので、特にそちらに意識が向かったということなのでしょう。
https://twitter.com/takehikom/status/537728398819201027

 で、そのあとのドン・キホーテですが、「照合が足りない」「資料収集が足りない」とtakehikomさんに言われてしまうと、もう返す言葉がありません。余計なことを書いてしまったと後悔しています。「こういうことをちゃんと考えて学習指導要領や教科書を作っているんだろうか?」と書かずに、できあがった学習指導要領そのものと教科書そのものについて考えればいいだけの話でした。ちゃんと考えたうえで学校図書の教科書のような比例の扱いになってしまったかもしれないわけですものね。

 たとえば、私が文部科学省に出した意見について、以下のような感想をいただいておりますが、後半に出てくる「別モデル」の話を読んで、(takehikomさんのお考えとはいえ)「すっごい!教科書ってそこまで考えているかもしれないの!?」と驚きました。つまり、順列のかけ算を「1つ分の大きさ×いくつ分」とは“別の”乗法と考えれば、矛盾はないという解釈なのですね。

[OoM] 「起こり得る場合」とかけ算
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20141126

 最後は2chのお話。すごい、2chもリサーチしておられるんだ。というか、検索でひっかかってきたという感じでしょうか。文献のみならず、こういう市井の声(?)も大事ですよね。

 思うに、何か考えごとをしようとしたときに、偏りのない十分な情報を得て、読み、考察し、つなぎあわせていくのはとても大事なことだなぁ、とあらためて感じています。と同時に思うことは、どこまでやっても「これで十分」とはいえないんだろうな、ということ。

 また、情報って多ければいいってもんでもないなぁということも感じています(takehikomさんへの皮肉ではありません、念のため)。特にネットでいくらでも情報が仕入れられる今日、自分の情報処理能力をふまえ、そのときの目的意識をもって情報を選び(偏らせてという意味ではない)、仕入れたらいったん閉じた状態を作って、醸成させる時間をもつことも大事なのかもしれません。

 そのためには、良質な資料を得る努力と見極める能力(あるいは“勘”)も必要ですね。機会はたくさんあったほうがいいのでしょう。いろんな人からいろんなことを教えてもらい、そこから自分が選んでいく。

 また、ひとりの人間ができることは限られているので、それぞれが、それぞれの関心や目的意識で自分の問題に取り組み、つき合わせたり、受け継いでいったりして、みんなで考えていくことの意味も忘れずにいたいです。

 なお、この場を借りて付記させていただくと、教科書会社への意見提出(というか文部科学省へ意見を出したことの報告)はひとまず先送りしております。

 私は中教審の算数・数学専門部会で「式の意味」や「算数・数学教育における表現力育成とは何か」について議論していただきたい(「中央」の方々の意見がききたい」)のですが、そのためにいまできることは、文部科学省の通常窓口から意見を出すことしかありませんでした。お門違いといわれようとも、それしか思いつきません。なので、学習指導要領本文と検定教科書をもとにして意見を出しました(その他、文献1冊、横浜市教育委員会のサイト、学習指導要領解説の一部の内容も引き合いに出させていただきました)。

 あと、前回、takehikomさんは、判断に踏み込むことはあまりされないのかもしれないと書きましたが、きのうの記事では、はっきりと判断を記載されています。締めくくりの部分で「かけ算の順序問題」との共通点にも触れられています。

[OoM] 正方形は長方形・俺流まとめ
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20141127

 以上、takehikomさんのブログの記事についての感想を書かせていただきました。今回、いちばんうれしかったのは、Twitterでブログの記事をご紹介いただいたことと、「機会があれば取り上げていただけると幸いです」と言っていただいたことでした。
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takehikomさんのブログの記事のご紹介・2

 前回、takehikomさん(http://d.hatena.ne.jp/takehikom/)から次のブログの記事のご紹介をいただいた経緯と、自分の立場について書きました。


[OoM] かけ算の順序は,ネットde真実? (2014.09)
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140927/1411770003

[OoM] かけ算の順序を授業にすると〜イランとアメリカ
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20141002/1412193761

[OoM] Re: ツイートするよりパブコメ出そう
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20141030/1414618764


 今回は、1番目の記事の感想を書かせていただきます。おそらくtakehikomさんは、おもにまんなかあたりの話題を私に伝えてくださろうとしたと思いますが、せっかくなので全般的に。

 まず、すごいなぁと思うのは、来年度から使用される教科書をすでにひととおりチェックされていること。こういうこともやらずして文部科学省に意見を出している私は「出直してこい!」状態ですよね。教育学がご専門ではなく、いまの算数教育に異を唱えたいお立場でもない(と私は認識しています)のに、これだけのエネルギーを「かけ算の順序問題」投じておられることに頭が下がります。

 最初に出てくる「基準量」については、「×」から学んだこと@wikiに用語説明があります。  http://www49.atwiki.jp/learnfromx/pages/31.html

 takehikomさんは用語の定義および使い方その他もろもろ細かいことに厳しい方なので(大事なことですよね)、中途半端なことを書くとまたダウトと言われてしまうかもしれませんが、わかりやすさを先行させると、はやい話、文章問題のなかで「いくつ分」にあたる数が先に書かれてある文章問題は、教科書をはじめ教育現場にたくさん出てくるよ、という話だと私は理解しました。

 この話題は、高橋誠『かけ算には順序があるのか』を読んでいない方とも、共有できることでしょう。

 例に出されている「アメを配る」問題で言えば、1人あたりのアメの個数4個よりも、人数である7人が問題文の中で先に出てきています。こういう問題で児童が「問題に出てきた数値の順に並べてかけ算の式を書く」と「7×4」となり、「いくつ分×1つ分の大きさ」となっているので、“普通は”バツになります。

 ちょうどよい機会なので、現行の啓林館の教科書に触れておくと、2年下p.17は「いくつ分」を先に書いた問題“ばかり”が集められたページになっています。

「おかしのはこが4つあります。1つのはこには、おかしが5こずつはいっています。みんなで何こになりますか。」

「テープを4本つなぎます。テープ1本の長さは3cmです。ぜんぶで何cmになりますか。」

「あめを3こ買います。1こ5円のあめを買うと、何円になりますか。」

 最初の問題に対して、「しきは,4×5かな,5×4かな・・・・・・」というイラストの吹き出しがあり、その下に「1つ分の数は5で,その4つ分だから,しきは5×4になります。」という文章が示されています。ちなみにこのページのタイトルは、「かけられる数と かける数」。このページを学習したうえで問題を解く場合、当然のことながら「いくつ分×1つ分の大きさ」という式はバツにしなくては意味がありません。このバツは教師の考えではなく、教師用指導書の指示レベルでもなく、検定教科書が示している学習目標に添った評価です。

 takehikomさんは次のように述べられています。
かけられる数・かける数の意味を大事にする授業や教育評価に対し,数学や日常の使われ方を持ち出したり,「掛算順序強制」といったラベリングのもとであれこれ言ったりしても,算数教育に取り入れられることはなさそうで,その種の批判は「ネットde真実」と呼ぶのがよさそうに思っています.

 数学や日常の使われ方を持ち出して批判することは(そうしたい人にとっては)やってみる価値はあると私は思いますが、私自身はそのようなアプローチはとっていません。>「かけ算の順序」問題を解決するために、いま自分がやるべきこと(2)

 「算数教育に取り入れられることはなさそう」というのはまさにその通りで、だからこうしてtakehikomさんからドン・キホーテと呼ばれながら虚しくがんばっているのでした(笑)。あ、そうそう、余談ですが、以前、この比喩の真意がわからなかったので念のために検索したことがあり、そのときにこんなページも見つけていました(↓)。
http://howardhoax.blog.fc2.com/blog-entry-63.html

 これはこれで勉強になりました。が、「ドン・キホーテと比喩する場合はだいたいこんな感じの意味」という共通理解があれば比喩としては成り立つし、比喩というのはたいていそういうものなんでしょう。

 「ネットde真実」についてはリンク先の説明を読んだものの、かけ算の順序固定批判にこの言葉があてられている意味がいまひとつよくわからず…(「教育現場でかけ算を強制している」ということが妄想なのか、「かけ算に順序はない」ことが妄想なのか)。

 で、以上のこと(文献・資料でわかる現在の算数教育の状況)についてのtakehikomさんの意見(是か非か)は、この記事だけではわかりませんが、過去のあれこれを総合して考えると、たぶん「是」なんだろうな、と私は思っています。なお、Twitterで次のリプライをいただくことができました。「情報の理解」を根底に置かれているということなので、ゼロではないとはいえ、判断に踏み込むことはあまりされないのかもしれませんね。→https://twitter.com/takehikom/status/537728152726806528

 なお、私自身は、「いくつ分」にあたる数値が先に書かれている問題が教科書に掲載されるのは「ものすごくあたりまえのこと」と思っています。逆に、「1つ分の大きさ」にあたる数値が先に書かれている問題しか掲載されていなかったら、そちらのほうが“問題”だと思います。そして、啓林館のように、「いくつ分」にあたる数値が先に書かれてある問題ばかり集めてわざわざ1ページ割いているのは、「行き過ぎ」だと思っています。

 次に、まんなかあたりの話題について。「かけ算」関連でtakehikomさんのブログに予期せぬアクセスがあった話で、「かけ算の式」の各国比較の話題が出てきています。今年の5月ならとびついた話題ですが、もはやその気力はなく…。Tad Watabane さんのお名前が出てきていますね。以前、私のブログで話題に出させていただいた Tad Watanabe さんと同じ方かな?>二重数直線は、もはや Double Number Line (動画のリンクあり)

 そしてラストは、takehikomさんのブログの記事にまとまったアクセスがあったことを受けて、ベネッセのチャレンジ2年生についてのツイート取り上げられています。実物の画像は初めて見た気がするのですが、なるほどベネッセもここまでやっているのですね。

 ベネッセの画像についてのtakehikomさんの「補足」にある「ナンセンスではない」というのは、「ベネッセ独自の解釈ではなく、いまに始まった話でもない(その歴史は長い)」という意味だと私は捉えました。ということは、「かけ算の順序」問題の“初心者”に向けての解説でしょうか。「かけ算の順序」固定に強く異反対される方々は、ベネッセの画像にあるような考え方がいまは算数教育の主流であることをよくわかっていると思うし、それをわかったうえで「ナンセンス」と言っていると思うので。

 最後の6行については、特に後半3行について考え込みました。まずトランプ方式について。これは、「7人の子どもにあめを4個ずつ配る」とき、「Aさんに4個、Bさんに4個、…」と配るのではなく、まずひとりに1個ずつ配っていくと1回目に7個、さらに1個ずつ配っていくと2回目に7個、・・・4回配り終わったら1人4個ずつとなるので、「1回あたり7個×4回分」という意味で「7×4」と書けば、これも立派に「1つ分の大きさ×いくつ分」の式になる、という話です。

 つまり、答案に「7×4」と書かれてあっても、それを書いた児童は「1つ分の大きさ×いくつ分」の発想で式を書けているのかもしれないという解釈もできるわけですが、実際にどう考えてその式を書いたのかは直接きいてみないことにはわからないわけであり、「そう思って書いたかもしれないと解釈してマル」というのは確かにへんな話かもしれません。というか、そもそもそんなふうに考えて書かれたテストでの「7×4」がどのくらい実在しているのか。逆にいえば、この段階での式の意味って、そのくらいのものですよね。
 
 小学校低学年では、たし算・ひき算・かけ算・わり算といった基本演算を、ケタ数を増やしながら段階的に学んでいくようになっていて、各演算の学び始めで出てくるのは2つの数値と1つの演算記号だけです。そういう状況で「式の“意味”」を重んじたり「表現力」を育成させようとすると、出てくる数値の順番にこだわるくらいしかできないのではないでしょうか。となると、たし算やかけ算に順序があるという話になっていってもおかしくはないし、各種演算の中での分類に注意が向いてしまうのもしかたがないことだと思います。

 というわけで、「表現力の育成ってそういうことなの?」と問いかけをしたかったので、このたび文部科学省に意見を出しました(低学年の学習内容から「数量関係」の領域を削除することや、表現力の育成は高学年の課題にするべきだという意見を出しました)。

 takehikomさんは
「8×7」と書いたときに,先生から(黒板にその式を書いたときには他の子どもから),どう見られるだろうか,誤解されるのであれば「7×8」を選べるようになろう,というのが,個人的には2010年あたりの見解です.
と書いておられますが、これはおそらく、かけ算の意味がわかっている児童が、自分の考えのもとに「8×7」と書こうとしている場合を想定した話なんだろう、と解釈しました。期せずして、先ほどの共通理解(ドンキホーテの比喩はだいたいこんな感じの意味で使われる)につながる話だと感じられました。

 私は、こういうことを考える余裕のある児童のために「かけ算の式の順序固定」があるわけではないと考えていますが、かけ算の式の順序固定に強く反対される方々も、こういう「わかっている児童」の答案にバツがつけられたときのマイナス面を懸念しておられるのかもしれませんね。

 ちなみにきのう、現在中1の娘に、かけ算の式に順序についてきいてみました。娘いわく「“ずつ”のほうを先にすればいいから、どういう式を書けばいいかはわかったけれど、なぜ、それを先に書かなければいけないのかはわからない」とのことでした。

(つづく)
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takehikomさんのブログの記事のご紹介・1

 takehikomさん( http://d.hatena.ne.jp/takehikom/ )から、次のブログの記事をご紹介いただきました。


[OoM] かけ算の順序は,ネットde真実? (2014.09)
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140927/1411770003

[OoM] かけ算の順序を授業にすると〜イランとアメリカ
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20141002/1412193761

[OoM] Re: ツイートするよりパブコメ出そう
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20141030/1414618764


 今回これらの記事をご紹介いただいたのは、私があることのご報告とお礼をしたのがきっかけでした。今年の5月に私がtakehikomさんに、日本以外の国でかけ算がどういうふうに教えられているかを端的にまとめたページをご存知かどうかうかがったところ、次のページを教えていただいたのです。

[5×3][reprise] かけ算の式と言葉の順序 メモ
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130126/1359147548

(Twitterでのやりとり)↓
https://twitter.com/tamami_tata/status/465773447700701184

 当時の私は、かけ算の順序問題についての意見を文部科学省に出す際に、グローバル化社会云々の話を絡められないかと考えていました。なので、かけ算の順序問題の背景に言語や文化が関わっていればそれが「使える」と思ったのです。しかし、いろいろ考えていくうちに、そういうアプローチはやめようと思うにいたりました。

 ということのお礼とリンクのご報告をかねてツイートさせていただいたところ、takehikomさんは私のマガジンを購入してくださり、さっそく感想を書いてくださっています。↓

[OoM] 「起こり得る場合」とかけ算 http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20141126#20141126f1

 takehikomさんは資料のリサーチ力がすごくて、「かけ算の順序」問題にかけているエネルギーは私の比じゃないと感じています。(いや、さらっと見つけて、さらっと読んでおられるのかもしれませんが…)

 文献も資料もたくさん紹介しておられます。あまりにすごすぎてほとんどついていけていなくて、今回ご紹介いただいた記事もこのたび初めて読んだのですが(というかまだ読みきれていない)、やっぱりあまりにすごすぎて、「で、結局、どういうことなんだろう・・・takehikomさんは何がしたいのだろう・・・?」と、膨大な量のリサーチ物とそれについての所感を前に呆然としてしまう不甲斐ない私なのでした。

 なお私も、「何を考えているかよくわからない」と言われることがあるので(^_^;、この機会に自分の立場を書いておきます。

 私はもともと、現在の算数教育で「1つ分の大きさ×いくつ分」という形でかけ算の式を書くこと(「いくつ分×1つ分の大きさ」とは書かないこと)という指導が行われていることを、それほど大きな問題とは考えていませんでした。教材をつくる立場から統一感のことを考えていたし、どちらかに統一するなら「1つ分の大きさ×いくつ分」のほうが適切だと思っていたので。

 しかし、メタメタさんがこのことにやけに違和感を感じておられて(それを知ったのはずーっと前)、「どうしてだろう?」と意識するようになり、そのうちWeb上でもよく見かけるようになり、今度はそのやりとりに「どうしてだろう???」と疑問を抱くようになったしだいです。なので、このブログでもカテゴリーを作って記事を書いてきました。

 そして、Web上でいろんな人がいろんな資料をあげてくれて、テストでバツをされるところまではそんなに驚かなかったけれど、式をあたえて絵と対応づけさせる問題や、「y=x×きまった数」という式で表すこともありますといった内容の記述が検定教科書にあることがわかり、そのほかにもこの式の形を書かせることに妙に熱心な授業や教材の現状を知って、「確かにこれはよくないな…」と思うようになりました。

 一方、Web上でこの問題が延々と取り上げられているけれども、話が先に進んでいるように見えず、立場を異にするものどうしの不毛なやりとり(にさえいまはなっていない?)に終わっているように感じられ、そんななかで学校教育に対する不信感がばらまかれている状況が耐え難いものとなっていきました。

 もちろん、かけ算の順序に関わらず、延々と取り上げられて不毛なやりとりが続く議論は他にもたくさんありましょうが、こと算数教育についての話題の、特にこの問題に対しては、どうにも辛いものがあるのです。なので、この耐え難さをなんとかしたいと考え、文部科学省に意見を出して、中央教育審議会の算数・数学専門部会でこの問題を取り上げてもらえるようにできないかどうか働きかけてみる…ということを思いついたのでした。

 というのも、私の理解の根底には、「1つ分の大きさ×いくつ分」の形で書くことを、現在の算数教育から完全に排除するのは無理だし、その必要もないという考えがあり(多くの「順序固定反対意見保持者」のみなさまも、その考えは同じではないのでしょうか、違うのでしょうか。「掛算に順序はない」とシンプルに主張される方もおられるでしょうが…)、しかし実際に「行き過ぎ」があるのは確かで、そういう「行き過ぎ」がある状態では、「1つ分の大きさ×いくつ分」と書くことの意義を擁護することができないからです。

 実際私は何年か前まで、「高学年になると順序固定の発想ははずれていくと思うし、小学校の先生は高学年も教えることがあるんだから、そんなに心配しなくてだいじょうぶよ〜♪」と能天気に思ってました。でも、学校図書の教科書では比例の式まで2通りに示してあることを知り(っていうか娘の学校がその教科書を使っていた)、青ざめたしだい。

 また、すっかりおざなりになってしまっている(私にとってはかけ算の順序よりも違和感の大きかった)二重数直線のことも気になっています。何かが、おかしな方向に進んでいる。

 ところが・・・

 文部科学省に意見を出そうと思うようになって、文部科学省の資料に以前よりも目を通すようになり(といってもこれがまた膨大な量で、読んでいないに等しい状態)、文部科学省は文部科学省で考えているなぁと思うことが増えました。報道よりも、発表そのものを読んだほうがよいみたい。

 また、先日読んだ筑波大附属小算数研究部の冊子でも、共感する部分が予想より多く、問題意識が近いと感じられてほっとしたわけなのです。

 なのに、なんでこういうことが起こっているのか・・・

 と思うわけなのですが、takehikomさんの記事について何も書いていないので、次のエントリで。

(つづく)
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文部科学省の通常窓口から出した意見はnoteにて

 先日、文部科学大臣から中央教育審議会に以下のような諮問がなされました。(そして翌日、衆議院解散という事態になってしまったわけですが…)


初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/ chukyo/chukyo0/toushin/1353440.htm


 上記の発表を受けて、文部科学省の通常窓口から要望のメールを送信しました。その内容はnoteで有料コンテンツとして公開してあります。


文部科学省に出した、要望メール5通
https://note.mu/tamami_tata/n/neff87c1b5257


 有料化の理由もリンクしてあります。noteのアカウントをとって支払いできる状況にするのがひと手間かもしれませんが、よろしかったらどうぞ。なお、これまでの経過を含めてマガジンごと250円で購入いただくのがおすすめですが、このテキストは単体100円でも意味があると思います。

 今後の関連記事は、この TETRA'S MATH で書いていきます。
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リンクしたいページをまちがえていました & パブコメについて

 かけ算の順序問題、パブコメ出そう!のなかの役に立ちそうな最低限の資料において、前回の改定時の「算数・数学専門部会(第1回)における主な意見(論点ごとに整理)」をリンクしましたが、ほんとにリンクしたいのはこっち(↓)でした。(あれはあれで無駄ではないと思いますが)


教育課程部会における審議内容に関して寄せられた主な意見(概要)(算数・数学教育に関するもの)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/ chukyo/
chukyo3/013/siryo/04071301/002.htm



 平成16年6月24日に行われた第3回の専門部会の配布資料として含まれているものです。その意見募集の案内は、時期的に考えておそらくこれではないかと。↓


2004年5月12日 教育課程部会における審議内容に関する意見募集について
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/286184/
www.mext.go.jp/ b_menu/public/2004/04050701.htm



 親子ブログの小学校教育の法的根拠について確認しておく。/学習指導要領の位置づけでリンクしたように、学習指導要領は以下のような流れで作成されるらしく、そうなると改定案に対するパブコメの前に、一度パブコメが募集されるのではないかと思うわけなのです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/ idea/1304373.htm


 時期についてはよくわかりませんが、この1回目のパブコメ募集が勝負(!?)だと思ってます。改定案が出てしまってからでは語句レベルの話になるだろうから大きな変化は期待できないし、そもそも審議は終わっているし。

 で、募集したからには結果がまとめられるわけで、たとえ概要だとしてもその内容が示されるはず。だからここで、明確かつ具体的な意見を出すことが大事だと思っています。
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かけ算の順序問題、パブコメ出そう!

 『算数授業研究 VOL.80(かけ算を究める)』(2012年)の感想が中途半端なことになってしまいましたが、「かけ算の順序」よりもっと大切なことを考えるために、はやくこの問題を解決したい気持ちが募るきょうこのごろです。なお、この冊子には「もっと大切なこと」を考えるためのヒントも含まれていますが、いまはまだそちら方向に集中できません。

 ちなみに私にとっての解決とは、教科書や教育現場から完全に順序の発想をなくすことではなく(それはいまの状況では非現実的だと思っています)、「行き過ぎ」をとめることです。(裏の動機はWeb上におけるこの問題をとりまく状況をなんとかすること)

 2016年学習指導要領改訂に向けて、そう遠くない時期に中央教育審議会の教育課程部会が開かれるものと思います。時期はわかりませんが、2020年完全実施をめざすならそろそろ始めないと間に合わないので、秒読み体勢とは言わないけれど分読み体勢くらいには入っているのではないでしょうか。

 状況を総合的に考えて、学習指導要領や検定教科書を作る方々、つまり国の教育の方針を考える立場、そこに近いところにいる方々は、「かけ算の順序」が巷で問題視されていることは認識しているらしいと私は判断しました。それと同時に、問題視は(ほとんど)していない、という印象を持っています。

 そんななかこの問題をなんとかしたいのだったら、次の改訂を活かさない手はないと思うのです。もちろん、この段階で一個人にできることはパブリックコメントを出すことくらいで、それで何か変えられるかというと、「変えられない可能性がとてもとても高い」というのが現段階の感触ではあります。

 しかし、良質で明確な意見が多数集まれば、少しは変化が起こせるのではないかという希望も捨ててはいません。指導要領や教科書に反映されなくても、審議してもらうことはできるかもしれない。審議してもらえれば議事録に残るので、そのなかで委員の方々の考え方を知ることができます。少なくともツイートなどよりは、相手が無視できない手続きにのっとったアクションなのではないでしょうか。

 良質で明確な意見は、いろいろな立場から出せるかと思います。また、そうであるべきだと思います。教育関係者の立場、保護者の立場、一般市民の立場。そのそれぞれの立場だからこそ見えることを整理して、何が問題と思うかを真摯な姿勢で伝えれば、もしかしてもしかすると議論の俎上にのるかもしれません。少なくとも、伝えようとしないよりは伝わる可能性が高いはず。

 自分が問題視しているのは、指導要領なのか、その解説なのか、教科書なのか、教師用指導書なのか、現場での教師の指導なのか。どこか問題だと感じていて、どうしてほしいのか。ということを整理して明確に伝えることは、けして無駄なことではないと思います。しかもそうすることで、自分の頭の中も整理されていくのではないでしょうか。なお、担任の先生や校長先生に伝えたほうがいいことは、そっちに伝えたほうがいいですよね。

 パブリックコメントは、過去の例でいけば、審議の途中で1回、改訂案に対して1回、募集されているようです。改訂案に対するパブコメでできることはほとんどないと思うので、審議の途中のパブコメの段階でできるだけ要望を伝えておく必要があります。その時期は、そう遠くないと推測しています。また、通常窓口から意見を出してわるいということもないのではないでしょうか。
http://www.mext.go.jp/mail/

 その作業のために有効と思われる資料をリンクしたいなぁと考えていたのですが、欲を出すとキリがないし、視点によって必要な資料は様々なので、どの場合にも共通して役立ちそうな最低限のものに的をしぼって、まとめてみます。


〔現在を把握し、過去を参考にするために〕

■前回の改訂のポイント
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/ micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2011/03/30/1234773_001.pdf

■現行の学習指導要領(本文)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/san.htm

■(現行の学習指導要領の解説はここから見られます↓)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/index.htm

■前回の改訂時の算数・数学専門部会(第1回)における主な意見
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/ 013/siryo/04062201/001.htm

[2014年11月23日追記] リンクしたいのはこっちでした↓
■教育課程部会における審議内容に関して寄せられた主な意見(概要)(算数・数学教育に関するもの) http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/ chukyo/ chukyo3/013/siryo/04071301/002.htm

■(前回の学習指導要領案に対する意見と回答はここからダウンロードできます↓)
http://search.e-gov.go.jp/servlet/ Public?ANKEN_TYPE=3&CLASSNAME=Pcm1090&KID =185000297&OBJCD=100185&GROUP=


〔今後の方針をおさえ、意見提出の参考にするために〕

■2014年1月/教育新聞>下村文科相インタビュー記事
http://www.kyobun.co.jp/feature/20140101.html

■2014年4月/教職研修>前川局長インタビュー記事
https://www.kyouiku-kaihatu.co.jp/ assets/files/1404kantou.pdf


 新しい発表があったら、またリンクします。

 なお、普段この件についてWeb上で意見を出したりしてはいないけれども、実はひっかかっているという方がいらしたら、是非この機会にパブコメをどうぞ!
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いったん別の論文をはさみます/算数と数学の接続をはかる比例の学習

 筑波大学附属小学校算数研究部企画・編集の『算数授業研究 VOL.80(かけ算を究める)』(2012年)を読んでいる途中ですが、いったん別の論文をはさみます。



 少し前に、Twitterから得られた情報をもとにして、次の論文を知ることができました。

算数と数学の接続をはかる実践家と研究者の協働的デザイン研究
「文化-歴史的活動理論」に基づく比例の学習指導を例として
大谷 実/金沢大学

http://ks001.kj.utsunomiya-u.ac.jp/~math46/otani.pdf

そういえば最近-------もしかしてだいぶ前から?------「デザイン」という言葉が教育界で流行っているのでしょうか? 11月に和歌山大附属小学校の研究発表会で佐藤学さんと秋田喜代美さんの対談があるらしいのですが、そこにも「デザイン」の文字があります。→ http://www.aes.wakayama-u.ac.jp/?action=common_download_main&upload_id=2080 )

 現在、小学校では、5年生で比例とはなんであるかの“さわり”を学び、6年生でグラフと式、反比例を含めて比例を学習します(ここ三代の学習指導要領の移り変わりについては、小学校での比例・反比例の扱い・1をご覧ください)。

 大谷実さんは「2.比例の指導内容の概観」の最初で、こう述べられています。
 比例は第 5 学年でその用語も含めて素地的な指導が,第 6 年で正式に指導されるが,その考えは,かけ算の学習から暗黙的に用いられ,小数・分数の乗・除法,単位量あたりの大きさ,割合,比,面積や体積の求積公式にも関連する.
 この「(比例の)考えは,かけ算の学習から暗黙的に用いられ」ということについて、これまでずっと考えてきました。さらに、大谷実さんが「内比・外比」という言葉を使って語っておられることについても、しつこく考え続けてきました。

 大谷さんが言うところの内比とは、「xの値が2倍、3倍、…になると、それにともなってyの値も2倍、3倍、…になる」というふうに、xの値どうしの比、yの値どうしの比のことで、小学校ではこれが比例の定義になっています。

 一方、外比というのはxの値とyの値の関係を式で表すときの比のことで、y=axという式を使って比例を定義する中学校は、まさにこの外比に注目していることになります。比例は、小学校と中学校では、定義が異なっています。

 xとyの関係を横長の表に表した場合、「横の関係」が内比、「縦の関係」が外比ということになります。そのことを、比例の対応表についてさらにつっこんで考えるなどで書いてきました。

 大谷さんは、
その際,数表,式,グラフの中で,児童は,外比を避け,数表を用いて内比で,横にみる傾向が強い
と書いておられますが、傾向が強いというより、そのように指導されてきているのだと思います。

 さらに読み進めると、
小学校の式 y=(決まった数)× x は,データを操作する一般的な規則(公式)である.中学校の式 y=ax は,すべての対(x, ax) からなる集合を表す静的な対象となる.対象であるがゆえに,「比例 y=ax は」という,主語としての表現が使用される
とあり、この話は遠山啓が関数の導入教材として「ブラックボックス」を提唱したこととつながると私は思いました。(なお、数教協的には“シェーマ”というべきところなのですが、もう「教材」と呼ばせていただきます)

 そして、
現行学習指導要領では,関数領域が新設され,第1学年で関数の概念を学ぶ.このことは,比例を関数として捉え直し,小学校で劣勢であった外比の見方を強調し,式で考えることへと誘う役割を果たす.
と述べておられます。

 まさにその通りで、小学校ではxとyの関係を示す式から比例をとらえることは「劣勢」です。前回の指導要領改訂で、比例の学習の一部が中学校から移行されていますが、あいかわらず「式」の意味するところは劣勢であり、しかもその段階で学校図書は「y=きまった数×」と「y=x×きまった数」の2通りの式を教科書に載せているのです。

 なお、「y=x×きまった数」が何を示しているかは、教科書だけではわかりません。その直前にある問題が「三角形の1辺の長さと周りの長さ」の比例関係なので、おそらく(1つ分の数)×(いくつ分)の「いくつ分」を3に固定すると、「y=x×3」になるということが言いたいのではないかと想像しています。つまり、最初から与えられている「3」を「外比」とする比例関係を考えていることになります。

 ちなみにこの外比と内比は、4マス関係表とも関わってきます。>二重数直線について思うことのまとめ(2012年夏)・5/「4マス関係表」のこと

 で、1あたり量や帰一法に重きをおく数教協の考え方でいくと、小学校の段階から中学校方式(大谷実さん言うところの外比)に焦点をあてて比例を学習するのが筋だということについて、そうなると話は比例の定義・導入に集約されていくで書きました。

 大谷実さんの論文の記述にいちいち頷いてしまうわけですが、果たして現在の算数教育のメインストリームをなしている方々は、こういうことをちゃんと考えて学習指導要領や教科書を作っているんだろうか?という疑問がわいてしまいます。

 なお、「文化-歴史的活動理論」以降の部分をとばして最後の部分を読むと、
教師は「今までのかけ算っていうのは,実は比例だった」とまとめた.
という記述があります。

 このまとめに Yes というのか No というのかを、算数教育を専門とされる方々にきいてみたい……ということを、『算数授業研究VOL.80』を読む前に書いていたのですが、少なくとも杉山吉茂さんはYesと言われることがわかりました。他の方もNoとは言わないでしょうが、意識の度合いは様々かもしれません。

 ただ、「ちゃんと考えているか?」というと、やっぱり、あまり考えてないんじゃないだろうか…と思ってしまうのです。教科書を作る人、そして学習指導要領にたずさわる人も。そして、ごく一部をのぞく現場の先生方も。私のこめかみが保護者会でぴくついても無理はない状況ではないでしょうか。

 「リアルタイムの授業」をのぞんでいる私は「俯瞰する系統的学習」に懐疑的ですが、そうはいっても、カリキュラムなしというわけにはいかないだろう、という分別はもっています。

 だったら、ちゃんと考えてほしい。ちゃんと考えたら、もうちょっと「算数教育、ここ苦しいな…」「比例ってむずかしいな…」「かけ算ってむずかしいな…」と思うはずだし、謙虚さが生まれるはずなのに、その苦しさが伝わってこないまま、方法論だけ開発されていっているような気がします。

 低学年から高学年をつなげる"とじひも”が二重数直線だなんて、あまりにも能天気でお粗末だ。

 子どもたちに「意味」「意味」としつこく言うなら、自分たちも「意味」を考えないと。

(つづく)
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ちょっと予定変更

 きのうのエントリの最後で、「Twitter経由で教えていただいた情報をもとにとても参考になる論文を見つけたので、そのことについて書いていきたいと思います」と書きましたが、いったん保留にします。なお、この論文がどうということではなく、自分の都合です。記事自体はほとんど書いていたので、そのことで自分自身の参考になりました。

 きょう、ある資料が届く予定なので、しばらくそちらに集中します。というわけで、「かけ算の順序」問題についてはしばらくこもりま〜す。
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「かけ算の順序」を固定すると、どんないいことがあるのか&数教協の「量の理論」はどこに問題があったか

 小学校でかけ算を学習するときは、(1けた)×(1けた)から始まって、九九を覚え、0のかけ算や10のかけ算を学び、2けた、3けたとけた数を増やしていき、筆算を学習して、今度は小数、分数へと拡張していくようになっています。また、その途中で、交換法則や結合法則や分配法則も学びます。

 つまり、少しずつ段階を経てかけ算を学んでいくわけですが、「けた数」と「数の拡張」のみに的を絞って、そのプロセスをのぞいてみると、次のようになってます。なお、手元にある娘が使った学校図書の教科書の内容なので、現行の指導要領に基づいているのは4年生以降です(3年生のときに補助教材が出されています)。

2年下……(1けた)×(1けた)
     巻末の「算数アラカルト」で、
     「3×12の答えを見つけよう」
3年上……(2けた)×(1けた)
     (3けた)×(1けた)
     (4けた)×(1けた)
3年下……(2けた)×(2けた)
補助教材…(3けた)×(2けた)
4年上……小数×整数
5年上……整数×小数、小数×小数
5年下……分数×整数
6年上……分数×分数

 それぞれの段階で、具体的な場面を提示してかけ算の意味について考えさせていくわけですが、すべて、(1つ分の数あるいは量)×(いくつ分、いくら分)の形の式で学び、「倍」についても学ぶようになっています。

 で、かけ算に出てくる数値のけた数をふやしたり、小数、分数に拡張していくときに、とりあえず「a×b」のどちらか一方を固定して発展させていくわけですが、小数、分数に拡張していくときには(1つ分の数)のほうを発展させ、(いくつ分)のほうを固定しています。つまり、「小数×整数」では、「1mの重さが2.3gのはり金4mの重さ」で導入をはかり、そののち、「整数×小数」では、「1mあたり80円のリボンの2.4mのねだん」で導入をはかるというふうに。また、「分数×整数」では「1回あたり2/5m^2に水をまくことのできるじょうろで3回水をまいたとき、何m^2にまけるか」というような問題設定になっています。

 私も娘といっしょに勉強したとき、「1つ分の数」のほうを発展させるのと「いくつ分」を発展させるのとでは、後者のほうが難しく、より抽象的な思考を必要とすると感じました。

 これは倍についても同じであろうと思います。つまり、1.5mの2倍よりも、2mの1.5倍のほうが、思考を発展させることを求められるだろう、と。

 そう考えられるのは、かけ算の基本に「たし算のくりかえし」という発想があればこそだと思うのですが、皮肉なことに、(1つ分の数、1あたり量)×(いくつ分)でかけ算を定義することをよしとした遠山啓は、かけ算を「たし算のくりかえし」で考えないためにも、このようなかけ算の定義が有効だと考えたのでした。>かけ算の定義について

 なお、交換法則(用語はナシ)を学ぶときにも、なんらかの具体的場面を使って学んでいることと思います。>問題の「個別性」とタイル図と構造

 で、もし、"積極的に”かけ算の順序を排除するとなると、「小数×整数」「整数×小数」を区別することはおかしいということになろうかと思います。1.5mの2倍と2mの1.5倍を区別するのもおかしい、と。しかし、いまの算数の組み立てのままでそれをやるのは乱暴(というか不可能)だろうと私は思っています。

 「1mの重さが2.3gのはり金4mの重さ」で「2.3×4」の計算の仕組みを学んだ。同じような考え方で、他の「小数×整数」もできるようになった。かけ算には交換法則が成り立つと整数で確認できるから、小数でも成り立つはずだ。だから、「2.3×4」を学習したら、「4×2.3」も計算できるわけであり、「1mの重さが4gのはり金2.3mの重さ」というような場面設定は考えなくていい。というふうにするのは無理があるだろう、と。

 おそらく「1mの重さが2.3gのはり金4mの重さ」を求めるときに、「4×2.3」にバツをつける先生は、とにかく最初の式は「2.3×4」にしてくれ、それと「4×2.3」が同じ結果になることとは別問題だ、と考えておられるのでしょう。そのことの是非はひとまずおいておきます。(また、4×2.3が「4m×2.3g」であってもOKだという考え方もあると思いますが、それもひとまずおいておきます)

 ほんでもって久しぶりに、「度」と「率」のことを考えてみます。これは遠山啓および数学教育協議会の「量の理論」のなかで出てくる量の分類で、「度」というのは「異種の2量の割合」(速度、密度など)、「率」というのは「同種の2量の割合」(濃度、打率、円周率など)と考えればわかりやすいかと思います。遠山啓は「率」にはディメンジョンがなく、扱うのが難しいので、「率」よりも「度」から学んだほうがよいと考えました。

 この“ディメンジョン”という言葉をいまだクリアに理解できない私は、とりあえずシンプルにこう考えています。「km/時」や「g/cm^3」という独自の単位がつくものが「度」、単位をつけようのないものが「率」である、と。たとえば、20kmを5時間で歩いたときの時速も、10cm^3の重さが40gである物質の密度も、どちらも「4」という数値を使って表すことができますが、これらの「4」には別々の単位がつきます。しかし、300gの食塩水に15gの食塩が溶けているときの濃度と、1000円の品物に50円の消費税が課せられるときの税率は、どちらも「0.05(5%)」で、単位のつけようがありません。
〔2014年9月20日追記〕厳密には「単位のつけようがない」という表現はおかしいのかもしれません。「g/g」や「円/円」で約分されて「1」になり、そういう意味では「1」という単位がついているとも考えられます。遠山啓がディメンジョンがないといったのは、つまりはそういうことを指しているのかもしれません。このあたりに関連する話題は、「比的率」は外延量という考え方(4)/国際単位系SIと「単位1」で書いています。

 さらに遠山啓&数教協は、均等分布の考えやすい率であるところの「度的な率」(含有率など)、考えにくい率であるところの「比的な率」(打率など)を分け、「度→度的な率→比的な率」と進むのが望ましいと考えました。ついでに言うと、「比」よりも「比例」を先に学ぶほうが好ましいとも考えていました。

 そんな遠山啓&数教協は「帰一法」というものを大事にしたわけですが、これは「3分で240m進む速さで歩くとき、15分では何m進む?」という問題を、240÷3=80(m/分)を考えてから、80×15=1200(m)と答えを出す方法です。これに対し、15分は3分の5倍だから、240×5=1200(m)と考えるのが「倍比例」です。>比例の問題の答えを出すための3つの方法とその意味

 「帰一法」は、いわば「1あたり量に帰る」方法と言ってもいいと思います。こうして出てきた数値(80m/分)は、まさに「度」になっています。一方、「倍比例」のなかで出てくる「5倍」には単位がなく、これは「率」にあたるものです。

 そんなふうに「度」や「帰一法」を重んじた遠山啓&数教協の方法論でしたが、この理論は小学校高学年の学習内容を組み立てることができませんでした。遠山啓が「ともなって変わる量」の導入題材として提案した「水槽」には「度」が出てこないし、しかも(中学校以降の)「関数」の導入題材としては「ブラックボックス」を提案しています。まったく筋道が通っていません。

 遠山啓&初期の数教協の方法論は、水道方式を中心として小学校低学年には有効だったし、中学校から高校へと向かうときの微分積分の学習の説明もつけやすいけれど、「単位量あたりの大きさ」「(率としての)割合」「比例」「比」を学ぶ小学校高学年の学習に対してはまったく系統だっておらず、整理されないまま未完成で終わっています。

 しかし、現在の小学校の教科書には、当時の数教協の影響が色濃く残っているように感じています。かつて対立関係にあった(と私が認識するところの)啓林館のサイトにも、バリバリに「量の理論」が反映されています。

 さらに、数教協が「度」と「率」の区別にこだわったのに対し、現在の算数教育の中心となる考え方では、これらはほとんど区別されていないようです。

 私がいま考えたいのは、小学校の算数の学習指導要領、教科書を作るような立場にある人が、「比例」をどう考えているのか、「かけ算の順序」にこだわるときにいったい何を大切に考えているのか、ということです。そこかつかめずに悶々としているのですが、先日、Twitter経由で教えていただいた情報をもとにとても参考になる論文を見つけたので、そのことについて書いていきたいと思います。

(つづく)
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