圏論に出会うまでのこと/はじまりは「複雑系」
いま、手元に、『圏論の地平線』がある。
書影だけはTwitter上で何度も見かけていたのだけれど、実際に手にしてみて、「予想してたよりさらにボリューミーだなぁ、表紙カバーの色は真っ白じゃなかったんだ、ページの質感はこうなんだな」などと感じながら、部分的に読んだり、ぱらぱらとページをめくったりしている。
本が届くよりも前に考えていたことのような気がするけれど、本が届いてなおさら、この機会に自分にとっての圏論のはじまりを振り返ってみたいという気持ちが強くなった。
というわけで、記録と記憶を頼りに振り返ってみたい。
直接のきっかけは複雑系への興味であり、複雑系に興味をもったきっかけは、河合隼雄・中村雄二郎著『トポスの知 箱庭療法の世界』(1993年/読んだのは1997年?)であったらしい。もちろん、圏論のトポスではない。ある場所でたまたま箱庭療法の道具を見かけて「ほんとに使われているんだ」と少し驚いて、何か1冊本を読もうと思って手にしたのだったと思う。
この本の中にあった科学談義にとてもそそられたのが、複雑系への興味につながったもよう。
複雑系とはじめて接触したのは、ブルーバックスの『パソコンで見る複雑系・カオス・量子―シミュレーションで一目瞭然!』(1997年)を通してだった。そのあと吉永良正『「複雑系」とは何か』(1996年)を読んだらしい。
そしておそらく1997年の夏、私は山口昌哉先生の複雑系のレクチャーを直接聞く機会にめぐまれた。
とある教育関係の集まりでのことだったが、「本当にあの山口昌哉先生だったのだろうか?」という思いがいまでもある。なんてぜいたくな体験なんだ、と。
話の内容はほとんど理解できなかったが、山口昌哉先生の醸し出す雰囲気が面白くて、私の中で「やっぱり複雑系は面白い!」ということになった。ポエティックな方だった。詩的だとかふんわりしているとか、そういう意味ではまったくなく。
さらに、山口昌哉先生の描く説明のための絵は、ポエティックを越えてもはやファンキーであり、私には、丸がいくつか並んでそれがなんとなくつながっているものにしか見えなかった。
驚くことに、それからしばらくして出会った青土社「複雑系の科学と現代思想」シリーズの『数学』(高橋陽一郎、辻下徹、山口昌哉/1998年)には、あのときの雰囲気そのままの図が掲載されていた。
(※ 辻下さんの「辻」は1点しんにょう)
この本所収の辻下徹「生命と複雑系」を通して私は郡司ペギオ幸夫さんのことを知り、圏という言葉に初めて触れたのだったと思う(ただし「高次元圏論」という単語で)。
〔2023年1月17日追記:圏論という言葉も普通に出てきていました。〕
そのあとどんな道筋をたどったのかはよく覚えていないのだが、少しずつジャンルの幅を広げたりずらしながらあちこち本をのぞいてまわり、結局どれひとつちゃんと読むことができず、「内部観測」あたりでまったく理解不能となり、果てたような気がする。
理解はできなかった(人には説明できない)のに、とにかく妙に面白くて興奮していたことだけは確かだったあの頃。
思い返せば当時(2000年を迎える数年間)は、私の人生のひとつの転換期だった。日常生活の変化が複雑系を呼び寄せ、複雑系への興味が日常生活を変えたのかもしれない。
そして、その変化をもたらした根本的なきっかけは何かと言えば、やはり、はじめてのパソコンを購入したことだと言える(1995年末)。
ということを、2006年のブログの記事(現在は非公開)を頼りに思い出している。
そこから何がどうなって圏論の勉強をしようと思ったのかは記録がなく、記憶にもほとんどない。郡司ペギオ幸夫『時間の正体 デジャブ・因果論・量子論』よりも先に清水義夫『圏論による論理学―高階論理とトポス』を購入しているので、『時間の正体』がきっかけで圏論を勉強しようと思ったわけでもないらしい。辻下徹「生命と複雑系」にも、一般的な圏論の話は出てこない。
しかし、「生命と複雑系」についてブログの記事を書いた(>カテゴリー:読書記録(複))少しあと、私は圏論の勉強を始めているので、つまりはとにかくそういう流れだったらしい。
そんなこんなで、圏論が気になり始めて13年。
いま、おおもとに戻りたい心持ちでいる。おおもとに戻って、先に進みたい。
圏論そのものではなく、何が私を結果的に圏論に導いたのか、何が考えたいのか、何に惹かれているのか。
書影だけはTwitter上で何度も見かけていたのだけれど、実際に手にしてみて、「予想してたよりさらにボリューミーだなぁ、表紙カバーの色は真っ白じゃなかったんだ、ページの質感はこうなんだな」などと感じながら、部分的に読んだり、ぱらぱらとページをめくったりしている。
本が届くよりも前に考えていたことのような気がするけれど、本が届いてなおさら、この機会に自分にとっての圏論のはじまりを振り返ってみたいという気持ちが強くなった。
というわけで、記録と記憶を頼りに振り返ってみたい。
直接のきっかけは複雑系への興味であり、複雑系に興味をもったきっかけは、河合隼雄・中村雄二郎著『トポスの知 箱庭療法の世界』(1993年/読んだのは1997年?)であったらしい。もちろん、圏論のトポスではない。ある場所でたまたま箱庭療法の道具を見かけて「ほんとに使われているんだ」と少し驚いて、何か1冊本を読もうと思って手にしたのだったと思う。
この本の中にあった科学談義にとてもそそられたのが、複雑系への興味につながったもよう。
複雑系とはじめて接触したのは、ブルーバックスの『パソコンで見る複雑系・カオス・量子―シミュレーションで一目瞭然!』(1997年)を通してだった。そのあと吉永良正『「複雑系」とは何か』(1996年)を読んだらしい。
そしておそらく1997年の夏、私は山口昌哉先生の複雑系のレクチャーを直接聞く機会にめぐまれた。
とある教育関係の集まりでのことだったが、「本当にあの山口昌哉先生だったのだろうか?」という思いがいまでもある。なんてぜいたくな体験なんだ、と。
話の内容はほとんど理解できなかったが、山口昌哉先生の醸し出す雰囲気が面白くて、私の中で「やっぱり複雑系は面白い!」ということになった。ポエティックな方だった。詩的だとかふんわりしているとか、そういう意味ではまったくなく。
さらに、山口昌哉先生の描く説明のための絵は、ポエティックを越えてもはやファンキーであり、私には、丸がいくつか並んでそれがなんとなくつながっているものにしか見えなかった。
驚くことに、それからしばらくして出会った青土社「複雑系の科学と現代思想」シリーズの『数学』(高橋陽一郎、辻下徹、山口昌哉/1998年)には、あのときの雰囲気そのままの図が掲載されていた。
(※ 辻下さんの「辻」は1点しんにょう)
この本所収の辻下徹「生命と複雑系」を通して私は郡司ペギオ幸夫さんのことを知り、圏という言葉に初めて触れたのだったと思う(ただし「高次元圏論」という単語で)。
〔2023年1月17日追記:圏論という言葉も普通に出てきていました。〕
そのあとどんな道筋をたどったのかはよく覚えていないのだが、少しずつジャンルの幅を広げたりずらしながらあちこち本をのぞいてまわり、結局どれひとつちゃんと読むことができず、「内部観測」あたりでまったく理解不能となり、果てたような気がする。
理解はできなかった(人には説明できない)のに、とにかく妙に面白くて興奮していたことだけは確かだったあの頃。
思い返せば当時(2000年を迎える数年間)は、私の人生のひとつの転換期だった。日常生活の変化が複雑系を呼び寄せ、複雑系への興味が日常生活を変えたのかもしれない。
そして、その変化をもたらした根本的なきっかけは何かと言えば、やはり、はじめてのパソコンを購入したことだと言える(1995年末)。
ということを、2006年のブログの記事(現在は非公開)を頼りに思い出している。
そこから何がどうなって圏論の勉強をしようと思ったのかは記録がなく、記憶にもほとんどない。郡司ペギオ幸夫『時間の正体 デジャブ・因果論・量子論』よりも先に清水義夫『圏論による論理学―高階論理とトポス』を購入しているので、『時間の正体』がきっかけで圏論を勉強しようと思ったわけでもないらしい。辻下徹「生命と複雑系」にも、一般的な圏論の話は出てこない。
しかし、「生命と複雑系」についてブログの記事を書いた(>カテゴリー:読書記録(複))少しあと、私は圏論の勉強を始めているので、つまりはとにかくそういう流れだったらしい。
そんなこんなで、圏論が気になり始めて13年。
いま、おおもとに戻りたい心持ちでいる。おおもとに戻って、先に進みたい。
圏論そのものではなく、何が私を結果的に圏論に導いたのか、何が考えたいのか、何に惹かれているのか。