TETRA’s MATH

『圏論の道案内』はけっこうお得かも

 『圏論の道案内』(西郷甲矢人・能美十三)と『圏論による論理学』(清水義夫)をメインの参考テキストとして、時々『圏論の歩き方』も参照しながら圏論の勉強を進めてきた。

 とりあえず随伴関係の雰囲気だけはなんとなくつかめた気がするし、モナドをのぞくところまではけた。のぞいただけだけど。

 『圏論の道案内』では、このあと「モナドから随伴へ」ということでKleisli圏が出てきて、「計算効果とモナドとHaskell」の話になって、まとめの章である第10章へと続く。

 できればそこまで行きたかったのだけれど、少しのぞいてみて、「これはある程度プログラミングのことをわかっている人でないとピンとこない話なのでは?」と感じたので、いったん立ち止まることにしたしだい。

 そして思うことは、『圏論の道案内』はけっこうお得なのではないか、ということ。

 第10章に書いてあるように、著者としては「自然変換は大事だ」という八字を読者の心に刻んでもらうことがいちばんの願いなのかもしれない。

 しかし、『圏論の歩き方』p.285の脚注から察するに、自然変換が圏論の真髄だという説のほかに、随伴関係こそが真髄であるという説もあるらしく、『圏論の道案内』ではその随伴関係についても扱ってくれているわけなのだ。

 そして、Haskellにもほんの少し触れていてくれる。

 これはけっこう、ありがたいことなのではなかろうか? 初心者向けのわかりやすい本でありながら、圏論の二大真髄の雰囲気を伝えてくれるうえ、Haskellにもちょっと触れておいてくれるなんて。

 さらに、モナドを少しながめたいまとなっては、関手のところでモノイド準同型に3節分割かれているのも実はありがたいことなのではないかと思えてきた。著者のねらいではなかったとしても。

 対象が1つしかなくて、ぐるぐるしてかえってわかりにくく感じられるモノイドを敬遠していたのだけれど、何しろモナドは「自己関手圏のモノイドのようなもの」であるらしく、“モノイド”をわかっていないと、“モノイドのようなもの”という方向からのアプローチはできない。

 そのモノイド準同型のところでは「量」の話が出てきており、内包量も出てきていて、過去の自分ならここがいちばんの扱いどころだったかもしれない。『圏論の歩き方』での西郷甲矢人さんの文末のコメントのことは頭に入っていたので、おそらくそこにもつながる話なのだろうと推測している。(

 ただ、いまじゃないという気がしている。というわけで、タイミング待ちなのだった。

 お得と書いておきながらなんだけれども、実はまだほんの一部しかこの本を読んでいない。上記のモノイドについてもそうだし、普遍性もろもろもそうだし、コンマ圏というルビのついた一般射圏についても、チャレンジしかけがたいまは無理だと断念した。

 とりあえず「随伴関係の雰囲気だけでも感じたい」という目的意識については気がすんだ。

 あとは、例の「コロッケのマッシュポテト包み」のことやモノイド、モナドのぐるぐるする感じ、3つを2つに、2つを1つにしていく感じ、プログラミングのこと、圏論の普遍性もろもろのことなど気になることはあるので、どちらの方向に進めばいいのかしばらくゆるゆる探索していこうと思う。
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圏論「随伴からモナドへ」、自己関手圏におけるモノイドのようなもの

 『圏論の道案内』(西郷・能美)をメインの参考テキストとして、モナドがどんなものかをのぞくだけのぞいてみることにした。

 前回、GFを一つの関手とみて、「2乗から1乗へ」(GFGFからGFへ)、あるいは「3乗から1乗へ」(GFGFGFからGFへ)というふうに、「次数」を戻すことについて考えて、次の図1のような図式が得られることを見た。

図1


 これとは別にもうひとつ、GFについて重要な関係式があるとして、次の図が示されている。

図2


 随伴の三角等式からすぐわかると書いてあり、自分で考えてみたのだけれど、以下のようにそれぞれにGやFを加えたあとで合体させれば、図2になることはなるな、と思った。が、こう考えていいのかどうかはよくわからない。

図3


 図2は「単位律」を示したものであるらしい。「次数」を上げるη:idC⇒GFと整合的というようなことも書いてある。

 すでに頭がごちゃごちゃしてきたので、いま何をしているのか最初にもどって考える。

 随伴関係というのは、圏Cから圏Dへの関手F、圏Dから圏Cの関手G、FGからidDへの自然変換ε、idCからGFへの自然変換ηからなる四つ組〈F、G、ε、η〉が三角等式をみたすときに言えることだった。

 合成関手GFは圏Cの自己関手で、ε:FG ⇒ idD から GFGF ⇒ GF という自然変換GεFが得られ、GFをひとつの関手としてみれば「2乗」を「1乗」にしているようなもので、いわば二項演算(2つの値から1つの値を得る)ととらえることができ、結合律に似た法則が成り立つ。

 GFGF ⇒ GF が「次数」を下げているとしたら、自然変換η:IdC ⇒ GF は「次数」を上げているとみなせる。

 そして、随伴関係の三角等式より、「次数」を下げる自然変換GεF:GFGF ⇒ GFと、ηをもとにつくられた「次数」を上げる自然変換をあわせた可換な図式が描ける。これが図2になる。という理解でいいのだろうか?

 図1が結合律を示しているのはわかりやすいとしても、図2が単位律を示しているというのはどういうことなのか、いまひとつわからない。もう一度、図2を。

図4


 単位元というのは、数のかけ算における1のようなものだと思うのだが、GFηもηGFも、GεFと合成させることでidGFにできるという図式になっているところがミソなのだろうか?

 ここのところがよくわからないけれど、何をしているか全体的な雰囲気はつかめた気がするので、先に進むことにする。準備ができたので、いよいよモナドに入っていく。

 モナドというのは、ひとことでいえば、「自己関手圏におけるモノイド対象」ということらしい。「モノイド対象」がいまはわからないので、とりあえずモノイドのようなものと考えればよさそう。

 『圏論の歩き方』(p.76/第5章)によると、モナドは1950年代後半ではtripleなどと呼ばれていたらしいのだけれど、よりよい名前を与えようということになり、Jean Benabou(Bのあとのeは上に^がある表記)によりモノイドを連想させる語としてmonad((モナド)という名前が発案されたとのこと。

 「モナド」というとライプニッツのモナドのことを思い浮かべるけれども(「モナドには窓がない」という言葉を知っているだけだけど)、ウィキペディアの「モナド(圏論)」にマックレーンが哲学用語を借用したと書いてあるのを読んで、「あら、あのモナドからもってきたのかしらん?」とは思っていた。が、上記の話と合わない。

 「モナド」という語がどこから来たかはわからないけれど、とりあえずモノイドを意識されてのことだというのはわかった。

 そのモノイドについて、一度ちゃんと考えておいたほうがいいのではないかとだいぶ前から思っていたのだけれど、なんだかんだであとまわしになっていた。『圏論の道案内』では「量」ともからめて語ってあるのでいよいよやっておいたほうがいいのだけれど、どういうわけだかなかなか気持ちが向かわずここまで来てしまった。

 しかし、いまの段階で、ある程度確認しておかないとこのあとの話が飲み込みにくくなるので、少しだけ見ておくことにする。

 モノイド(monoid)というのは対象を一つしか持たない圏のことで(射はいくらあっても構わない)、 射の集まりに「射の合成」という二項演算があり、 「恒等射」という単位元があって、結合律、単位律をみたしているという特徴がある。

 あら、どこかで聞いた話だぞと思う通り、『圏論の道案内』では「モノイドと群」という項目があり、「任意の射が可逆なモノイドを群(group)と呼ぶ」という定義が示されている。

 モノイドの特徴を圏論的にいうと、射の集まりをMとしたとき、合成とは射μ:M×M→M、単位元とは射u:1→Mになり、結合律は下図左が可換であること、単位律は下図右が可換であることと言い換えられる、というようなことが書いてある。

図4

M×M×Mの「×」を忘れていてあとから描き加えたので小さくなってしまった↑

 特に小さなモノイドに対してはMは集合とみなせるから、上記の二つの図式はSetにおけるものだ、と。

 図4の対象の配置は、図1、2と同じになっている。ここまでくると、モナドの定義も図がわかるようになってくる。

 というわけで、『圏論の道案内』におけるモナドの定義を見るところまでなんとかたどりつけた。

 圏CからCへの関手T、自然変換μ:TT ⇒ T および自然変換u:idC ⇒ Tが以下を可換にするとき、TをCにおけるモナド(monad)と呼ぶ。

図5


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圏論「水平合成」、モナドまで行けるか

 今回の圏論の勉強は、「随伴関係をなんとか雰囲気だけでもつかめないか」という気持ちで進めてきたものだけれども、以前より少しは雰囲気がつかめたとはいえ、「気がすんだ」感じがまだしない。

 しかし、同じところにずっといるとそれはそれで煮詰まってしまいそうなので、いっそ先をのぞくことにした。

 というのも、『圏論による論理学』(清水)の「ユニットとコユニット」で示されている事柄が、『圏論の道案内』(西郷・能美)のモナドにつながりそうな気配がしているからなのだ。無謀な気がしないでもないけれど、とりあえず少し足を踏み入れてみることにする。

 『圏論の道案内』の「随伴からモナド」は、ε:FG ⇒ IdDから、GεF:GFGF ⇒ GFという自然変換を得るところから話が始まる。左からG、右からFを合成すればそういうことになる。GFGFからGFへの自然変換なので、GFを一つの関手とみれば、「2乗」を「1乗」に戻しているようなものだと本に書いてある。

 そんなふうに、より高次なものからGFにもっていくことを考えるとき、結合律に似た法則が成り立つと話は続く。どういうことかといえば、「3乗」GFGFGFからGFに辿り着くには、以下の2通り(後ろの2組について変換する場合と、前の2組を変換する場合)が考えられるけれども、それらが等しいということ、つまり可換であるということ。

  図1


 ちなみに、本文中(Kindle位置3564あたり/第9章1節)で(GFGF)GF ⇒ GFGF の自然変換に対して「GFGεF」とあるのは「GεFGF」ではないかと思うのだが。ネット上の正誤表には該当箇所が見当たらなかった。

 で、図1が可換であることを見るには、右端のFと左端のGを取り除いた

図2


が可換であればいいとして、水平合成(horizontal composition)と垂直合成(vertical composition)の説明へと入っていく。

 水平合成とは何かについて先に定義を書いてしまうと、自然変換 α:F ⇒ G、β:S ⇒ T についてその水平合成 αβ を αβ:= αT Fβ= Gβ αS によって定める、というもの。

 αとβについては、次のような図式が描ける。左は自然変換としての図式で、これを圏Cの対象Xについての成分を考えることでCの図式になおしたのが右になる。

図3


 一方、垂直合成というのは、関手圏の射としての自然変換の合成をさすらしい。というか、水平合成と区別するためにこう呼ばれるということもあるということのよう。

 図2が可換となるのは、ε同士の水平合成を定義するものだから、ということなのだけれど、ε:FG⇒idDが二つあって、FとSがFGになり、GとTがidDとなり、αもβもεならば、確かに図2になる。

 ここでいったん、『圏論の道案内』から『圏論による論理学』にうつると、ユニットとコユニットのところの2つめの定理として次のようなものが示されている(AはBの任意の対象、BはCの任意の対象)。

図4


 なぜこういうことが言えるのかについて、(1)の 1)についてだけまとめると次のようになる。

図5


 なんというのか、うまくあてはめればいろんなことが言えちゃうんだなぁと思うことであった。

 なお、この定理の「注意」では「閉包」や「開核」という言葉につながる事柄が書いてあるのだけれど、いまは無理そうなのでとりあえずおいておく。

 図4の定理の(1)も、「2乗を1乗に」の形に見える。
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圏論「ユニットとコユニット」、書いてあることには意味がある

 『圏論による論理学』(清水)では、随伴関係について略式の定義正式な定義が示されており、その間に「ユニットとコユニット」という項目がはさまれている。

 随伴関係の定義から直ちに得られる基本的な事柄を見るために導入されている概念なのだが、なんとなく「ここはまあ、とりあえずいまはいいかな」という感じで読み飛ばしていた。

 しかし、ぱらっとページをめくってみたらGFGFという記号が目に入ったりして、ここを読むと『圏論の道案内』(西郷・能美)とつながるかもしれないと思えてきたので、少しのぞいてみたところ、εやηも出てくる。

 あらー、ここは読まんといかんところだった。

 『圏論の道案内』では三角等式による定義のあとの話ものぞいていたのに(自然同型の話につながる)、『圏論による論理学』で略式と正式の定義にはさまれている部分を読まないというのもへんな話だった。

 まあ、でも、いまが読むタイミングだったということで。

 というわけで、ユニットとコユニットについて見ていく。まずは、どういうものなのかざっくり示す。

図1


 A、Bは対象でF、Gは関手なので、ユニットとコユニットは射ということになる。FとGが随伴(FはGの左-随伴)ならば、上記のような射ηA、εBが存在するということらしいのだ。

 なぜこういうことが言えるのか、本では簡易的な仕方での証明が示されている。ひとまずηのみ図にまとめると、次のようになる。

図2


 εBのほうは、AをG(B)とすれば同じように考えることができる。

 簡易的な証明というだけあって、とてもわかりやすい。

 と、一瞬思ったのだけれど、話は逆だった。もう随伴関係は略式ながら示されていて、それをもとに考えるからわかりやすいのだ。

 実際、随伴関係からunit、counitの存在がいえるし、unit、counitが存在すれば随伴関係が成立するという、その双方向のことが定理となっている。つまり、随伴であることとunit、counitが存在することは、同じ事柄を表しているらしいのだ。

 さらに「注意」において、ηAはη:IdB→GFなる自然変換のA-成分ηAでもあることが書いてある。εについても同様に。

 これはまさに、『圏論の道案内』の三角等式に向けた旅に出てきたηとεのことではないか。

 あらー、ここはもう少しはやく読まんといかんところだった。

 ひとつ気になるのは、積関手や冪関手は出てこないこと。このことは『圏論の道案内』の随伴関係を読んだときの最終的な気になりごとのひとつでもあった。ここをどう考えたらいいのだろう?

 なお、『圏論による論理学』では、ηA、εBの図が次のようなものとして示されている。

図3
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圏論「随伴(自然同型版)」の中身、自分の解釈と疑問点

 前回、『圏論による論理学』(清水)で示されている随伴関係の正式な定義の流れを見ていった。それについて、どう理解し、何に疑問をもち、何がわからないかをまとめていきたいと思う。

 まずはもう一度、定義の式を確認する。

図1


 この式のなかで〇(□, △)という形で書かれているのは、圏〇における□から△への射の集まりのことなので、つまりはHom(□,△)と同じことだと理解した。

 式全体は自然同型を示すものになっている。自然同型については、以前、段階的に考えて、自然同値、関手の同型と同じ意味だととらえてよさそうだということを確認した。

 上記のことが、解説(1)の内容に対応する。
 
(1) C(F(A),B)、B(A,G(B))各々は、〈A,B〉に関手C(F( ), )、〈A、B〉に関手B( ,G( ))が適用されたものである。自然同型τが関手間で定義されることから。

 そして射の集まりは集合なので、Setへの関手だということが(2)で語られている。
(2) C(F( ), )、B( ,G( ))の両者とも、ある圏Dから圏Setへの関手であると考えられる。C(F(A),B)もB(A,G(B))も射の集まりであり、各々集合であることから。

 (2)で出てくるDは、(3)でB×Cだとわかる。
(3) Dは、〈A,B〉なる対を対象としており、A、B各々が圏BCの対象であることから、BC各々を対象とする圏の圏における積B×Cと考えられてくる。すなわちC(F( ), )、B( ,G( ))とも、B×CSetなる関手といえる。

 思い返せば、随伴関係にチャレンジしはじめたころから、ある圏にもともと含まれている対象と、関手で別の圏からうつされた対象との間の射を考えるということがなんだか不思議な感じがしていた。

 圏Cのなかに対象Bはもともとあるとして、圏Bから関手によってうつされた対象F(A)は、もともと圏Cにあったものなのか、それともうつされたことで生じたのか、もともとあったものがうつされたものと同じになるのか、あるいはそういう話ではまったくないのか、いまだにわからない。生じたのだとしたら、射もそのときに同時に生じたのか、ということも。

 いずれにせよ、所属している圏が異なる2つの対象A、Bについての射の集合を考えているのだから、それら2つの対象をともに含む圏であるB×Cからの関手であること、そしてその関手はhom関手のようなものであることが(3)で語られていることなのだととりあえずは理解した。

 hom関手“のようなもの”と書いたのは、第一引数も第二引数も固定されておらず、対象の対に同時に適用されているので、そのままhom関手と言うことはできないと思ったがゆえのこと。

 もしかするとhom関手間の自然変換がヒントになるかもしれないのだけれど、そういえばhom関手の段階から、射のうつしかたの意味がよくわからないまま先に進んだのだった。

 それはそうとして、(3)に対する疑問点としてあげられるのは、B×Cからの関手なのに、うつされた先の射の集合はB(〇,△)、C(●,▲)の形をしていて、圏Bにおける射、圏Cにおける射のままなのだな、ということ。

 もっとも、圏B×Cには対象A、Bというものは存在していなくて、存在しているのは〈A,B〉という対象の対だから、HomB×C(F(A),B)という書き方をするのもおかしな話だとは思う。

 さて、もやもやするところはあるけれど、とりあえずここまではよしとする。問題はこの先、B×Cでの射の対〈f,g〉がどううつされるかについて。

 圏の積では〈A,B〉→〈A´,B´〉の射が〈f,g〉と表せるとしても、もともとはf:A→A´、g:B→B´なのだから、f:B→B´となったり、g:A→B´となったりすることはなく、そこは気を遣う必要があるのだろうとは思う。そして、圏論の場合は何かと可換が大事だから、そこも気を遣わないといけないこともわかる。が、どう気を遣えばいいのかがよくわからない。

 とりあえず解説の(4)をもう一度読んでみて、図もながめてみる。
(4) 一方、C(F( ), )、B( ,G( ))が関手であることから、B×Cでの射の対〈f,g〉にも各々が適用され、適用結果を各々仮に☆1、☆2とすると、両関手間の自然変換が問題となっている以上、両者とも下図の右の四角形を可換にするようなものと考えられてくる。

図2


 図2の右の四角形が可換になるということは、C(F(A),B)からB(A´、G(B´))へ行く2通りの行き方が同じものになるということだと思うのだが、
(5) しかし、このような条件をみたす☆1、☆2は存在しない。すなわち〈f,g〉に対応する☆1、☆2をうまく定義できない。

と話は続く。なぜ定義できないのかわからないまま先を読むと、
(6) そこでDB×Cではなく、改めてB^op×Cとする必要がでてくる。実際このとき、下図のような状況となり、その右の四角形を可換とするような新しい〈f,g〉に対応する*1、*2がうまく定義できてくる。

図3


ということで双対圏が出てくるのだった。『圏論の道案内』でも双対圏や反変関手がよく出てきたので驚きはしないし、逆に話がつながって助かるのだけれど、なぜこうなると定義できるのか、その意味がわからない。

 では、
(7) 新しい〈f,g〉にC(F( ), )、B( ,G( ))を適用した結果である*1、*2は、各々具体的には次のようなものになる。

 というところの*1、*2とはいったいどんなものなのか?

 前回は図式を示すだけだったけれど、本には次のような解説も書いてある。少しだけ書き方をかえてまとめてみる。図ももう一度示す。

*1……B^op×Cのf(A´→A)とgに対してのC(F(f),g)なる*1は、h∈C(F(A),B)なるhについて、ghF(f)を対応させるSetの射。

図4

*1は、h ―→ ghF(f)


*2……B^op×Cのf(A´→A)とgに対してのB(f,G(g))なる*2は、k∈B(A,G(B))なるkについて,G(g)kfを対応させるSetの射。

図5

*2は、k ―→ G(g)kf


 いったん(5)にもどって考えると、B×Cのままで h が h´にうつされるとして、gh=h´fという条件を満たす h´と考えればよいのでは?と思って次のようなきわめて感覚的なことを考えてみたら、結果的に上記の*1と同じようなことになることはなった。

図6


 というか、これだとh´を「すでにある射の合成として示すにはどうしたらいいか」の問題であるように見えてくる。

 それにしても混乱してしまうのは、図3の四角形と図4、図5の四角形は意味が違うのに、どちらの可換性を考えているのかわからなくなるところ。*1は図3の四角形の左側の縦の線、*2は図3の四角形の右側の縦の線を表していると思うのだが。

 そもそもが「射の集まりをつくる関手間の関係」なので、矢印が何段階にも重なっており、いまどこを考えているのか、何がどうなったら可換なのかがクリアに見えていないので、(6)、(7)が何を示しているのか理解できないのだと思う。
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圏論「随伴(自然同型版)」の流れ、圏の積がミソだった

 『圏論による論理学』(清水)に示されている略式の随伴関係の定義は、「巴」のイメージを示すものだった。

 一方、正式な定義のほうは、定義自体はシンプルなのだけれども、7段階に分けた解説がなされており、途中で☆マークや*マークが出てきたり、「これこれこうではうまく定義できないので、これこれこうする必要がでてくる」といった雰囲気のことが書いてあったりして、「大変そうだなー」という印象をもっていた。

 なので、メインのテキストを『圏論の道案内』(西郷・能美)にかえて三角等式版の定義を理解すべくチャレンジしていたのだけれど、こちらはこちらでその意味がさっぱりわからない。

 何かヒントがつかめないかと自然同型hom関手前層について考えていくうち、『圏論の歩き方』も参考テキストに加わり、「圏と圏の積」に気持ちが向かうようになった。

 そうすることで、『圏論による論理学』の正式な定義がようやく読めるようになってきたしだい。まだ理解はできていないが、以前は読み進められなかった解説の文字が追えるようになってきたという意味で。

 圏と圏の積は、集合の直積に近い形でまずはとらえることができる。集合A、Bの直積というのは、Aの要素とBの要素のペアからなる集合だけれども、圏と圏の直積の場合も、対象の対を対象とし、射の対を射として、合成を成分ごとに自然に定めたものであるらしいのだ。

 ここで個人的に地味に発生するのは、「“自然に”とはなんぞや?」の前に、「積と直積は同じものなのか」問題なのだけれど(以前も疑問に思ったことがある)、いずれにせよ圏の積は集合の直積とまったく同じものというわけにはいかないので、いまはとりあえずよしとする。

 圏の積の対象は〈X,Y〉、射は〈f,g〉というふうに、山括弧でくくって示してある。この山括弧が『圏論による論理学』でも出てきていて、意味がよくわからずにいたのだった。

 というわけで、ようやく文字を追えるようになってきた『圏論による論理学』p.128〜131、第3章§3.2の随伴の正式な定義(のメインの部分)を確認したあと、7段階の説明の内容を、多少、省略する形で自分なりにまとめていくことにする。

 疑問点とその部分をどう考えたかについては別記事で書くことにして、まずは全体の流れを見ていく。以下、図は本を参考にこちらで描き起こしたもの。番号もこちらでつけた。

図1


(1) C(F(A),B)、B(A,G(B))各々は、〈A,B〉に関手C(F( ), )、〈A、B〉に関手B( ,G( ))が適用されたものである。自然同型τが関手間で定義されることから。

(2) C(F( ), )、B( ,G( ))の両者とも、ある圏Dから圏Setへの関手であると考えられる。C(F(A),B)もB(A,G(B))も射の集まりであり、各々集合であることから。

(3) Dは、〈A,B〉なる対を対象としており、A、B各々が圏BCの対象であることから、BC各々を対象とする圏の圏における積B×Cと考えられてくる。すなわちC(F( ), )、B( ,G( ))とも、B×CSetなる関手といえる。

(4) 一方、C(F( ), )、B( ,G( ))が関手であることから、B×Cでの射の対〈f,g〉にも各々が適用され、適用結果を各々仮に☆1、☆2とすると、両関手間の自然変換が問題となっている以上、両者とも下図の右の四角形を可換にするようなものと考えられてくる。

図2


(5) しかし、このような条件をみたす☆1、☆2は存在しない。すなわち〈f,g〉に対応する☆1、☆2をうまく定義できない。

(6) そこでDB×Cではなく、改めてB^op×Cとする必要がでてくる。実際このとき、下図のような状況となり、その右の四角形を可換とするような新しい〈f,g〉に対応する*1、*2がうまく定義できてくる。

図3

※この段階でfの矢印は逆向きでいいのではないかという疑問を抱いたのだけれど、ひとまず本の図をそのまま描き起こした。東京大学出版会の該当ページにサポート情報もなかったので、私がまだ理解できていないのかもしれない。

(7) 新しい〈f,g〉にC(F( ), )、B( ,G( ))を適用した結果である*1、*2は、各々具体的には次のようなものになる。

  *1について


*1は、h ―→ ghF(f)


  *2について


*2は、k ―→ G(g)kf


※(7)については後日詳しく。
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圏論「前層」、一筋の光

 圏論「米田の補題」、勇気を出して立ち話において、『圏論の歩き方』の春名さんのところから日本語による表現を取り出した。もちろん、ちゃんとした定義も書いてあるのだが、『圏論の道案内』のほうがわかりやすかったので、そちらの定義を使わせていただいたのだった。

 『圏論の歩き方』の春名論稿の定義を理解するためには、まず「前層」を理解しなくてはならないのだ。ちなみにこちらでは「局所的に小さな圏C」ではなく「小さな圏C」で米田の補題が定義されている。

 小さな圏C上の前層とは何かといえば、関手F:C^op→Sets のことであるらしい。

 おお、どこかで聞いた話だぞというのは話が逆で、前層という用語なしの米田の補題の定義をのぞいたあと、前層という用語ありの米田の補題の定義をのぞいているので、つまりはそういうことになるのだった。

 ところで、Setsの最後のsについてはいまだによくわからずもやもやしている。SetSetsは完全に同じものと考えていいのか、それとも何か違いがあるのか。『圏論の歩き方』でSetsは「集合と関数の圏」と説明されており、索引にSetsはあってもSetはないので、たぶん同じものだと考えてよいのだろうと現段階では理解している。

 『圏論の道案内』(西郷・能美)のほうでは、「前層」という用語は1回だけ出てきていて、ちょろっと触れてある程度なのだけれど、面白いことが書いてあった。

 自然変換の前順序集合に関する例の話のなかで出てくる。まず、2つの圏CDのどちらともが前順序集合である場合について考えたあと、Cのみ前順序集合である場合について考えてあり、その後者が前層と関わっているらしいのだ。

 後者の例として示されているのは、「状態」を対象としその間の「遷移可能性」を射とする圏をCとした場合。このときの関手圏Fun(CSet)の意味は、「異なる状態に遷移するとそれに応じて変わる集合」を対象(関手)とし、異なる状態への遷移と「整合的に」時間発展する写像を射(自然変換)とすることになる。

 これもどこかで聞いた話だぞというか、いまとなっては少し懐かしい。モビリティの圏不定自然変換移りゆくことと多層性を思い出す。

 時間的なイメージにこだわる必要もなく、空間的な「包含関係」によっても前順序集合ができるから、よりニュートラルに「不定な集合の圏」とでも言ったらいいかもしれない、とのこと。

 一般にはこういう圏を「前層の圏」と呼んだりする、ということらしいのだ。

 ちなみに『圏論の歩き方』では、「モノイドの作用する集合」の概念を一般化したのが前層(presheaf)の概念だと書いてある(第2章の後半/p.31)。

 『圏論の歩き方』春名論稿にもどると、「米田の補題」を理解するためには、もうひとつ記号表記をおさえておかなければならない。それはC上の前層の圏の記号で、Cの上に^をのせたようなもの。

 前層というのは関手F:C^op→Setsのことだったけれど、関手圏である前層の圏の記号はSetsの右肩にC^opをのせて示されている。つまりはこんな感じ(字体はそのまま再現できなかったけれど)↓



 ……え?

 期せずして冪の形で書いてあるではないか。

 欄外注で、関手圏の定義については第7章を参照と書いてあり、その第7章は小嶋泉さんと西郷甲矢人さんが書いていて、関手圏の説明で「冪」圏という言葉が出てくるのだ。

 集合A、Bの冪集合B^AがAからBへの関数の集合であることを考えれば、C1^C0の対象が関手であると考えるのは自然でしょう、と。

 その少し前に圏の直積なるものが出てきていて、前回の終わりのところと関連して直積という言葉は頭に浮かんではいたのだけれど、『圏論の歩き方』第7章では、圏のなす圏について直積を考えたあと、冪はどうなるのか、というふうに話は進んでいくのだ。

 あ。

 なんとなーく、うっすらーと、一筋の光。
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圏論「圏から関手圏への関手」、わかってないところ

 随伴関係の雰囲気だけでもなんとか感じるところまでいけないか、がんばっているところなのだけれど、そろそろ読めるかもと思っていた随伴関係のところの「その先」を読もうとしたら、まだ全然ついていけなかった。

 まずはhom関手間の自然変換をのぞいたときの例の“コロッケのマッシュポテト添え”がやっぱりわかっていない。

 あらためて考える。

 圏から関手圏への関手とはなんぞや?

 それをいえば、そもそも関手圏の記号表記の確認が曖昧なままだったのがまずいけなかったのかもしれない。圏Cから圏Dへの関手を対象とし、それらの間の自然変換を射とする圏を圏Cから圏Dへの関手圏(functor category)と呼び、Fun(CD)と書くのだった。

 関手圏を具体的な図で描くのは難しいけれど、あえて描くならこんな感じだろうか。

図1


 hom関手に浸かっていたからか、FunのところにHomと書いてしまっていたらしく、スキャンしたあと訂正した。なお、こんなに自然変換ってあるのかしらん!?という気持ちになりながら描いた。

 で、圏Cから関手圏Fun(CD)への関手となると、次のようになるかと思う。

図2


 圏論に3つの矢印があることや、屋上屋を架す雰囲気があることはもはやよしとする。屋上屋を重ねるとしても、それぞれの段階ではまとまりがあり、関手圏にしろ圏の圏にしろ、それはそれで納得できる。

 しかし、圏から関手圏への関手というものを考え得るとしたとき、「圏から関手圏への関手」という言葉のなかに出てくる2つの“関手”は次元が異なると思うのだ。ビルでいえば、いまいる階が違うというか。しかも、圏CからFun(CD)への関手なので、“ものは同じだけど立場が異なる”Cも含まれている。

 マッシュポテトが添えられているというより、コロッケがマッシュポテトにくるまれていると言うべきだったか。

 あるいは、わが子が自分の勤務先の生徒である教師が勤務先の学校の保護者会に出ているかのようだというか。なんか違う。

 さらには双対圏や反変関手が混ざっていることが、やはりややこしさのふたつめになっているように思う。

 とにもかくにも「対応()hがCからFun(C^op,Set)への関手」についていまは考えたい。hom関手間の自然変換のところに出てくる図を、本に載っているものとほぼ同じ形で描くと、以下のようになる。

図3


 そして、この図に対して以下のような説明がついている。
Cの対象AにFun(CSet)の対象hAを、A´からAへのCの射aにhAからhへのFun(CSet)の射haを対応させる対応付けh()は、CからFun(CSet)への反変関手、つまりC^opからFun(CSet)への関手となる。
※「^op」はCの右肩につく記号
(『圏論の道案内』西郷甲矢人・能美十三/第4章4節より)

 そう言われると、「なるほど」とわかった気になれるのだ。しかし別のところで出てくるとわからない。理解が曖昧ということなのだろう。

 で、いまとなってははるか彼方の過去のことになった感じがする随伴関係(三角等式版)の定義の直後に、Dの射F(X)→YとCの射X→G(Y)の一対一対応は自然だという話が出てきていて、ここにhom関手の自然同値の話が出てくる。

 そして、()hはCの対象Xに対して反変hom関手Xhを対応させる関手だったが、どこからどこへの関手だったかというのを見直せばC→Fun(C^op,Set)というものだったという話に続く。この点はいま確認した。

 問題はこの次。
関手圏Fun(C^op, Set) というのは圏C^opから圏Setへの関手全体だからこれは圏の冪みたいなものだ。
(同上/第8章2節より)

 ……え?

 そしてこの少しあとで、圏と圏が「×」で結ばれた表記が出てくる。説明はあるけど。

 だめだ。

 まだまだ全然、旅の準備が足りないらしい。
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圏論「米田の補題」再び、話の流れ的に

 hom関手間の自然変換をのぞいた流れで、「米田の補題」をもう一度、前回よりも中身に踏み込んで見ておくことにする。

 まずは、『圏論の道案内』(西郷・能美)に示されている「米田の補題」の定義をあらためて確認する。
Fを局所的に小さな圏CからSetへの関手とする。Cの任意の対象Aについて、「hAからFへの自然変換」と「F(A)の要素」とは一対一に対応する。
 その内容を、自分の理解と表現で段階的に描いてみた。

図1
Fを局所的に小さな圏CからSetへの関手とする。



図2
Cの任意の対象Aについて、「hAからFへの自然変換」と



図3
「F(A)の要素」とは一対一に対応する。



 特に図3は上記のように描いていいのかよくわからないけれど、とりあえずこんなイメージを抱いているということで描いてみた。

 さて、Fとしてhom関手をもってくるとどうなるか、について考える。Cの対象BについてhBを考えると、hB(A)=HomC(B,A)だから、「hAからhBへの自然変換」と「BからAへの射」が一対一対応することになる。

図4


 AとBの向きが逆転するのが気になる場合は、双対圏を考えて、「AhからBhへの自然変換」と「AからBへの射」との一対一対応というふうに言える。この対応()hを「米田埋め込み」(Yoneda embedding)と呼ぶのだそう。

 「米田埋め込み」という言葉をブログに書く日が来たかーという感じで、自分としては感慨深い。

 が、なんだろう、まだもやもやしている。

 「米田埋め込みによって対象が関手に、そして射が自然変換に格上げされている」という意味が最初わからなかったのだけれど、つまりは「A→B」というものが、「Ah ⇒ Bh」と同じようなものになるという意味での格上げだと現段階では理解している。

図5


 それはそうと、米田埋め込みの定義には、新しい用語が出てくる。
CDを局所的に小さな圏とし、FをCからDへの関手とする。Fは、Cの対象X, Yについて定まるHomC(X, Y)からHomD(F(X), F(Y))への写像が単射であるとき忠実(faithful)、 全射であるとき充満(full)、全単射であるとき充満忠実(fully faithful)であるという。
 本をめくって目に触れていただけのときには「忠実?充満? なんじゃそれは!?」と感じていたこれらの用語も、少し手触りがわかってきた。

 関手が充満忠実だと、対象を定めるごとに元の圏と行き先の圏との間で射の集合が同型で、いわば行き先の圏の中に元の圏とまったく同じ世界が再現されることになる、と書いてある。この状況を表して、「埋め込み」(embedding)と呼ばれることが多いらしい。

 なるほど。

 このあと、可換な図式が示されて、HomC(A、A)から恒等射1Aをとることで、一対一対応を確かめる作業に入るのだが、ここを理解するまえにスタミナ切れになってしまった。

 またの機会に。

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圏論「hom関手間の自然変換」、縦と横

 hom関手をざっと見たので、hom関手間の自然変換についてもある程度見ておくことにする。『圏論の道案内』(西郷・能美)の随伴関係のところでこの話が少し出てくるのだ。何かヒントが見つかるかもしれない。いつものように自分の理解の流れと表現で書いていく。

 hom関手は関手なので、hom関手からhom関手への自然変換というものを考えることができる。つまり、圏Cの対象A、A´に対してのhom関手hA、hの間の自然変換を考えたい。

図1


 それはつまり、HomC(A,X)、HomC(A´,X)間の対応ということになる。

図2


 反変関手が流用できることがのっけから書いてあるのだけれど、パっと見、Xのほう、つまり第二引数を固定してあるように見えるので、HomC(−,B)で考えたときと同じ形になりそうな気はする。

 実際、hの左上に小さなXをのせた記号が示されている。なお、反変関手の記号を書くとき、ブログの文中では、圏の記号の左に対象の記号を小さくしたものを単に並べてXhというふうに書くことにする。

 つまり、A´からAへの射aを考えると、AからXへの射のひとつをxとしたときに、xaはA´からXへの射となり、hom関手のときと同じように考えれば、反変関手になるのだと理解した。

図3


 そして、「自然変換がみたすべき可換図式を意識しながら射の集合たちの関係を整理すると」として、次の図が示してある(ア、イの点線部分はこちらでつけたもの)。

図4


 このあとはアとイの合成について確かめるため、AからXの射xについて、アは以下のウのようになり、イは以下のエのようになる(ウ、エの記号はこちらでつけた)と書いてあるのだと思う。そして、結合律により等しいと結論づけられている。

図5


 つまり、図4は可換になって、対象XからSetの射xh(a)への対応は自然変換となる、と。

 図5は単純な話のようでいて、なんだかよくわからなかったので、いまは射xをひとつ取り出していることから、以下のように考えてみた。

図6


 そういう考え方でいいのかどうかわからないけれど、とりあえずhAからhの自然変換ができた。これをhaと書くことにする。

 こういうふうに、hの右下に小さな文字で対象や射の記号を添えることをh()と書くことにすると、h()Cから関手圏への対応になる。ただし、射の向きが逆転しているので反変関手、または双対圏からの関手ということになる。

 ちなみに関手圏はFun(〇,△)という形で表されている。いまでいえば、CからFun(CSet)ヘの反変関手、あるいはC^opからFun(CSet)への関手ということになる。

 そして、いままでのことをすべてC^opで考えると、対応()hはCからFun(C^op, Set)への関手ということがわかる。

 と、書いてはみるがややこしい。フライドポテトで作ったコロッケにマッシュポテトを添えたくらいややこしい。じゃがバターが恋しくなる。

 で、さらにややこしい話になっていくので、もとにもどって自分で一度おさらいしておくことにした。

 そもそもやりたかったことは、圏Cのhom関手hAからhへの自然変換を考えることだった。hAは、圏Cの対象Aを固定した場合のCからSetへの関手、hは圏Cの対象A´を固定した場合のCからSetへの関手だった。

 そして、hAからhへの対応は、hom関手の場合の第二引数を固定した場合と同じように考えて、反変関手で対応させることができるものだった。

 と、おさらいをしていて思うのは、では、図4の縦方向も関手としてとらえることができるのではないかということと、そうすると横方向が自然変換になるのではないかということ。以下の図7はそのイメージを図4に自分で描き加えたもの。

図7


 たぶん、「hom関手の自然変換」のところの後半では、上記の話をしているのだと思う。

 haはX成分がXh(a)であるような自然変換だったけれど、fhはA成分がhA(f)であるような自然変換だと書いてある。

 何かと不十分な理解になってしまっているが、とりあえず現段階ではこう理解している、こういうイメージをもっているということでできる範囲でまとめてみた。

 話が何段階にも重なっているのと、もともとは圏Cの対象という同じ立場であるものたちが、そのときの関係性によって立ち位置が変わることと、反変関手が混じっていることから、話がややこしい。

 逆にいえば、元の圏Cではふつうに対象として存在しているA、A´、X、Yたちが、関手のつくり方や関手圏までもっていくことで、世界が広がり、関係性が多様になったり深まったりするのだなぁと思うことであった。
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