TETRA'S MATH

数学と数学教育

直観主義論理は不便?自由?

 山下正男『論理学史』の「直観主義論理を表すハッセ図」がなにゆえ直観主義論理を表すハッセ図なのかについて考えてきました。まだもやもやとしている部分はあるけれど、二重否定、排中律、ド・モルガンの法則などが成り立たない図になっていることは確認できました。

 もう一度復習すると、黒い部分が古典論理の世界、青が加わった全体図が直観主義論理の世界です。

 

 山下正男さんは『論理学史』の中で「直観主義論理は排中律を要求しないので(古典論理より)自由になった」と書かれています。ここでいう「自由」が何をさしているかはよくわかりませんが、ハッセ図だけで考えると、青の部分が拡張したぶん、世界が広がった印象があるにはあります。

 一方、野矢茂樹『論理学』の中では、「排中律が使えないと不便でしょうねぇ」という会話がなされています。こちらの場合、公理系をながめてみると、直観主義論理のうちの規則の1つが古典論理の場合よりも弱い(適用範囲が狭い)規則になっており、直観主義論理ならではの加わった部分はないので、「直観主義論理は古典論理の部分系」というふうにまとめられています。ハッセ図で眺める直観主義論理とは対照的です。

 なお、山下正男『論理学史』は、このあと「ヨハンソンの最小論理」(直観主義論理からさらに矛盾律 p∧¬p=F をとりのぞいたもの)の話へとつながっていきます。最小論理もハッセ図を使って表してあり、直観主義論理のF側に新たに4つの点を加えた形になっています(ただし数値は異なる)。

 直観主義論理は排中律を“拒否した”のか、それとも排中律を“要求しない”のか。言い方ひとつでずいぶんイメージは変わりますが、直観主義論理が不便なのか自由なのか、いまの私にはわかりません。というか、ここにいてはわからないような気がします。わかっているのは、この先にまだまだ面白そうな話がいっぱいつながっているらしい、ということだけなのでした。

論理と数学 | permalink

直観主義論理とド・モルガンの法則(3)

 直観主義論理を表すハッセ図において、ド・モルガン法則のうち、成り立たないものと成り立つものがあることを確認中です。これまで、¬(A∧B)⊃¬A∨¬B が成り立たない場合と、その逆の¬A∨¬B⊃¬(A∧B)が成り立つ場合を1つ確認しました。

 では、残りの2つのパターンはどうだろうか? ¬(A∨B)⊃¬A∧¬B については、直観主義論理とド・モルガンの法則(1)の最後で¬(14∨21)⊃(¬14∧¬21)を確認しました。でも、そのほかの場合はどうなるのだろう? とにかく垢加わったことで対称性がくずれ、気糧歡蠅垢砲箸鵑任靴泙Δ里如↓気鬚らめれば成り立たない例が見つけられそうな気がしないでもありません。

 で、単純に考えた場合、AもBもA∨Bも気砲い襪函△澆鵑覆泙箸瓩独歡蠅垢鉾瑤鵑任靴泙ぁ△修譴呂修譴農り立ってしまいそうです。実際、成り立ちます。



   ¬(5∨7)=¬35=12
   (¬5∧¬7)=(84∧60)=12

 では、AとBが気鉢兇吠かれたらどうなるかというと・・・



 あらまぁ、成り立ってしまいます。30の線が60までのびたような雰囲気です。

   ¬(3∨7)=¬21=10
   (¬3∧¬7)=(70∧60)=10

 じゃあ、AとBが犬鉢垢砲泙燭った場合はどうだろうか?



 ¬Bと¬(A∨B)が重なってしまうけれど、式としては成り立ちます。

   ¬(12∨42)=¬84=5
   (¬12∧¬42)=(35∧5)=5

 これも、42と84が重なっていると考えれば、なるほど納得です。

 すべて¬(A∨B)と(¬A∧¬B)が一致しているので、¬(A∨B)⊃(¬A∧¬B)も(¬A∧¬B)⊃¬(A∧B)も成り立ちそうな気がしてきました。よくできてるなぁ。

(つづく)
論理と数学 | permalink

直観主義論理とド・モルガンの法則(2)

 直観主義論理を表すハッセ図において、ド・モルガン法則のうちの1つのパターンである ¬(A∧B)⊃(¬A∨¬B) が成り立たないことを確認することができました。では、その逆バージョン(¬A∨¬B)⊃¬(A∧B)はどうなるのか?

 A=10、B=15とすると、¬A=21、¬B=14なので、

  (¬A∨¬B)=(21∨14)=42
  ¬(A∧B)=¬(10∧15)=¬5=84

 あらま! ひょっとして不成立…? と思いきや、大事なことを見落としていたというか、さらっと流していたことに気づきました。P⊃Qが成り立つということは、必ずしもP=Qということではなく、P→Qが成り立てばいいので、PとQが線でつながっていて、PがQより下にあればいいのですね。いまは整除関係が含意を表しているので、PがQを割り切るとき、P→Qとなります。

 A=10、B=15の場合について考えてみると、




  ¬(A∧B)は84 
  (¬A∨¬B)は42
  84→42 ではないので、
  ¬(A∧B)⊃(¬A∧¬B) は成り立たない。


  (¬A∨¬B)は42
  ¬(A∧B)は84
  42→84 なので、
  (¬A∨¬B)⊃¬(A∧B)が成り立つ。


 実は内心、(¬A∨¬B)⊃¬(A∧B)はあやういのではないかと思っていました。なぜならば、(¬A∨¬B)⊃¬(A∧B)の古典論理の証明において、二重否定の導入(A⊃¬¬A)が使われているので。ここがどうも不安だったのです。

 でも、犬陵彖任瞭鷭堵歡蠅蓮↓犬ら機↓気ら垢箸いθ瑤喨をするので(その逆はない)、犬陵彖任必ず垢硫爾砲△襪海箸鮃佑┐襪函∪でつながった要素どうしについて、

   (垢陵彖如砲蓮吻犬陵彖如砲魍笋蠕擇襪海箸できない
   (犬陵彖如砲蓮吻垢陵彖如砲魍笋蠕擇襪海箸できる

ことは、

   (垢陵彖如泡(犬陵彖如法,任呂覆
   (犬陵彖如泡(垢陵彖如法,任△

ということであり、それはすなわち

    ¬¬A⊃A は成り立たない
    A⊃¬¬A は成り立つ

ことを示していることにほかならないのかもしれません。山下正男『論理学史』にそのような説明はないのですが。なお、このあたりのもやもやについては、野矢茂樹『論理学』に関連する話が載っていました。もうしばらくして(気が向いたら)考えようと思っています。

(つづく)
論理と数学 | permalink

直観主義論理とド・モルガンの法則(1)

 となると気になってくるのは、各種定理です。排中律がいつでも成り立つわけではないことは確認できました。では、ド・モルガンの法則はどうなのか? 直観主義論理では成り立たない定理のところで書いたように、野矢茂樹『論理学』によると、ド・モルガン法則の4つのタイプのうち、直観主義論理で成りたたないのは¬(A∧B)⊃(¬A∨¬B)の1つだけであり、あとの3つは成り立つはずです。

 直観主義論理を表すハッセ図は対称性がくずれてしまったのだから、ド・モルガンの法則の1つが成り立たない(部分がある)のは、ない話じゃないと思えます。実際にさがしてみると、A=10、B=15などで確認できます。

 兇鉢靴隆愀犬蓮∪弔ど分が加わる前の古典論理の世界をたもっているのに、気糧歡蠅垢鉾瑤鵑任靴泙Δ里如△燭箸┐10と15を取り出して考えると、

  [赤] 10∧15=5 → ¬[赤]は¬5=84
  [緑] ¬10∨¬15=21∨14=42
  よって、¬(10∧15)⊃(¬10∨¬15)は成り立たない。
  (84⊃42とならないことについては、
   直観主義論理とド・モルガンの法則(2)
   をごらんください。)



 権帰垢良分は二重否定が成り立たないので、なるほど納得です。

 逆に[緑]を左辺として考えると、

  [緑] 14∨21=42 → ¬[緑]は¬42=5
  [赤] ¬14∧¬21=15∧10=5
  よって、¬(14∨21)⊃(¬14∧¬21)が成り立つ。

 もちろん、たまたま成り立っただけかもしれなくて、全部の数で ¬(A∨B)⊃(¬A∧¬B)が成り立つかどうかは確かめてみないとわからないわけですが。

(つづく)
論理と数学 | permalink

直観主義論理を表すハッセ図・3

 直観主義論理を表すハッセ図の中の「否定」関係を、さらに考えていきます。

 今度は、「30」の否定を考えます。30と関わりをもつ世界を次のピンクの部分と考えれば、30の否定は7となります。



 結局、頭で30との共通因数を考えているので、あまり「図から見出している」という感じがしないというか、ちょっとズルしている気分です。やっぱり考え方が間違っているのかな? ある数の否定を知りたかったら、2、3、5、7のどこに降りていけるかを調べて、到着できた数から上方にのびる部分は全部ピンク、残りの部分のいちばん上が否定ということになりそうですが、これも図からわかるというより、頭で考えたあとのこじつけだよなぁ〜と自分で思います。

 実際、否定の数も計算で求めることができそうです。30の否定として考えられるのは 420÷30=14 か 210÷30=7 のどちらかであり、14も7も図の中にあるけれど、14と30は共通な因数2をもつので否定にならない、よって30の否定は7、というふうに。

 今度は、7の否定です。



 7の否定は60です。計算で求めるならば、420÷7=60、210÷7=30 で、60も30も7と共通因数をもっていないので、大きいほうの60が答え、と考えればいいのかもしれません。

 そしてこの時点で、二重否定が成り立たないことがわかりました。30の否定は7、7の否定は60で、30の二重否定が60となり、イコールにならないので。

 というふうに考えていくと、結局、次の機銑垢離札ションに分けて対応づけられることがわかります。



 Iのセクションにある数の否定は垢離札ションにあり、
 その積は420になる。
◆´兇離札ションにある数の否定は靴離札ションにあり、
 その積は210になる。
 靴離札ションにある数の否定は兇離札ションにあり、
 その積は210にある。
ぁ´犬離札ションにある数の否定は気離札ションにあり、
 その積は210になる。
ァ´垢離札ションにある数の否定は気離札ションにあり、
 その積は420になる。

 ↓い惑喘耄Г成り立たない場合を示しているし、い鉢,ら二重否定が成り立たないことがわかります。

 なるほど、青の部分を付け加えた意味が少しわかってきました。

(つづく)
論理と数学 | permalink

直観主義論理を表すハッセ図・2

 直観主義論理を表すハッセ図・1は、なにゆえ直観主義論理を表すハッセ図となりうるか?・・・と考えたとき、とりあえず排中律や二重否定が成り立っていない図であればいいような気がします。というか、まずはそこを確かめたい。

 そのためには、それぞれの数値の“否定”について検討していかなくてはなりません。山下正男『論理学史』に否定関係の一覧表が示されているのですが、なぜそうなるかを理解するのに私は1週間くらいかかりました。しかも正しく理解できているかはまったく自信ナシ。答えがテキストに示されている組み合わせと一致するというだけの話であり。

 まず、「2」の否定について考えます。210の約数だけが登場する図であれば、2の否定は105ということになります。だけど、420の部分が加わった図ではどうなるのか? で、2の否定ということは、2が一切関わっていない世界と考えることにしました。2からのびた線分の先にある数値はすべて2と無関係ではいられません。つまり、下図のピンクの部分はみんな2と関わっていることになります。なお、「1」も2の約数なので2と関わっているのですが、「1」が関わっているとすると他の数も全部関わってしまうことになるので、とりあえずピンクの仲間には入れないことにしました。

 そして、2と関わっていない部分のブロックを総括しているのが105なので、2の否定は105ではないか。私はそのように考えました。とりあえず『論理学史』でも2の否定は105になっています。そして、この時点で「排中律」が成り立たないことがわかります。2×105=210で、いまはT=420であるから、p∨ ̄p=Tにならないので。

 次に、5の否定をさがします。同じように考えると、

となり、5の否定は84です。この場合は、5×84=420=Tとなります。

(つづく)
論理と数学 | permalink

直観主義論理を表すハッセ図・1

 直観主義論理の雰囲気がわかってきたところで、再び山下正男『論理学史』にもどります(ちなみに直観主義について語られているのはほんの数ページです)。

 『論理学史』では古典論理と同様に直観主義論理もハッセ図に乗せられると書いてあるのですが、まずその形だけを示すと、次のようになっています。

 

 疑問その1。これは一例なのだろうか? それとも必ずこの形になるのだろうか?

 古典論理のときと違って、直観主義論理の場合はベン図で考えることができません。何しろ排中律がないので、輪の中と輪の外が世界のすべて、と考えられない。そこでどう説明してあるかというと、整数の整除関係をもとに話が進んでいくのです。

 はじめに、古典論理と同じハッセ図に数字が書き込まれた図が登場します。



 なぜこれらの数字なのかの説明はありませんが、古典論理では4つの領域の集合をもとにハッセ図を考えてきたので、同じ形に数字を乗せるために、2、3、5、7の4つの素因数をもつ210の約数が選ばれたのだと推測しています。

 さて、上の図において、整除関係にない2数(たとえば6と10)の上方の交点のうち最も近いものは2数の最小公倍数30であり、下方の交点のうち最も近いものは2数の最大公約数2になっています。つまり、最小公倍数−選言(∨)、最大公約数−連言(∧)、線の上下の関係−整除−含意(→)という対応関係があります。

だとすると否定関係も,またその数的対応物を見つけだせるのであって,図で見てもわかるように,p∨ ̄p=Tは,6×35=210に対応し,一般に否定関係にある要素どうしは掛けあわすとすべて210になるということがわかる。
 ここでいう「図で見てもわかるように」というのは、「図の中で点対称の位置にあるから」という意味なのか、それとも別の意味なのか、いまひとつわからないのでした。ここがわからないから、次がわからなくなるんだろうな。

 それはともかく、上の図に次の図の青い部分を付け加えると、古典論理のハッセ図から直観主義論理のハッセ図に変身するらしいのです。



 210の意味まではわかりましたが、新たに加わった12、60、84、420の意味がわかりません。もとのハッセ図からのびている線の根元の数字をそれぞれ2倍した数になっているようです。2倍にしたのは一例で、ここは3倍でも5倍でもよかったのだろうか? そして、加えるのは4つの数字じゃないとダメなのか? 420だけではだめ? 420と84ではだめ? あるいは、420と140では? などなど、疑問はつきないのでした。

(つづく)
論理と数学 | permalink

「二重否定」の余談

 きょう、7才の娘が、いきなりこんな耳打ちをしてきました。

娘「ねえ、“ママ大好き”の反対、何かわかる?」
私「え? (何か不満でもあるのかと思いつつ)ママ大嫌い?」
娘「あ、間違えた。“ママ大好き”の反対の反対」
私「(ちょっとドキッとしながら)きすいだママ?」
                         ↑
          動揺してみょーな答えになっている

娘「ちがう。“ママ大好き”の反対の“ママ大嫌い”の反対だよ。」
私「ママ大好き?」
娘「そう(^^)。じゃあ、ママ大嫌いの反対は?」
私「ママ大好き?」
娘「そう(^^)。」

 もちろん娘に二重否定の話なんかしていないし、それに近い話もしていないはず。いきなりなぜ・・・?? そういえば3〜4才の頃、「この人って私の心の中読めるのかしらん?」と思うことが時々ありましたっけ。顔色をうかがうとか、そういうことでなしに。

 久しぶりにびっくりしたよ。>娘
 意外に古典的なんだね。(^^) 
論理と数学 | permalink

直観主義論理では成り立たない定理

 直観主義論理が出てくる前の従来の命題論理、つまり古典論理の公理系で「二重否定」がなくなったことで、なぜ、「排中律」の証明ができなくなるのか。それを考えるために、まず、古典論理での排中律の証明を勉強することにしました。

 これがね、なんかね、スゴイのよ。

 野矢茂樹さんも「初心者には難しいかも、ここでくじけないでね〜」とおっしゃっています。

 何はともあれ、見てみます。



 閉塞しているんだか大胆なんだかよくわからない世界です。ゆっくり見ていくと、なるほどねぇと感心することしきり。でも、1行間違いが入っていてもだまされそう(!?)な気分ではあります。

 [1]も[2]も否定の形をした背理法の仮定なので、(5)と(8)は否定除去型の背理法()となり、直観主義論理ではアウトになるのだと思います。

 次に、直観主義論理ではド・モルガンの法則のうちの1つ

        ¬(A∧B)⊃(¬A∨¬B)

が成り立たないわけを考えます。古典論理では次のような証明になっています。



 (3)で使っている定理は証明済みのド・モルガンの法則の1つです。途中で二重否定を2回使っているし、否定除去型の背理法もあるし、どう考えてもアウトかな。じゃあ、他のド・モルガンの法則はどうなのかというと、あとの3つはみんな二重否定も否定除去型背理法も使っていないのです。不思議なことに。ちなみに、(¬A∨¬B)⊃¬(A∧B)は二重否定導入A⊃¬¬Aは使ってあります。上のド・モルガンの法則も二重否定なしで証明できないのか?と気になりますが、トライする気力はなく。(^^;

 こうやって証明をながめてみると、背理法って便利だなぁとしみじみ思います。背理法なしじゃなんにもできないな。

(つづく)
論理と数学 | permalink

直観主義論理の公理系

 というわけで、野矢茂樹『論理学』から、直観主義の公理系をみてみたいと思います。命題論理の完全な公理系の規則4の「二重否定」が「否定除去」に変わります。

直観主義命題論理の公理系LIP----------------------

規則1[演繹規則DR]
 Aを仮定してBが導出されるとき,Aという仮定なしにA⊃Bを導出してよい

規則2[前件肯定式MP]
 A,A⊃BからBを導出してよい

規則3[背理法]
 A⊃(D∧¬D)から¬Aを導出してよい

規則4[否定除去]
 D∧¬Dからは任意のAを導出してよい

規則5[結合]
 A,BからA∧Bを導出してよい

規則6[分離]
 (1)A∧BからAを導出してよい
 (2)A∧BからBを導出してよい

規則7[∨入れ]
 (1)AからA∨Bを導出してよい
 (2)BからA∨Bを導出してよい

規則8[∨取り]
 A∨B、A⊃B、B⊃CからCを導出してよい

--------------------------------------------------

 「二重否定」というのは「¬¬AからAを導出してよい」というものであり、「¬¬Aが証明されたとすると、¬Aは証明されえないので、Aとしてよい」という考え方ですが、直観主義では後半の「¬Aは証明されえないので、Aとしてよい」の部分を認めません。¬AとAのどちらかであるとは考えないので。

 そして、否定除去型の背理法の場合、「¬Aと仮定したら矛盾が出たから¬(¬A)、だからA」という流れになり、最後で二重否定の考え方を使っているので、直観主義では認められないのだと思います。たぶん。

 なお、二重否定除去「¬¬A⊃A」は認められませんが、二重否定導入「A⊃¬¬A」の定理は成り立つそうです。

 また、直観主義論理の「否定除去」は「矛盾からは何を導出してもよい」といっているような規則で、ここで矛盾を拒否しているわけですが、従来の命題論理においては定理になっています。(でも古典論理の定理の証明で二重否定が使われているんですよぉ。なんか不思議。ひょっとすると二重否定なしの証明も可能なのかな? あるいは公理にしちゃったもんがち?)

 というわけで、公理としては「二重否定」よりも弱い「否定除去則」を取り入れているので、直観主義論理は古典論理の部分系ということになるようです。その結果、排中律を含むいくつかの定理が定理ではなくなります。

 そんなこんなで、排中律を認めないという立場から公理系の規則4が変わったのか、公理系の規則4を変えた結果、排中律が証明できなくなったのか、そこんところがいまひとつのみこめないのでした。

 でも、排中律を認めない態度も、二重否定を認めない態度も、否定除去型背理法を認めない態度も、根は同じであり、それが直観主義ということなのかもしれません。そういう態度のうちいちばんわかりやすく明確な争点となったのが「排中律」ということなのかもしれません。

(つづく)
論理と数学 | permalink
  

| 1/4PAGES | >>
サイト内検索