TETRA'S MATH

数学と数学教育

2011年4月に書いた、量子力学のエントリについて

 2011年4月に、量子力学に関するエントリをいくつか書きました。そのなかのひとつ、量子力学/ボーアの原子モデル(1)に対して、2014年9月に以下のようなご指摘を Twitter でいただいておりました。↓
https://twitter.com/sunchanuiguru/status/512979129499525120

 9月の段階では、何度か Twitter でやりとりをさせていただいたのち、該当エントリにコメントをつけて一区切りとしたのですが、どういうわけだか12月下旬から急に気になりだしたので、追加エントリで補足させていただくことにします。

 まずお伝えしたいのは、『なるほど量子力学機戞並湿絏躾傭/海鳴社/2006年)において、Enにマイナスをつけたことに対し、確かに「発想の転換」という言葉はあるものの、“「低い」から「深い」への転換を行ったのだと思います”というのは私の表現であり、海のたとえも私のイメージだということです。

 「行ったのだと思います」ではなく、「私はこのようにイメージして理解した」と書くべきところでした。

 いずれにせよここでいう「発想の転換」は、Twitterでご指摘をいただいたように、特別なことではなく、あたりまえといえばあたりまえのことなのかもしれません。少なくとも、古典力学にはなかった量子力学ならではの「発想の転換」ではないのでしょう。

 実際、本でも、上記の意味での「発想の転換」についてはさらっと書いてあるだけで、ボーアが立てた「大胆な仮説」については、それよりも前の部分に書いてあります。
 ボーア(Bohr)は、ラザフォードの原子モデルと古典論の間にある矛盾を取り除くために、プランクやアインシュタインの量子論を使って説明できないかと思い立った。
 ここで、ボーアは大胆な仮説をたてる。そもそもラザフォードの原子モデルが破綻するのは、荷電粒子である電子が原子核のまわりを等速円運動すると電磁波を放出して、そのエネルギーを失ってしまうことにある。そこで、ボーアは、ある特定の軌道を電子がまわっている時には、円運動を行っても電磁波を放出しないと仮定した。
 そして、電磁波を放出しない軌道のみが安定な軌道としたのである。(後略)
(p.70〜71)

 私自身、先の「発想の転換」を量子力学の核心的なものだとは思っていませんが、あたりまえのことと思うほど馴染みもなかったので、あのようなイメージを用いて理解したそのプロセスを書いたのでした。ちなみにマイナスがつくこと自体に抵抗はありません。

 ところで、実はこの件に関して、村上雅人先生に直接メールで問い合わせさせていただきました。村上先生はとても丁寧な内容のお返事を何度もくださって、わかりやすく説明してくださいました。助手の先生にも大変お世話になりました。

 その内容すべてを理解したとは言えない状態ではありますが、以前よりも「ポテンシャル」という言葉が怖くなくなったのは確かです。そして、怖さが減ったのと同時に、ポテンシャルというのは奥が深く、まだまだ分からないことが多い分野であることを認識するにいたりました。

 このような機会をあたえてくださった鰹節猫吉さん、積分定数さん、そして、村上先生、助手の先生に、この場をかりて深くお礼申し上げます。

 今回は量子力学についてでしたが、その他の本についても、ブログで何か書くときには、引用部分のほかは、著者の言葉を使わせていただきながらも、自分の言葉やイメージを加え、私の表現で私の理解の道筋を書いていますので、本の内容に興味・疑問をもたれた場合は、ぜひ、原典をあたってみていただければと思っております。

 最近、noteにかける時間が増えてブログの更新が減っておりました。また少しずつエントリを書いていきたいと思っていますので、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
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「シュレーディンガーの猫を実証」のニュースを読んで思ったこと

 「シュレーディンガーの猫」実証のニュースは、日刊工業新聞サイトだけではなく、日経新聞や科学新聞にも掲載されていたようです。説明としては科学新聞がいちばん詳しいといえば詳しいです。

 Furusawa LaboratoryTOPICS

 ちなみに日経新聞の記事によると、この成果を応用すれば、現在の約100万倍高性能な光通信を実現できるかもしれないとのこと。

 100万倍・・・? 

 そんなに性能アップすることが、私たちにどんな幸せをもたらすのだろう・・・

 でも、そういう応用の話がないと、日刊工業新聞や日経新聞が取り上げることもないでしょうか。

 きっとすごいことなのでしょうが、なんだかこのニュースのすごさが「約100万倍高性能な光通信」で語られることに、若干のさびしさというか、つまんなさのようなものを感じてしまう私なのでした。100万倍なのにねぇ・・・・・・ なんでだろ?

 どれだけすごいことなのか、どれだけ面白いことなのかを知りたいのならば、結局、自分で、知り得るところまで知ろうとするしかないのだろう。

 ちなみに、量子もつれや量子テレポーテーションに関しては、まだ、「え!? なんでそんな不思議なことが?!」と思えない私…「そういうことってあるかもしれないねぇ」という感じです。(^^;

 なお、『量子もつれとは何か』(講談社)によると、古澤明さんは、EPR(アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼン)のパラドックスに関連した話の中で、こんな話を書いておられます。

 ここで注意しなければならないことは、先ほど述べたように、2つの量子の相対位置(2つの量子の間の距離)と運動量の和(合計運動量)という2つの量子において2つの物理量が決められているに過ぎないということである。つまり、このことは量子力学の根幹である不確定性原理に全く抵触しない「普通の話」なのである。
 ただ、気持ち悪いのは、2つの量子が空間的に離れているために、一種の遠隔操作となっていることである。そうは言っても、このことは実験的に証明されているので文句の言いようはない。筆者は空間的には離れているが、2つの量子は一体だと思って気持ち悪さを我慢している。
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「シュレーディンガーの猫を実証」(!?)のニュース

 古澤明さんの本を手にしている最中なのに、4月15日のこのニュースに気づいていませんでした。

 日刊工業新聞
 >東大、量子操作使いシュレーディンガーの猫を実証

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作用するベクトル

 先日、ベクトルの計算について「レストランの会計」と「お会計不透明カフェ」で考えましたが、カフェの場合についてお店とグループをそれぞれ4種類にふやすと、次のような行列の計算になります。4つのお店のコーヒー、ミルクティー、ジュース、アイスクリームの単価と、4つのグループが注文した数から、それぞれの場合の合計金額を計算して並べたものです。



 このうち、A店でグループEが注文したときのお会計を抜き出すと、次のようになります。



 A店の単価の組はベクトルであり、グループEの注文数の組もベクトルですが、合計金額はベクトルではなく量です。こういうふうにベクトルと量を区別するときの「量」はスカラーとよばれているようです。

 上記の計算の答えの行列は、いわば16この内積が並んでいるようなものですが、並んでいるので、全体としては量ではなく、行列です。この行列から、1つの量を抜き出すにはどうしたらいいか?
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見ること・見えること、不確定性原理、ハイゼンベルク

 古澤明『量子もつれとは何か』(講談社)の第1章は不確定性原理の話で、「そうか、不確定性原理ってそういうことだったのか〜」と思いながら読んでいます。いままで敬遠していたというか、知ろうとさえしていなかったけれど、そんなに難しい話ではなさそうだ、なんて思ったりして。

 「ものを見る」という行為は、見たいものに光をあて、そこから返ってくる光を目という「検出器」で検出する過程である。

 というような話から始まるのですが、不確定性原理の前に、すでにこの記述からいろいろな方向に思索を広げられそうだ思いました。

 見えること、聞こえること、触れられること、感じること・・・・は、いったいどういうことなんだろう?

 光に対する感覚器としての目。音に対する感覚器としての耳。化学物質に対する感覚器としての鼻や舌。機械刺激に対する感覚器としての皮膚。それら感覚器を通して、私たちは外界と接触し、そこから情報を受け取っている。ということの意味。

 そうすると今度は、「見えることだけ考える」というハイゼンベルクの姿勢が、またひとつ深まった形で感じられてきます。

 高等中学校のころ、「 数学は日常的な経験と調和するもの」という確信を得たハイゼンベルクは、理論物理学を研究したくてゾンマーフェルトの研究室をたずねたそうですが、「まず物理学一般を学ぶべきである」というゾンマーフェルトのアドバイスに、「自分は実験を全くやる気がなく、波動理論と数学にしか興味がない」と答えたのだとか。

 自然との接触も機械いじりもすべて犠牲にして、数学に没頭していたハイゼンベルク。実験を全くやる気がなく、理論と数学だけで物理学を研究しようとしたハイゼンベルク。しかし、そのハイゼンベルクは見えることだけ考えようとしていた。そんな彼にとって、数学が調和するという「日常的な経験」とはいったいなんだっただろう、彼にとって見えるということはどういうことだったのだろう、そして、なぜ物理に興味をもったのだろう・・・ と興味はつきません。
 
 上記のエピソードからは、部屋にとじこもってノートと鉛筆を友としている少し偏屈な人がイメージとして浮かんできますが、千夜千冊>ウェルナー・ハイゼンベルク『部分と全体』を読んでいると、対話好きで陽気でけっこう元気なおにーちゃんの像が浮かんできます。
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量子力学の勉強で、いま現在わからないところ

 行列力学の誕生に関わる、ハイゼンベルクのあの式が、いまならわかるかもしれないと書きましたが(>こんな形で量子力学にもどってくるなんて・・・ )・・・やっぱりわからないです。

 たぶん、まずは、フーリエ級数をもっと理解しないとだめなんだろうと感じています。

 いや、フーリエ級数はなんとなくわかるのです。フーリエ級数と電磁波の関係がわからない。

 いま現在のおもな参考文献は、村上雅人『なるほど量子力学機戮覆里任垢、このなかのp87の欄外注釈4で行き詰まっています。

 古典論による電子の運動の解析について書かれてあるところで、最初に、

       Q(n,k)exp{i2πν(n,k)t}

という式が出てきます。なお、これを角速度ωを使って表しなおした

       Q(n,k)exp{iω(n,k)t}

という式も示されています。

 この式がどのあたりからきているのかまったく察しがつかないわけではないのですが、「これこれこういうことをしなければならないので、n軌道にあり、k回だけ振動する波(第k高調波)を、こういう式と置いてみる」というふうに出されている、その「波を・・・置いてみる」という表現にひっかかっています。波の「何を」そう置いているのか。なぜ、そう「置いてみる」ことができるのか。実際、p93では「定義」として出てくるし。

 そうして話は進み、Σのついた式になって、次のような欄外注釈がついているのですが、

古典論によれば、ωで振動している電子からは、その整数倍の振動数の電磁波が放出されることが知られている。よって、フーリエ級数となる。


 この話の流れが、どうしてもわからないのです。「知られている」にもひっかかってしまう。できた式がフーリエ級数だということに納得できないわけではなく、話の流れがしっくりこない。何かが気持ちわるい。なんなんだろう?

 なお、このあとの章は古典論から量子論への「対応原理」の話で、ハイゼンベルクの導入した式のある値が基本振動数の整数倍になっていないから、フーリエ級数になっていなくて、このままでは対応原理が成立しないことになってしまう・・・と続きます。ここまでくると、なんとなくわかる。

 いまわからないことをわかるには、どうすればいいのだろう・・・ まずは、上記の注釈の意味を理解しないといけないのだろう。

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放射性ストロンチウムについては

TATA−STYLEのほうに書きました。

放射性ストロンチウムのこと

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基底状態・励起状態と、ガンマ崩壊について

 ボーアの原子モデル(1)(2)の意味はわかってきたのですが、そもそも水素は「すいへーりーべ・・・」のいちばん最初であり、原子番号は1であり、陽子が1個だから電子も1個で、それは電子殻のいちばん内側の軌道にあるのではなかったか、なぜそれが別の軌道にも行けて、しかもそれが別の軌道に移ったりできるのだろう・・・??という素朴な疑問がわいてきます。

 で、水素の場合は、どうやら電子がいちばん内側の軌道にあるときが「基底状態」と言われるものであり、それ以外の場合が「励起状態」とよばれるものらしい、とようやくわかってきました。あの「すいへーりーべ・・・」の表は、それぞれの元素の基底状態の電子配置だったのですね。(ですか?)

 基底状態にあったのがなんらかのエネルギーをもらうと励起状態になり、励起状態から基底状態になるときに、エネルギーを放出する。ということなのかな?

  電気の歴史イラスト館励起状態

 あれ? ということは・・・

 ガンマ線も確か電磁波でした。しかも波長がかなり短い電磁波なので、ということは振動数が大きいということになり、大きなエネルギーをもつ電磁波ということになるのではなかろうか?

 少し前に放射性セシウムについて勉強したときに、セシウム‐137は、バリウム‐137mを経由してバリウム‐137になるということを知りました。そして、バリウム‐137mのように「m」がつくと、準安定同位体なるものを示すらしいということもわかりました。あれはおそらく、「すっかり安定しているわけではないけれど不安定ということでもない」という意味での「準安定」だったのですね。ということは、バリウム‐137mの電子の位置は、バリウム‐137とは少し異なっているのだろうか? 水素は電子1個だからいいけれど、バリウムともなると原子番号56、つまり電子は56個だから、バリウム‐137mではいったいだれがどの軌道にいるんでしょうか?? 

 ウィキペディアのバリウムの同位体によると、バリウム‐137mには2種類あって、バリウム‐137m1の励起エネルギーは661.659(3) keV、バリウム‐137m2の励起エネルギーは2349.1(4) keVとのこと。keV? また知らない単位が出てきたな・・・ そしてこのかっこ内の数字はなんだ? この励起エネルギーから振動数を出すと、それはガンマ線の振動数になるってことなのだろうか。

 とにもかくにも、セシウム‐137→バリウム137mのときには、中性子の数が変わり、陽子と電子の数が変わるので、元素そのものの種類が変わってしまうけれど、バリウム‐137m→バリウム‐137のときは、元素そのものの種類は同じで、準安定から安定にうつる、ということなのですね、きっと。ということは、ヨウ素‐131もベータ線(電子)を出してキセノン‐131に変わるだけではなくて、キセノンの準安定同位体を経由して、そこから安定同位体にうつるときにガンマ線を出すのかしらん? だから、放射性ヨウ素や放射性セシウムがあると、ベータ線もガンマ線も出るのかな? だとすると、なぜ放射性ストロンチウムはガンマ線をほとんど出さないのだろうか・・・

 あと、ベータ崩壊は、原子核の中性子が陽子と電子に分かれて、その電子が軌道にのっちゃうのですよね? これまでの流れで考えると、それはむしろ、エネルギーを吸収する動きに思えるのだけど・・・ 軌道間の遷移ではなく、原子核から生じた電子では、まったく状況がかわってしまうのだろうか? そういえばBARAKEN<原子と放射能>ページ5に、
電子といえば、原子核の周りを回っている電子もあります。この電子に比べると、中性子の分解で出来た電子は桁外れに大きなエネルギーを持っています。それで、この電子が人体に当たると様々な障害を引き起こすのです。

と書いてありましたが・・・(

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量子力学/ボーアの原子モデル(2)

 ボーアの原子モデル(1) で書いた内容を図にまとめると、次のようになります。この図の参考文献は、村上雅人『なるほど量子力学機p71,72です。




 以上のことをふまえて、水素原子から発せられる4色の可視光線について図にまとめると、次のようになります。この図のおもな参考サイトは、FNの高校物理ボーアの水素原子モデル(1913年)です。

 


 本当にそうなのか、振動数でざっくりと計算しておきます。有効数字の考え方がよくわからないので、とにかくおおまかに計算します。なお、この計算に参考文献はなく、私の理解の上での計算なので、とんちんかんなことやってたらごめんなさい。
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量子力学/ボーアの原子モデル(1)

 そんなこんなで、バルマーとリュードベリは、水素原子から出てくる光の振動数の公式を導き出したわけですが、それは次のようなものでした。(より正確には、おそらくバルマーの式はこのまんまの形ではなかったのだろうと思います。なお、振動数の記号νは「ニュー」です↓)

 ・・・(1)

 可視光線の場合は、m=2を代入して、n=3,4,5,6を代入すると、4色の光の振動数になります。なお、いまは村上雅人『なるほど量子力学機戮鮖温擁幻イ砲靴討い襪里如▲Εキペディアのリュードベリ定数のページにある公式とはmとnが入れ替わっています。

 話はいったんかわって。

 光のエネルギーは振動数に比例するそうで、比例定数をhとすると、E=hνと表されるようです(ブログ本文中のフォントでは「ν(ニュー)」と「v(ヴィ)」の見た目が同じですが、しばらくの間、vは振動数「ニュー」を表すものとします)。比例定数hにはプランク定数という名前がついています。

 振動数νにプランク定数hをかけると光のエネルギーになるのだから、上記の式の両辺にhをかけてやると、次のように式変形することができます。(訂正

・・・(2)

 hνは光のエネルギーを表しているのだから、赤枠と青枠をそれぞれ1つのエネルギーと考えれば、光のエネルギーはなんらかの2つのエネルギーの差と考えてもわるいことはなさそうです。というわけで、赤枠、青枠の位置にくるエネルギーの一般式は次のように表すことができます。

       ・・・(3)

 この式はある軌道にある電子のエネルギーを表していて、このようなエネルギーを有する軌道が安定した軌道であり、これらの軌道間を電子が遷移するときに、そのエネルギーの差に相当する電磁波が放出されるのではないか・・・

 という仮説をたてたのがボーアでした。

 しかし、上記(3)の式のままでは矛盾が生じます。ボーアは、原子核が近いほどnが小さいと考えていましたが、(3)の式ではnが小さいほどエネルギーが大きくなって、原子核の近くをまわっている電子のエネルギーが最も大きくなってしまいます。と、さらっと書いてしまいましたが、この矛盾について私はなかなか理解できませんでした。でも、それが理解できなかったおかげで、基底状態や励起状態というものの意味がちょっとだけわかるようになりました。それについてはいずれまた。

 で、ボーアは、上記の式にマイナスをつけるという発想の転換を行いました。

       ・・・(4)

 「低い」から「深い」への転換を行ったのだと思います。イメージでいうならば、海底を0として海底からの高さを示すのではなく、海面を0として海面からの深さをマイナスで表す・・・というような感じでしょうか。海面はいわば電子が原子核からのがれた自由な状態を表し、実際、(3)の式においてn→∞とすると、En=0となります。このようにマイナスをつけても、リュードべリの公式とは矛盾しません。
[2014年9月20日追記]「低い」から「深い」の転換を行ったわけではないということをTwitterで丁寧に教えていただきました。 https://twitter.com/sunchanuiguru/status/512979129499525120
[2015年1月8日 補足記事を書きました]↓
2011年4月に書いた、量子力学のエントリについて



・・・(5)

 いま、n>mなのだから、nが小さいほど原子核に近いとすれば、原子核から遠いほうの軌道から近いほうの軌道に移るときのエネルギーの差はEn−Emとなり、各エネルギーの一般式をマイナスをつけて表すことで、最後の差の式のmとnの前後関係が入れ替わって辻褄があうのが面白いです。
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