TETRA'S MATH

数学と数学教育

文部科学省のパブリック・コメントのページのリンク

「学校教育法施行規則の一部を改正する省令案並びに幼稚園教育要領,小学校学習指導要領案及び中学校学習指導要領案に対する意見公募手続(パブリック・コメント)の実施について」 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/29/02/1382218.htm
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母を送る夏(教師人生篇)

 8月23日(22日深夜)、母が永眠しました。

(どこかで起きていて、バリバリ何かやっているような気がするので、この書き方は少々抵抗があるのですが…^^;)

 生活ブログで概要篇気持ち篇を書いたので、こちらでは教師人生篇を書いてみたいと思います。



 本日、常体にて。

 母は81歳で逝った。現役教師を退いて約20年。父は約10年前に亡くなっているし、姉も私も故郷をはなれているので、通夜・葬儀の参列者は親戚のほかは母の関係者のみということになる。

 連絡をしたのは、祖母の時代から大変お世話になっている方と、長く住んでいた地域でお世話になった方、そして母のふるくからの教師仲間で私が連絡先を知っている方。

 新聞広告も出した。ご縁が深かった(けれども連絡のとりようがなかった)方々に届くことを祈って。

(しっかし、あのサイズであのお値段なんですねぇ、新聞広告って。ちょっとびっくり。でも、こういうときにはやっぱり、ネットではなく紙媒体が頼りになる気がする。)

 電話で連絡が届いた方や、新聞を見てくださった方が、お通夜、葬儀・告別式に参列してくださった。新聞広告を出したのは大正解で、私が連絡先を把握していなかった同窓会の方々も来てくださっていた。

 告別式が終わってから、「ああ、あの方にも連絡すべきだった…」と後悔した場面もあったけれど、いまとなってはどうしようもない。いざというときの準備をしようしようと思いつつ、結局なんにもやらないままそのときを迎えてしまった。そういうものかもしれない。

 総括するに、どうやら母は、いろいろな人に影響を与えた教師であったらしい。もちろん、参列していただいたことをデータ抽出と考えると、かなり偏りがあるので、これをもってして「母は非の打ち所のないすばらしい教師だった」と結論を出すわけにはいかないのだが、少なくとも参列してくださった方にはそれぞれの思いがあるようだったし、これだけの人にこれだけの影響を与えたのなら、やはりよい教師だったのだろう。

 母の勤務校は7校くらいだったと思うが、いろいろな時代の教え子さんが来てくださっていて、年齢もさまざまだった。なかには独身時代の母に教わったという方もいらした。現在、教師になっている教え子さんもいたし、私たち娘が小さい頃にいっしょにキャンプに行った教え子さんもいた。

 参列された方はそれだけの思いがあるということだから、たとえばここに来られていない方で、母と相性が合わなかった方々というのはもちろんいるだろう。しかし、現役を退いて20年たって、教師仲間はもちろん、直接連絡をしなくてもこれだけの教え子さんがお別れに来てくださったのだから、やはり母はしあわせな教師人生を送ったのだと思う。

 母の葬儀をお願いした葬儀社の対応は、完璧だった。「仕事っていうのはこういうふうにやるんだよ」と、母が安置されていた○○病院に言いたいくらい。救急で休日で忙しい(死んだ人より生きている人、助かるかもしれない人優先ということ)ならよくわかるが、様子を見るにつけ、そういうことでもないように思われた。

 葬儀社の方々は、担当責任者をはじめとして、すべてのスタッフの動きがよく、接していて安心感があった。このような状況に慣れているプロだからあたりまえといえばあたりまえなのかもしれないが、この仕事に関わる全員がそうではないことを、私たちは父のときに知っていたから、なおいっそう、そう思えた。(思い出すと父が少しかわいそうだ)

 式場の入り口に、母の思い出の写真を貼ったボードを立ててもらえるようになっていて、その横に、折鶴を折るための色紙が置かれていた。参列者の方々に折っていただいて、棺におさめるものらしい。で、母といえばユニット多面体ということになるのだが、悲しいかな娘たちはユニット多面体を本を見ずに折ることはできない。いや、本を見てもすぐには折れない。

 実家にはかつて夥しい数のユニット多面体があって、プラスチックケースなどに大量に収納されていたのだが、家を引き払ったときに全部処分してしまったらしい。少しは残していたんじゃないか?という話になったのだが、どこにも見当たらない。

 で、折鶴用の色紙を置いている場所に「ユニット多面体を折れる方、よろしくお願いします」的なことを紙にちゃらっと書いて本とともに置いていたら、葬儀社のスタッフの方が見つけてくださって、その紙に装飾をほどこしてくださって、「こういうのですか?」と、なんと、ユニット多面体をもってきてくださったのだ。星型の、比較的面数が多いものだった。葬儀社の営業の娘さんが折ったもので、フロント(?)に置いてあったものらしい。

 「そうです、そうです、こういうのです!」とお借りして、見本として置かせてもらった。

 が、さすがにあの時間枠のなかで、ユニット多面体を折ってくださった方はいらっしゃらなかったと記憶している。簡単なものでも時間がかかると思うし、せめてベースとなる紙の準備をしていないと、すぐに折れるものではないだろう。ちなみに姉は角香箱的なものを折り、私はいわゆる風船を立方体に仕立てた。娘は犬を折り、それとは別に″友だち”の絵を描いた。葬儀の日は友引で、気にする方は人形を添えるということで、人形のかわりに娘が絵を描いたしだい。

 出棺の前、棺にお花を入れるときに、お借りしたユニット多面体をお返しすべく別のところにおいていたら、担当責任者の方が気づいたらしく、いっしょにおさめてかまわないということで、そのユニット多面体も母に添えさせていただいた。折り紙の本と、それから数学にまつわる別の本も入れた。そして、たくさんのお花も添えた。

 生活ブログの「気持ち篇」でも書いたことだが、棺の母に花を添えながら「いろいろあったけど、まあ受け継いでいくよ」という言葉が口をついて出たと記憶している。何をどう受け継いでいくのか自分でもわからないが、すでに否応なく引き継いでいるような気がするし、それは母のためというより、努力してというより、自然とそうなっているような気がする。たとえ教師という道は選ばなかったとしても。

 なお、8月上旬に帰省したときに、母は酸素ボンベのお世話になっていて、だいぶ痩せていて、それなりの衰えを感じていたのだが、話をしてみるとわりとしっかりしていたし、老人ホームのスタッフの方のお話だと、本を読むときにはしゃんとされているとのこと。

 で、老人ホームの個室でなんとなく居心地がわるかった私は、「ばーばvs.娘」で、簡単な問題を使って数学対決をさせることを思いつき、そうしたらあっというまに場がなごんだのだが、これが最後の思い出となった。数学の問いに答えるときの母は、一瞬、昔にもどったようだった。

 結局、母は、数学が好きで、そしてたぶん、数学を好きな自分を好きだったんだと思う。

 本望だったと思う。
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三角パックの「捩れた話」+爪楊枝の水戸芸術館タワー/高校の先生の数実研レポート

 昨年9月、北海道の高校の数学の先生からメールをいただいていました。テトラパック(牛乳の三角パック)についての問い合わせです。おおっ!この話ですね→Tetra's牛乳の三角パック

 私は正四面体型のものが好きで、テトラポッドほか消波ブロック一般と、(正四面体ではないけれど)牛乳の三角パックに興味をもっていました。前者は単に好きだっただけですが、後者はとあることがきっかけとなり、一時期かなりこだわってアレコレ調べていました。

 何にこだわっていたのかというと、牛乳の三角パックについての間違った考察が数学の本や展覧会で発表されており、どうしてもそれに納得がいかなかったのです。数学の理論の話ではないので、数学的に大きな問題ではなかったのですが、間違った認識をもとに「ほらね、身のまわりで数学ってこんなに役に立っているんだよ」と語るその安易な態度に強い違和感を覚えました。

 それは、ものを作る人に対しても、数学に対しても、失礼な話だと思う。

 とまあ、語り始めるとまた熱くなってしまうので、詳細は上記リンク先を観ていただくとして、高校の先生からのメールの話です。

 その先生は知人と話をするなかで、テトラパックは正四面体ではないということを知ったそうなのです。そのことを教えてくれた知人は“テトラパックは三角柱の中に隙間無く詰め込むことができるけど、正四面体はできないから「テトラパック≠正四面体」である”と説明されたのだとか。

 この「三角柱の中に隙間無く詰め込むことができる」という話が、私がこだわったことでした。実際に牛乳の三角パックは、クレートとよばれる六角柱に近い形の容器にうまいことおさめることができるのですが、数学の本や展覧会では、それをあるひとつの空間充填形(辺の比が2:√3:√3の四面体)に結びつけて考察していたのです。

 どう考えてもこの人たちは本物の三角パックを使って考察していない、ひょっとしたら見たこともないのでは?と思いました。頭の中だけで勝手にそう考えている、あるいはどこかで読みかじった文献をもとに考えているだけで、自分で検証をしていない、と。

 大学や公的な機関も関わっている大規模な展示だったので、多くの人が関わっていると思うのですが、どうしてひとりもおかしいと感じなかったのだろう、感じたとしてもそのまま展示しているのだろう、私ひとり空間感覚がおかしいのだろうか…と、不思議でしかたありませんでした。

 おっと、また熱くなってしまいました、高校の先生の話でした。で、その先生がいろいろ調べるなかで、私のサイトを見つけてくださって、メールをくださったわけなのです。先生の考察は数実研のレポートとして発表されています。↓

 数学のいずみ数実研レポート発表一覧>第81回〜>

   捩じれた話 室蘭東翔高校 長尾 良平

 水戸芸術館タワーも出てくるので「捩れた話」というタイトルになっていると思うのですが、例の牛乳の三角パックの「捩れた話」の意味も絡めてあると思うわけであり、感涙にむせびそうですワタクシ。サイトに書いておくと、いつかだれかが読んでくださるのだなぁ…!

 私が以前 2:√3:√3 の四面体を導き出したときには、中村義作著「自己拡大する四面体」(『数理パズル』所収、中央公論社、1976)を参考にして、立方体を切断したものを組み合わせる方法を使いましたが(最初から空間充填形として切り出す)、長尾さんのレポートでは、タワーにしたときに捩れが生じない展開図をもとにして考察されているのが楽しいです。あと、爪楊枝を使ったYogeometryでは辺(稜線)が強調されるのが面白いです。

 飲み物のみならず、四面体型の包装はいまでも地道に活躍を続けているように感じています。お菓子類のほか、先日は粉末ドレッシングも近所のスーパーで見かけました。この「トスサラ」は比較的正四面体に近いですね。↓ http://www.ajinomoto.co.jp/tosssala/

 あと、四面体型包装といえば、パットラスをお忘れなく!! 先日、セブンイレブンの枝豆を初体験しました〜!

 ちなみにこのブログにはテトラ型包装というカテゴリーがございます。あれこれご紹介しております。

 そして、かのオーサグラフも、「小梅ちゃん」の三角パックがヒントになったそうですよ!↓
http://blog.livedoor.jp/juniodesign/archives/cat_50055480.html?PHPSESSID=98a71a43dd6de3cffef48eb2b9b0ce16

 うーんテトラえらいっ。まだまだきみは可能性を秘めているぞ!きっとd(^^)
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子育てブログでこんな記事を書きました。

「教育現場の挑戦」の記事のディテイルに感動する/研究開発学校制度とあわせて
http://kodomo.artet.net/?eid=1228979
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『数学教室』7月号・8月号、「掛け算・割り算の常識」(野崎昭弘)について

 以下のエントリで少し触れさせていただいた、『数学教室』(国土社)2013年7月号・8月号の「掛け算・割り算の常識」(野崎昭弘)の内容を、自分が興味のあるところをを中心に確認してきました。
Twitter経由で知った、くるぶし(読書猿)さんの分数についてのページ/「等分する分数」と「比に基づく分数」
「単位」を使って数の計算を学ぶときの、「単位」の意味

 先に全体的な印象を書いておくと、数教協の雑誌なのであたりまえのことではありますが、やっぱ野崎先生も数教協の先生だなぁ〜としみじみ感じました。私は野崎先生が好きなのでそのことで先生の印象はかわらないけど(^^)、諸手をあげて賛同するわけにはいかないというのが率直な感想です。

(ちなみに、かけ算の順序固定を批判しているという話も目にしていたのですが、私が予想していたよりもマイルドでした。これが批判たりうるのであれば、私のブログってば、かなりの“固定反対派”なのではなかろうか??)

 で、どのあたりが数教協っぽかったかというと、7月号では等分除・包含除のほか「かけわり図」が説明されていて、8月号では「割合測定器」が紹介されていたこと。「かけわり図」については、このような図を描くことができれば「掛け算か割り算か」の選択は簡単だ、というようなことが書いてありましたが、それでいいのかなぁ?>野崎先生。「割合測定器」というのは、ゴムひもでできた伸縮自在のものさしで、これと固定ものさしを組み合わせることにより、基準の長さ「1」が調節できるようになっています。いわば、どんな問題にもあわせて使えるリアル二重数直線という感じ。伸縮させる様子を目で見ることができるのが紙に描かれた図と異なる点ですが、ゴムひもってたぶん難しいよなぁ…と思ったとおり、やはりそれほど正確な測定はできないということを野崎先生も書かれていました。ちなみに、これがデカルトの乗算の話へとつながっていきます。

 で、「割合」は、大学生でもよくわかっていない人がいるだろうと思うのですが、野崎先生がいうには、昔、大学4年生のゼミに「割合測定器」を持ち込んで「割合」の説明をしてみたら、よくできる学生さんたちは興味をもっていろいろ操作しながら「これはわかりやすい」と言っていたけれど、肝心の「割合がわかっていない」学生さんたちは「バカにされた」と思うのか、さわってみようともしなかったとのこと。

 この現象(?)をうけて野崎先生いわく、どんなにいい教具にも「レディネス」(学習可能な身体的・知的年齢に達していること)のほかに、すなおにつきあうための「適齢期」があるようですね、と書かれていましたが、結局こういう教具というのは、「わかっている人にはわかり、わからない人にはわからない」ものだということがよくわかる一例だと私は感じました。つまり、わからない人にわからせるためのものではなく、すでにわかっている人が、自分がわかっていることを整理・表現するための道具なのではなかろうか、と思うわけであり。(で、適齢期っていつ? 大学時代に興味を持たなかった学生さんが、小学生のときなら興味をもったかというと、そうは思えない私)
〔関連エントリ〕
「公式」は“悪”で、「図式」は“善”か?(1)/数教協のシェーマ
「公式」は“悪”で、「図式」は“善”か?(2)/現在の教科書

 ほんでもって、7月号では「分数による割り算を整数による割り算に翻訳する」方法が書かれており、単位分数を使った計算方法が示されています。 

 たとえば、一歩の歩幅が60cmのとき、12km歩くには何歩あるくかというような問題を解くときに、「12km÷60cm」のままでは計算できないわけで、これは「12km÷0.0006km」または「1200000cm÷60cm」と計算することになり、単位が同じなので、そのまま数値を計算して、答えから単位を消していいことになります。

 これを分数の割り算に応用するために、例の「サンダ」(3分の1)、「ヨンダ」(4分の1)、「スーダ」(12分の1)が出てくるわけです。この単位を使うと、「2/3 ÷ 3/4 = 2サンダ÷3ヨンダ」となりますが、これでは先に進めないから、「8/12 ÷ 9/12 =8スーダ÷9スーダ=8÷9=8/9」というふうに単位をそろえて整数のわり算に翻訳してしまうという発想です。そしてこのあと、分数のわり算はわる数の分母と分子を入れかえてかけ算にすればいいことが文字式で示してあります。

 この考え方は、先に「2/3 ÷ 3/4」という計算式ありきですね。たとえば、「3/4メートルの長さが2/3グラムの針金があります。この針金の1メートルの重さは何グラムですか」という問題の場合、長さの単位とグラムの単位を別の単位にストレートにそろえるわけにはいきません。だから、共通単位でそろえる発想は、基本的には包含除にもとづいた考え方なのだと思います。

 そして8月号では、「割合測定器」をつかった掛け算・割り算が示されています。「3×2」の場合は、固定ものさしの「3」に割合測定器の「1」をあわせて、割合測定器の「2」に対応している固定ものさしの目盛りを読むという手続き。「6÷2」の場合は、固定ものさしの「6」に割合測定器の「2」をあわせて、割合測定器の「1」に対応している固定ものさしの目盛りを読むという具合。小数の割合にも応用できると書いてありましたが、分数の場合はどうすればいいのでしょうね? いちいちそれ専用の固定ものさしと割合測定器が必要なような…。

 とにもかくにも、これが「比に基づく乗除算」ということのようです。しかし、先ほども書いたように、ゴムひもの長さでは正確な測定はできないし、ゴムひもの伸び率に制限されるので、ギリシャ人の方法のほうがずっと広い範囲の掛け算・割り算に応用できるとして、(のちにデカルトによって完成された)デカルトの乗算が紹介されています。いわゆる相似形を利用した計算方法で、「長さ×長さ」が面積ではなく、長さで表されるところが、ギリシア時代にはなかった新しいところと書いてあります。

 このことについては、以下のエントリで亀井喜久男先生の論考を紹介させていただいています。なお、野崎先生が使っている図は逆L字型ではなく、1点Oから半直線を2本ひき、それに2本の平行線を加えて相似な三角形を作った図になっています。
「比的率」は外延量という考え方(11)/図形における比率から、「デカルト座標平面線分算」へ
亀井喜久男さんの微積分の論文URL

 というわけで、手元のメモをもとに、ざっと紹介させていただきました。


 思うに。研究するなら、やっぱり、「教え方」より「学び方」のほうがいいかも。

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教育のなかで「多様性」をどうとらえていくか

 その後、「多様性」について考えています。この言葉は最近の---しかもけっこう長い期間---マイブームです。その意味するところは深いのでしょうが、いまは単純に、人々の多様性、「いろいろな人がいる」という意味での多様性について考えてみたいと思います。

 私という人間には様々な属性があります。年齢、性別、国籍、出身地、住民票をどこにおいているか、何の仕事をしているか、経済状況、家族構成、体重、身長、血液型、趣味その他もろもろ。ときと場合によっては、その属性において区別されることもあるでしょうし、それらの属性が自分の何かを決めている、形作っているということもあるかもしれません。

 先日まで読んでいた鈴木健『なめらかな社会とその敵』は、そのような区分をなめらかに考えていくこと、ひいては自分と他人の境い目もなめらかに、さらに自分自身のなかの多数性を無理に括らないことを基本姿勢にしていると私は理解しているのですが、そうはいっても、多様なものに多様なまま対応していくということは大変だし、ときには不可能です。

 たとえば、ひとつのクラスのなかに、5歳児、小学校3年生、中学校1年生、高校2年生、大学4年生が混じっている状態で、全員に意味のある授業をしろといわれたとすると、それはとても大変なことでしょう。不可能ではないと思いますが、なんらかのくふうが必要です。また、理解できる言語がバラバラの場合も、意思疎通をはかるためになんらかの対応が必要でしょう。

 こちらと並行してこどものちかくで「習熟度別学習」について書いてきましたが、「習熟度」というのも、区分のためのひとつの指標かと思います。習熟度というものではかれるなんらかの違いがあるのであれば、その区分で子どもを分けるのではなく、むしろその違いがあるからこそ、みんなに意味のある授業ができるのではないか、と私は思っているのですが、言ってみればこの考え方は、多様性をポジティブにとらえたものかもしれません。

 そしてこの場合の多様性は、実は、とてもせまい幅のなかでのグラデーションにすぎないのかもしれません。

 日本における習熟度別学習を、家庭の経済状況の格差、親の意識の格差とつなげて考えることは突飛なことではないでしょうし(実際、この視点をふまえた研究もあるようです)、逆に、限られたせまい範囲のなかで、優越感や劣等感が生じることもあるようです(>ここ数年の、習熟度別学習に対する意見(2)/教師の立場から)。しかし、広い視野にたってみれば、この違いはほとんどどんぐりの背比べ、もしかすると米粒の背比べかもしれない、と思えてきました。どの位置に立つか、どのスケールで見るかで、差異の意味は変わってくるでしょう。

 娘の通っている小学校は公立小学校なので、一般的に考えると、私立小学校よりは「いろいろな子どもがいる」状態と言えます。しかし、公立には地域の特性があるので、実は、一部の私立小学校より、似通った子どもが通っているという状況があるとも言えます。同じ東京都内の公立小学校でも子どもたちの雰囲気が違うことを、転出された先生からうかがったことがありますし、学校の規模なども、子どもたちに何らかの影響をあたえるでしょう。

 しかし、いずれにしろ思うことは、日本の小学校の場合、どんなに多様性があろうとも、アメリカの多様性に比べれば、幅はかなりせまいのだろうな、ということ。

 クレアさんのお話だと、アメリカの教育関係者は、多様性に対応するための努力を惜しまないそうです。きっとそうなんだろうなぁと思います。また、このたび導入された各州共通基礎スタンダード(Common Core State Standards)にも、アメリカで学ぶ子どもたちの多様性に、これまでとは違う視点で取り組もうとする背景があるのでしょう。

 言うまでもなく、クレアさんをアメリカの先生の代表として考えてはいけないし、クレアさんが知っている子どもたちは、アメリカの小学生のごく一部かと思います。また、私がブログに書いている日本の教室の風景も、あくまでも一例にすぎず、これが日本の小学校の代表になるはずもありません。

 でも、それはひとつの実例であり、風景であることも確かです。

 私は、統計をとったり、全国的・世界的な調査を行って、それを分析・考察する立場にはないので、身近にある小さな一例しか知りません。なので、そこから考え、そこから語ることしかできません。しかし、自分の目の前を見つめること、そこから考えること、そこから語ることで、できることはあるように思います。

 クレアさんは、日本の教育を知っているという自分のバックボーンを、いま現在接しているアメリカの小学校の教育において活かそうとされていますし、直接接している範囲にとどまらず、ブログを書いたり、web上の記事にコメントをつけられたり、また、こうして私にメールをくださったりして、自分の立場から、自分ができることを、やろうとされているのだと思います。

 私も、自分のすぐそばにある風景を、自分の感覚でとらえ、自分の言葉で表現していくことで、だれかに何かが伝わり、小さくても何かをなしうるのであれば、それはとてもうれしいことだなぁと思っています。
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「単位」を使って数の計算を学ぶときの、「単位」の意味

 分数について考えています。



 さて、こどものちかく>教科書における分数のかけ算の導入で、学校図書の教科書のページを示しましたが、クレアさんいわく、自分だったらバケツに入ったクリームを長方形型のケーキ(の表面)に塗るという設定に変えるだろう、と。そうすると子どもの意欲がまったく変わってくるというお話でした。実際に塗る作業をしてもいいし、ワークシートに色を塗る形でもいいし。

 私は、日本の場合は、バケツのクリームとケーキでもなかなか難しいかも(身近ではないかも・・・)とお返事したのですが、素材はひとまずおいといて、長方形型のケーキを扱うときにセンチメートルなどの単位を使わない、というところを今回は考えたいと思います。

 私も、「量の算数」は実現できているか?において、教科書のペンキぬりの問題に出てくるペンキのかさは、1/3dLという単位つきである必要はなく、1/3缶や1/3ビンでもかまわないと書きました。それは、単位を使わないほうが好ましいという意味ではなくて、単位を使っても、単位を使わない場合と同じ難しさがあるのではないか、ということが言いたかったのでした。

 つまり、「1dLで4/5m^2ぬれるペンキが1/3dLあるとき、何m^2のへいをぬれるか」という問題は、「1缶でへいの4/5だけぬれるペンキが1/3缶あるとき、へいのどれだけをぬれるか」という問題と、本質的に変わりはないのではないか、と。

 野崎先生が『数学教室』(2013年7月号)において、新たな(架空の)単位を導入して分数のわり算を整数に読み替える方法を示しておられましたが()、確か「スーダ」という単位は「ダース」をひっくりかえしたもので(1/12)、それにサンダ(1/3)とヨンダ(1/4)を加えていたと記憶しています(今度ちゃんとメモしてきます)。こういうときに、結局は架空の単位でもかまわないわけだし、逆にいえばこの分数の問題の場合、架空の単位しか使えないのです。

 で、この機会に訂正したいことがあるのでその話を。以前、タイル図で乗法を理解しようとする意味というエントリのなかで、「リットル」と「デシリットル」という単位は小数の勉強に便利だと書きましたが、少なくとも学校図書の教科書を見るかぎり、小数の学習でdLという単位に依存しているという印象はほとんどありませんでした。「ちょうどいい量感」のおかげで重宝している面はありそうですが。3.2m^2のかべをぬるのに5.67Lのペンキは使わないでしょうから(5年上/p.70)。

 それにしても、リットルは便利ですねぇ、SI単位じゃないけれど(けれど・・・?)。1つの文字で“かさ”が表されるから。これがm^3しか使えなかったら、すんごくややこしい話になると思います。実際、リットルは日常生活でもよく使いますしね。

 ほんでもって、ちょうど先ほどのタイル図で乗法を理解しようとする意味のなかに、「1つ下の単位」を考える話が出てきます。このときの「単位」は、Lとかmとかとは別の意味の単位と考えたほうがよさそうですよね。野崎先生が『数学教室』で示された考え方は、これの分数版と言ってもいいのではないでしょうか。「2/3 ÷ 3/4」→「8/12 ÷ 9/12」→「8÷9」という発想は、「2サンダ÷3ヨンダ」→「8スーダ÷9スーダ」という考え方なので。サンダ(1/3)とヨンダ(1/4)で表される量に共通の単位をあたえるために、2つの分数に共通している1つ下の単位、すなわち1/12(スーダ)を導入したということなのだろう、と私は理解しました。

 この場合、最後の答えで出てくる8/9以外は、全部、(分数の形をしていない)ひとつの単位がつく「外延量」です。そして、最後で出てくる8/9は、単位がつかない「割合」ということになりそうです。この最後の分数にあえて単位をつけるとすると、どんな単位をつけたいいのでしょうね。問題設定を覚えていないのだけど、「〜こ分」か「〜倍」となるところかな? いずれにせよこの問題の場合、「かけ算」よりも前に「わり算」を学習することができそうです。

 いっそ、分数のかけ算・わり算を、文章問題から始めるのではなく、いきなり計算式を出して、この計算式があてはまる文章問題ってなんだろう?と考えてみるのも面白いかもしれません。あるいは、かけ算・わり算を分数に適用することは可能か?というところから考えてみたり。かけ算・わり算は分数ではできないという仮定を立ててみてもいいかも。そうすると、「あれ・・・?」と思う子が出てくるように思います。ただし、こういう学習は、習熟度別指導では厳しいというか、面白い展開にはならないかもしれませんね。

 ちなみに、きのうの娘の計算ドリルの宿題は、「分数で倍を表す」内容のものでした。分数で表される倍は、この段階で出てくるもよう。
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Twitter経由で知った、くるぶし(読書猿)さんの分数についてのページ/「等分する分数」と「比に基づく分数」

 分数について考えています。



 先日、Twitter経由で次のページのことを知りました。

読書猿Classic: between / beyond readers
分数の根っこについて私が語れる2,3の事項/数学となら、できること

 はじめてこのページを見たとき、とある言葉に「おー!」と思ったのですが、2回めにのぞいたときに見つけられなくて、勘違いかなぁと思いつつ読みなおしていたら、コメント欄に発見しました。「等分する分数(ケーキの分数)と、比に基づく分数(km/hの分数)」という言葉です。速さを「比に基づく分数」としているのが私にとっては新鮮だったのです。

 ちなみに、参考文献は『数と量の出会い 数学入門 (大人のための数学 1)』(志賀 浩二/2007)と、『数学の世界―それは現代人に何を意味するか (中公新書 317)』(森 毅、竹内 啓 他1973)とのこと。私は2冊とも読んだことがないので、どちらの本をどのくらい参考にされているのかは未確認です。

 くるぶしさんは、分数の源流として、ピタゴラスの比の値とエジプトの単位分数のことをあげておられます。ちなみにこのブログにおいては、前者に関連する話題としてとりあえず“比”はなぜ“理”なのか/有「理」数の意味というエントリを書いており、後者についてはカテゴリー:古代エジプトの分数で書いています。

 で、面白いなぁと思ったのは、ケーキの1/4のように等分する分数は、物事の量(とくに1より細かい量)を表すために使われ、速さのような比に基づく分数は、量と量の関係を表すためにあるとされているところ。さらに、等分する分数は「multipleの掛け算(同種の量を繰り返しても同種の量)」に対応し、比に基づく分数は「productの掛け算(異種の量同士の関係→新しい量)」に対応している、と。

 そして、小学校の算数でやる分数は等分による分数で、中学校以降の数学でやる分数は比の分数とその発展形である、ということも書いてあります。chiteki123さんという方のコメントに、この切り替えができない子が落ちこぼれる、という言葉もありますね。

 なるほど、こういう分類で考えると、これまで考えてきた様々な問題が、また別の形に見えてくるように思います。遠山啓が反対した「割合分数」は、2個のおだんごと5個のおだんごの関係としての2/5というような分数だったわけですが、なぜこれに反対したのかというと、2つの分離量の関係としての分数の計算は、「関係の関係」になって難しいという理由からでした(私の表現です)。これに対して2/5Lというようなひとつの量の抽象的表現としての分数が「量分数」ということになります。>割合分数論争を、「構造と素子」の視点で考える

 くるぶしさんの話の流れのなかで考えると、2/5Lは、1Lを5等分した2つ分のかさなので、まさにケーキと同じ等分による分数ですね。しかし、分数のかけ算を「1あたり量×いくつ分」で学ぼうとするとき、この「1あたり量」は、数教協的に言えば「内包量」となり、「量と量の関係としての分数」であるはずです。

 つまり、1dLで4/5m^2のへいをぬれるペンキがある()と言われたとき、一瞬の見た目では4/5m^2は「等分に基づく分数」ですが、実際には「(4/5)m^2/dL」という「量と量の関係としての分数」であるはず。先の分類でいけば、「比に基づく分数」。しかし、この関係としての量も、内包量という「1つの量」として扱おうとするのが数教協の方法論だろうと私は思っています。いやはや、難しいです。また、「2%の食塩水」というときの2%は、分数で表せば2/100ですが、これはどっちの分数だろう?という疑問もわいてきます。このあたりのことは比的率の議論にもつながっていくのでしょう。

 折りしも、先日、図書館で『数学教室』(国土社/2013年7月号)の「掛け算・割り算の常識/野崎昭弘)をのぞいたとき(宮本先生の授業記録も掲載されていましたね^_-)、野崎先生が、分数の架空の単位を導入して(サンダ・ヨンダ・スーダだったかな?)、通分して単位をそろえて分数のわり算を整数のわり算に読み替えるということをなさっていました。

 細かく覚えていないので適当な数値で再現しますが、2/3 ÷ 3/4 = 8/12 ÷ 9/12 =8÷9といったような発想です。おそらく「包含除」的発想だったと思います。次号では比による考え方を示すと書いておられたような気がするので、中身がわかったらまた続きを考えたいと思っています。
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二重数直線は、もはや Double Number Line (動画のリンクあり)

 分数とは何か、分数の計算とは何か、それらを学ぶということはどういうことか、について考えていきたいと思っているところなのですが、クレアさんから興味深い記事URLを教えていただいたので、とりいそぎリンクします。

Double Number Line Diagrams
http://mathgpselaboration.blogspot.com/2012/01/double-number-line-diagrams.html

 このなかに、次の2つの動画へのリンクがあります。
http://www.showme.com/sh/?h=5ZAlqxU
http://www.showme.com/sh/?h=MSnmBma

 1つめのビデオは、整数のかけ算を二重数直線を使って解くところから始まります。1皿に4つずつりんごがのっているお皿が6皿あるときのりんごの総数を求める問題です。英語だと「1」が直接出てこないから、each を読み替えなくちゃいけないのですね。あと、単位(助数詞)がないので、「こ」「皿」ではなく、apples と plates になるのですね。割合のときはなんて書くんだろう?

 そして整数のわり算の問題に移るのですが、ご丁寧にというか、当然のことながらというか、等分除と包含除が示されています。包含除のほうは hexagonal tables で6人ずつしか座れないことをアピール。

 さらに小数へと進み、おなじみwireの問題。

 ほんでもって、最後に分数を1つだけ含む計算が出てくるのですが、こちらもwireで5(1/2)ouncesという質量設定。おお、アメリカはペンキを塗らなくていいのですねぇ。ためしにAmazonの商品を検索してみたら、こういう商品表示がありました↓
http://www.amazon.com/
Ounce-Sterling-Silver-Wire-Gauge/dp/B000SNB98G

(1オンスを固定して、長さを変えていくんだろうか?)

 ちなみに、最初の整数のかけ算では、「?=6×4」という式が書かれています。また、2つめの動画においては、「1→△」を考えるときに「△×」という式が書かれます。二重数直線はかけ算の順序をものともしないらしいです。というか逆に、かけ算の順序の文化的感覚の深さを垣間見る思いがしました。そこは「×△」でもいいんじゃな〜い?と思うのですが、アメリカで暮らす方の場合、「△×」としたほうが自然なのかもしれません。

 この動画の作成者は、Tad Watanabe さんという方のようです。お名前で検索したところ、こちらのサイトにたどりつきました↓
http://science.kennesaw.edu/~twatanab/

 数学教育を専門とする大学の先生のようですね。二重数直線のほうのページの About Me に the Japanese elementary mathematics curriculum という言葉が見えますが、日本で学ばれたのか文献で研究されたのかはよくわからず、です。

 クレアさんからすでに教えていただいたように、アメリカでは6年生ではじめて二重数直線が出てくるらしいのですが、それまでにもっと慣れておこうよということで、整数のかけ算・わり算や小数、分数の計算で二重数直線をどう使えばいいのかを示すのが、この動画の目的なのでしょう。で、それにクレアさんも同意されている、と。
 
 早い段階から二重数直線を多用している日本の教科書に文句を言う私は、超贅沢者なのかもしれません。

 そういえば以前の調査では、分数のかけ算・わり算くらいまでし確認していなかったのですが、日本の教科書では比例で二重数直線を使わないのではないかと推測しています。対応表が上下逆転してかえってわかりにくくなるので。比例を本格的に学ぶのは6年生の後半なので、まだ教科書が手元にありません。今度、教科書センターで確認しなくちゃ。アメリカでは、実際にはどんな形で二重数直線が出てくるのでしょうね。

 さて、Tadさんのサイトにもどり、コメント欄をのぞいてみると、クレアさんが“How do you determine multiplication and division?”と質問しておられます。が、それに対するTADさんの答えを見つけられず・・・。そのあとの保護者からの思われるコメントには長いお返事がついていますが、特に興味をひかれる言葉は見当たらず。

 それにしても。

 なんだか、中世ヨーロッパの商人の三数法と同じレベルのものを、日本から輸出しているような気がするのは私だけでしょうか。「輸出」という文字、どこかで何かの議論のときに目にした記憶があるな・・・。どこの何の議論だったろう? 忘れてしまった・・・
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アメリカの小学校の先生とやりとりしているメールのこと

 去年の夏、二重数直線について思うことのまとめ(2012年夏)・1/出会いと印象というエントリのなかで、二重数直線についての質問のメールをいただいた、と書きました。差出人はアメリカの小学校の先生。とてもきれいな日本語の文面にびっくりしたのですが、日本での教師経験がある方とわかり、納得。

 で、何がびっくりって、アメリカでも6年生の比の学習内容の中に二重数直線が出ているんですって! 日本では早い段階から二重数直線を駆使しており、私はそのことに疑問をもっていたのですが、アメリカの場合は逆に6年生でしか出てこないので、下地のない生徒は相当に苦しむのではないか・・・とのお話でした。

 質問の内容は、二重数直線を使って「小数のわり算」をどう考えればいいのか、ということでした。かけ算はだいじょうぶなのだけれど、わり算を二重数直線を使ってどう解いたらいいのかこんがらがってきました、と。私はこれまで、「なにこれ!?」と思うだけで二重数直線の“使い方”をちゃんと考えていなかったので、これを機会にようやく二重数直線そのものに取り組むことになり、「なるほど、わり算をどう考えればいいのかさっぱりわからないし、そもそもかけ算もよくわからない」という結論に達したしだい。>カテゴリー:二重数直線

 このことは、先日、娘の学校で見た分数のかけ算・わり算の授業のあの「問い」にも関わってきそうです。そういえばあのときも、二重数直線が使われていたような・・・。全国の小学生のみなさーん、今度先生から「1m^2に何をかけると2/3m^2になりますか?」ときかれたら、「魔法」と答えましょう〜d(^^)>かけ算・わり算の文章問題における「1」の存在感

 あのときは結局、二重数直線を使ったわり算の(自分で納得できる)説明を私は思いつかず、お役に立てなかったのですが、最近また、同じ方からメールをいただきました。今回は分数のかけ算・わり算について。

 で、前回はお名前を出すところまでいけなかったので、今回あらためて(ご本人の許可を得て)紹介させていただきますと、Claire Hallinan さんという方です。クレアさんのサイトはこちらです↓

  Think Aloud
  http://thinkaloud-mathlessonplans.blogspot.jp/

  (教えていただいたのは、次のページでした。)
  Think Aloud >Common Core and Differentiation

 私はクレアさんに、「アメリカの小学生は、小数よりも分数のほうが得意ですか?」という質問をしました。そうしたところ、「分数も小数も得意ではない、教師もわかっていない」という内容のお答えをいただきました。ただし、ものさしはインチを使うとき分数で読むことが多く、25セントを1/4ドルと呼んだりすることから、生活に分数が密着しており、分数が身近に感じられるという面はあるかもしれない、ともおっしゃっていました。

 分数について、もう少し考えていきたいと思います。


(つづく)
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