TETRA’s MATH

圏論「前層」、一筋の光

 圏論「米田の補題」、勇気を出して立ち話において、『圏論の歩き方』の春名さんのところから日本語による表現を取り出した。もちろん、ちゃんとした定義も書いてあるのだが、『圏論の道案内』のほうがわかりやすかったので、そちらの定義を使わせていただいたのだった。

 『圏論の歩き方』の春名論稿の定義を理解するためには、まず「前層」を理解しなくてはならないのだ。ちなみにこちらでは「局所的に小さな圏C」ではなく「小さな圏C」で米田の補題が定義されている。

 小さな圏C上の前層とは何かといえば、関手F:C^op→Sets のことであるらしい。

 おお、どこかで聞いた話だぞというのは話が逆で、前層という用語なしの米田の補題の定義をのぞいたあと、前層という用語ありの米田の補題の定義をのぞいているので、つまりはそういうことになるのだった。

 ところで、Setsの最後のsについてはいまだによくわからずもやもやしている。SetSetsは完全に同じものと考えていいのか、それとも何か違いがあるのか。『圏論の歩き方』でSetsは「集合と関数の圏」と説明されており、索引にSetsはあってもSetはないので、たぶん同じものだと考えてよいのだろうと現段階では理解している。

 『圏論の道案内』(西郷・能美)のほうでは、「前層」という用語は1回だけ出てきていて、ちょろっと触れてある程度なのだけれど、面白いことが書いてあった。

 自然変換の前順序集合に関する例の話のなかで出てくる。まず、2つの圏CDのどちらともが前順序集合である場合について考えたあと、Cのみ前順序集合である場合について考えてあり、その後者が前層と関わっているらしいのだ。

 後者の例として示されているのは、「状態」を対象としその間の「遷移可能性」を射とする圏をCとした場合。このときの関手圏Fun(CSet)の意味は、「異なる状態に遷移するとそれに応じて変わる集合」を対象(関手)とし、異なる状態への遷移と「整合的に」時間発展する写像を射(自然変換)とすることになる。

 これもどこかで聞いた話だぞというか、いまとなっては少し懐かしい。モビリティの圏不定自然変換移りゆくことと多層性を思い出す。

 時間的なイメージにこだわる必要もなく、空間的な「包含関係」によっても前順序集合ができるから、よりニュートラルに「不定な集合の圏」とでも言ったらいいかもしれない、とのこと。

 一般にはこういう圏を「前層の圏」と呼んだりする、ということらしいのだ。

 ちなみに『圏論の歩き方』では、「モノイドの作用する集合」の概念を一般化したのが前層(presheaf)の概念だと書いてある(第2章の後半/p.31)。

 『圏論の歩き方』春名論稿にもどると、「米田の補題」を理解するためには、もうひとつ記号表記をおさえておかなければならない。それはC上の前層の圏の記号で、Cの上に^をのせたようなもの。

 前層というのは関手F:C^op→Setsのことだったけれど、関手圏である前層の圏の記号はSetsの右肩にC^opをのせて示されている。つまりはこんな感じ(字体はそのまま再現できなかったけれど)↓



 ……え?

 期せずして冪の形で書いてあるではないか。

 欄外注で、関手圏の定義については第7章を参照と書いてあり、その第7章は小嶋泉さんと西郷甲矢人さんが書いていて、関手圏の説明で「冪」圏という言葉が出てくるのだ。

 集合A、Bの冪集合B^AがAからBへの関数の集合であることを考えれば、C1^C0の対象が関手であると考えるのは自然でしょう、と。

 その少し前に圏の直積なるものが出てきていて、前回の終わりのところと関連して直積という言葉は頭に浮かんではいたのだけれど、『圏論の歩き方』第7章では、圏のなす圏について直積を考えたあと、冪はどうなるのか、というふうに話は進んでいくのだ。

 あ。

 なんとなーく、うっすらーと、一筋の光。
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圏論「圏から関手圏への関手」、わかってないところ

 随伴関係の雰囲気だけでもなんとか感じるところまでいけないか、がんばっているところなのだけれど、そろそろ読めるかもと思っていた随伴関係のところの「その先」を読もうとしたら、まだ全然ついていけなかった。

 まずはhom関手間の自然変換をのぞいたときの例の“コロッケのマッシュポテト添え”がやっぱりわかっていない。

 あらためて考える。

 圏から関手圏への関手とはなんぞや?

 それをいえば、そもそも関手圏の記号表記の確認が曖昧なままだったのがまずいけなかったのかもしれない。圏Cから圏Dへの関手を対象とし、それらの間の自然変換を射とする圏を圏Cから圏Dへの関手圏(functor category)と呼び、Fun(CD)と書くのだった。

 関手圏を具体的な図で描くのは難しいけれど、あえて描くならこんな感じだろうか。

図1


 hom関手に浸かっていたからか、FunのところにHomと書いてしまっていたらしく、スキャンしたあと訂正した。なお、こんなに自然変換ってあるのかしらん!?という気持ちになりながら描いた。

 で、圏Cから関手圏Fun(CD)への関手となると、次のようになるかと思う。

図2


 圏論に3つの矢印があることや、屋上屋を架す雰囲気があることはもはやよしとする。屋上屋を重ねるとしても、それぞれの段階ではまとまりがあり、関手圏にしろ圏の圏にしろ、それはそれで納得できる。

 しかし、圏から関手圏への関手というものを考え得るとしたとき、「圏から関手圏への関手」という言葉のなかに出てくる2つの“関手”は次元が異なると思うのだ。ビルでいえば、いまいる階が違うというか。しかも、圏CからFun(CD)への関手なので、“ものは同じだけど立場が異なる”Cも含まれている。

 マッシュポテトが添えられているというより、コロッケがマッシュポテトにくるまれていると言うべきだったか。

 あるいは、わが子が自分の勤務先の生徒である教師が勤務先の学校の保護者会に出ているかのようだというか。なんか違う。

 さらには双対圏や反変関手が混ざっていることが、やはりややこしさのふたつめになっているように思う。

 とにもかくにも「対応()hがCからFun(C^op,Set)への関手」についていまは考えたい。hom関手間の自然変換のところに出てくる図を、本に載っているものとほぼ同じ形で描くと、以下のようになる。

図3


 そして、この図に対して以下のような説明がついている。
Cの対象AにFun(CSet)の対象hAを、A´からAへのCの射aにhAからhへのFun(CSet)の射haを対応させる対応付けh()は、CからFun(CSet)への反変関手、つまりC^opからFun(CSet)への関手となる。
※「^op」はCの右肩につく記号
(『圏論の道案内』西郷甲矢人・能美十三/第4章4節より)

 そう言われると、「なるほど」とわかった気になれるのだ。しかし別のところで出てくるとわからない。理解が曖昧ということなのだろう。

 で、いまとなってははるか彼方の過去のことになった感じがする随伴関係(三角等式版)の定義の直後に、Dの射F(X)→YとCの射X→G(Y)の一対一対応は自然だという話が出てきていて、ここにhom関手の自然同値の話が出てくる。

 そして、()hはCの対象Xに対して反変hom関手Xhを対応させる関手だったが、どこからどこへの関手だったかというのを見直せばC→Fun(C^op,Set)というものだったという話に続く。この点はいま確認した。

 問題はこの次。
関手圏Fun(C^op, Set) というのは圏C^opから圏Setへの関手全体だからこれは圏の冪みたいなものだ。
(同上/第8章2節より)

 ……え?

 そしてこの少しあとで、圏と圏が「×」で結ばれた表記が出てくる。説明はあるけど。

 だめだ。

 まだまだ全然、旅の準備が足りないらしい。
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圏論「米田の補題」再び、話の流れ的に

 hom関手間の自然変換をのぞいた流れで、「米田の補題」をもう一度、前回よりも中身に踏み込んで見ておくことにする。

 まずは、『圏論の道案内』(西郷・能美)に示されている「米田の補題」の定義をあらためて確認する。
Fを局所的に小さな圏CからSetへの関手とする。Cの任意の対象Aについて、「hAからFへの自然変換」と「F(A)の要素」とは一対一に対応する。
 その内容を、自分の理解と表現で段階的に描いてみた。

図1
Fを局所的に小さな圏CからSetへの関手とする。



図2
Cの任意の対象Aについて、「hAからFへの自然変換」と



図3
「F(A)の要素」とは一対一に対応する。



 特に図3は上記のように描いていいのかよくわからないけれど、とりあえずこんなイメージを抱いているということで描いてみた。

 さて、Fとしてhom関手をもってくるとどうなるか、について考える。Cの対象BについてhBを考えると、hB(A)=HomC(B,A)だから、「hAからhBへの自然変換」と「BからAへの射」が一対一対応することになる。

図4


 AとBの向きが逆転するのが気になる場合は、双対圏を考えて、「AhからBhへの自然変換」と「AからBへの射」との一対一対応というふうに言える。この対応()hを「米田埋め込み」(Yoneda embedding)と呼ぶのだそう。

 「米田埋め込み」という言葉をブログに書く日が来たかーという感じで、自分としては感慨深い。

 が、なんだろう、まだもやもやしている。

 「米田埋め込みによって対象が関手に、そして射が自然変換に格上げされている」という意味が最初わからなかったのだけれど、つまりは「A→B」というものが、「Ah ⇒ Bh」と同じようなものになるという意味での格上げだと現段階では理解している。

図5


 それはそうと、米田埋め込みの定義には、新しい用語が出てくる。
CDを局所的に小さな圏とし、FをCからDへの関手とする。Fは、Cの対象X, Yについて定まるHomC(X, Y)からHomD(F(X), F(Y))への写像が単射であるとき忠実(faithful)、 全射であるとき充満(full)、全単射であるとき充満忠実(fully faithful)であるという。
 本をめくって目に触れていただけのときには「忠実?充満? なんじゃそれは!?」と感じていたこれらの用語も、少し手触りがわかってきた。

 関手が充満忠実だと、対象を定めるごとに元の圏と行き先の圏との間で射の集合が同型で、いわば行き先の圏の中に元の圏とまったく同じ世界が再現されることになる、と書いてある。この状況を表して、「埋め込み」(embedding)と呼ばれることが多いらしい。

 なるほど。

 このあと、可換な図式が示されて、HomC(A、A)から恒等射1Aをとることで、一対一対応を確かめる作業に入るのだが、ここを理解するまえにスタミナ切れになってしまった。

 またの機会に。

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圏論「hom関手間の自然変換」、縦と横

 hom関手をざっと見たので、hom関手間の自然変換についてもある程度見ておくことにする。『圏論の道案内』(西郷・能美)の随伴関係のところでこの話が少し出てくるのだ。何かヒントが見つかるかもしれない。いつものように自分の理解の流れと表現で書いていく。

 hom関手は関手なので、hom関手からhom関手への自然変換というものを考えることができる。つまり、圏Cの対象A、A´に対してのhom関手hA、hの間の自然変換を考えたい。

図1


 それはつまり、HomC(A,X)、HomC(A´,X)間の対応ということになる。

図2


 反変関手が流用できることがのっけから書いてあるのだけれど、パっと見、Xのほう、つまり第二引数を固定してあるように見えるので、HomC(−,B)で考えたときと同じ形になりそうな気はする。

 実際、hの左上に小さなXをのせた記号が示されている。なお、反変関手の記号を書くとき、ブログの文中では、圏の記号の左に対象の記号を小さくしたものを単に並べてXhというふうに書くことにする。

 つまり、A´からAへの射aを考えると、AからXへの射のひとつをxとしたときに、xaはA´からXへの射となり、hom関手のときと同じように考えれば、反変関手になるのだと理解した。

図3


 そして、「自然変換がみたすべき可換図式を意識しながら射の集合たちの関係を整理すると」として、次の図が示してある(ア、イの点線部分はこちらでつけたもの)。

図4


 このあとはアとイの合成について確かめるため、AからXの射xについて、アは以下のウのようになり、イは以下のエのようになる(ウ、エの記号はこちらでつけた)と書いてあるのだと思う。そして、結合律により等しいと結論づけられている。

図5


 つまり、図4は可換になって、対象XからSetの射xh(a)への対応は自然変換となる、と。

 図5は単純な話のようでいて、なんだかよくわからなかったので、いまは射xをひとつ取り出していることから、以下のように考えてみた。

図6


 そういう考え方でいいのかどうかわからないけれど、とりあえずhAからhの自然変換ができた。これをhaと書くことにする。

 こういうふうに、hの右下に小さな文字で対象や射の記号を添えることをh()と書くことにすると、h()Cから関手圏への対応になる。ただし、射の向きが逆転しているので反変関手、または双対圏からの関手ということになる。

 ちなみに関手圏はFun(〇,△)という形で表されている。いまでいえば、CからFun(CSet)ヘの反変関手、あるいはC^opからFun(CSet)への関手ということになる。

 そして、いままでのことをすべてC^opで考えると、対応()hはCからFun(C^op, Set)への関手ということがわかる。

 と、書いてはみるがややこしい。フライドポテトで作ったコロッケにマッシュポテトを添えたくらいややこしい。じゃがバターが恋しくなる。

 で、さらにややこしい話になっていくので、もとにもどって自分で一度おさらいしておくことにした。

 そもそもやりたかったことは、圏Cのhom関手hAからhへの自然変換を考えることだった。hAは、圏Cの対象Aを固定した場合のCからSetへの関手、hは圏Cの対象A´を固定した場合のCからSetへの関手だった。

 そして、hAからhへの対応は、hom関手の場合の第二引数を固定した場合と同じように考えて、反変関手で対応させることができるものだった。

 と、おさらいをしていて思うのは、では、図4の縦方向も関手としてとらえることができるのではないかということと、そうすると横方向が自然変換になるのではないかということ。以下の図7はそのイメージを図4に自分で描き加えたもの。

図7


 たぶん、「hom関手の自然変換」のところの後半では、上記の話をしているのだと思う。

 haはX成分がXh(a)であるような自然変換だったけれど、fhはA成分がhA(f)であるような自然変換だと書いてある。

 何かと不十分な理解になってしまっているが、とりあえず現段階ではこう理解している、こういうイメージをもっているということでできる範囲でまとめてみた。

 話が何段階にも重なっているのと、もともとは圏Cの対象という同じ立場であるものたちが、そのときの関係性によって立ち位置が変わることと、反変関手が混じっていることから、話がややこしい。

 逆にいえば、元の圏Cではふつうに対象として存在しているA、A´、X、Yたちが、関手のつくり方や関手圏までもっていくことで、世界が広がり、関係性が多様になったり深まったりするのだなぁと思うことであった。
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圏論「hom関手」再び、ついでに反変関手も

 あいかわらず随伴関係の本式の定義には歯が立ちそうにない。

 hom関手についてもう少し理解しておくと何かいいことがあるような気もするので、ちょっと見ておくことにした。

 米田の補題をのぞいたときにさわりだけ見たので、今回はもう少しだけ突っ込んでみる。『圏論の道案内』(西郷・能美)を参考文献として、自分の理解の流れと表現で書いていく。

 対象XからYへの射の集まりをHomC(X,Y)と書くわけだけれど、圏の定義ではこの集まりが集合であることを仮定しないので、対象X、Yを選ぶごとにHomC(X、Y)が集合であるような扱いやすい圏のことを局所的に小さな(locally small)圏と呼ぶのだった。ちなみに、圏の射全体の集まりを集合として扱える場合には小さな(small)圏というらしい。

 局所的に小さな圏Cにおいて、対象Aを固定すると、Cの対象Xをとるごとに射の集合HomC(A,X)が定まる。これは集合だから、圏Cの対象XからSetの対象HomC(A,X)への対応が得られる。

図1


 対象の対応が得られたので、あとは射の対応が得られれば、この対応は関手になる。射の対応については合成を考える。X→Yの射をfとし、A→Xの射のひとつをαとすると、faはAからYへの射となる。

図2


 つまり、「fと合成する」ことは、集合HomC(A,X)から集合HomC(A,Y)への写像となる。αに対してはfαを対応させるようなHomC(A,X)からHomC(A,Y)への集合間の写像をfに対応させることにすれば、関手ができる。

 と書いてはみたものの、この写像についてはまだぼんやりとしか理解できていない。

 とにもかくにも、このような関手のことを、hom関手(home functor)と呼ぶことが多いらしい。米田の補題のところでも図を描いたけれど、本に載っているものに近い形で描くと、次のようになる。

図3


 以前は、HomC(A,f)に対して、「Aからfへの射の集まりって何?」と思ったものだったが、Aを固定したときにfがhom関手によってうつされた先として、X、Yと同じようにHomC(A,□)の□にfを入れたと考えれば、とりあえず納得できる。ただし、そうとらえていいかどうかはわからない。

 そして、HomC(〇,△)の〇のほうではなく△を固定した場合はどうなるのかについても今回は考えておきたい。つまり、対象Bを固定して、HomC(X,B)を対応させるような関手について。

 この場合は X→Y と X→B が合成できないので、YからBへの射をβとして考えることになる。

図4


 先に結論をいうと、反変関手を使うことになるので、まずは反変関手と双対圏をおさえておく。双対圏というのは、元の圏と同じ対象と射の集まりからなり、矢印の向きだけを反転させた圏(射の始域と終域、合成の順序を入れ換えた圏)のことで、opposite の op を圏の記号の右肩につけて表す(文中では圏Cに対してC^opの表記で示すことにする)。

 そして、双対圏からの関手を、元の圏からの反変関手と呼ぶ。反変関手との対比から、通常の関手のことを共変関手と呼ぶこともある。

 これらの用語もC^opもよく見かけるので、この機会に触れることができてよかった。

 話をhom関手にもどすと、対象Bを固定してHomC(X,B)を対応させる場合については、YからBへの射βとfの合成を考える。

 射fのうつり先はHomC(Y, B)からHomC(X,B)への写像となり、向きが反転しているので、この対応は反変関手になる。下の図は本には載っていなくて、自分の理解で描いたもの。

図5


 と、書いてみたはいいものの、いまひとつわかっていない。βに対してβfを対応させる写像だから反転するのかな?と思っているけれど、そういうことなんだろうか。

 なお、hom関手の記号は、HomC(A,−)場合は小さなAをhの右下につけて示してあり、HomC(−,B)の場合は、小さなBをhの左上につけて示してある。

 ちなみに、hom関手の説明の締めくくりのところで、“いわば「その対象にとっての世界」という関手”と書いてある。スライス圏、コスライス圏を彷彿とさせる話だな、と思った。>「ダダ漏れの世界」とオートポイエーシス
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圏論「圏の同型と圏同値」、段階的に考える

 随伴関係の雰囲気だけでもなんとか感じたくて旅に出るだけ出てみて、迷子になっていったんうちにかえって、装備点検中にこんがらがっているところ。

 これらを整理しなくても、随伴関係の雰囲気だけ味わうことは可能かもしれないけれど、部屋のなかがごちゃごちゃしていて出かける気になれないので、せめてもう少し整理することにした。

 ひとまず別のガイドブック『圏論の歩き方』をのぞいてみたら、p.89に
 自然変換で各成分が同型射であるものを自然同型(あるいは自然同値)といいます.
と書いてあった。実はウィキペディアの「自然変換」でも自然同型と自然同値は同じであるような言いまわしを見かけていて、「結局、同じことなのかな?」とは思っていた。

 ここはひとつ、ふつうの圏圏の圏関手圏について、素朴な図を描きながら考えてみることにする。なお、同型を表す「=の上に〜がのった記号」を、文中では「〜=」と示す。

 まずは、ふつうの圏について。以下の(1)の条件を満たす射fを同型射といい、この場合、対象間も同型となって「〜=」で結んで表記される。ここはいい。

図1


 次に、圏の圏。圏を対象とすると、関手が射となり、以下の(2)の条件を満たせば「圏の同型」が言える。記号も「〜=」が使われている。ここも、ふつうの圏と同じことなので、よしとする。なお、『圏論による論理学』では、条件(2)をみたすような関手Fは、「同型関手」(isomorphism)と呼ばれることがあるとしている。これも上記の同型射と対応するので、わかりやすい。

図2


 そして、関手の合成と恒等関手を結ぶ「=」が「〜=」にかわると、「圏同値」となる。なお、圏同値を表す記号は特に見当たらない。

図3


 最後に、関手圏。関手が対象で、自然変換が射なのだから、「関手圏の射として同型射であるような自然変換を自然同値と呼ぶ」のなら、次のようになるはず。自然変換sは勝手に名付けて登場させたもので、条件(4)も自分の考えで書いた。

図4


 これまでの流れで名前をつけるならば、可逆である自然変換を「同型自然変換」と呼び、対象としての関手を「関手の同型」と呼べばよかったんじゃなかろうか? そういえばウィキペディアの「自然変換」のページに「自然同型(あるいは自然同値もしくは函手の同型)」と書いてあったっけ。

 はたと気づけば、『圏論による論理学』でも『圏論の道案内』でも、圏同値は自然同型・自然同値をもとに定義されている。それはつまり、自然同型・自然同値の定義により関手の同型がつくれて、圏の同型の条件の「=」を少し緩めて「〜=」にできて、圏同値がつくれるということなのだろうか?

 圏論を学ぶ身としては、上記のように、ついつい「矢印」たちを低次から、つまり「射」「関手」「自然変換」の順で考えたくなるけれど、もともと圏論というのは自然変換を定義したくてつくられたもので、そのために関手の概念が必要になり、そうなると射・対象の概念が必要になった、という話を読んだことがある。『圏論の道案内』でもそのことに触れてある。

 最初のふつうの圏で考えれば、同型射というのは「行って帰って何もなかったことにしてくれる相手がいる」ように見える。簡単に言えば、「行って帰って同じ」と。そして、対象間の同型は「行って帰って同じになれる対象どうしはほぼ同じ」というふうに見える。

 「=」だと「同じ」で、「〜=」だと「ほぼ同じ」だとしたら、圏同値の関手は「行って帰ってほぼ同じ」であり、圏同値の圏は「行って帰ってほぼ同じ相手はほとんど同じ」ということなんだろうか?

 『圏論の道案内』では、このことを「ズレを許す」という言葉を使って説明してあるように思う。
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圏論「自然同型・自然同値」、装備散乱中

 随伴関係について、『圏論による論理学』(清水)の略式な定義を見たあと、『圏論による道案内』(西郷・能美)の定義をのぞくだけのぞいてみて、すっかり迷子になってしまった。

 でも、ここまできたので『圏論による論理学』の本式のほうの定義も見ておきたい。

 そして私は思った。

 着の身着のままで出かける散歩も楽しいけれど、随伴関係への道のりは散歩ではなく旅であり、しかも登山レベルかもしれなくて、ある程度の装備は必要なのだ、と(ちなみにリアル登山はやったことがない)。

 もともと、『圏論による論理学』の本式の随伴関係の定義を理解するためには「自然同型」の理解が必要だということはわかっていた。が、確認すればすむという話でもなさそうだということもわかった。

 で、装備を点検・整備しているところなのだけれど、その結果、「同値」と「同型」のロープがこんがらがって、他の道具もこんがらがってえらいことになっている。

 何はともあれ、まずは『圏論の道案内』の自然変換の定義にもどろう。

 自然変換というのは、関手から関手への矢印であるわけだけれど、矢印になるためには以下の条件が必要となる。以下、CDを圏、F、Gを関手、自然変換を t とする。なお、本とは書き方を少しだけ変えてある(射の矢印の上に記号がのせられないという事情のため)。

● t はCの各対象Xに対して射tX:F(X)―→G(X)を対応させる。

● 圏Cの任意の対象X、Yおよび任意の射f:X―→Y に対して G(f) tX = tYF(f)が成り立つ。

 「tX を t のX成分と呼ぶ」ということも書いてある。

 要は、自然変換tというのは、F(X)からG(X)へのDの射tXたちを束ねたもので、次の四角形を可換にするものだ、と。

図1


 このあと、有向グラフの話を経て、関手圏の定義へと入っていく。関手圏は、圏Cから圏Dへの関手を対象とし、それらの間の自然変換を射とする。その射の合成、つまり自然変換の合成 t t´が、(t t´)X= tXX であるようなものとして定めてある。自然変換の合成のほうは、射の合成と区別するため「何も書かずに隣に書く」という形で表すとして。tt´が実際に自然変換であることも確認してある。単位律、結合律も。

 そして、自然同値。

 『圏論の道案内』では、関手圏の射として同型射であるような自然変換を自然同値(natural equivalence)と呼ぶとしている。また関手圏の対象として同型であるような関手を自然同値であるということも書いてある。

 同型射(isomorphism)というのは可逆な射のことであり、可逆というのは、対象AからBへの射fでいえば、BからAへの射gで gf = 1A かつ fg = 1B をみたすものが存在すること。

 したがって、自然同値というのは、可逆な自然変換ということになる。気をつけなければいけないのは、かといって「F(X)のかたちをした対象たちの全体」と「G(X)のかたちをした対象たちの全体」とのあいだに一対一対応があるわけではない、ということ。

 というわけで、『圏論の道案内』での「同型射」「自然変換」「自然同値」を確認した。ちなみに「自然同型」は見当たらない。

 一方、『圏論による論理学』では、「自然同型」(natural isomorphism)の定義は、以下のような内容のものになっている(「矢」は「射」に変えて、表記できない記号は言葉で表している)。

 BCを各々圏とし、F、Gを各々BからCへの関手とし、さらにτ:F→GをFからGへの自然変換とする。その上で、Bの任意の対象A(∈ob(B))について、τA:F(A)→G(A)がCにおける射としてisoであるとき、τは「自然同型」と呼ばれ、記号τ:F(=の上に〜をのせた記号)Gで表される、と。

 iso(アイソ)という用語の響きがいまとなっては懐かしい。iso というのは、つまりは『圏論の道案内』における同型射(isomorphism)と同じであると、定義から判断してよさそう。

 さらに、注意書きで「同値」(equivalence)に言及してあり、自然同型を使うと圏の間の同値の概念が定義できること、BCとの同型とは異なる関係であること、同型であれば同値といえるが、その逆は一般には成立しないことについて書かれてある。(※)

 なお、『圏論による論理学』に「自然同値」という言葉は見当たらない。

 再び『圏論の道案内』にもどると、こちらでは「自然同値」とは別に「圏同値」というものが以下のように定義されている。圏Cから圏Dへの関手FおよびDからCへの関手Gで、関手圏の対象として

図2


なるものが存在するとき、CDは圏同値(categorically equivalent)であるという、と。

 上記の「=の上に〜がのった記号」が「=」となるとき、圏の同型となるのだと思う(圏の同型は、『圏論による論理学』にも出てくる)。
圏の圏における“同型”は、圏の間の同じさとして強すぎるが、自然同値の概念を用いて定義される“ 圏同値”はより柔軟で有用である。
(『圏論の道案内』Kindleの位置No.1754-1755/第4章2節)

 これが、上記(※)の後半部分の内容と対応しているのではなかろうか。

 で、何が混乱しているかというと、まずは「同型」と「同値」の違いとその意味、そして、それが対象の話なのか射の話なのか圏の話なのか関手の話なのか自然変換の話なのかなんなのかよくわからなくて、こんがらがっているのだった。
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圏論「随伴関係(三角等式版)」、できあがりはシンプルだけど

 前回、『圏論による論理学』(清水)の略式のほうの「随伴関係」の定義を見たので、今回は『圏論の道案内』(西郷・能美)の「随伴関係」の定義を見ることにする。

 徒歩による三角等式理解の旅をいったんあきらめ、先にタクシーでゴールまで行った。行ってしまえばシンプルなのだ。

 圏Cから圏Dへの関手F、圏Dから圏Cへの関手Gについて、FGからidDへの自然変換ε、idCからGFへの自然変換ηが存在して、これらが三角等式をみたすとき、すなわち

図1


を可換にするとき、四つ組〈F、G、ε、η〉を随伴関係と呼ぶとしている。

 それはいいのだが。

 記事がだいたい書けたので、投稿前に全体的なチェックをしようと思って内容を確認しているとき、大きなことに気づいてしまった。

 『圏論の道案内』に関しては、これまでずっと、Fを積関手、Gを冪関手として考えてきたし、今回もそう考えている。しかし、よくよく考えてみれば、随伴関係に出てくるF、Gは積関手、冪関手とは限らない。それどころか、かたやCからD、かたやDからCへの関手として定義されている。いったいここをどう考えればいいのだ??

 そもそも、随伴関係のオープニングからして、
いよいよ積と冪との間にある関係を抽出して「随伴」を定義しよう。
と書いてある。

 こりゃ、スコップで掘り起こした宝箱からスコップが出てきてもおかしくはないということだったのか!?

 混乱する一方だが、とりあえず、今回考えたことは考えたこととして、まとめておくことにした。

 気をとりなおして図1を見ると、三角形の辺が ⇒ で構成されており、自然変換のつくる三角形になっていることがわかる。そして、一部の辺が Fη や εF になっている。

 実際、これより前の三角等式への旅の続きのところで、関手と自然変換の合成なるものが出てくる。

 関手と自然変換の合成とはなんぞや?

 図1からもわかるように、それらがあわさったものは自然変換になるらしい。関手をH、自然変換をtとして、X成分が (Ht)X = H(tX)、 (tH) X = tH (X) となるものとして定義されているのだけれど、Xは対象だったはずで、「対象が自然変換によってうつされるってどゆこと??」状態から抜け出せずにいる。
(2020年9月10日追記:これより前の「自然変換」のところを読んでいないからこうなるのだとわかった)

 ついでに、いま思い出したので、いつか書こうと思ったことを書いておくと、この本の第1刷から第2刷では、けっこうな数の修正が加わっているらしい。別件でネット上の正誤表をさがしたときに(検索すればすぐ見つかると思います)、そのことがわかった。

 このタイプの本にはあのくらいの数の修正はあたりまえなのだろうか? ざっと数えたところ70か所あまり。図が差し替えになっているところもある。いまはネットの時代だからWeb上で正誤表が出せていいけれど、ネットがない時代だったら、第1刷を買った人は大変だったろうなぁと思ってみたり。

 なお、別件というのは、アルファとエーが混在しているところがあるような気がして、念のために確かめたかったのだけれど、そういうレベルの問題でもなさそうなことがわかった。

 本のミスはできるだけ少ないほうがいいのはもちろんだけれど、自分で図を描いていて思うことは、たとえばどの文字を小さくすればいいのか(添え字っぽくすればいいのか)、気持ちをしっかりしておかないとときどきわからなくなるということ。

 再び話をもとにもどすと、三角等式に向けての旅では、FAGA⇒idC と、その双対である idC⇒GAFA を得るところまでなんとかたどりついた。そのなかで、A×X → A×X の恒等射のカリー化を ηX とするところがあった。

図2


 この図を積関手FA、冪関手GAを使って表すと、次のようになる。

図3

※ たとえば、この図の下の辺の射の「εFA(X)」のFA(X)は本の(8.3)にあわせて添え字として小さく書いているが、このあと自然変換の形になると添え字ではなく大きな文字Fになっている。


 ここからAとXを除いて自然変換の形にもっていけば、図1の左側の三角形になる。図1からはなれてしまったので、もう一度。

(図1をもう一度)



 では、右側の三角形はどう考えればいいのか? タクシーで降りたところから、もとにもどったり先に進んだりうろうろ歩いてみる。たぶん、AとYを加えればいいのだろう。ちなみに以下の図4は本には載っていない。

図4


 さらにそれを対象の関係で表すと、次のようになろうかと思う。

図5


 つまりは以下のことが言えればいいのだと判断した。

図6


 「なってほしい」というか、等しいはずだ、と。そのために、以下の「自明な式」が使われている。

図7


 ということは、図6に関手FAを作用させてεYを合成させたときに、εY になることを確かめればいいのかな。

図8


 点線部分はεの自然性から出る射になる。なお、本では全体がFA、GAを使って表してあるのだが、私はまだ対象で表さないとよくわからないので対象で表した。1A × εY^A については、本ではFAGA(εY)となっていて、これでいいのか不安なのだが、(εY)^Aってこれまで見たことがないから、これでいいのかな?

 で、エの合成部分は図2でXをY^Aとしたものだから、1A×Y^Aとなり、εYと合成して、前回と同じ発想でεYとなって、OKだぞと。

(図2をもう一度)



 なんとなくうっすらわかったような、わかっていないような、全然わかっていないような。

 ちなみに、図6の作業の前に、A×X→B(射f)をカリー化された〜f(fの上に〜がついたもの)で表現する式 εB FA(〜f)の 双対を考えてεYに適用しようという話が書いてあるのだが、その意味がさっぱりわからないまま旅をほぼ終えてしまった感じがする。いいんだろうか。

 っていうか、これは旅とは言わんな。迷子だな。
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圏論「随伴関係(略式)」、つまりは巴

 三角等式に向けての旅を続けたかったのだけれど、そのあとの展開がよくわからず、とにかく頭がごちゃごちゃしすぎなので、先に『圏論による論理学』(清水)の「多少略式な仕方での定義」のほうをのぞくことにした。

 以前ざっとのぞいたときには、「やっぱり略式のほうがわかりやすいな」と思ったのだけれど、三角等式に向けての旅を少しやってみたあと読むと、わかりやすいのはわかりやすいのだが、「うっそー」的な展開になってしまった部分があるので、あとでそのことについて書こうと思う。

 では、略式の定義をみていく。BCを各々圏とし、BからCへの関手をF、CからBへの関手をGとすると、Bの任意の対象AとCの任意の対象Bについて、以下のことが言えるとき、FとGの間には「随伴関係」(adjunction)が成立していると呼ばれる。

図1

   ※ 式に説明書きをつけた。

 記号はTを右に90度回転させたようなものが使われるらしい。FはGの「左‐随伴」(left-adjoint)、GはFの「右‐随伴」(right-adjoint)であるとも呼ばれることが書いてある。

 また、f∈C(F(A),B)、g∈B(A,G(B))として、可換な下図のように表されることもあるとのこと。

図2


 イメージ的にはFとGとが互いに巴をなしているともいえる、という注意書きもある。確かに。せっかくなので、自分の感覚で巴の図形を点線で重ねてみる。

図3


 上の定義では、随伴関係はあくまでも関手間の関係として定義されているけれども、F(A)→B⇔A→G(B)も便利だよ、ということも書いてある。

 それはそうとして、随伴関係って結局、どういうものなの?という疑問があるわけだが、このあと具体例が示されており、ありがたい。

 が。

 以前だったら、「なるほどねぇ!」と喜ぶだけだったかもしれないけれどいまとなってはビミョーな気持ちになることが書いてあった。

図4

※ 式に説明書きを加えた。例2に対しては「随伴関係(広い意味での)が成立している」と書いてある。

 え……。

 確か三角等式に向かう旅で積と冪の関係を根拠として使いまくってきたはず……。

 落ち着いて考えれば、使ったのは冪の定義であり、上記の定理を使ったわけではない。というか、そもそも随伴関係は定理ではなく、これこれこういうものだと定義するものだから、三角等式に向けての旅は、いまの段階では基本は証明の旅ではないのだと思う。これから先、証明が必要な部分はあるみたいだけど。

 だから、循環論法としてのもやもやではないとしても、なんというのか、土に埋まっている宝箱を掘り出すためにスコップで一生懸命掘ってみたら、宝箱からスコップが出てきたみたいな。

 とにかくわかったことは、三角等式に向けての旅で、やっぱり私は何もわかっていなかったということ。

 というような心のもやもやをおいておけば、例1のFは積関手に見えるし、Gは冪関手に見えるし、なんかつながりそうな感じはある。

 ちなみに、『圏論の道案内』(西郷・能美)の随伴関係は、図形的イメージとしては、2つの直角三角形を互い違いに(左下と右上に直角が来て、斜辺が平行になるように)組み合わせたものと言える(そう置いてあるということだけれど)。

 それはそれで、巴っぽいのだ。
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圏論「三角等式」へ向けて、もはや旅

 圏論に出てくる随伴関係について、その雰囲気だけでも感じるところまでなんとか行けないかチャレンジしている。今回は『圏論の道案内』(西郷・能美)に出てくる「三角等式」に向けてのプロセスの一部をみていくことにする。初めて聞く用語だった。なお、いつものように自分の理解の流れと表現で書いていく。

 冪関手の最後で、恒等関手への自然変換について確認した。では、この双対はどうなるのか、と話が展開されていく。Xでいえば、積関手でA×Xにしたあと、冪関手で(A×X)^Aにうつそうとするもの、つまり、X→(A×X)^Aについて。

図1


 対象から冪の形への射となっているので、積と冪の関係が使えそう。個人的には、冪の右肩の記号と、積の片方の記号が行き来するような感じでイメージしている。したがって、X→(A×X)^Aは、A×X → A×X をカリー化したものだといえる。

図2


 そこで、A×X → A×X の恒等射、つまり1A×Xをカリー化したものを、ηXとする(何かひっかかるけど、ひとまず先に進む)。

図3


 そうすると、いま目指しているのは次の図の可換性ということになる。

図4


 このあとの手がかりは(A×Y)^Aの冪としての普遍性。もう一度、冪の定義として使ってきた図をながめたあと、今回、^gをgとすることになるので、一度書き換えておく。ついでに、『圏論の道案内』にあわせるため、方向や細かい表記も変える。

図5


 A×X→A×Yの射、つまり1A×fをカリー化したものをgとすると、gは次の図を可換にする射となる。

図6


 となると、図4が可換になるためには、Xから(A×Y)^Aへの2通りの行き方(次の図7のア、イ)が、どちらもgになっていなくてはならない。ここから先がややこしいのだ。途中で、何を根拠に何をしているのかがわからなくなってしまう。

図7


 アもイもgに等しくなることを示すということは、gにアやイを入れても図5が成り立つことを示せばいいのだと理解した。

図8


 ということは、まず、1A×ア や 1A×イ の形にしたあと、つまりAとの積をとる関手FAを作用させたあと、εA×Y を合成させたら 1A×f になればいい、ということだろうか。

 本ではアとイに分けて図示されているけれど、まとめて表すと次のようになろうかと思う。

図9


 アについては、ηYのアンカリー化を考えることになっているのだけれど、よくわからないので冪の定義にもどってみた。なるほど確かに、εA×Y(1A×ηY)=1A×Yだ。

図10

 ということは、1A×Y (1A×f)= 1A×f であり、OKということになる。

図11


 と書いてはみるが、何かが気持ちわるい。見た目的には最初から A×X → A×Y だからだろうか。自分が何をやっているのかよくわからなくなってくる。

 もやもやしながら、とりあえずイのほうもがんばると、まずはεの自然性より、 εA×Y (1A×(1A×f)^A) =(1A×f)εA×Xと示されている。ここはもう、次のように考えることしかできなかった。

図12


 この次は、またηxのアンカリー化を考える。

図13


 そうすると、1A×fにもっていくことはできた。

図14


 なんだかすごく、頭がごちゃごちゃ、心がもやもやしているけれど、しばらく間をあけたら見えてくるものもあるかもしれないので、ひとまず先に進もう。

 ふう。

 いや、やりたくてやっているのだが。
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